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「ごめんなさい。気づくのが遅れました」
パスティックが詫びる。
「C5に入られる前だ。問題ない」
B6、B7、C5、C6、C7、D6、D7、戦域の南にかけて広がる山林。そこは林立する樹々と白い霧に守られた領域だった。
「撃ちますか?」
「やれそうか?」
パスティックがネームドに判断を仰ぐ。
「第一射は中てられます。ですが、第二射からは何とも言えません。向こうが射線を意識して動いてくるでしょうから」
パスティックが携えるアンチマテリアルライフルは絶大な威力を誇るが、それでも、1発だけでは機動装甲歩兵を撃破することはできない。機体の全面には、シールドが展開されており、アーマーに及ぶダメージを吸収する。シールドのキャンセルに1発、シールドがリチャージされるまでの間にもう1発、ロードアウトによっては2発、機体の中枢に撃ち込まなければ撃破には至らない。
撃たせずに、気づいたことを気づかせず引き込むか、或いは、撃たせてダメージと引き換えに気づいたことを気づかせるか、ネームドは迷わなかった。
「C5に入ったら、最後尾を撃て」
「了解」
パスティックは応え、森の中を走り抜けていく深紅の機影に同期を合わせる。
「狙撃が怖いか」
ふと、スリープが呟いた。
事実、この侵攻経路はパスティックの狙撃を意識したものだった。ハックザワールドの出足は、ことごとく、パスティックの狙撃によって払われ、常に戦力を欠いていた。それは考えるまでもなく、現在の劣勢に至った主たる要因に他ならなかった。
対応することは、悪いことではない。狙撃が機能しない霧の中を行く経路を選ぶことは、間違いではない。だが、それが功を奏するかは、別の話だ。
賢い選択だ。だが、言い換えれば、苦肉の策でしかない。パスティックから逃げた。その結果に過ぎない。逃げたにも関わらず、狙撃によって損害を被れば、迂回したこと、時間を掛けたこと、全てが徒労であったと宣告される。
苛立ち、挫けるだろう。
「南は、スリープ、ノーマッド。地下はベル。東門から中央はネームドがやる」
「了解」
ネームドが布陣を確かめると、スリープ、ノーマッド、ベルがそれぞれ応える。
「狙撃に合わせる?」
ノーマッドがスリープに連携のタイミングを確かめる。
「いや、敷地に引き入れてから迎え撃つ」
「了解、なら、ベルに手伝ってもらう」
ネームドは口を挟まない。必要になるまで、各々の判断に任せ、自らがやるべきことに集中する。その時を待つ。
そして、
「トップがC5に到達」
パスティックが告げ、一同は、息を止めた。
数瞬の空白。そして、重く重い音が続けざまに2度、山間に響いた。
「初弾命中、シールドキャンセル。次弾命中」
中てた。だが、キルログが表示されない。
「かすめたか、樹を抜いたか」
視界が悪く、第2射の命中は、目視で確かめられなかった。C5とC6の境界付近は既に霧が深い。C5に踏み込まれれば狙撃手は、完全にその威を失う。
パスティックは、標的を見失っていた。だが、まだ逃げられてはいない。まだ、そこまで踏み込まれてはいない。"覗き窓"と呼ばれるポイントをパスティックは覗いていた。C6からC5へと抜けるためには、そこを抜けなければならない。走り抜けていれば、視界に入れば、パスティックは逃さない。だが、そうなってはいない。
ならば、何処かに隠れ、シールドのリチャージを待っている。その筈だ。それ以外にはない。
揺らめく白い霧の中にまぎれた深紅の機影。標的の軌跡を追うように、パスティックはゆっくりとレティクルを導いていく。
「あと、一発」
とつと呟き、パスティックは、凝視した。微かな翳りに、わずかな違和感を覚え、そして、暗く黒く微笑む。
「そこ」
パスティックは、白い霧の中に霞む暗がりに、そっとレティクルを重ね、そして、同期した。
トリガが引かれようとした、その瞬間だった。視界が赤く染まり、振れる。銃身が跳ね、弾の軌道が逸れる。
「くっ、カウンタースナイプ!」
前からではない。パスティックは、ダメージリングで方位を確認する。スナイパーが狙撃される。この上ない屈辱だった。
パスティックは、振り向き、撃ち返したくなる衝動を抑え、退避を選択する。蒼い空へと飛び込むように、黒い人型は躊躇いなく、レーダーアンテナから、その身を投げた。第2射は左肩を、第3射は右手に掴んだアンチマテリアルライフルの銃身をかすめ、抜けていった。
「北から、狙撃されました」
パスティックが、ため息をつくような声で報告する。
「ダメージは?」
ネームドが問う。
「シールド100%、アーマーを25%削られました。死角に入っているので、狙撃されることはありません。このまま、シールドのリチャージまで待機します」
「解った。動けるようになったら、地下に向かえ」
ネームドは、パスティックを引かせる。
完全に消失したシールドが再展開されるまで、かかる時間は20秒。その間に、パスティックを撃ったスナイパーは、レーダーサイトに接近することは自明であり、既に、南からの侵入も許している。
レーダーアンテナは、東から北を監視するには適しているが、西を監視するには適していない。踏み込まれた以上、留まり続ける意味はない。レーダーアンテナの戦略的価値は、既に失われている。
「了解」
パスティックは応え、それから、そっとため息をついた。
「面白くなってきたじゃないか」
パスティックのため息を払うように、期待をはらんだ誰かの呟きが微かに響いた。