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19話

◇ 


 女にとって、今日は人生最良の日かもしれない。

 整った容姿、伸ばした青みがかった髪を、腰のあたりで纏めて、括っている女性。

 テーブルの向かいに座る、眉目秀麗な男を見ると、女の頬がつい緩んでしまう。


「ああ、今日はなんて日なんだ。旅の連れとはぐれ、困り果てていたところに君のような女神と出会うとは! しかも、持ち合わせがなく、難儀していた私に昼食までご馳走してくれるなんて。君は美しいだけでなく、慈愛に満ちた女性だ。いや、内面が美しいからこそ、それが容姿に現れているのかもしれないな――美人といると酒が進む。もう一本追加しても構わないかね?」


 過剰な美麗字句は嫌味にもなりかねないが、男の言葉巧みさはそれを信じさせてくれる。

『大空に反逆する鶏亭』

 その宿の一階、軽食もとれる酒場で、セラフィマとリオネルは微笑み合う。


「ええ、構いませんよ。給仕さん、は、忙しそうですね。私が直接、カウンターに注文してきましょう」


 セラフィマは失礼と手を振り、軽い足取りで進んでいく。

 他のテーブルに座る女性客の羨望の眼差し。

 それを一身に浴びながら、心地よさそうに。


「って、ああごめんなさい。怪我はありませんでしたか?」


 途中、席を立つ男がぶつかってきたが、それすらも相手を慮り、余裕の笑顔でやり過ごす。

 人生の絶頂期。

 故郷では味わえなかった喜びに、胸が弾んでいた。

 二十になって気がつけば、部族で年の近い女は皆結婚したか、恋人がいた。 

 里で共に暮らす母の気遣うような視線が心苦しい。

 十二程上の、村の皆から好かれ、戦いも、狩りも、炊事洗濯すら己でこなす、女狩人タマラ。

 セラフィマも慕っていた彼女が、最近妙に自分を気にかけてくれる。

 己の後継者でも育てるような目つきで、女一人での生き方、孤独の癒やし方を、丁寧に教授してくれた。

 一人でも生きていける。

 だれにでも優しく、そして己に厳しいタマラは、皆に愛された立派な戦士だった。

 だが尊敬しているからといって、そんな栄誉ある立派な生き方は、謹んで辞退させてもらいたい。

 別にセラフィマの容姿が劣っているわけではない。

 むしろ容姿だけでいえば、部族の中では上位に位置している。

 事実、十五まで、セラフィマに言い寄ってくる部族の男は、他の娘より目に見えて多かった。

 それなのに、なぜ自分だけが、取り残されたのか。

 そういった色恋事に、積極的ではなかった十五のセラフィマを叱ってやりたい。

 だが、それらを挽回する出会いが目の前にある。

 やはり里の外に出たことが良かったのか。

 水浴びを覗くなどする、子供っぽさが抜けない里の男と違い、外の人間は女性の扱いを心得ている。

 正しく己の女性を評価されたことで、セラフィマは自信を取り戻していた。

 酒瓶を受け取り、リオネルの席に戻る。

 その間も、胸を張り、魅力的な笑みで周りの目を引きつけた。

 

「ふむ、この肉をもう一枚頼んでも?」


 良い男とは金がかかるものだ。

 そしてそれを許容し、手の内で転がすのが良い女の証。

 セラフィマは頷き、この男を里に連れて行き、皆に紹介することを想像する。

 注文を取りに来た給仕の女も、リオネルに見惚れ、嫉妬の視線をセラフィマに残していく。

 皆の嫉妬が、男を手玉に取る悪女にセラフィマを変え、それを意識し、酒を優雅に呷る。

 たしかにセラフィマは絶頂期であった。

 そしてそんな悪女セラフィマに声をかける人物がいる。


「おお、セラフィマ、ここにいたのか、ようやく見つけたそ!」


 それはセラフィマを従者に、各国親善の旅に出た主の物だった。


「――ラ、ラナさま! 一体どこに行っておられたんですか? 探しましたよ」


 街の見物の最中にはぐれた己の主、ラーナが入り口で手を振っている。

 はぐれた後にリオネルと出会い、むやみに動かないほうが良いと助言され、宿泊している反逆の鶏亭に逗まっていた。

 主の無事を喜び、小走りで近づいていく。

 ラーナの隣には黒い外套の男が付き従っていた。



「ラナさま、こちらの方は?」


「うむ、はぐれたセラフィマを探すのに協力してくれた。名をファンという」


 セラフィマはそれはそれはと感謝を述べる。

 そしてラーナが抱えている食べ物や、飲み物の山を見て訊ねた。


「あの、ラナさま。それは一体? ラナさまにお金は持たせていなかったはずなのですが?」


「ファンに買ってもらった!」


 セラフィマより、更に上の美貌の少女の曇りなき笑顔。

 彼女が頬張るそれと、己のテーブルの上の料理を見比べる。

 主の登場に、少し冷静になったセラフィマにある考えが浮かんだ。


「もし、そこの給仕さん。一つ訊ねたいのですが、男に貢いだ私と、貢がれたラナさま。どちらが女として、あ、いえ、答えなくて結構――」


 そう頼んだのに、給仕は遠慮もなくラーナを指さす。

 酒場にいる様子を窺っていた女性客から、口々にラーナを褒め称える声がふりそそがれる。

 裏を返せば、それはセラフィマへの嘲り。

 よく考えれば、出会ったばかりのリオネルとは、飯をご馳走しただけの関係。

 これで女性としての自分の何が高まったのか。

 なんて無様な勘違い女だろうか。

 顔から火が出そうになる。


「おお、セラフィマ。それでそちらの男は誰なんじゃ? 紹介してくれ」


 だが、ここまで来て、引くに引けない。

 セラフィマは、起死回生の一手に出た。


「ええ、こちらの方の名はリオネル。私の――婚約者です」

 

 それはめでたいと素直に喜ぶラーナ。

 飲んでいた葡萄酒を喉につまらせるリオネル。


「げほ、げほっ。――ああ、ファン、探したよ。よし! 互いに連れも見つかったことだし、この辺で――セ、セラフィマ、その手を放してくれないかな?」


 愛を宣言したセラフィマの手は、堅くリオネルと結ばれており、精神的にも物理的に離れそうになかった。


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