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君と僕 その12

 

「いかがですかな、アナベル様」

 

 城下の鍛冶職人に預けていた剣が、見事に打ち直されて帰ってきた。

 恭しく剣を差し出す男の手から、生まれ変わったそれを受け取る。見惚れるほどに光輝く自らの剣を、感動と共に見つめた。

 

「素晴らしい。ここまでの仕上がりになるとは。ヴェン、ありがとう」

 城の詰所まで剣を届けに来た鍛冶屋のヴェンは、日焼けした顔に人のいい笑みを浮かべて破顔した。

「お褒めに預かりまして、どうも。息子の代に代わりましても、ご贔屓よろしくお願い致します」

「その口振りは、もしや隠居されるのか? それはまたどうして」

 剣を鞘におさめながら男の方を向く。

 ヴェンはよい腕を持ち、年齢的に見ても充分働き盛りで、代替わりをするような衰えた老人ではない。逞しい肩と太い腕をした中年の男に、不思議に思い僕は尋ねた。

「いやね、息子が嫁を貰うんですよ。それでいい機会だと思いましてね。一人前の男にしてやろうと、家内と話し合って決めたんですよ」

「跡継ぎ殿が所帯を持たれるのか? それはめでたい。そのような理由なら、祝いをせねばならんな」

「いやいや、アナベル様にはご贔屓にしていただいておりますので。以後もお付き合いを変わらずしていただければ、それで……」

 鍛冶職人のヴェンは白い歯を剥き出して豪快に笑ったあと、大きな体を縮込ませると辺りを窺いながら僕に耳打ちしてきた。

「お城でも大きな縁談が纏まったそうで。いや全く、めでたいですなあ」

「大きな縁談?」

 大きな……と言うと、殿下達のことだろうか。

 だが、王太子殿下は御年十四歳で婚約もまだの筈だ。王女殿下達は第一王女殿が嫁がれたばかりで、後の二人の殿下はまだ子供でいらっしゃる。縁談など当分先の話だろう。いや、水面下では進んでいるのかもしれないが、一介の鍛冶職人が知り得る情報では当然ない。

 

「おや、ご存じないのですか? おかしいな。城内では噂にはなっていないんですかね。わたしが聞いたのは近衛騎士の方のお話なんですけど」

「近衛騎士?」

 まさかーー

「その騎士の名前は……?」

 動悸が激しくなっていた。まさか、とうとう、リシェル・ブラネイアと恋人の縁談が決まったと、そういうことなのか。

「えっ? ええと、お名前は……、確か」

 ヴェンは顎に手をやると、考え込むように上空へと視線を向ける。それから目を見開くと顔の前で手を勢いよく鳴らし、大声で叫んだ。

「そうだ、そうそう。ディッケンズだ! お名前はフェルナンド・ディッケンズ様とおっしゃる方です!」

 

 やはりーー

 

 リシェル・ブラネイアの恋人の名だった。

 

「そうかーー、では相手は同じく城務めの侍女であろう。まさにめでたいことだな」

 俯き気味に目前の男へ相槌を返す。言葉とは裏腹にすさんだ笑いしか出てこない。

 ヴェンは僕の顔をキョトンとしたほうけた顔で見返していたが、その間が抜けた表情の理由は、何も僕の態度に疑問を感じたからではなかったようだ。

「お城の侍女様? それは変ですな」

 鍛冶屋の親父は巨体に似合わぬ小さな可愛い目を丸くして、おかしいなと再び首を捻った。

「わたしが聞いたのは、広大な土地を持つ大領主の箱入り娘がお相手とか。ディッケンズ様のお館よりご結婚に向けての大量のご注文を頂いた時に小耳に挟んだんで、まず間違いないと思うんですけどね」

 

 いや〜、全く春ですな〜、と鼻歌でも口ずさむように、のんきな顔をして鍛冶屋の職人は帰って行った。

 

 

 

  ***

 

 

 

 扉が開いてエミリアナ殿下が通路へと出て来られた。花が綻んだような満面の笑顔をされている。

 

「ケイン〜! いた!」

 王女はドレスの裾をはためかせ、駆け寄って来た。後ろから慌てて追いかけて来る侍女達が、泣きそうな顔で呼びかけている。

「エミリアナ様、お待ち下さい。まだお髪のご用意が……」

「嫌よ! ーーだってルイーズったら愚図なんですもの。これ以上はもう我慢出来ないわ。ケインお願い、どこかへ連れてって!」

 王女はボサボサの髪を振り乱して、勢いよく僕に飛び付いてきた。その際ドレスの裾を踏みつけたらしく、ビリビリと派手な音が辺りに響く。

「嫌だ、わたしの桃色のドレスがあ!」

 悲鳴を上げて小さな王女は泣き出した。裂けたドレスの裾を眺めながら、取り乱したように癇癪を起こして床に突っ伏した。

「酷い、酷い。ルイーズのせいよ! こんなにして」

「そんな……、エミリアナ様……」

 一方的に罪を擦り付けられた侍女はオロオロと立ち往生をしており、もう一人の侍女と一緒になってこちらも泣きそうになっている。遂には人通りのある通路の真ん中で、三人の少女は大声を上げて泣き始めてしまった。

 

「困りましたね、ケインさん」

 共に警護に就いていたアーサーが、うんざりしたようにボソリとこぼす。

 僕は彼を諌めるように肩を叩くと、しゃがみこんだまま泣き喚いている王女に近づき声をかけた。

「殿下ーー」

 

「いい加減になさいませ。エミリアナ様!」

 

 その時僕の声をかき消す、張りのある声が周囲に響き渡る。

「キャリー、ルイーズ。あなた達もですよ。みっともない!」

 僕らの前に遅れて姿を現したのは、いつもにもまして地味な出で立ちのリシェル・ブラネイアだった。

 濃紺の何も装飾もないシンプルなドレスと、飾り気のない纏め髪。修道女と言っても差し支えないほど、華やかさとは対極にある装いだ。

 いつもの彼女も年齢の割に落ち着いた服装を好んでしていたが、今日の彼女は明らかに何かが違う。

 僕はその時思い出した。先日鍛冶職人のヴェンから聞いた、リシェル・ブラネイアの恋人の縁談話を。

 

「リシェル……」

 王女が涙混じりの顔を彼女に向ける。

「だ、だって……、お気に入りの桃色のドレスなのよ」

「でしたらもう少し大切になさって下さい。女性らしく静かに歩けば、ドレスの裾を破ることはなかったですわ」

 リシェル・ブラネイアは、労りを込めた、穏やかな笑みを王女に向けていた。先の怒りのこもった声とは違う、柔らかな声だった。

 彼女は王女の側に静かに座ると破れたドレスのフリルを調べ、横で泣き顔を見せている二人の侍女に苦笑して告げる。

「大丈夫だわ。この程度ならなんとかなります。キャリー、ルイーズ。後でドレスの繕いをお願いね」

「は、はいっ! かしこまりました侍女長」

 二人はホッとしたように直ぐさま返事を返した。それに頷いて、彼女は再び小さな背中へと視線を戻す。

「そういう訳でエミリアナ様。このドレスは繕いが終わるまで、お召しになることが出来なくなってしまいました。今日のところは、別のものへお着替えしていただけますか?」

 にっこりと微笑む彼女に、王女は躊躇いがちに問いかけた。

「このドレス、……直るの?」

「勿論ですよ。キャリーとルイーズにお任せ下さい」

 春の暖かな陽光のように、優しい笑顔で彼女は王女を眺めていた。厳めしい仮面を脱いだその顔は、驚くほど安らぐ印象を周囲に与えている。

 僕は呆気に取られて、エミリアナ第三王女付き侍女長を見ていた。

 いや、僕だけではない。

 その場にいた全員が言葉を失って見惚れていた。

 僕達がぼんやりと自分を見ていることに、彼女はしばらくすると気づいたらしい。

 突然気まずげに咳払いをすると、王女と二人の侍女を無理やり立ち上がらせ、「さあ、早く中へ」と捲し立てながら手際よく扉の中へ押しやり始めた。

 三人を部屋の中へなかば強引に押し込んだ彼女は、息を吐きつつこちらへ振り向く。

 いつものきつめの眼差しが、僕を呆れたように見つめていた。

 

「ケイン様、いつまでそんな格好をなさっておいでです?」

 咎めるような声が届く。

「少し周りを気になさって下さいませ。皆様、呆れてらっしゃいますよ」

「えっ? あ、ああ……」

 夢から覚めたように僕は我に返った。

 気がつけば一人、王女の部屋の前で膝をついてぼんやりとしていた。お陰で通路を歩く人々の、揶揄するような視線を集めてしまっている。王妃の侍女がこちらを見て、含み笑いを浮かべ立ち去って行った。

 ーー本当に、馬鹿そのものだな。

 急いで立ち上がった僕に、彼女は額を手で押さえ頭を振りながら小言を投げかけてきた。

「あなたの責任ではありませんけれどーー、今後このようなことがあれば事態の素早い収拾をお願いしたく思います。困ったことにあの子達では、全く役に立ちませんので」

 呆然と立ち尽くす僕の目の前で、リシェル・ブラネイアはいつも通り、お願いと言う名の命令を下していた。

 それはもう、全く持っていつもの通り。何一つ、変わりなく見えた。

 

「本当に、肝に銘じて下さいませね。あなたの仰ることでしたら、エミリアナ様も素直に聞いて下さるでしょうから」

 

 そう口にして静かに扉の向こうへと消えた彼女からは、恋人との破局を迎え悲しみに暮れる沈んだ様子など、どこにも見当たらなかったのだ。

 少なくとも、その時にはどこにもーー。

 

 ヴェンの話した内容は彼の思い違いだったのだろう。僕はそう結論づけ、彼女の恋人を頭の中から追い出した。




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