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眠り姫とキス その3

 

「何をして……、おられるのかしら? お二方」

 

 わたしが不信感も露に尋ねると、ケインは取って付けたような笑顔を見せて寄って来た。その際、ジャンの手を腕から無理矢理引き剥がすのは忘れない。

 

「リシェル、仕事は終わったのか?」

 

「ええ…、そんなことより、今何を話していたの? 大層お困りのようだったけど……」

 わたしの問いに彼は笑ったままだった。だが、その笑みにいつもの余裕はまるでない。こんな彼は初めて見る気がする。

「何も困ってなどいないが? 君の勘違いだろう」

 わたしはケインから目を反らし、ジャンを見つめることにした。

 ケインに聞いても、きっと無駄だ。何も教えてくれないに決まっている。

 それならこの少年に、直接質問した方がよっぽどいい。

「ねえ、何をケイン様にお願いしていたの? あなた、何か秘訣を教えてくれと頼んでいたわよね、さっき」

 何故かジャンの頬が微かに赤くなった。

 わたしは額に皺が数本寄りそうになり、慌てて顔の筋肉から力を抜く。何で赤くなる…?

 それよりも、危ないところだった! 気を付けないと、くっきり皺になってしまうわ。

 わたしは幾分柔らかい雰囲気で、再度彼に質問する。

「わたしにも聞かせてくれないかしら? 何を教えて欲しいのかを。」

「剣ですよ。剣の手解きををお願いしていたのです」

 ジャンは清々しいほど爽やかに答えてきた。顔も既に元に戻っている。

「お恥ずかしい話ですが僕は長男でして、子供の頃より父の家督を継ぐための教育を何より優先してきたもので、剣の稽古はお座なりにしかしておりませんでした」

「ああ、そう…」

「この前、ケイン様が僕の剣を未熟と言われていたのは事実なのです。ですから是非にとお願いしていました」

「ふうん…」

 それにしては、大袈裟なほど喜んでいなかった?

 剣の稽古など、寧ろ当たり前に指導を受けるものではないの?

 わたしは何も言わないケインに目線をやる。

 彼はあからさまにホッとしていた。怪しい……。

「まあ、そういう訳だ。リシェル、もういいだろう」

「では、僕はこれで…」

「ああ、また明日な」

 去ろうとするジャンに、ケインはいやに優しく声をかけている。昼とは大違いだ。

 ケインはジャンが軽く頭を下げて背中を見せると、寛いだ笑顔になってわたしの肩に手をかけた。

「君、まっすぐ帰るのか? 僕もーーー」

 

「ねえ、待って、ジャン」

 

「はい?」

 わたしが大声を上げると、歩いて少し距離が出来ていたジャンが振り向く。

 彼に向かって手招きをすれば、不思議そうな顔をして戻って来た。

「何が気になるんだ、リシェル」

 ケインが低い声で呟く。

 わたしは不満を口にするケインを無視して、目の前に戻って来た少年に尋ねた。

「あなた、いくつなの?」

「十六になります」

「そう……、キャリーと一緒ね」

「えっ?」

 ジャンが目を見開いて驚く。

「知らなかった? エミリアナ様の侍女よ」

「あ…、はい…。あ、あの勿論、侍女の方々のお顔は存じています」

「そう言えば、あなた、挨拶に行ったんだったわね。エミリアナ様からお聞きしたわ」

「はい…」

 ジャンはふうっと大きく息をついた。

 何だろう、わたしって……そんなに恐いかしら?

「リシェル、もういいだろ? ジャンは城下の屋敷へと戻らねばならないんだ。こいつは、僕らのように城に住み込んでいる訳じゃない」

 ケインが無表情で会話に割り込んで来た。

「えっ? そうなの?」

「はい、父に宿舎に入るのを許して貰えませんでしたので……」

 ジャン少年は恥ずかしそうに俯く。彼の短く刈り上げた明るい金髪から覗く耳が、ほんのりと赤く染まっていた。

「ジャンは、大領主のお坊っちゃんなんだ。本来なら従騎士になど、無理してならなくてもいいご身分なのさ」

 ケインの言葉に少年はムッとして顔を上げた。

「ケイン様、その言い方には刺があります。僕の背後にある諸々のことには目を瞑って下さいと、最初にきちんとお願いしましたよね?」

「そうだったか? 悪い、聞いてなかった」

「ちゃんと覚えておいて下さい、お願いします」

「わかった、わかった」


 二人の会話を聞いていて、わたしの疑問は膨れ上がった。

「ねえ、聞いてもいいかしら…。ジャンはどうして、従騎士になったの?」

「どうしてって?」

 驚いた顔をして少年がわたしを振り返る。

「だって今、ケイン様が仰ったわよね。無理して従騎士になどなる必要はないって。あなたか、ご家族かが、敢えて希望されたってことでしょう? それはどうしてなの?」

 本当に何故なんだろう?

 名家の、しかも長男が、代々の家系を継ぐべく受けている英才教育を放り出してまで従騎士になる理由って……。

 ジャンは唇を噛み締めてケインの方を見つめた。

 ケインはと言えば、先程からかなり苦い表情を浮かべている。わたしには、彼らの態度の意味がわからなかった。

「……両親には反対されましたが、最終的には折れてくれました。従騎士には僕がなりたかったのです」

「だから、それは何故なの?」

 少年は覚悟を決めたようにわたしを見据える。

「この前の生誕祭で、僕は馬上試合を初めて見ました。その時、騎士の激しい闘いを初めて目の当たりにしたんです。僕は幼い頃から厳しくしつけられ、自由に過ごす弟達を羨んだりしてきました。自分程きつい思いをしている者はいない、愚かにもそう信じていたんです」

 ジャンは苦笑を浮かべる。

「でも、違った。確かに僕は朝からみっちり家庭教師の授業があり、その他にも生活全般に渡って両親や親族の厳しい視線に曝されていますが、その分物凄く大事にされています。後継ぎということで、あらゆる危険から手厚く守られているのです。あの日までの僕は、家族の庇護というぬるま湯の中におりながら、そのことに気付きもしなかった。それどころか、自分の運命を馬鹿のように悲観してたのです。そんな大事なことに気付かされた」

 ジャンは大きく息をついた。暫く休むと、また口を開く。

「それで思ったのです。どうしても、この厳しい世界に身を置いてみたい。自分の限界まで誰かのために、力をとことん尽くしたい! だから父に頼みました。ただの数年でもいいから騎士として生きさせてくれないか、それが無理なら、せめて従騎士として騎士に仕えさせて欲しいと。……甘い考えなのはわかっています。だけど今を逃したら、もうチャンスはないと思ったんです」

 彼は目を閉じた。その様子は、まるで審判を待つ被告人のように神妙に見える。

「あなたが何故、無理してまで従騎士になったのかはよくわかったわ」

「本当ですか……?」

 ジャンがほっと緩んだ表情をケインに向けた。

 だけどわたしの中の不信感は消えない。と、言うより余計に募ってくるんだけど…。

「でも、理由がそうだとしたら、ますますわからないことがあるのよ」

「それは、何ですか?」

 ジャンとケインの二人が怪訝な顔でわたしを見る。

「そのあなたが仕えようと思った騎士が、何故、ケイン様なの?」

 二人の顔が奇妙に崩れた。わたしの質問の意図がわからないらしい。ジャンが遠慮がちに聞いてきた。

「侍女長様、何故とは?」

「だから何故ケイン様なのか、わからないの。わたしが言うのも何だけど、この人は騎士としては……その、全然たいした人じゃないわ」

「リシェル…?」

 ケインの唸るような声が聞こえてくる。

「あなたが言うような高尚な理由で騎士に仕えたいのなら、他にもっと素晴らしい適任者が沢山いる筈よ。少なくとも近衛騎士のどなたかにお仕えするとか、ケイン様ではなく隊長のランス様にお願いするとか……」

 わたしはチラッとケインの様子を盗み見た。

 彼は仏頂面をしてわたしを眺めている。恐い顔をして、相当機嫌が悪いようだ。

 でもわたしは、そんな彼を見ないようにして自分の疑問を口にする。

「本当に何故、ケイン様なの? どこがよかったのかしら……、この人の噂を聞いたことなかった? あ、そうか、他の方は手一杯で断られたのね?」

「リシェル、君…、何が言いたい?」

 ケインが低い声音で脅してきたが、わたしには不思議でしょうがなかったのだ。

 わたしにとっては、彼は勿論素敵な人だ。騎士としても男の人としても彼を尊敬してるし、とても大切な人であるのは間違いない。

 でも、客観的にみたらどうだろう。もしわたしが赤の他人の男だったら? そうね…、彼を見る目は絶対変わっている気がする。

 だって彼は……以前ほどではないけど、軟弱な雰囲気を出し過ぎなんだもの。その上、前のフェミニストな印象が強すぎて、どうしてもいい加減な男というイメージが消えてない。わたしだって以前は彼を誤解して嫌ってたし……。

 それ以外にも昔のゴタゴタや生家との確執などで、彼に対する評価は王城の中で著しく低くなっているのだ。勿論彼を高く買って下さっている方もいるにはいるが……、一般的には評判が悪い。

 それなのに、何故?

 

「僕はケイン様がよかったのです!」

 

「えっ?」

 

「他の誰でもない。ケイン様の試合に、僕は感銘を受けたのですから………」

 わたしが呆気に取られていると、ジャンは付け足したように言葉を続けた。

「試合のあとの出来事にも衝撃を受けました。とても、感動した……」

 ジャンは目を輝かせてわたし達を見ていた。

 えっと……、感銘を受けたって…もしかしてそっちの方にじゃないわよね?

「本当に、お二人とも素敵でした……」

 彼はあの日を思い出したようにしみじみと呟く。わたしは顔が熱くなるのを止められなかった。

 ええっと……あなたってば案外思考が乙女なのね、とか何とかどうでもいいことを取り乱したように口走ったりして…。

 ジャンは余韻に浸るように、こちらを見つめたまま黙っていた。

 わたしは、わたし達を潤んだ瞳で見つめる少年に、それ以上何も言えなくなった。だって、言える筈がないじゃない? こちらの恥ずかしい部分ーー触れて欲しくないデリケートな部分をじわじわ刺激してくるんだもの。

 

 その後は、さっさと帰っていただいたわよ。これ以上聞いてられなかったから当然よね。

 わたしが赤い顔をしてジャンの発言に戸惑っている様子を見て、あれだけブスッとしていたケインが機嫌を直して笑っていたのは気に食わなかったけど。

 きっと彼も最初はジャンの言葉にやられたんだろうから、まあいいわ。

 

 

 

  *

 

 

 

「あら、ルィーズ。あなただけ? キャリーはどうしたの」

 

 翌朝、いつもより遅れて王女の部屋に現れた侍女のルィーズに、わたしは呆れて問い掛けた。

 遅刻をしてくる上に一人しか来ないなんて、どういうことかしら。

「あ、あの、キャリーはちょっと………」

 ルィーズの言い分は、はっきりしない。

「あなた達は宿舎で同室だったわよね? どういうことなの? キャリーは寝過ごしてるわけ?」

「は、はい。実はそうなんです。わたし達二人とも今朝は寝坊して…、でも、あのキャリーもすぐにやって来ます」

「寝坊ですって?」

 呆れて言葉が出てこない。何てことだろう。最近二人とも仕事に慣れてきて、ちょっと弛んできているのじゃないかしら?

 とにかく、これは見過ごせない。きっちり喝を入れてやらなければ。

「わたしは、キャリーを起こして来ます。あなたはここをお願いね」

「あ、お待ちください、侍女長。キャリーは起きてるんです。ちょっともたついているだけで…すぐそこまで来てるんです。待って下さい!」

 ルィーズが悲鳴のような声を上げたけどわたしは足を止めたりしなかった。彼女を無視して王女の部屋を急いで出て行く。

 

 侍女の宿舎は王族のパレスとは別の棟にある。

 

 わたしは宿舎に向かうべく、駆け足で外へと飛び出した。

 ふと前に目をやれば、中庭にある木立の中にキャリーの後ろ姿が見えるではないか。

 何だ、こんなところにいるんじゃない。何を道草しているのかしら?

 

 わたしは、オークの木の側で向こうを向いて立っている彼女の背中に、近付きながら声を掛けた。

「キャリー、そんなところで何してーーー」

 

「困るわ、わたしもう行かないと…」

 

 キャリーの側まで近付くと、突然彼女の声が耳に飛び込んでくる。

 何事? わたしは驚いて自分の声を飲み込んだ。

 

「ごめん、無理に呼び止めたりして。君の姿を見掛けたから、つい……」

 

 キャリーは誰かと一緒にいるようだった。彼女の影になってこちらからは生憎見えないが、もう一人確かに誰かいる。しかもこの声は男のものだ。どういうこと?

 わたしはその声に聞き覚えがあった。

 この声って、まさか……。

 

「わたし、もう行くわ。ルィーズがきっと困ってる。侍女長は本当に恐ろしい方なんだから」

 キャリーはそう言うと、振り切るようにこちらの方へと体を向けた。

「待って、キャリー」

 声が慌てたように彼女を追い掛けてくる。

 

 振り返ったキャリーは背後にいたわたしに気付き、驚愕したように顔色を変えて固まってしまった。

 その後ろから彼女を追うように少年が顔を覗かせる。

 

 驚きのあまり声も出せないわたしの前に、又してもケインの従騎士が現れた。

 

 キャリーと一緒にいて、何やら親密な会話をしていた声の正体は、昨日会って話したばかりのジャンだったのだ。




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