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先進国に生きる人類は、世界人口の二〇パーセントに過ぎない。平和で安定した国に生きるという特権を持った二〇パーセントの人々が、世界の富の九〇パーセントを独占している。
先進国で問題視される貧困や格差など、発展途上国の人間からすれば、首を傾げるような話でしかない。たった数時間働くだけで、一日の食費以上の稼ぎを手に入れることができる。そして、金があるだけで、食べ物を手に入れることができる。それが如何に幸せなことであるか、富める者たちは知らない。
富める者たちは、何も知らない。
この国は、最貧国ではあるが、ただ貧しく何もない国ではない。資源がないわけではない。だからこそ、内戦は続いている。発展の途上にある国家ほど内戦は起きやすい。先進国から流入する富、開発に拠って生まれる利権、それらの奪い合いこそが内戦の最たる要因に他ならない。
内戦は民族間の宗教対立が要因であると、一様に語られることは多い。だが、それは一因にすぎない。実情は異なる。利得があるからこそ戦いは起きる。
対立する民族の後ろには先進国の影があり、支援という名の下で、売買される兵器が内戦を激化させる。
はじまってしまった内戦を鎮める方法は、一つしかない。圧政である。圧倒的な力で抑えつけ、抑え続けるしかことでしか、統治することはできない。
それは、合理的であり、現実的な論理だった。全ての国民を賢者にすることはできない。
国家の安定の旗のもとに、軍事政権による独裁国家は生まれ、やがて、熱狂と共に、民族浄化がはじまった。
軍事政権による虐殺は、それがはじまった瞬間に義務となった。殺してしまった。だから、殺し続けなければならなくなった。
何故か?
殺し続けなければ、いつか、殺されるからだ。統べる者たちは、自らが生み出した恐怖に苛まれ、仕方なく、殺し続けた。
殺し、殺し、殺し続けた。
月日と共に、統べる者たちは何もかもを忘れていった。恐怖はかすれ、義務は、ただの権利となり、ただ、殺し、殺されるという日常だけが残された。
何故、殺すのかと、問われても、そこに答えはない。意義は既に失われている。だが、統べる者たちは、やめようとはしなかった。
ただ、殺す者がいて、殺される者がいる。先進国に生まれ暮らす者には現実感のない現実。だが、それこそが、この国の現実だった。
第一世界で、恵まれた者を羨み、自身を蔑み、線路へと飛び込む者。第四世界で、ただ生きることだけを願いながら、殺されていく者。
現実から乖離しているのは、果たしてどちらなのか?
乖離などしていない。それがネームドの答えだった。
任務の遂行を命じられた、その日、ネームドは戦場となる国についての情報を集めた。
ミーティングで、派遣される国の情勢について、詳細な情報が提供されることはなかった。戦うだけの駒にそのような情報は不要であるというのが、アークの統括委員会の意向なのだろう。
確かに、戦いに不要なものであることは、ネームドも否定しない。ただ、ネームドは知りたかった。だから、調べた。そして、知った。
だが、何もなかった。ネームドは、何も感じなかった。
世界が一つではないことを、そういう世界があることを、知っていた。
人は平等ではないことを知っていた。生まれた瞬間に人生は決まることを知っていた。努力によって覆すことができる物事には、限りがあることを知っていた。努力すれば報われるなどという言葉は、平和な国で、さも真実のように語られる生ぬるいお伽話に過ぎないことを知っていた。
だから、ネームドは、何も感じなかった。ただ、知りたかったことを知った。知識欲を充足させた。それで終わりだった。
だからこそ、
「動体、熱源、共に反応なし、クリア」
正義のために戦うなどという思想に逃避し、殺すことを美化してはいない。
血と硝煙の中、ノーマッドの声が響いた。生存者はいない。生きているものはいない。ただ機械人形が赤い瞳を揺らしていた。
軍事政権の分隊だったものは、戦闘開始から数分を持つこともなく圧壊した。不意打ちであることも手伝ったが、あまりに脆かった。
定石をなぞるような、ただ結果へと至るための戦いだった。彼我の戦力差から、結果は必然であるが、その過程はあまりに完璧に過ぎた。
ベル、スリープ、ノーマッド、三人は立ち竦むしかなかった。人を殺していることを、実感する前に全ては終わってしまった。ただ、行使した力の強大さに恐怖した。
「索敵しつつ、ターミナルに戻る。警戒を怠るな」
ネームドの声は冷静だった。既に、手は穢れている。心は凍っている。それ故に、動揺はない。
「行動開始から、三時間しか経っていませんが、よろしいのですか?」
ジェーンが、ネームドに質した。
「時間は問題じゃない」
「お優しいんですね」
その言葉には、その声には、いやらしさが感じられた。
帰還を決めたのは、ベル、スリープ、ノーマッドを慮った上でのことだが、それだけではない。不調の時に何かを強行しようとすると碌なことはない。ネームドは経験からそれを知っていた。やるべきことはやった。ならば、引く。それは、合理的な判斷でしかなかった。
何れにしても、それらは言葉にすべき言葉ではない。言葉にしなくても、伝わるものはある。
だが、
「人を殺した感想は?」
ジェーンは、言葉にする。その愉しそうな声は、暗く澱んでいた空気を一蹴し、軋ませた。
スリープは、何も言えなかった。喉の奥からせり上がって来るものを、ただ、こらえていた。
ベルは、何も言わなかった。既に、ジェーンがどんな女か解っていた。だから、一々、言葉を返したりはしない。そんなことをして、喜ばせたりなどしない。
ただ、ノーマッドだけが、言葉を声にした。
「考えさせられるよ」
呟くように、そう告げた。
「何を?」
「この世界のこと、僕らのこと、彼らのこと、これからのこと、考えていること、色々さ」
ノーマッドは、詠うように、ジェーンに応え、そして、黙った。
狩り殺していく。それがアヴァロンに下された命令だった。
狂ってしまったこの国のため、ただ殺されていく人々のため、そんな願いはない。求めるものは殺戮に他ならない。殺すことによって、存在する価値を証明する。それが全てであり、そこに大義はない。
攻撃対象は、軍事政権の部隊に限定されている。だが、それは行為を正当化するためにしつらえられた、都合のいい正義に過ぎない。
独裁者、虐殺者と戦っている。それは事実かもしれない。だが、一時のことでしかない。軍事政権が倒れる日まで、この国が解放される日まで、戦いを続けるわけではない。目標は実戦データの集積であり、それが終われば、アヴァロンはこの地を去る。
この国を救いに来たわけではない。ただ戦場を求め、戦いを求め、此処に来た。それだけのことでしかない。
アヴァロンが戦いを続ければ、この国を救えるかもしれない。それだけの力、それだけの強さが機動装甲歩兵にはあった。
だが、ネームドに迷いはなかった。偽りでしかないことを知っていた。鎖に繋がれていることを知っていた。
アヴァロンは、愚かな英雄ではない。知らない誰かを救うために、自らを犠牲にすることなどしない。うぬぼれてはいない。
ただ、狗の如く、命じられるがままに殺す。命じられたから、殺す。それが、言い訳でさえないことは解っている。だが、それでも、ネームドに迷いはなかった。




