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眠り姫とキス その6

 

「あら、素敵。リシェルはやっぱり緑が似合うわね」

 

 王妃はわたしを鏡の前に立たせると、ダークグリーンのシックなドレスを体に当て、満足げに微笑む。

 

「お母様、そのドレスは駄目よ。それよりも、この紫色のドレスはどう? とっても素敵じゃない?」

 

 王女がドレスをずるずると引き摺りながら運んで来て、わたしの側に強引に割り込んできた。

 王妃の侍女達がやきもきとした表情を浮かべ、引き摺られたドレスの裾を持ち上げようと慌てて追い掛けて来る。

「ねえ、リシェルも、紫色の方がいいわよね?」

 しかし当のご本人は侍女達の苦労に全く気付かないようで、わたしにドレスをグリグリと押し付けて、悦に入ったように笑っていた。

 ああ〜、ドレスが痛む〜と心で叫ぶ侍女達の、悲痛な声が聞こえてくるようだ。

「あら、紫だと少しおとなし過ぎるわよ。その点、この緑は素敵よ。リシェルの瞳の色とお揃いみたいで、とても上品だわ」

 王妃は頑として場所を譲らず、王女の頭を余裕のある笑みで見下ろしている。

「何よ、あんなの。お婆さんみたいな色じゃない……」

 だがその時、ボソッと聞こえてきた小さな呟きに、表情は変わった。

「何ですって? 今何て言ったのエミリィ」

「だって、お母様ったら意地悪なんですもの。それにそのドレス、とても地味だわ。飾りも付いてないし胸のところに黄色糸の刺繍があるだけじゃない。まるで、お年寄りが着るドレスだわ!」

「まあ、お年寄りですって?」

 王妃は王女の言い種に、キレたように大声を出した。

 エミリアナ様、お年寄りは不味いですわ……。お母上様は、まだそんなにお年を召してはおられません。

 

「エミリィはお洒落のなんたるかを、まるで分かってないわね。リシェルは地味めの顔立ちだから、こういう落ち着いたデザインのものが引き立つのよ。それに深い色合いの緑色が、肌を白く透き通ったように見せて、若さを返って印象づけるわ。ほら、よく見てご覧なさい!」

「だけど……、どう見ても地味すぎて可愛くないじゃない。何故、こんなドレスばかりなのよ?」

 少女らしく可愛らしい物がお好みの王女は、色味も抑え気味で落ち着いたデザインが多い王妃のドレスに、がっかりしてつまらなさそうにしている。王妃はそんな王女に呆れたように呟いた。

「仕方ないでしょ、わたしのドレスだもの。もうわたしは少女ではないのよ? それに、あなたが言ったのよ。お母様のいらないドレスを、リシェルにプレゼントしてと」

「それは……、そうだけど」

 王女はグッと詰まったように口を閉じた。かと思えば、すぐに唇を曲げて不満を口にする。

「だって、こんなのしか無いとは思わなかったんですもの。この中から選ぶしかないなんて、あんまりよ!」

「エミリィ?」

 王妃の口元がひくひくしていた。以前にも感じたが、本当に似ていらっしゃる親子である。

「仕方ないわね。こうなったら、他の人に決めてもらいましょう!」

 王妃は不敵な笑みを浮かべてこちらを見た。

 え? まさか……?

「それがいいわ! お母様とわたし、どちらが選んだドレスがリシェルに相応しいか、わたし達以外の人に決めてもらうのね?」

 王女も満面の笑みでわたしを見上げる。

 ちょ……、まさかわたしに振るとか、ないですよね? む、無理ですよ。どちらを選んでも、恨みを買ってしまいそうで……、選べませんわ。

 わたしを見ていた二人は、示し合わせたように部屋の隅へと視線を変えた。

 そこには、無理矢理のように王妃の間への入室を認められた騎士が、存在を消すかの如く一人で静かに控えている。

 彼は兜を外すように命令され素顔を曝しているが、頭を下げてこちらを全く見ていなかった。

 その彼に向かって、王妃は宣言した。

「ね、ケイン。あなたが決めてちょうだいね」

「ヴッーー」

 その発言に、わたしは思わず叫びそうになって口を押さえる。だが誰も、無様なうめき声に気付かなかったみたいで、わたしの存在は軽く無視された。

 暫くすると、彼が動くのが目の端に映った。

「……かしこまりました」

 そして感情のこもらない声が、やけにはっきりと聞こえてくる。

 王妃はにっこり微笑んで、わたしの腕を引っ張ると隣の化粧室へと連れて行った。

「ではまず、わたしの選んだドレスからね。ケイン、忌憚のない意見を聞かせてちょうだい。期待してるわ」

 王妃は楽しそうに彼に話し掛けると、わたしの背中を突き飛ばして化粧室へと放り込んだ。

 

 

 

「何してるの、リシェル。着付けは終わったのだから、早く部屋に戻りましょう」

 王妃が鏡の前からなかなか離れようとしないわたしを、呆れたように見つめている。

「ただでさえ、殿方は女の支度は時間が掛かると嫌がるのですよ。それがとっくに済んでいるのですから、今すぐあちらの部屋へと参りましょう」

 わたしは黙って王妃の言葉を聞いていた。返事を返す気力は、とてもじゃないが出てこない。鏡の前で俯き、床をじっと見つめている。足は重りでも載せたように重くて、動かせそうになかった。

 扉の向こうに彼がいると思うと、やっぱり何も出来なくなってしまうのである。

「大丈夫ですよ、わたしの侍女達の着付けは完璧です。ほら、見てご覧なさい。やはりわたしの見立てた通りだわ。このドレスは確かに地味だけど、あなたにとてもよく似合っている。美しいわよ、リシェル。自信を持って」

 王妃はわたしの肩に手を掛けて、鏡に映る娘に優しく語り掛ける。

「む、無理です。わたしには……」

 わたしは鏡から目を反らした。見てられない、こんな姿。わたしではないみたいで……。

 落ち着いた深緑のドレスを身に付けた自分が、綺麗に見えるのか、それともそうではないのか、全く分からなかった。

「リシェル、いい加減にしなさい!」

 王妃のイライラしたような気配を感じて、わたしは慌てて顔を上げる。

「あ、あの……、マルグリット様……」

 突然、王妃はわたしを物凄い力で蹴飛ばすと、扉を思い切り開けた。

 え? 蹴飛ばされたって、嘘でしょう? まさかマルグリット様がそんなことを、される訳ないじゃないの……。わたしったら何を勘違いしてるのかしら、馬鹿みたいだわ。で、でも、だったら今のは何だったのかしら?

 わたしは動転した気持ちを静めながら、衝撃を感じたお尻を撫でる。

「さあ、ケイン! リシェルの用意が出来たわよ」

 それから王妃にグイグイと押されながら、部屋の隅にいるケインの元へと押し寄せられて行った。

 止めて、止めてください。お願いですから……。

 しかし当たり前のように、わたしの半泣きの抵抗など完璧に無視されている。

 わたしはいつしか目を閉じて震えていた。もう駄目、どこにも逃げ場はない。

 

「ケイン、顔を上げなければ、ドレスは見ることは出来ませんよ」

 

 耳の側で王妃の低い声が鋭く響いた。

 ケインの頭がゆっくりと動く。何日ぶりだろう、あなたと目を合わすのは……?

 無言でこちらを見つめる彼の視線が、痛いくらいに突き刺さった。

 何て目で、わたしのことを見ているの?

「ねえ、わたしの見立てたドレスはリシェルによく似合っているでしょう? そう、思わなくて?」

「……とても、お美しいと思います」

 ケインの落ち着いた声が耳に入ってくる。何の感情も感じられないような、無機質な声。

 彼はこんな声だったろうか? こんなに悲しくなるような、冷ややかな声の持ち主だったのだろうか?

 わたしの暗い表情に気付いたのか、彼は無表情のまま視線を反らす。その横顔が、わたしを撥ね付けていた。

 

「マルグリット陛下、申し訳ございません」

「リシェル、どうしたの?」

 このまま延々と、茶番劇を続けることなど出来そうもない。無礼を承知で、わたしは二人の会話を遮断した。

「マルグリット陛下のお気持ちは、大変ありがたく思います。ですがケイン様には、何の関係もないことだと思いませんか? これ以上わたしのことで、ご迷惑をお掛けするのは本意ではございません。ケイン様に苦渋を強いるような、そんな真似はしたくないのです」

「リシェル、あなた何を? だって、あなた方二人は……」

 王妃が訝しんで眉を寄せる。わたしは床に伏せて大きな声で詫びた。

「本当に申し訳ございません! 陛下や殿下のお気持ちを無にするようなことを申しますこと、どうかお許し下さいませ」

「ちょっと止めてちょうだい、リシェル。頭を上げて」

 王妃が焦ったようにわたしの肩を起こす。そのまま支えられるように頭を上げて、わたしは情けなさに心が震えた。

「申し訳……ございません」

「いいから、立ちなさい! あなたの言いたいことは、分かりました」

 王妃は諭すような声で、わたしをきつく叱責する。その言葉で力の抜けたような体を、何とか立ち上がらせることが出来た。

 彼は驚いたような表情で、一部始終を見つめていた。その顔に、心の中でこっそりと話し掛ける。

 久しぶりね、冷たさが感じられない顔は。だけど出来れば、笑顔が見たかったわ、無理は言えないけれども。

 あのヘラヘラした、しまりのない笑顔でもよかったのよ? あなたがわたしに以前のように、笑い掛けてくれるのなら……。

「ケイン様。わたしのために気を使わせてしまい、申し訳ございませんでした。どうぞ、ご自分のお仕事にお戻り下さいませ」

 わたしは、ケインに頭を下げた。彼の呆気にとられた顔に、精一杯の笑みを見せる。

 彼はその顔にも何の反応も返せないようで、驚いたような表情のまま動かないでいた。

 

 さようならーー。

 

 わたしは彼に背を向ける。

 もう、さよなら、なんだ、わたし達。

 本当に、さよならなんだね、わたし達?

 

 

 

  ***

  

 

 

 勇気のない自分が情けなくる。たとえ、拒否されたっていいじゃない。どうして一言ごめんなさいと、言えなかったのか?

 そうしたら、そうしたらもしかしたら……、ケインと仲直り、出来てたんじゃなかったの?

 

 わたしは、とぼとぼと宿舎までの道のりを歩いていた。いつしか中庭に出て来て、もう少し歩けば侍女達の宿舎棟が見えるところだ。

 それにしても、今日はなんて散々な一日だったのだろう。

 結局あの後、マルグリット様とエミリアナ様には、なんとか許していただけたから良かったのだがーー。

 きっとお二人は、彼との和解のきっかけを、作ってくれようとしたのだ。それなのにわたしときたら、意気地がなくて落胆させるような結果しか出せなかった。


 思い出すたび、溜め息が漏れる。

 わたしはとうとう、取り返しのつかない喧嘩をケインとしてしまったようだ。身から出た錆とはいえ、情けなくて仕方ない。

 今まで、幾度となく繰り返してきた彼とのいさかい。それらがいつも大事にならなかったのは、彼のお陰だった。

 彼がわたしの生意気な口調を、軽くかわしてくれていたから、笑って大目に見てくれていたから、だからただの喧嘩で済んでいたのだ。

 でも、今回は違う。本気でわたしに呆れてしまっている。

 

 わたしは、彼と酷い口喧嘩の末、キスをされた時のことを思い出した。あの時とも違う。ケインの態度は、似ているようで全く違うのである。

 

「馬鹿だわ、本当に馬鹿……」

 

「侍女長様?」

 

「えっ? だ、誰?」

 

 突然声を掛けられて、わたしはびっくりして辺りを見回した。背後から、おずおずとした声が申し訳なさそうに聞こえてくる。

「……僕です。後ろにいます」

 振り向いた先には、ケインの従騎士、ジャン・ルソー少年の姿があった。




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