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君と僕 その10

 

「ケイン様、起きて」

 

 誰かが僕を揺らしている。微睡む感覚を消し去ろうと激しく体を揺すってくる。

 

「う……、や、め……」

 

 もう少し寝ていたいんだ。何故か分からないが、少しも瞼が上がらない。頼む、あと僅かでもいい、寝かせて欲しい。

 

「ねえ、起きて。起きて下さいな、ケイン様」

 

 しかし、声は尚もしつこく体を揺らす。甘い囁きに苛立ちが混ざり、目を開けようとしない僕に怒りを感じているようだ。

 だが、仕方ないだろう。夕べはあまり寝ていないんだ。何故寝てないのか。それは、昨夜城を抜け出して……。

 

 そこまで考えて僕は飛び起きた。まともに開かない目で声の主に視線を合わせる。

 

 朧気ながら、焦点が合ってきた。目の前に顔を突き出す人物に言葉が出ない。

 

「お……ま……」

 

 ここは夕べ誘われるように足を踏み入れた、酒場の二階ではなかった。そう、ここは見慣れた宿舎の僕の部屋……。

「おはようございます、ケインさん、早く支度をしないと昼からの勤務に支障が出ますよ」

 僕を鼻にかかる声でわざとらしく起こしていたのは、いやらしくニヤニヤと見つめてくるアーサーの奴だった。

 

「いったい明け方まで何をしていたんです? 今朝方こそこそと戻って来られてましたよね。俺が気付いてないと思ったんですか? 隣で寝てるんですよ、気付くに決まっているでしょう。眠いから放っていただけで」


 アーサーは小言を言う母親のように、しつこく話しかけてくる。

 僕は口煩い少年を無視して、ベッドから起き上がると乱れた寝具を小さく折り畳み隅に寄せた。

「それにしても、随分遅くまで夜遊びをしてましたね。いや違うか、朝だったから早いの方がいいんだ。久し振りに思い切り羽目を外されたようで、本当羨ましいですよ。俺なんかそんな相手もいないし、ケインさんは連れて行ってくれないし」

 子供のくせに口がたつ少年は、「ああ、そうか」と何かに気付いたように手を鳴らした。

「俺を置いてけぼりにしたのは、このためだったんだ!」

 着替えを始めた僕の前に回り込み、アーサーはニヤリと笑う。

「ニーナさんと会うために俺が邪魔だった、違いますか、ケインさん?」

 

「違う!」

 僕は反射的に否定していた。

 

 

 

  ***

 

 

 

「ケイン、遅かったな。どうしてたんだ?」

 詰所に顔を出すと隊長が訝しんで問いかけてくる。

「お前がなかなか顔を出さないから、アーサーを呼びにやらせたんだ。会わなかったか?」

「いえ、起こしてもらいました。申し訳ございません。寝坊致しました」

 女の振りをして高い裏声で僕を起こしにかかった年下の少年を、恨めしく思い出す。

 アーサーの奴、ふざけた真似をして。

 

 隊長は詰所の中を隊の騎士達に命じながら、ゴソゴソと片付けていた。表にも顔を出して、外へ置きっ放しにしていた狩りに使う弓や釣り竿を手に持ち、どこにしまおうかとうろうろしている。

「いったいどうしたんですか? 大掃除など」

 僕が不思議に思い尋ねると渋い顔を返してきた。

「お見えになるそうだ」

「え? どなたが?」

「侍女長殿だよ。いや、違った、エミリアナ殿下か……」

 そう言って渇いた笑いを周りの騎士達と交わす。

 呆気に取られた僕の前に濡れた布巾を差し出し、壁や床を拭いていけとギィがやって来て顎を振った。

「先日の焚き火の一件があっただろう。あれに懲りたらしく、殿下の訪問時刻を知らせてきたのさ。侍女長殿がね」

 ギィは机や椅子、棚などを拭きながら説明をしてくる。

「我らの普段の様子など、いたいけな殿下にはお見せ出来ないと言うことらしい」

 隊長は苦い顔をして弓と釣り竿を汚れた布でくるんで棚に放り込むと、これでいいとばかりに僕に向き合った。

「それでなケイン。殿下と侍女殿の御一行がお見えになったら、お前に相手を頼みたい」

「な、何故わたしが?」

 僕は度肝を抜かれて大声を出した。新参者にそんな大役を押し付ける、もとい任命するなど人が悪すぎるではないか。

 僕の声のデカさに、隊長は耳を塞いで顔をしかめる。

「あちらのご希望だ。仕方ないだろう」

「ですが隊長がお出でなのでは……?」

「それなら気にすることはない」

 ランス隊長は口角を上げてニヤリと笑った。

「俺は第三小隊の訓練に顔を出さなければならなくなった。後は宜しく頼むぞ、ケイン」

 隊長は掛け持ちで見ている第二王女の護衛隊を口実にして、逃亡をはかるつもりらしい。鼻歌まじりに残りの私物を整理する彼を、僕は呆然と見つめるしかなかった。

 

 

 

  ***

 

 

 

「ケイン〜!」

 エミリアナ王女が駆け寄って来られる。

 僕ら護衛騎士の面々は詰所前に一列に並び、王女の到着を今か今かとお待ちしていた。

 王女は背中に回していた手を、恥ずかしげにおずおずと前へ持ってこられる。手の中には薄い桃色の花と小さな包みがあった。

「わたしが作ったお菓子よ。あげるわ」

「これは……、ありがとうございます。慎んでーー」

「もう、堅苦しく受け取らないでよ。リシェル!」

 王女は僕に包みを押し付けると、背後にいる侍女を大声で呼んだ。呼ばれた彼女はニコリともせず僕の前に顔を出す。

「これを。隊の皆様へ。殿下の差し入れにございます」

 リシェル・ブラネイアは掲げた篭を、恭しく差し出してきた。

「リシェルに教えてもらって、わたしが作ったのよ。みんなで食べてね」

 王女の言葉に全員が謝礼を口にする。だが僕はまともに言えてたか自信がない。何しろ頭の中が真っ白で言葉が出て来なかった。彼女とは目を合わすことすら出来ていない。情けない、愛想笑いの一つも出せないなど。

 王女がキャリーとルィーズに連れられ、詰所内へと足を踏み入れて行く。それからついて来ない僕に気づいたのか、こちらを向いて手を振った。

「ケイン、早く」

 慌てて追いかけようとした僕に誰かが近づいてきた。

「早くこれを受け取って下さいな」

 リシェル・ブラネイアだった。差し入れの篭をブラブラと揺らしながら、不機嫌な顔つきを隠しもせず横柄な口調で言う。

「あ、ああ。すまない」

 うっかりしていた。彼女を見た途端、思考力が飛んでしまっていたようだ。慌てて篭を手にする。だがそれを渡してくる女性を、視界の中に入れる勇気はなかった。

 リシェル・ブラネイアは、僕のこの態度をどう思うだろう。まさか自分に懸想しているなどとは、気づきはしないだろうが。

「……この間のことなら申し訳ございませんでした。言い過ぎましたわ」

 気落ちしたような、小さな呟きが聞こえてくる。彼女の声に違いないが、あまりに弱々しい響きに驚いて思わず横を向いた。

 僕の表情にムッとする、鼻に皺を寄せた君がいた。その顔はむしろ、子供っぽいと言えるだろう。

「そんなに驚くこと? わたしだって反省ぐらいします。少し大人げなかったわよね。確かにわたしはよく老けて見られるし……、何もあなただけが、取り立てて失礼な人ではなかったわ」

 ため息をつきながら、彼女は苦笑を浮かべる。酷くもの悲しい笑顔だった。

 何故君はそんな顔をするのだろう?

「そんなことはない」

 僕は身を乗り出すように彼女へ近づいた。心からの笑顔が見たい、それが無理なら怒りの表情でもいい。それだけだった。

「君はとても魅力的な女性だ。厳しくも優しい、そして愛情深い人だ。君を年長者扱いした者がいたとしたら、そいつがおかしいんだ。そいつは目と頭がいかれてる、大馬鹿者なんだ!」

 僕の興奮した声に、リシェル・ブラネイアは呆気にとられた顔をする。

「……ケイン様、分かってるの? それってあなたのことなのよ」

「ああ、分かってる。僕はとんでもない間抜けなのさ」

 僕は彼女に正面から向き直った。久し振りに心を落ち着かせ、君を見つめることが出来たと思う。

「だから君はこんな間抜けの言うことなど気にすることはない。君が素晴らしい女性だということくらい、哀れな間抜けもとうに気づいて、過去の自分を悔やんでいるのだから」

 リシェル・ブラネイアは頬を薄くピンクに染め、戸惑ったように瞳を揺らしていた。僕の言葉で恥じらう君など、初めて見たかもしれない。

「い、いい加減にしてよ!」

 彼女は僕から急いで視線を外すと、憎まれ口をきいてくる。

「あなたの特技はわたしには効きませんから。誰彼構わず戯れ言を垂れ流すのはやめてちょうだい」

「……善処しよう」

 戯れ言ではない。君に、君に対しては、本心で言っているのだが……だが一生口にすることはないだろう。


「ケイン〜! 早く来てよ。何をしてるの!」

 殿下が真っ赤な顔で叫んでいた。ついつい長話になっていたようだ。僕と彼女は互いに苦笑して、殿下へと頭を下げる。

「ただいま」

 走り出した僕に、再び彼女の声が届く。

「ケイン様、この度は殿下のお遊びにお付き合いして頂き、ありがとうございます。これからも殿下と私共をよろしくお願い致しますわ」

 

 そう言って微笑んだ君は今まで見たこともないほど、力の抜けた自然な笑顔になっていた。




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