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「これより、訓練は次の段階へと移行する。すなわち、仮想空間における機動装甲歩兵の操縦訓練ではなく、現実世界における機動装甲歩兵の操縦訓練である」
ブリーフィングルームに響いたジェーンの声は、くすぶっていた心の灯を焚きつける風だった。
「シミュレーターによる訓練と並行して、この世界に実在する機動装甲歩兵を動かしてもらう」
ジェーンは、言葉を切ると四人の表情を覗き、
「不安はあるか?」
スリープに問いかけた。
「ありません」
スリープの表情は自信があると語っていた。
「良い返事だ。だが、アヴァロンにはなくても、我々にはある。数限りなくな。予め断っておく、機体には、資金、時間、人、様々な資源が費やされている。現実世界においては、リソースは有限だ。憶えておけ」
ジェーンは手元のリモコンを操作し、プロジェクターを起動した。スクリーンに投影されたのは、ネームド、ベル、スリープ、ノーマッド、それぞれの名前と、それぞれに対応する数字だった。
「これは操縦訓練における機体破損回数の統計だ。訓練別、月度別、破損部位別、系列ごとに統計をまとめた詳細なデータは端末に送ってある。しっかりと記憶しておけ。壊れたのではなく、壊したのだということをな」
四人は、それぞれ、機体を二〇〇回以上、破壊していた。
直近の高々度降下訓練で墜落大破を繰り返した時には、機体のマネージメントについて、強く意識させられたが、それ以前のことはあまり記憶にない。それは、動かすこと、限界を知ることを優先した結果であって、一同は、それ自体を省みるつもりはなかった。だが、こうして、数字として示されれば、考えさせられることはある。意識をせざるを得ない。
「シミュレーターならば、どれだけ破損させても、後の訓練に影響を与えることはない。だが、実機では違う。機体を破損させないことが大前提だ。その上で結果を示せ」
「了解」
応えた声には凛とした強さがあった。それはアヴァロンの自信を示すものだった。
「以上だ。質問はあるか?」
「機体は何処に?」
「此処にはない。此処にある必要もない。何処にあるか知る必要もない」
ベルの問いに、ジェーンは容赦なく応えた。愚問ということだろう。
無線通信による遠隔操縦こそ、強化外骨格とは一線を画す機動装甲歩兵の基本理念であり、長所に他ならない。オペレーターが機体の傍にいる必要性は全くない。
逆に、オペレーターと機動装甲歩兵は同じ場所に集めるべきではないことは、自明であった。仮に、オペレーターが暴走すれば、面倒な状況になるからだ。
面倒な状況とは、つまり、オペレーターを制圧するためには、まず機動装甲歩兵を制圧しなければならないという状況である。
それを想定しないほど、アークの上層部は愚かではない。故に、頭と身体を同じ場所には置かない。
オペレーターと機動装甲歩兵を離して管理すれば、反乱の対応に苦慮することはない。機動装甲歩兵が如何に強力な戦力であろうと、それが遠方にある限りは、オペレーターに身を守る術はない。
オペレーターを拘束すれば、機動装甲歩兵は制圧できる。それが覆せない絶対の原則である。
信頼しているか、信頼されているか、などという感情的な問題ではない。それ以外の選択肢などないということをネームドは理解していた。同時に、この措置がアヴァロンにとって、悪いことではないと考えていた。
警戒されることで、得られるものなど何もない。基地内で一定の自由が与えられ、基地で暮らす人間と一定の親交が結べているのは、一重にアヴァロンが現実においては非武装であるからに他ならない。圧倒的な暴力を自由にする見知らぬ他人など、ストレス要因に他ならない。そんな存在を自由にできるはずがない。そんな存在と親交を深められるはずがない。だから、異議などあろうはずもない。
狼になる必要はない。鼠のままでいい。ネームドは、そう考える。
ネームドは言葉を探すが、みつからない。
話すべきことがあれば、話しているであろうことが解っていた。操縦してみなければ、何も解らないことが解っていた。言葉で伝えられた知識は、経験によって一瞬で上書きされることが解っていた。
「すぐに始められますか?」
だから、ネームドは、それだけを言葉にした。




