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状況は最悪ではない。手傷は負った。だが、1機も欠いてはいない。
ヨームは、前方に聳えるレーダーサイトの制御センターを睨みつけ、次いで、無惨に引き裂かれ、捻れ曲がった防壁に視線をやる。ヘリコプターが墜落でもしたのか、或いは、暴走した戦闘車両が衝突したのか、経緯を知る者はいない。製作者の意図は解らない。だが、此処からレーダーサイトへ侵攻できることは知っていた。それだけが重要なことだった。
レーダーサイトの外周は、防壁に囲われている。南からレーダーサイトへ侵攻するには、南門か、眼前にある防壁の裂け目を抜けなければならない。交戦したとして不利になるポイントではない。だが、斥候を警戒すべきポイントではあった。
時間をかけるのが定石。だが、現状では、足を止めてはいられない。
「トップはエルロエ」
「了解」
「バンビーナはバック。ヨームはエルロエをフォローする」
「了解」
侵攻経路は、ばれてしまった。だが、それでも、未だ状況は同等、或いは、優位。そのはずだった。
ハックザワールドには、一矢報いるための一手があった。それは"ターミナル"と称される拠点の破壊を狙った強襲である。
ターミナルは、弾薬を供給する拠点として機能すると同時に、機動装甲歩兵の制御統制を司る設置オブジェクトである。
"ExFrame Tactical"のゲームデザインは、殲滅戦に傾倒している。そのため、ターミナルは、試合の勝敗を決定づける最重要破壊目標ではない。そも、投下、設置は任意であり、状況に応じて、各チームが判断する。
設置すれば、弾薬の補給と機体性能の向上というリターンを受けられる。一方で、破壊されれば、関連付けられた機動装甲歩兵は、システムの再起動を余儀なくされ、一定時間行動不能に陥るというリスクを負う。そんなリスクとリターンを天秤にかける一つの戦術要素に過ぎない。
ターミナルを破壊できたとして、一瞬で試合が覆るわけではない。だが一矢を報いることはできる。
勝てないことは解っていた。ハックザワールドは強者である。だから、強さが解る。はじめて戦っている。まだ、一試合しかしていない。それでも、解る。アヴァロンは強い。だからこそ、このままでは、終われなかった。全ては、次に繋げるために。
ハックザワールドは、アヴァロンが設置したターミナルの位置を捕捉していた
。先のウェーブでラッシュを仕掛けた時、輪郭の一片を覗いていた。
気づき、確かめようと、廊下から室内に踏み込もうとした瞬間、グレネードとヘッドショットのカクテルに襲われ、反応する間もなく撃破された。だが、視界がブラックアウトする瞬間、一瞬、ヨームの視界に描画されたそれは、間違いなくターミナルだった。
レーダーサイト西、制御センター、中央管理室。
ターミナルはそこにあり、そして、アヴァロンもそこにいる。
守らなければならない足枷に繋がれている。ならば、自ずと居場所は知れる。いるべき場所にいる。実力のあるクランならば、要衝を理解している。戦術的に優位なポイントを放棄したりなどしない。故に、エンカウントポイントは限定される。
絶対ではない。ターミナルの防衛を放棄し、バックアタックをしかけてくる。そんな奇策もありえなくはない。だが、愚かだ。意味がない。だから、構わない。
必要なことは、考えることではない。疑うことではない。速く。ただ、速く。それ以外に、なすべきことはない。
「走り抜けるぞ!」
喰らいつき、喰い破る。
深紅の機動装甲歩兵が、霧の守りから飛び出す。視線の先、裂けた防壁へ、3機は殺到する。
「デコイを先行させる」
先頭を走る機体、エルロエの駆る機動装甲歩兵の肩に装備された特殊兵装が輝きを放つ。前方の空間に、深紅の機動装甲歩兵の幻影が創りだされる。
「デコイが、レーダーサイトに侵入、反応なし」
デコイは、機体の姿を完全に再現する。虚か実か、攻撃する以外に判断する術はない。目視しているなら撃つ。そのはずだ。
「デコイに続く」
エルロエが飛び込み、次いで、ヨーム、バンビーナが続く。
「クリア」
「クリア」
「クリア」
裂けた外壁を越える瞬間、3機は射撃姿勢に移行する。索敵を行い、それぞれの視界を報告する。死角はない。完璧だった。それは繰り返され、研鑽され、そして、完成された連携パターンだった。
エルロエ、ヨーム、バンビーナは、順に射撃姿勢を解き、再び、駆け始める。眼前に佇む制御センター、その外壁にある死角に入り込むことができれば、行動の選択肢が一気に広がる。
日向から日陰へと入る。光度の差に視界が眩む。灰色の壁が近づき、ヨームが、次の指示を出す。
「外壁に取りついたら、」
だが、伝えられるべき言葉は、光と影に遮られた。
何処からか現れた光が、人型の影を象り写していた。
ヨームは、はっとして仰いだ。蒼穹の中に、青く白い仄かな灯りが舞っていた。
ヨームは、言葉を失った。
壁を伝うように、軌跡を残しながら降りてくる光の円環。ヨームは、それが何か、知っていた。
ゆっくりと、
そう視えた。だが、そう視えただけだ。
間に合わない。どうすることもできない。解っている。それでも、ヨームは叫んだ。
「プラズマグレネード!」
灯が炸裂した。光を湛える水面の如き、青く白く揺らめく球が現れ、膨張し、そして、3機の機動装甲歩兵を優しく包み込んだ。衝撃はない。間もなく、光は粒子となり、やがて、霧散した。
アーマーには、1ドットのダメージもない。プラズマグレネードがアーマーにダメージを与えることはない。ただ、プラズマグレネードは、機動装甲歩兵の守りの要たるシールドを剥ぎとる。
完璧なタイミングだった。3機の頭上で炸裂したプラズマグレネードは、ジャミングフィールドを生成し、チャージされていたシールドをキャンセルした。
「どこから、いや、」
ヨームは、考えを振り払う。シールドはリチャージされる。まだ、致命的ではない。リチャージさえされれば、なかったことになる。
だから、呆けている時間はない。うろたえている時間はない。リチャージまで、待ってくれるわけがない。すぐに来る。
「警戒しろ!」
ヨームが叫んだ。その瞬間、
「ルーフ!」
応じるようにエルロエが叫んだ。声と同時に、衝撃が奔った。
被弾。
視界が揺らぎ、アーマーが削られ、ダメージリングがヘッドアップディスプレイに表示される。射線から逃れられる死角は、すぐそこにあった。たった、数秒走ればいい。だが、それが遠い。シールドがあれば、辿りつける。だが、ない。
ヨームは、視線を、射線を、レティクルを向ける。制御センターの南東にあるエントランスを覆うテラスのルーフ、そこにある黒い機動装甲歩兵を睨みつける。
撃ち返す。それがヨームの判断だった。
黒い機動装甲歩兵は、のたうつように跳ね上がろうとする銃身を抑えつけながら、弾を撒き続ける。
「アンヴィルジャケットコートに、オーバーロードか!」
ヨームは、マズルファイア、そして、ダメージから、対する黒い機動装甲歩兵が携えるマシンガンのロードアウトを特定する。絶大な破壊力を誇る、一方で、反動が大きく安定しない。近距離から中距離の遭遇戦闘に特化したロードアウトだ。
「この距離では、中たらない!」
そのはずだ。そのはずだった。だが、削れていく。アーマーの耐久値は、不定の間隔で、削れていく。
ヨーム、エルロエ、バンビーナ、三機の機動装甲歩兵は撃ち返す。だが、弾を纏められない。被弾の瞬間に襲う衝撃が、それを阻む。視界が揺らぎ、一々、レティクルが跳ぶ。
対等の条件なら、対等の状況なら、1機が3機を撃ち負かすことなどありえない。だが、そんな前提は、仮定ですらありえない。対等など、そんなものはありはしない。必ず、どちらかが有利で条件で、どちらかが不利な状況で、トリガは引かれる。
シールドキャンセル、先攻、兵装、地形、それらによってもたらされた優位は、人数差がもたらす優位を圧倒する優勢をつくりだしていた。
あがくように、喘ぐように、撃ち返す。全く、中たっていないわけではない。ただ、足りない。黒い機動装甲歩兵は、微動だにしない。シールドが剥がれてくれない。
そして、決壊した。
パスティックの狙撃によって、アーマーを削られていたエルロエが、まずダウンした。機体が倒れ、崩れる。だが、重く響く雨の音はやまない。容赦なく叩きつける。肩を砕かれ、上体が反る。頭部が貫かれ、頚椎が捩れ飛ぶ。
「くそっ!」
ヨームとバンビーナは、祈るように、撃ち返し続けた。だが、その願いが叶うことはなかった。
鋼鉄の雨が、全てを圧し潰した。