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眠り姫とキス その5

 

 暖かな風がかぐわしい若木の香りを乗せて、日当たりのよい王女の部屋に春ののどかさを告げにくる。

 

「いい、天気ですね〜」

 

 わたしは陽光が差す居心地いいエミリアナ王女の部屋で、何気なくポツリと呟いた。

 いつもならこんな言葉にすぐに王女が反応して、「リシェル、あなた何言ってるの? 年寄りくさいわね」と可愛くないことを言って攻撃してくるのに今日は何も返って来ない。

 確かに部屋におられる筈なのに、物音一つ聞こえてこない。

 部屋の中は不気味なくらい静まり返っていた。目に映る春の風景とは全く違う、うら淋しい雰囲気を感じさせるほどだ。

 

「キャリー、ルイーズ!」

 王女だけでなく、普段はドジで騒がしい二人の侍女の存在も感じられず、わたしは大声で名前を呼び掛けた。 

 

「は……い」

 

 部屋の隅の暗がりから、消え入りそうな声が返事を返してきた。暗がりと思えたのは、暗い顔をした人だかりだったのだ。

「そんなところに固まって何してるの?」

「え……えっと……」

 二人の顔色は、驚くほど悪い。こちらをチラチラ窺うように見ては、目線を泳がせている。

「何よ、何かわたしに言いたいことがあるの?」

 煮え切らない彼女達の態度に声を荒げた時だった。

「もう、我慢できないわ! 耐えられない!」

 突然侍女達の奥から、大きな声を上げて小さな影が出て来た。この季節にぴったりの、明るい黄色のドレスをお召しのわたしの主だ。

「エミリアナ様! あなたまでそんな隅で……、いったい何をなさっておいでですか?」

 王女は小さな体を振るわしながら、今にも噛み付かんばかりの形相で近付いて来る。

「あなたのせいでしょ、リシェル! わたしに気を使わせるなんて……何て人なの?」

 王女は、大きな目に涙をいっぱい溢れさせて癇癪を起こしていた。

「わたしのせい? どういうことでしょう……」

 王女が気を使っていた?わたしは最近の王女を思い出してみる。言われてみれば、ここ二・三日はこの部屋はとても静かだった気がする。まるでご病気の時のように、おとなしくされていたのである。

 それはわたしに、気を使われていたと言うことなのか?

 御年八歳の王女が、臣下であるわたしのために? 驚きのあまり声も出ない。

「何よ、そんなに驚くこと? わたしだって、場の空気を読むことくらい出来るのよ」

「いえ、そういう訳では……、ですが何故?」

「リシェル……、あなた……鏡を見てないの?」

 王女はしゃくりあげるように喉を振るわし出した。

「鏡ですか……、そう言えば見てません」

 鏡など、覗いてはいなかった。気にもしてなかった事実に驚く。

 王女の化粧や髪結いなどの仕事も、全てキャリー達に任せっきりになっていた。そうか、だから鏡を見ずに過ごしてこられたのか。

「ほら、見てないからよ!」

 王女は喚くように叫ぶと、わたしの手を強引に引っ張った。

「いいから、見てみなさい!」

 そして美しい装飾が施された、大きな鏡の前に連れていく。

 

 久しぶりに鏡に映る自分を見た。

 

 目の前の、我が身の凄さに息が止まりそうになる。

「なんて……、酷い……これが、わたし?」

 

 生気のないどんよりとした目は、赤く充血して不気味な印象だった。

 肌は二十代とは思えないほどくすんでおり、張りというものがどこにも見当たらない。唇には潤いが全くなく、脱水症状かと思われるほどカサカサに渇いて皺だらけだ。

 だが何よりも問題なのは、そんなところじゃない。

 問題は、目の下にくっきりと出来たこのくま

 そう、両目の下にどす黒い色をしたくまが、はっきりと浮かんでいるではないか。何てことだろう……。

 ここ暫くまともに眠ることが出来なかった。それが覿面てきめんに顔に表れている。酷い……、酷すぎる有り様。

 

「やっと、わかった? あなたのその、やつれ顔……」

 王女の声に我に返った。わたしは恥ずかしさのあまり俯いて、素直に詫びを入れる。

「申し訳ございませんでした。こんなことになっているとは……、全く想像しておりませんでしたので」

「あなたね、わたしの侍女がそんなにみっともない顔をしていたら……、主のわたしが恥をかくのよ。気をつけてちょうだい!」

 王女の説教は続く。きつい言葉とは裏腹に、頬を紅潮させて涙と鼻水で顔を汚しながら、王女は一生懸命怒っていた。それは心から、酷い状態のわたしを心配して怒っている顔だった。

「はい……」

 そんな王女の姿に胸を打たれ、わたしの鼻もツンとしてくる。

「申し訳ございません……、以後気を付けますーー」

 だけど間違っても、泣く訳にはいかない。こちらは王女より十六歳も年上なのだ。わたしは唇を噛み締めて、鼻の奥の痛みをどうにかやり過ごそうと踏ん張った。

 だがその時、柔らかい声音に変化した可愛らしい声が耳に入ってくる。

「いいのよリシェル、泣いたって……。我慢することないのよ」

 もう、駄目だった。わたしの顔は、あっという間にぐしゃぐしゃに歪む。

 王女は泣きながら抱き付いてきた。不安げにこちらの様子を窺っていた二人の侍女も加え、わたし達は年齢や身分の垣根も飛び越えて、ワンワンと一緒になって大泣きしていた。

 

 それはここ最近、胸を占めていた深い悲しみが癒されていくような、そんな優しい時間だったのだーー。

 

 

「それじゃあ、ずっとケインと話をしてないの?」

 ひとしきり泣いた後、王女は泣き腫らして真っ赤になった目を、濡れたハンカチで冷やしながら聞いてくる。

「はい……、顔も合わせておりません」

 あの喧嘩別れのような出来事があった日から、彼とは口をきいてなかった。

 わたしと彼は、主を同じくするため接する機会が必然的に多い。だが、お互いの顔を見ていないということは、わたしだけでなく、彼の方もこちらを避けている証拠である。

 あれからというもの、彼の声を耳にしたら、急いでその場を離れるようになっていた。何故なら、逃げ遅れて彼が視界に入ろうものなら、わたしの体は一歩も動けなくなってしまうからだ。

 そして、そんなことになってしまったら最悪だ。

 ケインは、固まって動けないわたしを完璧に無視して、目の前を平然と通りすぎて行くのだから。冷たく突き放すような彼の横顔を、為す術もなく見送るしかないなんて……とてもじゃないが耐えられない。

 

 ねえ、わたし達はもう、おしまいかもしれないの……?

 

「リシェル、大丈夫?」

 わたしの目に新たに浮かんだ涙に、王女が慌てたように声を掛けてくる。

「はい。申し訳ございません……、今日のわたしは情けないですね」

「何を言うの? リシェルは少しも情けなくないわ。恋する乙女は涙もろいものなのよ」

「エミリアナ様……」

「わたしはケインの態度に腹が立つわ! 騎士とは乙女を守るものでしょう? 前のケインだったら、こんな酷いことはしなかった筈よ!」

 いつしか王女は、ケインに対して怒りを感じているようだった。

 プリンスと慕い、彼に甘えていた姿が嘘みたいだ。

「侍女長、申し訳ありません。わたしの、わたし達のせいで……」

 キャリーが肩を小さく震わせて、視線を向けてくる。

「キャリーのせいでは、ないわよ。これはわたしと彼の問題だから」

 わたしの言葉に、キャリーは悲しそうに瞳を伏せて俯く。

「ですが……」

「いいえ、わたしこそ悪かったわ、あなたとジャンのこと疑ったりして。本当にちょっと考えればわかりそうなことなのに……、何て馬鹿な女なのかしらね?」

 わたしは本当に愚かだった。

 自分が恋をしていれば、もう少し優しい気持ちになるのが普通だろうに。なのに、わたしは……。

「本当に、ごめんなさい。一方的にあなた達の関係を嫌なものに決め付けて、優しさの欠片もない対応をしてしまって……」

 駄目だ、考えたらどうしようもなくなる。

 わたしは滲む涙を、グッと堪えて笑顔を作った。

「ケインがわたしに呆れるのも当然だわ。わたしが馬鹿だったの。あなたが気に病むことはないのよ」

「侍女長……」

 

「はい、二人ともそこまで! 暗いのは止めるわよ」 

 王女が手を叩いて割り込んできた。

「キャリー、あなたは恋人が出来て幸せ一杯の時でしょう? 湿っぽいのは止めて。リシェルの言う通り、あなたのせいなんかじゃないわ!」

 キャリーがその言葉に、「申し訳ございませんっ」と慌てて頭を下げる。

 そんな彼女の態度に王女は大きく頷くと、わたしにジロリと視線を投げ掛けてきた。

「リシェルもよ。暗い顔で悩んでいても仕方ないわ。あなたのいいところは、どんな事があってもへこたれないとこよ。もうやつれ顔のリシェルは止めて、ケインを見返してやるわよ」

「見返すとは?」

 王女はすみれ色の瞳をニンマリとして笑う。

「そうねえ……、取り敢えず、わたしの化粧道具を貸して上げるわ。そのみっともない顔をなんとかしなくっちゃ!」

 

 

 

  ***

 

 

 

 鏡の中の娘は、死の淵から生き返ったかのように酷く驚いて、生を確認するように自分の顔を触りながら、自らを凝視している。

 

「凄いわ、なんとかなったじゃない」

 

 王女が興奮して叫ぶついでに、白粉を持って娘の顔に手を加えようとするのを、わたしは必死で止めた。

 だって、鏡の娘はわたしなのだ。これでいいのよ、完璧なの。

 この顔に、あの白粉を足せば、それはそれで塗りたくり過ぎと言うか、ある意味化け物……と言うか。とにかくやり過ぎになってしまうの。

「何よう、リシェルのケチ! わたしだって……」

 王女は白粉を持ったままムスッと剥れたが、わたしに化粧を施した二人の侍女に笑顔を見せた。二人とも心なしか、満足げな顔をしている。

「あなた達、腕を上げたわね。さすがわたしの侍女だわ」

「ありがとうございます」

 キャリーとルイーズは微笑んで頭を下げた。わたしもびっくりして鏡越しに二人を見つめた。

 本当に驚いた。これが、あのやつれ果てた女だろうか?

 信じられないくらい変身している。

 

 ボサボサだった髪は丁寧に櫛を通されて、見事に輝きを取り戻していた。

 どんよりとしていた瞳も充血こそ取れないが、目の回りに明るい色味の白粉を振ったため目立たなくなり、本来の深い緑色が存在感を出している。

 くすんで張りがなくなっていた肌は、二人の時間を掛けたマッサージのお陰でいつもより艶々しているし、カサカサに渇いていた唇も高級塗り粉と口紅で瑞々しく濡れたように見える。

 そして、何より驚いたのが、あれほどくっきりと表れていた隈が……、どこを探してもなかった。まるで魔法か何かのように消えてしまっている。

 何歳も若返ったように、白い肌は綺麗だった。

 

「わたし……?」

 

 言葉が続かない。

 じっと鏡を見つめるわたしに、王女は更なる思い付きを見つけたみたいだ。

「生まれ変わったリシェルに、地味なそのドレスは似合わないわ。お母様のところに行きましょう。きっと合うものが一着ぐらいある筈よ」

 そう大声を出すと、いきなり扉を開けて部屋を出て行く。

「え? お、お待ちください。エミリアナ様……」

 わたしは、慌てて王女の後を追い掛けた。

 扉の外で王女が立ち止まっている。その前には二人の騎士が立っていた。

 睨むような顔で騎士の前に仁王立ちになると、王女は低い声で命令する。

「わたしはお母様のところへ行くわ。付いて来てちょうだい」

「はっ」

 騎士は短く返答した。

 

 その声を聞いて、わたしの胸が悲鳴を上げた。

 

 頭を伏せている騎士の一人は、ケインだったのだ。




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