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ログホラ二次創作SS

冬じたく -セララ-

作者: 犬居のすけ

この話には、エルダーテイル内での〈アイテム作成〉について独自解釈が含まれています。戯言と流していただくかそっとウィンドウを閉じていただくかでお願いいたします。

「表がいちにーさんしっ、裏が2、えーっと表がいちに……」


 小声で数えながらちょこちょこと少女が指先を動かす。

 手元に夢中になって小さく体を丸めているのが、どことなく小型の草食動物のような、温和で臆病な印象を見る人に与える。

 ギルド〈三日月同盟〉の〈森呪遣い〉であるセララは、ここ数日のあいだ、夕食後の自由な時間をギルドホールの一部屋にこもって過ごしていた。


「あーあ、お母さんにちゃんと習っておけばよかったかなあ」


 ぽつりと呟いてから手元を見つめる。手先はそれほど不器用ではない。が、もともとの慎重な性格もあって、とにかく作業の進みが遅い。

 小さな指に絡むのは、上品な山吹色をした手紡ぎの羊毛。現実世界の言葉で端的にあらわすならつまり、毛糸。

 そう、セララはいわゆる編み物という行為に、夢中で取り組んでいる最中なのだった。


 きっかけは〈円卓会議〉設立のおり〈三日月同盟〉に所属するようになった、ひとりの新人プレイヤーの少女だ。

 ひとつ年下の、大人しく、目立つことの苦手そうな少女。

 自分に少し似ている、と感じた彼女が〈ハーメルン〉から助け出された後も、まだときおり塞ぎこんだ様子を見せるのが、セララにはひどく気がかりだった。

 すまながる彼女から時間をかけて話を聞くと、彼女は泣きながらごめんなさい、と言った。


『起きたらまた、あの場所に戻ってしまう気がして……』


 眠るのが怖いんです──


 そう苦しげに告げた台詞を、まるで自分の言葉のようにセララは聞いた。


『助けてもらって、今は大丈夫ってわかってるのに、いつまでもこんなのみっともないですよね』


 弱虫で、情けない。泣きながら自分を責める彼女に、セララはそんなことないよと首を振っていた。

 だって怖くて当たり前じゃないか。

 理不尽な暴力に、意思の疎通など叶いそうもない一方的な害意に、怯えてしまう方が悪いだなんてどうしても思えない。


(わたしだって、あの時にゃん太さんに助けてもらわなかったら……)


 男の、粗野で大きな硬い手が逃がすまいと自分の手首を一掴みにした感触を、セララは今でも忘れていない。

 あのおぞましさと恐怖で身動きの取れなくなる感覚。

 男女の違いを超えて、圧倒的に力では敵わないと分かる相手に、自分の中の何かが無残に摘み取られてしまう予感、絶望感を。

 幸い、見知らぬ男たちに囲まれ、フレンド登録を強要されている場面ににゃん太が気付き、その後どんな手段を使ってか軟禁状態だった自分を救い出しに来てくれたお陰で、今はこうしてアキバの街で穏やかに過ごしていられる。

 けれどそれはとても運がよかっただけで、ひとつ間違えばたとえ後から救い出されたとしても、とても笑顔など作れる自分でいられなかったことをセララは自覚している。


 今だって、怖い。


 日ごろどんなに忘れたつもりでいても、あの時の記憶は深い深いところで冷たい塊になって、怯えて弱かった自分を自己主張している。


『あのね、自分の得意なことをするといいと思うの。できれば、なんにも考えなくても体が勝手に動いてくれるようなこと』


 だから彼女にそんなことを言ったのは、ただの思いつきじゃなかった。一人の時、何かの考えごとの狭間、ふいに襲ってくる恐ろしさに身動きが取れなくなりそうな時に、セララ自身が手近なものを磨くことに決めていたからだ。

 ススキノでにゃん太に匿われているあいだ、自分はひたすら掃除に明け暮れていた。

 始めのうちは単に逃避でしかなかった。

 とにかく考える時間、思い出す時間だけが嫌になるほどあって、恐怖と嫌悪が反響する檻に閉じ込められたようで耐えがたかった。

 思い出したくない一心でひたすら床を磨き上げた。床が終わればテーブル。それも終われば数少ない調度品、そしてまた床。

 そうやって元の世界にもあった、日常の動作に逃げ込んでいた。

 思考を止め、規則的に手を動かし、掃除という行為を達成させた。

 もしかしたら〈家政婦〉レベルという、目に見える数字の蓄積も心によい作用をしたかもしれない。

 何日かのちに少しだけ、本当に少しだけ、自分の身に起きたことを客観視し始めた自分に気付いた。

 もう二日すると他のとりとめない考え事と同列に、自分の身に起きるかもしれなかった事実について考えることができるようになった。

 時間が経ち、恐ろしさが麻痺してきたのかとも思ったが、違う。

 ありふれた、ありきたりな動作が今という現実に自分をつないで、〈過去〉を〈過去〉として距離を置く手伝いをしてくれていたのだ。

 思い出せばいつだって怖い。

 一度植え付けられてしまった恐怖はどう足掻いたって完全に心から出て行ってはくれない。

 でも、ならばその怖さとは手を繋いでいくしかないんだと気付いた。

 見ないふりしたって、忘れようとしたって、なくならない。

 怖いことは怖いこと。心にいることを許したっていいじゃないか、と。


(怖くても、怖さを見つめられるなら、弱くない)


 もちろん、それを強さとまで呼ぶつもりはない。自分など現実世界ではただの大人しい女子高生にすぎない。特別な〈冒険者〉と呼ばれる存在になれた〈エルダー・テイル〉の世界においても、駆け出しの、度胸もセンスもない低レベルの〈森呪遣い〉でしかないのだ。

 そんなちっぽけな自分が、生活という日常をよすがに、ふらつく足をどうにか支えるだけの力。

 でも、そこから始めようとして何が悪いんだろう。

 弱かったことは悔しい。

 またあんな目に遭いたくないから、強くなりたい。冷静に立ち向かえる心の強さが欲しい。

 でも、だからってあの時怖かったことまで謝らなくていい。

 謝るのは、せっかく助けてもらったのに、また同じ恐怖の手綱を解いて、振り回されそこから動けなくなった時だけでいい。

 怖がりながらでも先に進もうとしてるのに、怯えている事実だけで彼女が自分を責めるというなら、そんなのちっとも悪くないんだと、自分が彼女に伝えてあげたい。


 ──わたしだって怖いよ。だけど怖がってる自分も一緒に連れてってあげよう?


 弱かった、怖かった自分を忘れちゃいけないと思う。

 あの時怖かったものにもし〈力〉で勝てるときが来たって、怖さと手を繋ぐことを拒んでいたら、より大きな〈力〉にまた心を挫かれるだけだ。

 一生懸命怖がろうと思う。そうして、何が怖いのかだけでも見極めようと思う。自分が怖がっていることを認めて、何が怖いのかを理解できれば、その怖さはそれ以上大きくならないはずだから。




「……って、あっ、ああああ、ひと目ずれてるぅうう!」


 とりとめなく思考を遊んでいたら、段の始めで編み図を読み間違えたらしい。行儀よく几帳面に並んでいた糸がある場所から急に反乱を起こして、せっかくの模様を台無しにしている。


(まだまだ、お掃除ほど上手くいかないなあ)


『わたし、編み物好きだったんです、手芸部で。ゲームを始めてちょっとの間さぼっちゃってたんですけど』


 そう教えてくれた彼女と、休みの日に材料を探しにでかけた。

 毛糸は思いがけず簡単に見つけることができた。編み物は〈大地人〉の冬支度として、現実世界よりずっと身近なものだったからだ。

 手で紡ぎ、自然の色で染め上げられた糸。

 元の世界のものより素朴で、けれど懐かしさに泣きそうになるほど、同じ動きで糸を編み上げていく道具。

 まだ暑さの本番すら訪れぬ季節だったのに、わざわざ倉庫から商品をひっぱり出してくれた〈大地人〉の店主は、〈冒険者〉も編み物なんてするんだねえ、となぜか嬉しそうに笑った。

 そうして数日後、彼女が糸を買い足しに行くと、編みかけではあるが見たことない模様に強く興味を示した。彼女の方も、〈大地人〉の編む模様を初めて見るものだと興奮気味にセララに語った。

 その後、夏の合宿や秋の天秤祭りとにぎやかに季節が過ぎて、彼女の憂い顔を見ることも減った。


『今もまだ、思い出すことはあるんですけど』


 必要以上に怯えることはなくなったと彼女は言う。

 セララさんのお陰です、という言葉はどうしても自分にふさわしいと思えない。けれど、彼女の渡してくれた〈お礼〉はありがたく受け取ることにした。

 〈大地人〉伝統の模様と、現実世界で自分が覚えたものとを組み合わせて作ったと言う彼女のオリジナルの編み図。同じ〈三日月同盟〉の〈筆写師〉に書き写してもらって、市場に商品としても出しているそうだ。


『編み物って、誰にでも出来るんです。サブクラスとかは必要なくて、多分、糸一本と棒が二本だけで、単純だから……』


 おずおずと、けれどどこか誇らしげに話した彼女に、すごいなあと励まされた気持ちになった。

 弱いけど、強い。そういう人がいたっていいんだ、なんて。


「だけど、絶対渡せないよね……」


 いくつかの編み図を貰ったあと街に出てみると、季節柄だろうか以前よりたくさんの種類の毛糸を見つけることができた。

 その中で目に飛び込んできた、暖かい陽だまりのような柔らかな山吹色。

 どうしても目が離せなくて、迷って迷って結局買ってしまった。

 自分の中でたくさん言い訳をしながら。


「だって手編みってちょっと重たいと思うし!」


 思わず口をついて出る。誰に言われた訳でもないのに、分かってるもの! と、とにかく必死に。


「おしゃれな人だから素人の手作りなんて嬉しくないと思うし! それに、それに猫さんは毛皮があるからマフラーなんてしなくても十分暖かいと思うし! あ……でも猫さんは寒いの苦手だったりするのかな……うううん、ダメ、やっぱり恥ずかしくて渡すのなんて無理だよぉ!」


 だからこれは、練習、そう練習なのだ。本番がいつかは分からないけれど。

 それに出来上がっても必ず渡さなきゃいけない訳じゃない。

 ただちょっと、もし何かの機会があって「今日はかなり冷えますにゃー」なんてあの人が口にしたりしたら。

 その時たまたま自分がマフラーを持っていて、ギルドに帰る間だけでもと渡すことができたら──

(ああでも、周到に用意してるなんて怖いって思われたらどうしよう!)

 ぐるぐるした考えごとからふと我に返る。と、間違えたまま放っておかれたマフラーが、なんとも情けない表情で自分を見上げている気がする。


(だめだなあ、手を動かしてるとつい考えすぎちゃう)


 自分がちゃんと生きている気がして、日ごろの臆病さを忘れて自由に想像を拡げてしまう。


(でもこうやって手を動かすのは、やっぱり何か安心するんだよね……)


 ゆっくりと糸を解きながら自分の平凡さに苦笑する。

 アキバの街には雪が降るのだろうか。〈エルダー・テイル〉歴の浅いセララは、ゲーム時代の冬のグラフィックすら見たことがない。


(もし雪が降るなら、……その頃までにもう少し上手く編めるようになっていたら)


 少し勇気を出せるかもしれない。

 でもやっぱり難しいかな。

 悩みながら、手を動かしながら、少女の夜はゆっくり更けていくのだった。

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