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銀行を出てから、街を歩き続けていることには、理由があった。
ネームドは、自身を追う何者かの気配を感じていた。それは、ただ気のせいというわけではなかった。気配には姿があった。つかず、離れず、それはいた。
ハットを深く被っていて、顔は視えない。身長は高くなく、体格は細身。黒いスーツを着ているわけでもなく、サングラスをしているわけでもない。如何にも、それらしいという人物像ではなかった。だが、だからといって、侮ることなどできるわけがない。
ネームドの身長は、182センチメートル。体重は、78キログラム。学生の頃には、山登りを嗜好していたこともあり、体格にも、体力にも、自信があった。
ネームドは、起床から就寝まで、ディスプレイを凝視し続ける中毒者であり、廃人ではあるが、引き籠もりではないし、運動不足でもない。夜、気が向いた時に、5キロメートルから10キロメートルのランニングすることもある。スポーツ、映画、アニメを観ながら、日常的に、ダンベルを持ち上げている。毎日、仕事に追われ、運動をしていないのに疲れる生活を送る社会人と称される人々よりも、数段、健康的な生活を送っていた。
格闘技の専門家ではない。だが、体格差を活かせば、どうにかなるだろうという希望的観測はあった。
だが、果たしてそうすべきか?
問われれば、見得を切り、聞かれてもいないのに、自己紹介をはじめ、組織構成やら、行動原理やら、或いは、それらしい言葉やらを並べ奉って物語へと導いてくれる相手ならば話は早い。
だが、そうでなかったら、どうする?
対峙したところで、梯子を外されてしまえば、それまでだ。ピエロでしかない。悲惨だ。
ネームドは、考え倦ねていた。何者かに尾けられていることは、明白だった。だが、それが、昨夜のことと関係があるかは解らない。法治国家に背を向ける若者が、まとまった金を引き出している獲物の姿を偶然、認めただけかもしれない。
何もかも、考えすぎているだけ、それだけのことなのかもしれない。確証はない。だから、抗うことさえできない。かれこれ、半刻は考えながら、歩きまわっていた。無意味だ。
ネームドは、うんざりしていた。だから、半ば、投げやりに意を決した。
逃げるか、或いは、声をかけるか、選ぶことにした。
答えは間もなく出た。逃げても何も変わりはしない。ならば、声をかけるしかない。だから、そうすることを選んだ。
選んだ。だから、行動した。
ネームドは、後ろを気にしながら、路地から路地へと入っていく。気配は消えない。雑踏が奏でる音は既に遠い。だが足音は続いていている。仕方がなかった。やるしかなかった。
ネームドは、路地の中ほどで、ふと、立ち止まり、ため息をついた。そして、振り返り、振り向き、視た。
「視ている」
そう宣告するように、視た。そして、そこにいた追跡者に声をかけた。
「どこか、店に入って話をしませんか?」
はっきりと、告げられた言葉は、ビルの背中に囲われた、街の暗がりの中で、厳かに響いた。




