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アヴァロンが日本を離れてから、半年と一年が過ぎた。
短くはない時間だった。
ただ、一日一日を繰り返してきた。それは、此処に来る以前の退屈な日々とは違っていた。同じ毎日を繰り返すだけの時間ではなかった。振り返れば、無数の記憶、膨大な体験が想起される。
証明するように、研鑽は確かなものとして、その身に宿っている。充ちた日々だった。
だが、それでも、一瞬だったと、感じている者はいない。その先にあるものを待ち望んでいた。待ち焦がれていた。
追われるように日々を過ごし、歩き続け、そして、ついに、その日へと至った。
日常の終わりは、突然だった。
ブリーフィングルームに響く、筆頭指導教官ジョンの声は、常とは違っていた。その音には敬畏があった。
「まず、よく此処まで辿りついた。ハイスクールを卒業したばかりの青白い瓢箪のような貴君らを引き渡された時、私は途方に暮れた。深夜、逃げ出した貴君らを砂漠に探しに行く私の背中が想像できた。だが、貴君らは、優秀だった。賢く、そして、強かった。どんなにつらい訓練であろうと、弱音を吐くことなく、全力で向きあった。その成果が此処にある」
短く刈られた金色の髪、青い瞳、鍛えぬかれた体躯、凛々しくも理知的な相貌。合衆国軍人は、かくあるべしという理想を体現したかのような男の姿がそこにはあった。礼装ではない。常の如く、戦闘服を纏い、着こなしていた。だからこそか、凛とした声で謳うその姿には、つくりものではない、権威によらない強さが感じられた。
「実感しているだろう? 知らなかったことを知っている。できなかったができるようになっている。苦しかったことが苦しくなくなっている。一年と半年前よりも、心技体、全てにおいて優っていると、だが、解っているだろう? まだ、何もはじまってはいない」
そこで、ジョンは言葉を切り、腕時計に視線を遣った。時針と分針が"12"を指し示すまでの数秒、廻る秒針とその影を追い、そして、口元を綻ばせた。
「何故、こんなことを言っているか、解るだろう? はじまるからだ。さぁ、はじめよう」
微笑みと共に、告げた。
「アークは、アヴァロンが理想を叶えるための力を託すに足る存在であると認定した。現時刻を以て、アヴァロンは、開発中の人型戦術兵器"機動装甲歩兵"のテストパイロットとして、正式に任命された。これに伴い、クラスAの機密情報に対する閲覧権限が与えられる」
言葉と共に、ブリーフィングルームのスクリーンに資料が映し出される。そこには、プロジェクトの概要、概念、発案者名、機動装甲歩兵の構造模式図などが記されていた。
「アヴァロンは、プロジェクト"リンクス"を構成する歯車に組み込まれた。その稀なる資質と、この日のために培われた研鑽を以て、機動装甲歩兵を操駆し、支配し、そして、統合へと至ることが望まれる。それは、未だ誰も成し得なかった領域ではあるが、私には予感がある。貴君らならば、至れると、我々を導いてくれると、」
ジョンは、咳を払い、言葉を接ぐ。
「なお、質問は受け付けない。私は、語れるほどに、機動装甲歩兵を理解してはいない。プロジェクトについても、同様だ。何れにせよ、私の話を聞いている時間は、貴君らにはない。時間は限られている。答えはない。だからこそ、答えを導くために、貴君らが此処にいる。覚えておけ」
ネームドは、表情を動かさない。だが、感情が動いていないわけではなかった。組まれた手に隠された口元は歪んでいた。昂揚していた。ようやく、待ち望んでいた時がきた。愉しくて仕方がない。
ネームドだけではない。ノーマッドも、ベルも、スリープも、平静を装ってはいたが、それでも、すぐにでも、椅子を蹴り、主を待つヒトガタのもとへ馳せたいという衝動に駆られていた。だが、
「最後に事務的な連絡がある」
ジョンが告げると、傍に控えていたジェーンが一歩前に出た。
「現時刻より、大尉が狙撃手として、アヴァロンに加わることとなる」
だが、その一言が全てを挫いた。ぶち撒けられたような水が、ノーマッド、ベル、スリープを冷静にさせた。
「今後の訓練は、大尉を加えた五人で行われる。これは、決定事項で覆ることはない。以上だ。質問はあるか」
ベルが手を挙げ、徐に言葉を紡いだ。
「なんて呼べばいい?」
「ジェーンで構わないわ」
言葉に、一瞬、空気が緊張する。"名無し"と呼んでいることを知られていたことを、知らなかった者が怯える一方で、それを知る者と呼ばれる者の心は悠然としていた。
「作戦行動中は、TACネームを使え」
ジョンがやれやれと答えた。
「以前、伝えたはずだけど、改めて、私のTACネームは、"ムーンキャット"よ。忘れないように、しっかりと憶えておきなさい」
「もう一つ、誰の命令に従えばいい? アヴァロンの現場指揮官は誰になる?」
「そうだね、指揮系統ははっきりさせておかないと」
ノーマッドが、ベルの言葉に頷くと、ジェーンは、淑やかに唇を動かし、
「アヴァロンの指揮官はネームドでなければならない。それがあなた方の総意であることは解っています。我々の考えも同じです。ですから、作戦行動中においては、私はネームドの指揮下に入ります」
そして、そう紡いだ。ベルは頷く。異論はない。だが、これで終わりではない。
「作戦行動中でない時は?」
詰めておかなければならない。
「言うまでもないでしょう?」
その響きは、何も言わせなかった。
「了解した」
ベルは、ため息をつくことさえもできなかった。




