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君と僕 その2

 

「おはようございます、ケイン様」

 

 早朝、王女の部屋へとやって来る、年若い侍女の元気のよい声が聞こえてきた。

 

 その瞬間、徹夜明けの疲れた体に一種の安堵感が生まれる。侍女殿の姿が現れると、朝が訪れたことを意味するからだ。

 

 長い夜の警護の時間は、ひたすら忍耐の連続だ。いつ果てるとも分からぬ代わり映えのしない時間は、正直辛いものがある。

 本来許されぬものではないが、共に警護に当たる同僚の騎士と、つい私語を働くこともあるのが現状だ。

 その、無味乾燥としたつまらない時間の終わりを告げるのが、彼女達の明るい挨拶なのである。焦がれるように待ってしまうのも、無理はないと思わないか?

 

 漸く深夜の勤務が終わる、もうすぐ交代の時間だな。

 

「おはよう……えっと……?」

 

 僕は目の前の侍女を、兜越しに見つめた。

 彼女達には申し訳ないが、王女付きの若い侍女の見分けが、実は今だにつかない。もう、職務に付いて一月は経とうかというのに、どちらがどちらかこんがらがっている。

 

「いやですわ、ケイン様。キャリーです。いい加減に覚えて下さいましっ」

 

 キャリーと名乗る侍女は、体をそわそわと動かして踊るように動く。彼女は確か、まだ十四になったばかりの筈だった。

 二十二歳の僕から見れば、妹のような存在である。

 幼さの抜けきらない子供のような顔立ちに、その妙な動きは愛らしい魅力を周囲に振り撒いている。

「すまなかった。おはようキャリー」

 僕は昨夜からの疲れが、彼女の愉快な踊りに癒されていくのを感じていた。

「んもう、ケイン様! 忘れてますわよ」

 キャリーは拗ねたように手を差し出す。その仕草は既に一人前の淑女だと言わんばかりに堂々としていた。

 僕は兜を外して、彼女の手に恭しくキスをした。

 

「キャリー!」

 

 その時、キンキンと頭に響くような声が聞こえてくる。

 あの侍女だ。

 リシェルとかいう、口煩い侍女長の。

「申し訳ございません、侍女長、今参ります! ……では、ケイン様、失礼致しますね」

 キャリーは慌てて声のした方に掛けて行った。

 げんなりする。

 何故、あの侍女長はあんなに声に刺があるのだろう?

 僕は彼女の笑顔など、一度として見たことがない。いつもしかめ面でこちらを睨んできて、気が休まる時もない。

 彼女さえいなかったら、ここは素晴らしい職場だろうが……。

 

「もし」

 

「は?」

 

 ぼんやりと考え事をしていた為、目の前に立ち塞がる人物に気付くのが遅れてしまった。

 護衛としては許されない失態に、顔が一瞬赤くなる。

 目の前には僕を憂鬱にさせる張本人、侍女長のリシェル・ブラネイアが立っていた。

 彼女はいつもにもまして不機嫌らしい。眉間に皺を寄せて睨み付けてくる。

 彼女の恐い顔に溜め息が出そうになるが、それを飲み込むと代わりに笑顔を作った。

「これは、侍女長殿。我らに何かご用件でも?」

「あなた、お一人にです。ケイン様」

「僕に? はて何か?」

「いい加減に、学習して下さいまし。わたしの言いたいことはお分かりでしょう?」

 キンキンと喚く侍女長の顔を見つめながら、僕は他の事柄を考えていた。

 それは何かと言うと……。

 

 リシェル・ブラネイアは、僕らに挨拶をしたか?

 

 あまり印象に残ってないが、挨拶は交わしたと思う。ああ、確かに交わしたな。こちらを一睨みすると前を向いて、「おはようございます」と言い逃げていた記憶がある。

 何にしても、誉められた態度ではないことは、はっきりしている。この侍女は何故こんな態度を取るんだろう?

 故郷でも、それから従騎士として城に上がってからも、ここまで侮蔑を滲ませた視線を、女性から投げ掛けられたことはない。

 そんな意固地と言うか、頭が堅いと言うか、女性とは何なんだろう?

「ーーと、言うわけですわ。お分かりいただけましたかしら? あなたの気まぐれで、若い侍女をからかうのは止めて下さいましね!」

「えっ? ああ……」

 もしかして、そうなのか?

 僕は不意にある仮説が浮かんだ。

 男に慣れていない、もっと平たく言えば相手にされない女性は、男というものに対して厳しい視線を向けてくる。故郷にもそういう女性がいた。

 彼女達は一様にギスギスした態度で接してくるが、それは心に鎧を着けているからだ。傷付きたくないという思いから、自然にそうなってしまうだけなのだ。その態度は一見、男を嫌っているように見える。

 だが、実際は違う。と言うよりもその真逆で、本当の彼女達は愛情を心から欲しているのだ。見かけの尖った雰囲気に騙されてはいけない。

 きっとこの侍女長殿も……。

「何か文句がありますの?人の顔をじろじろご覧になるなんて……」

 リシェル・ブラネイアは眉を潜めて、僕を見上げていた。

 可愛げなど微塵もない顔つきだ。その表情にこちらも頬が強ばりそうになるが、グッと堪える。

 彼女はきっと寂しいに違いない。こちらが察してやればいいだけのこと。この凝り固まった顔と口の悪さは、全て寂しさの裏返しなのだから。

 

「君の気持ちにも気付かず、申し訳なかった。キャリー達はあくまでも妹のような存在、僕はもっと、落ち着いた女性に心惹かれる」

 

 彼女は目を見開くと無言で見つめてくる。その目付きの鋭さに一瞬たじろいたが、僕は彼女の手を取って口元に微笑を湛えた。経験上、女性に効く筈の笑みだった。

「君が嫌ならば、もう二度としない。だから、心の鎧を脱いでくれないか? もっと素直になって欲しい」

 優しく微笑んで彼女に視線を向ける。

「どういう意味かしら、素直になれとは? あなたが何を仰りたいのか、まるで分からないのだけど」

「だから、君の気持ちは分かっているんだよ。僕の気を引きたいだけだろう? それで、わざわざ突っ掛かってこなくてもーー」

 直後に頬に激しい衝撃を感じた。

 痛い。

 顔を叩かれたのだと気付く。

 驚いて前を見ると、リシェル・ブラネイアが僕を叩いた手を震わせながら、顔を赤くして荒い息を吐いていた。

「呆れたわ、あなたのくだらない分析能力に。わたしが何ですって? あなたの気を引きたいために、わざと突っ掛かっているですって? 本気でそう思っているのかしら」

「違うのか?」

「違うわよ! ええ、全然! わたし、あなたのような男が一番嫌いですの。ようく、覚えておいてね!」

 彼女は鼻息も荒く扉に手をかけると、足音も立てず流れるように華麗な動きで、王女の部屋へと消えて行った。

 取り残された僕は、頬を押さえ立ち尽くす。その時クスリと笑う声に気付き顔を向けると、少し離れた位置に立つ同僚の騎士が肩を振るわせて笑っていた。

 

 

 

  ***

 

 

 

「あら、ケイン様、随分お久しぶりじゃないの〜」


 

 城下にある馴染みの店に行くと、看板娘のニーナがやって来る。

 その弾んだ声に苦笑しながら僕は返事を返した。

「ああ、実は正式に騎士の叙任を受けて、第三王女の護衛に就くことになったんだ。忙しくて、こちらにはなかなか来れなかった」

 ニーナは店の隅で、一人酒を飲む僕の前にちょこんと腰掛ける。それから、頬杖をついて微笑んだ。

「それは、おめでとうございます。やっと宙ぶらりんから脱出できたのね?」

「ああ……、ありがとう」

「何かお祝いしてあげなくちゃ、ね、何がいい?」

 彼女の燃えるような瞳に気まずい雰囲気を感じて、なんとなく目を逸らす。

「お祝いなどいらないよ。気持ちだけ、ありがとう」

 だが前に座る女性は笑ったまま、断固として宣言した。

「嫌だわ、わたしがしたいのよ。分かった、ケイン様?」

 その強い口調に、僕は曖昧に笑うしかなかったのである。

 

 

 同僚の騎士に笑われて暫くしたのち、交代の騎士が現れると僕の悲惨な話が隊の人間に広まるのに、そう時間は掛からなかった。

 

 皆、叩かれた顔を興味深げに見ては噴き出す。

 ランス隊長に至っては、「ケイン、お前勇者だな? お前の勇ましい気概を俺は誇りに思うぞ!」などと言って大いに僕をからかった。

 鍛練場に行っても、宿舎に戻っても、どこに居ても僕を見て忍び笑いを漏らす人間は居る。

 

 耐えられなかった。

 

 リシェル・ブラネイアは意外と有名人物らしい。その彼女に勝手に勘違いをした挙げ句、堂々と粉をかけあっさりと切って返された僕は、話題のネタに丁度よかったようだ。

 城には、どこにも居場所がない。

 馬鹿馬鹿しいったらないな。あんなの挨拶のようなものじゃないか? 取り立てて話題にすることか?

 

 そんな皆の嘲笑うような視線に懲りた僕は、この酒場に逃げて来たという訳だ。

 この店には城の奴らは来ない。安いのが取り柄のうら寂しい店など、騎士の自分には相応しくないと思うらしい。

 僕には、そこがよかった。城の人間、特に騎士のいない所が。

 長い間、従騎士という不安定な身分で腐っていた僕は、ここでよく羽目を外したものだ。若さゆえの暴走だったが、どこかで自分の気持ちを吐き出さなかったら、どうなっていたか分かりはしない。

 全て自分が蒔いた種とは言え、騎士にも為れず実家に戻ることも出来ない、将来に何の価値も見いだせないあの時期は、本当に辛く苦しい時期だったのだ。

 そんな時に僕を癒してくれたこの店、そして彼女。

 今にして思えば、恥ずかしい自分を知る場所だ。

 

 だからかな、忙しさを理由に遠ざかっていた。今日久しぶりに来て、やはり気まずさを感じるとは。

 僕にとってここはもう、憩いの場ではなくなっているのだろうか?

 

「あら、ケイン様。頬をどうしたの?」

 ニーナが大きな声を上げる。

 思い出した。感傷に浸っていてすっかり忘れていた傷を。

「城の侍女にやられたのさ。勘違いするなと叩かれた」

「まあ酷い。ケイン様の麗しいお顔に傷を付けるなんて、なんて身の程知らずの女なの」

 ニーナは大げさなほど大騒ぎをする。その様子に、周りにいる客も僕らを気にしだした。

 僕は顔を彼女に近付けると、声を潜めて話しかけた。

「あちらから言えば、身の程知らずは僕らしい。何しろ勝手に、彼女が僕に気があると思ったのだから」

「えっ?」

「とんだ勘違いだったという訳だ。お陰で皆にからかわれる始末だ」

「その女、美人なの?」

 ニコニコと微笑んでいた彼女が、急に低い声で聞いてきた。突然の変わりように驚く。

「い、いや、反対だよ。地味で目立たない侍女さ。華やかで女らしい雰囲気など、どこにもない。年齢さえよく分からない、堅苦しい女さ」

「ふうん……」

 何やらよく分からない不穏な空気は、しつこくニーナから漂っていた。彼女は今の僕の説明にも機嫌を直さず、余計に表情を暗くしている。

 僕は何故か追い詰められていることに気付いた。何故だ?

「あんな女に比べれば、君は聖女さ。美しくて情熱的な、型破りの聖女だが」

「それ、本当う?」

 ニーナがパッと顔を上げる。

「ああ、聖女の枠には嵌まりきらないけどな」

「んもう! ケイン様ったら」

 ニーナがすっかり機嫌を直したように、声を上げて笑った。

 よかった、何とかやり過ごせたらしい。

 何に気分を害したかは分からないが、ホッと息をつく。まさかあの、リシェル・ブラネイアに焼きもちを焼いた訳ではあるまい?

 あり得ないな。リシェルとニーナでは、誰が見てもニーナを選ぶだろう。

 

 ニーナはこの酒場の主人夫婦の遠縁に当たる美しく陽気な娘で、僕より三つばかり年下だ。

 輝くような金髪と紫色の瞳、燃えるように赤い唇をした美人で人気がある。

 僕が知るだけでも数人の求婚者がいたが、何故か結婚はしていない。主人夫婦は彼女を早く結婚させて、その婿に店を継がせたがっているようだが肝心の本人が首を縦に振らないのだ。

『わたしは、恋多き女なの。ケイン様なら分かるでしょう?』

 いつだったか結婚しない理由を聞いたら、笑ってそう答えていた。

 あの時、彼女は十六になったばかりだったが、既に妖艶な魅力を出していて僕はドキリとしたことを覚えている。

 だが、彼女はもうすぐ誰かと一緒になるだろう。

 僕とは違うんだ。

 

 頬にそっと手が触れる。僕はその手の持ち主を見た。

 

「かわいそう、痛々しいわ。わたしが優しく手当てをしてあげる。お祝いも兼ねてね」

 

「えっ? ちょっと……」 

 店の奥から主人のニーナを呼ぶ声が響いた。

「はーい、今行く」とその声に返事を返し、ニーナは素早く立ち上がる。

 

「ニーナ、あの……」

 待ってくれ、と言う僕の声は、彼女の掌によって塞がれた。

 

「もうすぐ休憩なの。待ってて、二人っきりでお祝いしましょ」

 

 ニーナは軽くウインクをすると、鼻歌を歌いながら店の奥へと消えて行った。




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