君と僕 その1
番外編の第二話です。
本編では語られてなかった、ケインとリシェルの出会った頃の話をケイン視点で送ります。
作者初の、男性一人称視点です。最後までお付き合い下さると嬉しいです。
君に初めて会った日のことはよく覚えている。
「見れば見るほど胡散臭い顔ね……、気を付けてちょうだい。あなたの表情一つで、主の品位を疑われてしまうこともあるのですから」
君は挨拶をした後の僕に、眉間に皺を数本寄せて手厳しく言ってきた。
なんて、女だ? 随分、きつい物言いだな。この女とは、あまり関わらない方がよさそうだ。
僕の君に対する第一印象は、こんなものか。口が裂けても……、言えないな。
***
「ケイン、わたしずっと待ってたのよ、あなたのこと。これからは、いつも側でわたしを守ってくれるんでしょう?」
エミリアナ殿下は輝くような笑顔で迎えて下さった。
僕は王女の足元に膝をつく。顔を上げるとすぐ近くに、好奇心でいっぱいの瞳があった。
王女は確か齢六歳で、まだまだ幼い少女であられる。こちらをつぶらな瞳で見返してくる視線に、思わず笑みが溢れた。
ハーディア王国の第三王女殿下。剣の忠誠を誓った、ただ一人の人。僕を救ってくれたこの小さな主に、これから先は誠心誠意お仕えしよう。
僕はこの日から騎士として、エミリアナ殿下の護衛にあたることを任命されていた。
身分はもう、ただの従騎士ではない。晴れて、主から叙任を受けて正式な騎士になったのだ。
その初出仕の挨拶のため、王女の私室に入室が許されていた。
「有り難きお言葉、身に余る光栄なれば、わたしの全てをかけてお守りさせていただく所存でございます」
僕は主に誓いの言葉を述べる。嘘偽りのない言葉だ。
「あっ……」
小さく可愛い声が返ってきて、主の言葉に耳をすませた。だが、幼い唇は何も仰らない。王女のすみれ色の瞳は、僕を映して不安定に揺らいでいた。いったい、どうされたのだろう?
「殿下?」
その後、何故そうなったのかは分からない。
もしかしたら、無理をされていたのかもしれない。
元気そうに見えた王女が、急に前触れもなく倒れてしまわれたのである。
「殿下、どうされました?」
僕は慌てて殿下に近寄ろうと立ち上がりかけた。
その時、
「動かないで!」
大声で僕を静止する声が響く。部屋の隅で控えていた侍女が、突然目の前に音もなくやって来た。
「わたし共にお任せを。慣れておりますので」
すぐ前に立つ彼女に目をやる。
底が見えないような濃い緑の瞳が、僕を冷たく見つめていた。
何故だか知らないがその目付きは、咎めるように厳しいものだ。だが、瞬きもせず見つめてくる深緑色に、思わず吸い込まれそうになっていく。
僕は何とか視線を逸らした。
彼女は薄い茶色の髪を緩く一つに纏めて、紺のあまり装飾のないドレスを着ていた。全体的にとても地味な印象だ。
いくつぐらいの年齢なんだろう。僕より上なんだろうか? よく分からない。
侍女はにこりともしないで、後ろに控える他の侍女に何やら指図を始める。てきぱきと動く彼女を、僕は呆気にとられて見ていた。
エミリアナ殿下は、興奮しすぎると時々気を失うことがあるらしい。何に興奮されたのかは見当もつかないが、その症状が出たらしい。
殿下は、侍女達の手で寝室へと慎重に運ばれた。まだ幼い殿下は体が軽く、女手でも充分ということだった。
「暫くお休みになると大丈夫です、ご安心を」
侍女は淡々と告げてくる。
「その……、ご病気なのか?」
僕の問いに彼女は顔をしかめた。
「お医者様の話では、殿下の場合、精神的なものからきているということですわ。成長して自分の感情をコントロール出来るようになれば、気を失うこともなくなるでしょうと」
僕はホッとして彼女に笑いかけた。
「そうか、ご病気というわけではないのだな。良かった」
大切な主を、仕えてすぐになくすなど考えたくもない。なるべく長くお仕えするのが、僕の願いだ。
だからご病気ではないと聞き、心底安心した。
侍女は下から睨むようにこちらを見つめてくる。僕は彼女の態度に戸惑った。何故、こんな表情なのだろうか? そういえば最初から、友好的な雰囲気は少しも感じられない。
「最近は減ってきていて安心していたのだけど……、最初からこれじゃ不味いわね」
彼女は僕を睨んだまま、ブツブツと何事かを呟いていた。
「えっ?」
「いえ、何でも。こちらのことです」
何もかもが意味不明だったが、教えてくれそうにはなかった。仕方がない、今日からの新参者に、あれこれ何でも話せる筈もないだろう。
僕は諦めて所定の位置に戻ることにする。
一緒に配備された同僚は、既に扉の外に立っているはずだ。
「では、これにて」
彼女達に軽く頭を下げ退室の合図を送り、扉の方へと歩き始めた。だが、その背後からもじもじとした声が聞こえてくる。
「侍女長、わたし達もご挨拶がしたいですわ〜……」
その声に戒めるような声が被さる。あのきつい顔をした、侍女の声だろう。なんとなく分かった。
「今日でなくてもよいでしょう? いつでもお会い出来るのですから。それより、はしたない言動はお止めなさい! 恥ずかしくないのですか?」
「え〜、でもぉ……」
「だって、せっかく……」
侍女達のひそひそ声はかなり大きかった。これはもしや、わざと聞かせているのではないだろうか? 挨拶をしろと催促されているようで、僕は彼女達の方へ振り向いた。
こちらを見つめていた侍女達が、みるみる顔を赤くして固まっていく。
しまった、振り向かなければよかった。彼女達は特に、催促をしていた訳ではなかったらしい。
後悔したがもう遅かった。それに、侍女殿に挨拶なしとは無礼な振る舞いのような気もする。
僕は彼女達に近づくと笑顔で話しかけた。
「これは、大変失礼を。ケイン・アナベルと申す。何も知らない不束者ゆえ、今後とも宜しくご教示お願いする」
それから少しも動かない彼女達三人の手を取り、それぞれの手の甲に口付けを落とした。
「きゃあっ〜」
「いやあっ〜」
年若い幼い顔立ちの二人の侍女が、興奮したように叫ぶと崩れるように座り込んだ。
「大丈夫か?」
やり過ぎてしまったのだろうか? この程度のことは常識だと思うのだが?
僕は急いで彼女達に手を貸そうと差し出す。その手を、ピシャリと叩かれて撥ね付けられた。
地味な風体の、最初からきつい視線でこちらを見ていた例の侍女が、相変わらず厳しい目付きを向けてくる。
彼女の掌が赤く染まっており、僕の手を拒絶した犯人だと分かった。
叩かれた手をさすりながら、件の彼女と見つめ合う。いや、睨み合うと言った方が正しいか。
いったい、この侍女は何なんだ。僕が何をしたと言うんだ?
侍女長というのはおそらく彼女だろう。他の二人とは明らかに年齢が違う。
こんな恨みでもあるかのような険しい顔をして、最初から最後まで表情を変えない女性は初めてだ。
このように、初対面の男にまで喧嘩を売るような性分では、恋愛もままならないだろう、気の毒に。
自慢ではないが、僕は女性には受ける顔をしているらしいのだ。今まで大抵の女性は、優しく好ましい視線を向けてきてくれていた。今日のような待遇を受けたのは、これが初めてだった。
僕は心を落ち着かすために息を吐く。
心の中とはいえ、よくは知らない女性に対して、随分酷い言葉をぶつけていた。彼女の顔立ちは元々のものかもしれないのに、本人も気にしていたらどうする? それは可哀想だ。
僕は努めて柔らかい表情を作り、彼女に向き合った。この笑顔は、万人受けするもので自信がある。きっとこの笑い方なら、彼女も心を許してくれるだろう。
「不躾だったろうか? 申し訳ない。決して、変な意味では……」
「胡散臭い」
彼女は一言吐き出した。
「はっ?」
言われた言葉を理解出来ず目を見開く僕に、ギロリと不機嫌そうに視線を合わせる。
「あなたのその、へらへらした顔のことです。癖なのかしら? それ、直せないの?」
それから、僕がさすっている手に目をやり、罰が悪そうに目を伏せた。
「黙っていきなり叩いて悪かったわ。だけど彼女達にむやみに触れて欲しくないのです。これ以上興奮されたら、仕事にならないもの」
「は……あ?」
やはり意味が分からない。きちんと説明をして貰わないと、どうしたらよいのか対処に困る。
だが、怒ってはいけない。笑って、笑って。
「つまり……、僕はどうすればよいのだろうか?」
「それよ!」
彼女はいきなり、顔の前に指を突き出して来た。
「その、しまりのない顔は止めて!」
「しまりの……ない顔?」
頬が引き吊ったように歪んでいく。何が言いたいんだ?
眉をひそめて、彼女は下から顔を覗き込んできた。僕らの顔はかなり近いのに、本人は全く気が付いてないようだった。
「それにしても……」
彼女は眉間に皺を寄せて僕の顔を検分すると、不機嫌そうに口を開く。
「見れば見るほど胡散臭い顔ね……、気を付けてちょうだい。あなたの表情一つで、主の品位を疑われてしまうこともあるのですから」
僕はその物言いに、何も返せなかった。
それは二十二年生きてきて、初めて女性からぶつけられた、侮蔑の言葉だったのかもしれない。
***
「ケイン、そんな顔してどうしたんだ? 初出仕はどうだった?」
詰所に戻ると、ランス隊長がニヤニヤしながら声を掛けてきた。
「何でもありません。たいした事では……」
「嘘つけ! 疲れきった顔をしているぞ。何があったんだ?」
口籠る僕に隊長はしつこく絡んでくる。
返事をするのも鬱陶しいが、相手は元の師であり今の上官だ。これ以上無視する訳にもいかない。拗ねて、手がつけられなくなっても面倒臭い。
「殿下がお倒れになりました」
「殿下が?」
「はい。ご挨拶をしておりましたら、急に気を失われて。侍女殿の話では精神的なものであり、ご病気ではないと」
「挨拶をしていたと言ったな?」
隊長は、ふと思い付いたように僕の顔を見た。
「はい……?」
「おそらくお前の顔に当てられたのだろう。殿下は熱烈な信望者だからな」
「はっ?」
「いや、いい。他には?」
隊長の言葉に意味が分からずポカンとする僕に、彼は更に笑みを深くして質問を重ねてくる。
あまり今日のことは言いたくないが、仕方ない。僕は自然にぶっきらぼうになっていく。
「侍女殿に……、嫌われたようです」
「お前が? まさか」
今度は隊長が、ポカンと間抜けな顔になった。
「本当です。胡散臭い……顔、と言われましたので」
「誰がそんなことを?」
隊長の目がだんだん半笑いに変わっていく。この様子では、答えなど分かっているのではないか? 相変わらずお人が悪い。
「おそらくですが……、侍女長殿だと思われます。茶色の髪に緑色の瞳の地味な感じの……」
気を付けなければと思いながらも、刺々しさが口の端に表れてしまう。そんな僕に、隊長は薄ら笑いを浮かべた。
「口元に小さなエクボがある? まさしく侍女長殿だな」
「エクボ?」
そんな可愛いもの、あったか?
ランス隊長はにやついた顔を隠しもせず、僕を見ている。
「と、言っても実は、俺はお会いしたことはないんだ、タイミングが悪くてな。だが、皆から聞く特徴で分かるぞ。我ら騎士にも遠慮などなく、なかなか辛辣な侍女殿だと聞いている。何だ、お前も彼女の洗礼を受けた口か?」
「そうですか……」
会ったことがないとは、運のいい方だ。しかし彼女は誰に対してもあんな態度だったのか……、僕だけではなかったんだ。
「どうした? 急にしまりのない顔になって」
「えっ? しまりのない……顔ですか?」
嘘だろ? 慌てて口元を押さえた。僕は本当に、しまりのない顔をしているのか?
「ああ、急にフニャフニャになったぞ。話していたらな」
「そんな筈は……、自分では全く分かりません。顔が緩む気配はなかったもので……」
慌てたように口走る僕に向かって、隊長はからかうように笑った。気になる笑い方である。
「そうか? リシェル殿の話を俺がしたら、急にお前がだらしなく笑ったので驚いたんだが……」
「リシェル?」
いったい誰のことだろう?
「ああ、リシェル・ブラネイア、侍女長殿のことだ」
あの女、もとい侍女は、リシェルという名前だったのか?
僕はこの時漸く気が付いた。よくよく思い出してみれば僕は彼女達に名乗ったのに、相手の侍女達からはうやむやのままで、名前を教えて貰ってなかったことに。
隊長がまた目を丸くして問い掛けてくる。
「おい、ケイン。お前本当にどうしたんだ? また目が据わってきてるぞ」
「いえ、何でもありません。特に、不愉快に思うことなど、ええ、何も……」
これが、僕と君が初めて出会った日のことだ。
君は、覚えているのだろうかな?




