13話
暗殺者と髭の男が顔を見合わせる。
「つまりだ。君はともかく私が気付かれずに通ることは難しいのだ。あの見張りをどうにかして欲しい。出来れば、誰にも気付かれぬように。あまり好みではないので、血生臭い手段はなしで頼む」
互いの認識にある齟齬をどうにか埋めるため、子供に言い聞かせる様にゆっくりと話す。
暗殺者が背中の鎌剣を握れば、男は手で制し、懐から短剣を取り出せば、根気よく首を振った。
表情に変化はないが、指摘に対して頷きを返したので、通じてはいるのだろう。
またも暗殺者は色のない瞳で沈黙する。
手持ちの武器の中に、殺傷能力のないものがないのだろうか。
がさごそと外套の中を手探りしていた。
そして何か思いつたのか、牢屋に戻っていく。
「ああ、素手で音を立てずに、大人一人どうこうするというのは無茶だったかな? 何なら私も協力するんだが――」
男の言葉を切ったのは、階段を降りてくる足音。
いつまで経っても戻ってこないモリスを不審に思ったのか、領兵が様子を窺いにきたのだろう。
口腔内に広がるすえた臭いに苦しみながらも、胸中、モリスは喝采をあげる。
彼が事態に気付けば、大声を上げ、助けを呼んでくれるだろう。
そうすればすぐに仲間が駆けつけ、暗殺者も髭の男も、逃げ場のない牢屋で袋の鼠になる。
――髭の男が領兵のもとに走ろうとするが、モリスは躰をぶつけてそれを妨害する。
「ああ、モリス殿! なかなか戻って来られないので心配しましたよ。何かありまし、た――」
松明の火があっても薄暗い階段だ。奪った鎧に身を包んでいる髭の男を、モリスと勘違いしてしまうのもしかたない。
だがあと一歩でも近づけば、すぐにその横に転がってい半裸のモリスに気付くだろう。
――勝利を確信したモリスの頭上、見馴れたものが回転しながら飛んで行く。
それは最近ようやく手に馴染んだ相棒。
国から支給された鎧とは違い、自腹を切った大切な片手剣。
購入したその日には必要のない手入れを繰り返し、寝床に持ち込んで一緒に夜を明かした。
モリスが声にならない悲鳴を上げたのは、助けを呼んでくれるはずの領兵の顎にそれが命中したからではなく――その後も勢いが止まらない剣が壁にぶち当たって、お気に入りの柄頭の装飾に、罅が入ったから。
領兵は仰向けに倒れ、モリスもその場に崩れ落ちる。
――投擲姿勢を解き、腕を曲げて力こぶを作る無表情の暗殺者はどこか得意気に見えた。
「たしかに血は出ていない、か。ふむ、顔を見られることもなく見事に相手を無力化している」
当たりどころが悪かったのか、泡を吹いている領兵の惨たらしい姿を確認し、髭の男は手を叩き賞賛する。
出血こそしていないが、領兵は見るに耐えない痛ましさだった。
●
髭の男が念の為に確認したところ、暗殺者は見張りの立つ城壁の表門をこっそり通ってきたらしく、帰りもそこからと考えていたらしい。
どれくらい息を殺し静寂を保ったとしても、髭の男が気付かれずに抜けるのは無理である。
刃を喉元に突きつけられ、モリスは警備が少ない裏門に案内させられる。
表門と違い、内側からしか開閉出来ない裏門は見張りが常時一人しかいないらしい。
城内にいくつかある中庭の倉庫の影から、城壁の様子をうかがった。
公には出来ない特別な客人を招くための門は、普段は閑散としてる。
それでも城壁内二階の窓から顔を出し、兵士は真面目に辺りを警戒していた。
男は軽く、兵士を指さした。
「さて、もう一仕事、華麗な腕前を披露してもらおうか。兵士に気付かれぬように気配を絶ち、平和的に夢の中に旅立たせてきたまえ」
牢屋の階段に転がしてきた兵士は、そんな居心地の良い場所には決して送られていない。
それに華麗なと言っているが、今のところ暗殺者がしたのは、他人様の大切な物を良心の呵責なしに粗雑に扱ったことだけだ。
指示に対して暗殺者は首を横に振った。
調子を狂わされた男はなぜかと尋ねる。
『――気ヲ張ッテ、イル。位置、ガ、悪イ』
モリスには分からないが、気付かれず兵士の下に行くには条件が悪いらしい。
男は兵士を見上げたあとに、暗殺者の肩を気にするなと叩く。
「何、万能を求めるのは愚かなこと。誰しも助けあって生きているという事実を人は忘れがちだ。ここは私が何とかしよう!」
男は両腕を肩から大きく回したあと、屈伸を始める。
鈍った身体を、軽く整えているようだ。
職務を全うしている兵士の身に、これから起こる不幸をモリスは気の毒に思う。
――男は手に持っていたモリスの剣を鞘に収め、振りかぶった。
そう、モリスもそれなりに気の毒だった。
モリスは二度目の蛮行を阻止するべく、男と城壁の間に体をいれる。
結果、兵士は不幸を免れた。
髭の男の投げた剣は、見事に窓を外れ、城壁に激突する。
モリスの悲鳴は、口に詰められた臭い布のせいで響かない。
「なっ、そこに誰かいるのか!」
衝突音を不審に思い、兵士は二階から明かりを庭に照らした。
犠牲は大きかったが、これで助けが来る。
モリスは喜ぼうと努力した。
だが結局、それは無駄になる。
なぜなら、続く鈍い音が兵士の顔から響いたからだ。
「うむ、君は何を勝ち誇っているのかな? この裸男が邪魔をしたからであって、決して私の投擲能力が劣っているというわけではないのだよ。まして、そんなことで人間の価値が決まる――」
モリスには、暗殺者はあいかわらずの無表情に見えるのだが、男にはそうではなかったらしい。
男の言い訳を無視し、暗殺者は兵士に放り投げた布袋を回収する。
鋼糸を引っ張り、窓から落ちてきたそれを受け止める。
暗殺者の手に戻った時に、重い金属のかち合った音がした。
「ところで見たことがない武器だが、それは何という名なんだい? 後学のために知っておきたい。殺し屋が持つんだ。さぞ凶悪なものなんだろうね」
窓にもたれ掛かるようにして口を半開きにし気を失っているこの夜三人目の犠牲者を悼み、モリスは彼の意識を奪った武器の名を心に刻んだ。
『――紛失、防止、紐付キ、財布、袋』
もし兵士が死んでいたら、史上初、財布に命を奪われたい不名誉が与えられていたところだった。
モリスは泣きたくなってきた。




