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Links / Revolutionized Warfare  作者: やたか
第二章「Payday」
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 カップを空にすると、ネームドは、深く息を吐き出した。そして、立ち上がり、背を向け、颯爽と歩き出した。容赦なく、躊躇いのない、そんな、自然な体捌きだった。


「ウェイト!」


 が、


 ネームドのこめかみに激痛が走った。それくらい、大きな声だった。慌てて振り返ると、にこやかに微笑む少女の姿があった。


「レストルーム」


 ネームドは、悠然と告げる。


 だが、少女は、瞳を細め睨みつけながら、白と青と赤の表式を右の人差し指で指差した。


「そっちじゃない」


 そう告げていた。


「パパはワタシをオイテクノ?」


 透き通るような声が哀れを誘う言葉を紡いだ。視線を感じ、ネームドは、踵を返さざるを得なかった。


 ネームドは、合理的な人間だった。言葉が通じなければ、話はできない。話ができないのなら、ここでこうしている意味はない。意味がない。だから、立ち去ろうとした。


 冷静になって、あらためて考えた結果、ネームドは、昨夜のことに、この少女が関係がないであろうと結論づけた。少女は、小柄な女性ではなく、ただ少女と呼ぶに相応しい少女だった。何かができるような年齢ではない。神経質になっていただけだと、ネームドは、声をかけたことを後悔していた。


 ネームドは、珈琲をベースにした甘く苦い何かを飲みながら、幾つかのシナリオを構築していた。


 少女は、家族と共に日本へと観光にやって来たが、両親とはぐれ迷子になってしまった。偶然、視線に入った青年を眼に留め、何を考えたかは解らないが、生まれたばかりの子鴨が親鴨を追うが如くその足取りを追った。そして、怯える男に、声をかけられ、現在に至る。


 その中で、最もつまらない、このシナリオこそが現実に近いのだろうと、そう考えていた。


 少女の姿に大きく心象をほだされたが故に至った好意的な想定であることを、ネームドは自覚していた。だが、それでも、それを積極的に否定したくないと想えるほどに、少女はあどけなく、純真に視えた。


 ただ、心を奪われながらも、一方で、ネームドは考えることをやめてはいない。あらゆる可能性を放棄してはない。


 ネームドは、知っていた。他人など、解らない。自身さえも、解らない。そして、異性とは、解りあえない。


 ネームドは、女性を苦手としていた。言葉を失ってしまうとか、舞い上がってしまうとか、そういうことではない。ネームドにとって女性はわずらわしい存在だった。断っておくが、同性愛者というわけではない。


 ネームドには、忌避すべき記憶があった。子供であることを捨てた時の記憶である。心的外傷といえるような大袈裟なものではないが、それは価値観の形成には大きな影響を与えた。


 少女であっても、他人である。少女であっても、女性である。故に、ネームドは、微笑みの奥に佇む、何かを夢想する。


 少女は、外国人窃盗団、或いは、強盗団の一員で、仲間が集まるまで、ネームドを引き留めている。或いは、ただ、身体を売るために、銀行から出てきたネームドを追ってきただけかもしれない。


 ただ、昨夜の一件に、少女が関係している可能性は低いと考えていた。わざわざ言葉が通じない少女を寄越す意味がない。金を動かせるのなら、人も使えるはずだ。であれば、この人選はない。


 ネームドは、ため息をつく。


 可憐な少女の微笑みの前では、全てがどうでもいいことのように感じられてしまう。愚かではないから、考える。だが、考えていることが愚かしく感じられてしまう。


 だだ、それが一面的なものであり、また一過性のものであることをネームドは知っていた。恋や愛という上位の感情ではない。美しい者を視て、美しいと感じる。それだけのことに過ぎない。


 だから、ネームドは、躊躇いなく、容赦なく、立ち去ろうとすることができた。路端で、人懐こい野良猫と遭ったとして、優しく触れようとする人は少なくない。だが、連れ帰り飼おうとまでする人は多くはない。つまりは、そういうことだ。だから、名前を知る必要もない。


 仮に、少女が何者かに追われていたとしても、ネームドにできることなど何もない。誰かを救うことができるのは、一握りの特別な人間だけだ。そして、自身がそんな特別な人間ではないことを、ネームドは識っていた。


 ただ、ゲームが上手いだけの社会不適合者。それが、ネームドの自己分析、自己評価であり、現実だった。この時代、この世界における普遍的な価値基準に照らせば、ネームドは評価されない存在である。


 ネームドは、眼の前でビッグイシューの表紙を眺める。愛らしい小鴨を如何にして、撒くかを考えていた。この場所に放置していく。それが最も、理想的な方法であるだろう。そうすれば、店員がどうにかしてくれる。


 交番に行くという選択肢は、合理的ではあるが、望ましくはない。腐った魚のような眼をした公務員に睨めつけられながら、あれこれ詮索されたい人間など存在しようはずがない。


 少女は英語で話をする。ネームドとて、英語が全く理解できないわけではない。だが、少女が何を話しているかまでは理解できない。ネームドは、アルファベットの文字列を読むのと、現実に人が話す言語を翻訳するのとでは、異なる能力が要求されることを実感していた。中学高校で6年、大学を含めれば10年近くもの間、英語の授業を行いながらも、意思の疎通が問題なくできる域に達せられない日本の英語教育の欠陥を実感していた。


 ネームドは、時計を覗く。時刻は、15時を過ぎようとしていた。店に入って1時間、特に予定があるというわけではないが、ここで西洋人形らしくない服装の西洋人形の隙を窺いながら、携帯で特に興味がないニュースを読み続けることにも飽きていた。限界だった。


「さようなら」


 ネームドは、懐の封筒からおもむろに一枚の紙幣を取り出し、そっとテーブルに置き、別れを告げた。


 颯爽と背を向け、有無を言わさず歩き出した。既に、走り出そうとしていた。呼び止められても、立ち止まらなければいい。


 だが、ネームドは、逃れられなかった。少女の一言がネームドの足を掴んだ。


「どこへ行くんですか?」


 振り返ると、少女は笑っていた。無垢で、あどけない少女は、そこにはいなかった。


 心を覗かれているような錯覚に、ネームドは惑った。妖しく光をたたえる虚ろな瞳。そっと口元に振れる白く美しい指先。優しく誘うような微笑みがあった。


 そして、


「まだ何も話していませんよ?」


 美しく流麗な日本語の音が、そこにはあった。

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