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樹海。
果てなく続く碧い闇を走り抜け、ネームドが集合地点に到着した時には、既に、ベル、スリープ、ノーマッドは、そして、ムーンキャットの姿は、そこにあった。
焚き火を囲い、食事をする幻想が一瞬、想像された。だが、戦場に現れる一時の憩いなど、そこにあるはずもない。そんなもの必要としない。灯りなどありはしない。闇の中、ただ亡霊の如く、或いは、彫像の如く、四機は屹立していた。
ネームドは、ムーンキャットに、正確には、ムーンキャットが操る機体に視線をやる。だが、ムーンキャットが、最後に現れたネームドに対して、何かを言うことはなかった。ネームドは、小言の一つでもあるだろうと踏んでいた。そうあるべきだと期待していた。それだけに、逆に、気持ち悪く感じられた。
「状況を報告してくれ」
「周囲異常なし、問題はない」
ベルが短く答えた。
「軍の拠点から距離がある。哨戒が来る可能性は低いが、警戒は怠るな」
ネームドは、解っているだろうことを口にした。言葉にしておくことにこそ意味がある。
「そろそろよ」
ふと、ムーンキャットが口ずさみ、仰いだ。ネームドは、それを追うように、木々に囲まれた狭い空の彼方に視線をやるが、何も視えはしない。微かに、枝葉が揺れた。風のせいか、或いは、ターミナルの投下に拠るものかは解りはしない。
ただ間もなく、ターミナルの投下に成功したという情報が、ネームドの視界に投影された。
「投下ポイントは、D-8-6。予定の通りだ」
「完璧ね。素晴らしいわ」
ムーンキャットの声は軽やかだった。ターミナルは、機動装甲歩兵の前線基地として機能する極めて重要なシステムであり、その投下の成否は、作戦行動に大きな影響を及ぼす要素であるからだ。
投下ポイントから、大きく外れたポイントにターミナルが投下されるようなことがあれば、作戦計画は修正を迫られる。また、ターミナルを失えば、作戦計画は完全に破綻する。
「ターミナルに移動し、防衛ラインを構築する。行動開始」
命じる声の残響が失われるのを待たず、ベル、スリープ、ノーマッドが操る三機は走りだし、ジェーンだけが残った。
「何か?」
間もなく、足音が遠ざかり、静寂に耐えられなくなった、ネームドが言葉を紡いだ。装うように放たれた言葉には、苛立ちが滲んでいた。
「何かあったようね」
ネームドに問われ、悠然とジェーンは言葉を返した。
「何も」
そう答えたかった。だが、ネームドは答えなかった。感情は昂ぶっている。だが、それでも冷静だった。
「政府軍の哨戒と遭遇した」
政府軍。それは、アヴァロンの敵、標的として設定された存在だった。
「そう、それで?」
「殺した」
ヘルメットで響いた誰かの声に、ネームドの心は揺れた。
「何人いたの?」
数瞬の沈黙を待って、ジェーンは質した。声には、畏れも、躊躇いもない。
「四人」
「全員殺した?」
「ああ」
「機体に損傷は?」
「撃たせなかった」
「なら、問題はないわ。どうせこれから、殺すのだから」
ジェーンの言葉に容赦はない。だが、それは事実だった。
ネームドは、解っていた。戦うために此処にいる。戦うということは、遊びではない。倒すだけでは終わらない。戦うということは、殺すということだ。それが現実の現実であり、此処は現実だった。
「それだけか?」
だが、ただ頷き、同意し、考えることをやめられるほどに、忘れられるほどに、人の命は軽くなかった。
ネームドが、生き物を殺したのは始めてではない。射撃訓練では、荒野に生きる小動物を射撃の的にした。
不快でしかなかったが、従うより他に選択肢はない。動物を殺せない者が人を殺せるわけがない。だから、殺させているということは解っていた。生き物を的にするなと唱えても認められるはずがない。的を撃つことではなく、生き物を撃つことこそが求められていたからだ。
だから、ネームドは何も言わなかった。何も言わず、トリガを引いた。何も言わず、殺した。己を殺し、殺した。
不快でしかなかった。だが、やがてそれにも慣れた。何を想うこともなく、トリガを引けるようになった。スコープの中で繰り返される生と死。生きている物が、生きていた物へと変わる瞬間を観つづけ、気づけば何も感じなくなっていた。心は既に慣れている。そのはずだった。
「そうね、どうやって殺したの?」
ムーンキャットは、ジェーンは、ネームドの惑いを見透かすように、そう告げた。
機動装甲歩兵の顔が変わることなどありえない。だが、ネームドには笑っているように視えた。
「背後から一人ずつナイフで殺していった」
ネームドは両の手を握り、ありのままに告げた。
「気づかれることなく、即死させていったのね?」
「ああ」
「ゲームみたいだった?」
ジェーンの問いに、ネームドは答えなかった。
だが、そうだった。人を殺しているという感覚はそこにはなかった。現実感がなかった。だからこそ、ネームドは極めて冷静に実行できた。
殺している間はそうだった。だが、一方的な殺戮を終えた後、暗がりの中に転がる死体の瞳と視線が重なった瞬間。ネームドは現実を直視させられた。指先の擬似感覚が、どうしようもなく、心を軋ませた。
「貴方は民族浄化を続ける軍事政権の尖兵を殺した英雄よ。とでも言って欲しいのかしら?」
「おぞましいな」
ネームドの言葉に考えるような振りをみせ、それからジェーンは問う。
「そうね、貴方は知らない国の知らない誰かの死に哀しみを憶えたことがあるかしら?」
「いや」
ニュースで伝えられる、知らぬ者の死に慟哭できる者など、そうはいない。それが仮に、同じ国に生まれた者の話であってもだ。
「なら、何故憂うのかしら? 知らない国の知らない誰かが死んだだけなのに」
「私が殺したからだ」
ネームドの言葉を無視して、ジェーンは言葉を紡ぐ。
「日本人の多くは、この国のことなど知らないし、興味もない。貴方もそうだった。そして、そうであるはずだった。この国で誰が死んでも、殺されても、貴方が哀しむことはなかった」
「だが、私は此処にいる」
「いないわ。此処に人はいない。いるのはゴーストだけ、貴方は此処にはいない。ディスプレイの中で自動人形の頭を撃ち抜いていた頃と同じ」
「言いたいことは、解らなくもない」
「いえ、解っているはずよ」
ネームドは、その言葉に、はっとさせられた。殺した者に対する気持ちなど、どこにもないことに、気づかされた。
「貴方は人を殺してしまった自身を哀れんでいるだけでしかない。くだらないわね」
そう、あまりに、くだらなかった。卑しかった。ネームドは、一瞬、奥歯を咬み、天を仰いだ。そして、
「ありがとう」
ジェーンにそう告げた。
「どういたしまして」
「ジェーン」
「何かしら?」
「今夜、時間はあるか?」
どうしようもないほどに、名を知らぬ女を抱きたくなった。暴いてやりたかった。壊してやりたかった。ネームドは、はばかりなく囁いた。
ジェーンは、数瞬、言葉を失い、
「考えておきます」
ため息をつくように応えた。




