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18話

 フェタンの大通りは、今日もそれなりに賑わっている。

 親方の昼飯を買いに来た商人見習い。買ったものをその場で食べる力仕事の終わった職人たち。

 いつも通りの街を眺め、屋台の店主は、炭火の上の鳥の串焼きを裏返す。

 特製のタレが炭に落ちて、香ばしい匂いが広がった。

 ただ老店主にとっていつもと違うことが一つあった。

 それは、串に刺さった肉をじっと見つめたまま、その場を動かない少女がいることだ。


 年の頃は十から十三の間くらいか。

 ここらでは見かけない珍しい衣装を身にまとっている。

 それはフェタンからいくつも国を超えた、草原の民の衣装に似ている。

 白いきめ細かい肌は、その若さを差し引いても、十二分に美しいものであった。

 首にかかる程度の髪は片側で結わえており、顔立ちは幼いながらもあと三つも年を重ねれば、そこら辺の男が放ってはおかない美女に育つことだろう。

 だが現在の少女にとっては、色気より食欲が優先されるようで、香ばしい匂いが広がるたび小さな歓声を漏らしていた。


 身につけている布の上等さ、髪飾りなどから物乞いではないと一目で分かるのだが、そろそろ商売の邪魔になる。

 だが老店主の孫と変わらぬ年齢のため、邪険にも出来ない。

 先程、一本いかがなと訊ねてみたのだが


「しばし、待っておれ」


 と、年に似合わぬ口調で咎められた。

 それから、半刻が過ぎただろうか。

 街の賑わいも増えてきた。

 再度決心し、老店主は息を吸い込む。


「ふむ、見事な技、宝石のように輝く肉の焼き加減、堪能させてもらったぞ、店主。一本貰えるか?」


 

 宝石に喩えられるとは、そこまで褒められては店主の頬も緩む。

 迷惑などと思って悪いことをした。

 皿に載せたのものではなく、焼きたての串を取り、少女に差し出す。


「ふむ、セラフィマ。代金を払って、や、れ?」


 振り返った少女と、セラフィマと呼ばれた、黒い外套の男は眼を合わせたまま固まった。

 少女は、外套の男の両横、後ろを確かめる。


「大変だ。セラフィマがはぐれてしまった」


 困ったものだと腕を組む少女に、おそらく迷子になっているのは少女自身なのではと思ったが、老店主は彼女に配慮し、沈黙を貫いた。



 ●

「しかし、どうしたものか。旅の間、財布はセラフィマが管理している。セラフィマがはぐれた、今。わらわは何も食べれないのではないだろうか」


 こんな理不尽が合っていいのかと、少女は同意を求める。

 店主は頷くことも出来ず、曖昧に微笑みを返す。


「わらわが泊まっている宿に帰えれば。確か名前は、『大空に反逆する――』なんじゃったかな? ええい、宿の場所はわからんし、セラフィマが戻っている保証もなし。ううん」



 もう一人、外套の男は、悩む少女の頭の上から、じっと焼ける肉を見つめていた。

 先ほどの少女をなぞったように、ピクリとも動かない。

 少女と違って表情が変わらないので、少し不気味でもあった。


「なあ、店主よ。どうにかならんか? ――ならんか、そうか。ん、そうだ、肩を揉んでやろう。いつも父さまが褒めてくれるわらわの腕前。それとこの肉を交換――、そうか、孫がいるのか。それでは彼女の仕事を奪ってはならないな。うーむ」


 大きい黒水晶の瞳を曇らせて、少女はまた唸る。

 その横に移動した外套の男は、肉にぎりぎりまで顔を近づけて匂いを嗅いでいた。

 瞳に意思の色がなく怖いので、店主は無視するしかない。


「ああ、そうだ今度こそ名案を思いついたぞ! 店主、これならばどうだ?」


 そういって銀糸から一つ髪飾りを外し、それを差し出す。

 精緻で独特な装飾のそれと、串肉を交換しろということだろうか。

 小さいながらも貴石がついた髪飾りは、串焼きなどでは釣り合いが取れるはずもない。

 悪い人間であれば、素知らぬ顔をして懐に入れてしまうだろう。

 だが、誠実な老店主は受け取らない。


「な、なぜだ。だってこれは母さまが、夜空の星になった母さまから、いただいた髪飾りなんだ!」


 己の故郷とは物の価値が違うのかと、衝撃を受ける少女。

 そして大切な母の形見を、焼いた鳥肉と交換しようとしたのかと驚愕する店主。

 肉を指で突こうとしている外套の男の手を払い、店主はどうしたものかと考える。 

 ますます人通りが多くなるが、店主の屋台だけ迂回するように、通行人が流れていた。



 ●


「そんな大切な物を、たった一回の食事なんかと引き換えにしちゃいけないよ、お嬢ちゃん。空にいるお母さんがそれを知ったらひどく悲しむことだろうに」


 店主の説得に、少女は頷く。


「そうか、わらわは悪いことをしたのだな。諫言、感謝する」

 

 少女は朗らかに笑い、命拾いしたと大げさなことを言った。

 店主が冗談かと思い指摘すると。


「いや、もしこれがセラフィマにばれて、母さまの耳に入りでもしたらと思うと、ぞっとする」


 胸をなでおろしている少女に、母親は星になったのではと、腑に落ちない点を訊ねた。


「うむ、わらわが、旅立つときに母さまが言ったのだ。『私は空の星になっていつでもラーナを見守っている。だから悪いこと、みっともない振る舞いをすれば、帰って来た時に必ず仕置する』と。だからわらわは常に正しい振る舞いを心がけなれば、――のう、店主よ。そういえば昼間に空の星は存在せぬ。ということは今であれば、母さまの眼を掻い潜ることも可能なのではないか?」


 どうしても食欲に勝てないのか、少女がふたたび差し出してくる髪飾りを押し返し、昼間も光っていないだけで、確かに星は存在するらしいと店主は教えてあげた。

 ラーナは小さな悲鳴を上げて、恐る恐る空を見上げた。

 その隣ではようやく買う気になったのか、外套の男が店主に向けて一本、指を立ててみせた。


「へ、へい。串焼き一つですね? おまちどうさま!」



 混乱する状況で、厄介な客がいなくなるのはありがたい。

 店主は愛想よく串焼きを差し出す。

 そして代金を貰うべく出した手に載せられたのは、やはり不釣り合いな光。

 店主は頭を抱える。

 手の中にあるのは銅貨ではなく、銀貨。

 それもずしりと重みのある中型である。

 これでは高価すぎて、串焼きの代金に使えるものではない。

 今日に限って金払いの良い客ばかり集まる。

 なのにちっとも儲からないのはなぜなのだろう。

 掴もうとした串焼きを引っ込められた外套の男。

 落ち込んでいるように見えるその肩を、少女が優しくポンポンと叩いていた。


 ●

 男の差し出した手に、銀貨がもう一枚載せられる。

 店主は首を横に振った。

 男は財布袋からもう一枚銀貨を取り出すと繰り返し、手に載せる。

 当然、店主は首を振る。

 これで差し出した男の手には、十枚の銀貨が積まれたことになる。

 外套の男は何かに気付いたのか、しきりにうなずきを繰り返した。

 掌の十枚の銀貨を、財布に戻す。

 そして袋の奥に指を入れ、まさぐる。

 目当てのものが見つかったのか、手を引き抜く。

 ゆっくりと、心なしか自信にあふれている動作だった。

 そして取り出した一枚の硬貨。


 その光輝く金貨を確認し、店主はやはり首を振った。


――財布に金貨を戻すと、男は袋を地面に叩きつけた。


 まさか物の価値が分かっていない人間が、いるはずもない。

 銅より銀、銀より金、そんなのは子供ですら知っていること。

 ならばなぜ、この場の三人は困り果てているのか。

 それを解決したのは、大人二人ではなく、ラーナであった。


「ん、んん、そうか! そうすれば! いいかそこの御仁。わらわも今他の店を見て気付いた。このような店で使うにはその金は大きすぎるのだ。そうだな、店主よ!」


 当たり前のことを、自慢気に問われるが、間違っていないので店主は頷く。


「そして、隣の屋台のあの男の手もとを見るのだ!」


 いきなり指さされた隣の客は驚き、握る銅貨を落としてしまう。


「つまり、あの男と同じ銅の金であれば、店主も快く串焼きを差し出してくれるだろう。違うか!」


 とても簡単な問題、その答えは当然単純なもののはず。

 だが、ここまで大仰に問われると、頷く店主はこれであっているのかと不安になる。

 外套の男は大急ぎで、財布袋の中をさらった。

 大きく広げた袋の口、眩い光が溢れているせいで、一目で銅貨が存在しないことが分かってしまう。

 崩れ落ちる外套の男と、隣の少女。


「いや、向かいの商店で両替してもらってくれば、解決するんじゃ――」


 店主の忠告を聞くやいなや、少女は男の袖を引っ張り、商店に突撃する。

 向かった時よりも、勢い良く二人は戻ってきた。


 胸に大量の銅貨を抱えて、男は一本、指を立てる。


「あ、ああ、今度こそ串焼き一本ね。毎度ありぃ!」


 ようやく解放される。

 店主の声も喜びで大きくなった。

 だが、それでは納得できない人物が一人いた。


 少女は、外套の男の腰を殴る。

 そして、妙案を述べた己を指さし、わざとらしく咳払いで存在を主張した。


――外套の男の立てられた指が一本から二本に増えた。


 少女はもう一度、腰を殴った。


――二本から三本に増えた。


 ラーナは満面の笑顔になった。


「はい、お兄さんは、一本。お嬢ちゃんに二本ね、毎度ありぃ!」


 少女は両手に持った串焼きを、天に突き上げる。

 その誇らしげな様子に、いつの間にか集まった周りの野次馬が手を叩く。

 少女の良く通る透き通った声と、大げさな身振りが興味を引いたのだろう。

 串焼きを周りに見せつけるラーナを無視し、ファンは肉にかぶりついた。


 ●


 屋台の横で腰を並べて、ファンとラーナは串焼きを味わった。

 集まった野次馬が、そのまま屋台に並んでくれたので店主も喜ぶ。

 ファンは食べ終わった串を捨て立ち上がる。

 ラーナも肉がなくなった串を一舐めし、店主に礼を言った。

 

 ファンは人通りの少し遠くを見ると、踵を返し歩き出す。

 足音もなく消えていく不思議な客に首を傾げながらも、それ以上のことは特に何も思わない。

 

 そして今度現れたの足音がやかましい鎧姿の客だった。


「おい店主! 今ここに黒い外套の男がいたはずだ! いいか、隠し立てするなよ! 奴はどこに行った? 早く教えろ!」


 訂正する。

 客ではなかった。

 先ほどの二人は風変わりではあったが、ここまで露骨に怪しくなかった。

 男は興奮し、鼻息が荒い。

 鎧には傷がついており、どこか獣臭く不快であった。

 血と獣の体液が臭いの原因なのか、ところどころ透明にぬめっている隣国の紋章が入った鎧を身に着けている。

 だが国に属する戦士団は、身なりに最低限気を使うよう指導されているはずだ。 

 つまり、それを無視しているこの男は信用するのは、短慮にすぎる。

 

 店主は無言で、外套の男が消えた小道とは反対方向を示す。

 鎧の男は礼も言わずに走りだした。

 

 外套の男だけなら庇いはしなかった。

 その彼についていった少女のことを考え、嘘を教えたのだ。

 

 屋台に客からの注文が入り、店主はまた肉を焼き始める。



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