眠り姫とキス その2
「知っているわよ、ジャンでしょう? ケインの従騎士ね」
王女は王室お抱えの仕立て屋が広げる、色とりどりの布地やドレスを見ながら、何でもないことのように口にした。
「ご存知だったのですか?」
「ええ、ここにも挨拶に来たもの。生誕祭のすぐ後よ。リシェルは、いなかったのかしら?」
王女はわたしを一瞥すると、すぐに視線を目の前の生地の山に戻す。
「ねえ、そっちのも見せて。うわあ、素敵な色ね」
それから美しい花模様の金色の生地を手に取って、大声ではしゃいだ。
そのお色は八歳の王女にはまだ早いと思うが……まあ、いいか。
本日のエミリアナ王女は、ドレスを新調するために午後から仕立て屋を城に呼んで、あれこれと品定めをしている。
以前の王女は大好きな桃色以外滅多にお召しにならなかったが、今では色んなお色に興味がおありなようで、部屋の中は色彩豊かな布地で溢れ華やかだった。
そういえば、王女が桃色以外に目を向けるようになったのも、ケインの口添えがあったからだった…。
懐かしいことを思い出して、胸が少しくすぐったくなる。
わたしは、王女の後ろで同じく目を輝かせていた、二人の侍女を振り返った。
「あなた達も知ってたの?」
二人はモジモジとして互いに目を見合わせながら、慎重な様子で頷いている。
「勿論ですわ、ジャンはわたし達と年が変わりませんし…、ねえ、キャリー?」
「ええ、そうね、ルイーズ」
珍しく、年下のルイーズが先に口をきく。いつもはもっとおしゃべりな筈のキャリーは、口数が少なくおとなしくしていた。
それにしても、わたしだけあの少年を知らなかったとは…。何だか自分の迂闊さに呆れてしまう。
ケインもケインだ。話してくれてもよさそうなものなのに。わたしは彼の婚約者ではなかったのか?
「ドレスと生地はもういいわ。後で欲しいものは言うから」
わたしがムゥーと考え事をしていると、王女が仕立て屋に話し掛ける声が聞こえてきた。
「ねえ、ところで紳士服は用意してないの?」
「男性用ですか…? 多少はご用意しておりますが、殿下には少し大きすぎるかと…」
仕立て屋の中年のお針子が気まずそうに答える。
王女は目を丸くして笑い声を上げた。
「いやだ、わたしが着るんじゃないわよ。そう、用意しているのね? 誰か、外にいるアーサーを呼んできて」
そして、目を生き生きと輝かせながら護衛騎士の名前を口にした。
「素敵! 本当に王子様みたい」
数分後、流行りの服に着替えさせられた王女の護衛騎士が、部屋の中央に立たされていた。
アーサーは甲冑のかわりに、刺繍やフリルが派手に付いているプールポワンを身に付けている。
その彼の側で王女は興奮して飛び跳ねていた。
「ねえ、キャリー、ルイーズ。あの物語の王子様ってこんな感じじゃないかしら?」
「ええ、エミリアナ様。アーサー様は本当に、王子様みたいですわ」
「とっても、よくお似合いです〜」
おとなしかった二人の侍女もいつもの調子を取り戻して、王女と一緒に盛り上がっている。
せっかく少し成長したと思っていたのに一瞬で終わってしまったのか、全くもう…。
「殿下…」
アーサーは顔を赤らめて、恥ずかしそうに俯いている。
「わたしをお呼びになったのは、このためだったのでしょうか?」
王女は彼の方を向くと、キョトンとした表情になった。
「そうよ、当たり前じゃない。せっかく素敵なお洋服が目の前にあるんですもの。着てみせて欲しいわよ」
「ですが……わたしでなくても…」
アーサーは弱々しく反論しようとする。だが、力関係は明らかに王女が上だ。
「何言ってるの? あなた以上にこんな格好が似合う人、他にいると思う?」
王女は、邪心の欠片も感じさせない笑みを浮かべて、彼の側へと近付いた。
「サラサラの金髪に、優しげに笑う整ったお顔。もの凄〜い美人って訳ではないけど、わりとハンサムだし気品があって、物静かで……本当に物語の王子様のイメージ通りだわ!」
「は…あ」
「この前呼んだ物語の王子も、きっとそうよ。魔女の呪いでずっと眠り続けているお姫様がいるんだけど、王子様のキスで目覚めるの! その王子様は、アーサーみたいに金髪の優しげなお顔だと思うわ。あなたが今着てるような白地に金の刺繍がある、いかにも王子って服を着て、優しくお姫様にキスするのよ」
王女はキャアキャア言いながら、侍女達と嬉しそうに騒ぎ出す。それからふと思い付いたように立ち止まると、お気に入りの可愛い人形を抱いてきた。
「ねえ、アーサー」
「は……い?」
アーサーの顔は何かを予感して青ざめている。
「この子にキスしてちょうだい」
「お断りします」
王女が「えぇ〜っ?!」と落胆したように大きな声を出した。キャリーとルイーズも、がっかりしたような表情を隠しもしない。
あなた達ね………。
「何でよ? アーサーのケチ!」
頬を膨らまして王女は拗ねていた。子供が剥れると案外面倒くさいのだ。
わたしはやれやれと重い腰を上げる。騎士に成り立ての若いアーサーには、荷が重すぎるだろう。この場は年長者のわたしが治めて差し上げなければ…。
努めて低い声を心掛けて、わたしは王女に話しかけた。
「エミリアナ様、いい加減にーーー」
「殿下」
だが、アーサーは落ち着いていた。彼はわたしの声をかき消すように、優しげではあるが意志の強い声で静かに語り出す。
「わたしの口付けは、愛する方だけに贈りたいと思います。たとえ、殿下のご命令でも…人形には出来ません。どうか、ご容赦を」
アーサーの照れもせず言う殺し文句のような台詞に、わたし達は全員赤面してしまった。
「…し、仕方ないわね。人形へのキスは許してあげるわ」
「ありがとうございます」
アーサーは微かに微笑むと頭を下げる。
「それにしても、さすがプリンスと一緒によくいるだけあるわね」
王女はうっすらと頬を染めて目の前の騎士を睨み付けた。
「びっくりしたわ。ケインも顔負けの言い方なんだもの。アーサーもケインみたいになるんじゃないの?」
「まさか、滅相もない!」
アーサーが澄まし顔を取り払って慌てたような表情になる。
「わたしは、あのようなことをするなど、想像もしたくありません!」
彼は大声できっぱりと叫ぶと、ハッとわたしに気が付いた。
「いや…、つまりわたしは……」
それからモゴモゴと言い淀んでいる。
どういう意味かしら? わたしの婚約者が変人だとでも言いたいの?
「まあ、そうよね。やっぱりあなたには無理だわ。ケインみたいに、なるのは……」
王女はキャリーやルイーズと顔を見合わせて微笑んだ。
「だって、ケインは特別だもの。美しくて優しくて、何をしても様になって」
わたしは王女の言葉を聞きながら、顔が緩みそうになるのを必死で堪えていた。
何故なら、その素敵なケインはわたしの婚約者なのだ。
彼が愛しているのはこのわたし、ふふふ…あ、駄目よ、笑っちゃ…。
「ーーーただ、一つ。趣味が悪いっていう難点があるけどね」
忍び笑いをするわたしの耳に、王女が嫌味のように呟く声が聞こえてきた。
*
「もう、わかったから…、お前は帰れ」
夕方早めに仕事が終わり、宿舎に戻るため中庭を歩いていると、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
ケインの声だ、間違いない。偶然にも彼が近くにいるところに出会したようだ。
わたしは嬉しくなって、辺りをキョロキョロしながら彼の姿を捜す。
「本当ですね? 本当に秘訣を教えてくれるんですね?」
別の声もする。
彼は誰かと一緒にいるらしい。もう一人はあの少年ではないか? 確かジャンとか言う名のケインの従騎士の…。
「あ、ああ……。教えてやるから……、今日はもう戻れ」
「うわあ! やった! 絶対ですよ、ケイン様!」
ケインの煩わしそうな声と、ジャンの大喜びをしている声。
すぐ近くで聞こえる。
わたしは背の高い草木を避けて声の方へと進んだ。
草を避けた先に二人がいた。
ケインはわたしに気付くと、目に見えてギクッとした表情になる。
何なの、その顔…? と、彼の方を訝しんで見つめたわたしも、自分の顔が歪んでいくのを感じた。
「絶対ですよ! ケイン様」
「わかった、わかったから……」
そこには、満面の笑みでケインの腕を振り回しながら喜ぶジャンと、彼に腕を取られて情けない顔をして慌てるケインがいたのだった。