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遠く、彼方で鳴り響いた咆哮が、霧の森の静寂を裂いた。
「狙撃だ! 散れ!」
ハックザワールドのリーダー、"ヨーム"が叫んだ。
「あと少しだったのに!」
最後尾にいたアサルト"バンビーナ"は嘆き、奥歯を噛んだ。
一瞬で吹き飛ばされたシールド。刷り込まれてきた恐怖。それが、足に絡み、迷わせた。霧の深くへと走り抜けるか、樹々の影に身を隠すか、どっちつかずの中途半端な動き。それが、バンビーナを救った。
音が空気を裂き。瞬間、衝撃が視界を揺らす。狙撃された。中てられた。だが、直撃ではない。
「くっ、また俺か!」
「まだ生きてる! かすめただけだ! 身を隠せ!」
先頭を走り、霧の境界へと逃れているアサルト"エルロエ"が振り返り、生き残れと声を荒らげる。
「覗き窓か、スナイパーはレーダーアンテナだ!」
バンビーナは、射線を読みながら大樹の根本に滑り込み、その身を犠牲にして掴んだ情報を叫んだ。
「了解」
別働隊として、レーダーサイトの北東を侵攻していたスナイパーの"ナナシ"は、ポジションへと走りこみ、スコープを覗き込む。レーダーサイトの東にあるレーダーアンテナ、鉄骨で編まれた巨大な球形の輪郭をなぞるようにレティクルを動かし、そして、その影を捉えた。
「視えた」
レーダーアンテナの可動部、その陰に影よりも暗い色を纏った人型がいた。そこには、アンチマテリアルライフルを構えた黒い機動装甲歩兵の姿があった。
「パスティック」
ナナシは、その名を呼び、微かに笑う。愉快だった。だが、声は怨嗟を孕んでいた。
「間抜けな姿じゃないか」
一方的に殺す。それは狙撃手にのみ許された特権。そして、特権を行使できる者だけが、特権を行使できる者を解らせられる。
スコープを覗き込む狙撃手を死角から狙撃する。対する術、抗う術を持った唯一の存在を、討ち倒すことは至上の喜びに他ならない。
圧倒的な優位があった。だが、愉悦に溺れていられたのは、数瞬だけであった。
黒い機動装甲歩兵が構えるアンチマテリアルライフルの銃身。揺れていたそれが、静止していた。それに気づいた瞬間、ナナシは、焦りに支配された。背筋が凍った。
「狙われてるぞ!」
叫び。そして、その瞬間に、トリガを引いた。猶予はなかった。
ナナシのレティクルは、黒い機動装甲歩兵の後頭部に吸い込まれるように導かれた。それは会心の一射だった。パスティックは静止していた。外れるはずがない。
そして、事実、そうなった。
「クソッ!」
放たれた弾はシールドを貫き、アーマーを削った。命中した。だが、ナナシは、吐き捨てた。完璧な狙撃だった。だが、その結果によってもたらされた感慨が、わずかに追撃を遅らせた。
一方、パスティックは、一瞬たりとも迷わずに跳んだ。ナナシを無視するかのように、逃げた。
第2射、第3射は、何をも貫くことなく蒼穹へと吸い込まれ、そして、残響は霧散する。山間に静寂が戻った。
パスティックは逃げ果せ、ナナシは立ち尽くす。それが結果だった。
「削ったが、殺しきれなかった」
ナナシは苦々しく報告する。一矢を報いる絶好の機会だった。だが、それを逃した。気負いがミスを誘った。
パスティックが助かったのは必ずしも偶然ではない。
蓋然。そうなるべくしてなった。
相対する者に存在を意識させる。考えさせる。怯えさせる。怒らせる。感情は、判断を、そして、指先を、そっと狂わせていく。
優秀な狙撃手は心につけ入る。既に、ナナシの心は侵されていた。折れてはいなかった。試合を捨ててはいなかった。だが、正対することを避けた。故に、この結果は、蓋然。或いは、必然でさえあった。
「ヨーム、バンビーナ、エルロエは、完全に霧の中に入った。C-4の南外壁まで移動する」
ヨームの声に、ナナシは、はっとする。
「了解。ナナシは、キルスティールと合流後、北門まで移動する」
まだ、終わってはいない。自らに言い聞かせ、ナナシは、応えた。