君と僕 その9
夕陽の差し込む窓際に近いベッドで、背中を丸めて寝転んでいる。
朝勤務が終わったあと、詰所での定時報告を済ませてすぐ、その足で宿舎へと引き揚げて来た。それからこんな時間まで、何をするでもなくこうしている。
鍛練もせず、日がな一日自堕落に過ごす羽目になるとは。
自分で自分に呆れてしまう。こんなに情けない男だとは思わなかった。
騎士の叙任を受けられず不遇の時代と言えた少し前までの日々でさえ、こんなにだらしない一日を過ごしたことがあっただろうか。
寝返りをして窓から背を向けた。
昼食は取らなかったが夕食はどうしようか。夜勤明けだったので、勤務は明日の昼まではない。いっそ今日は抜いてしまおうか。
だが、腹の虫は鳴る。どんなに精神的に参っていても、食欲という奴は案外湧くものらしい。
「ケインさん、いますか?」
扉が開き外からの冷たい空気を纏ったアーサーが、手にした何かを見ながら入って来た。
「さっき外で預かってーーって、ちょっ……、まだそんな格好してるんですか?」
顔を上げたアーサーは、目を丸くして僕のベッドに近付いて来た。手にしていた包みを、ベッドサイドにある台の上に無造作に置くとこちらを覗き込む。
「昼間もそうしていませんでしたか? どうしたんです。らしくない」
「知るか。お前に関係ないだろ」
アーサーの詰問から逃れようと再び寝返りをして背を向けた僕に、年下の少年は呆れたような声を出した。
「どうせ原因は侍女長殿でしょう?」
「何故、それを?」
「詰所で話題になってましたよ。ケインさんと侍女長殿の、今朝の騒動を見ていたある方がランス様に忠告をしにお見えになって」
驚いてベッドから起き上がった僕を、アーサーは悪戯っぽく目を輝かせ見つめてくる。
「朝から通路で騒ぐとは、第三王女殿下のお側付きは、元気があってよろしいですねと嫌味を言ってお帰りになってました」
「それは申し訳なかった……」
「嫌だな、ケインさん。ランス様がそんなこと、気にされるわけないでしょう。羨ましいだろうがお貸しはしないと、笑ってお答えになっていましたよ」
「そうか……」
アーサーは隣のベッドに腰掛け、寛いだように足を伸ばした。
「いったい騒動の元は何ですか? 侍女長殿とやり合うなんて、懲りない人ですね」
「知らなかったんだ」
僕は小さく声を漏らす。アーサーが「何を?」と聞いてきて答えに詰まる。
「もしかして、侍女長殿のお年ですか?」
「何故分かるんだ?」
「話題になっていましたから、色々と……」
僕の驚き振りを見ながら、アーサーは笑い声を漏らした。
「侍女長殿は、ケインさんと同じ生まれ年だそうですよ」
言葉が出てこない。僕は彼女に、なんて失礼なことを言ってしまったんだろう。
ベッドから立ち上がった僕を見て、アーサーは不思議そうな顔をした。
「食事ですか? 一緒に……」
「食堂には行かない。出かけてくる」
僕は簡単に着替えを済ませると、一緒に行くと言い張るアーサーを振り切り、夕方の城下へと飛び出した。
***
「あら、ケイン様。いらっしゃい」
扉を開けて店内に入った僕に気が付き、彼女は溢れるような笑顔を見せた。
隅の空いた席に腰を降ろした僕の側に、直前まで給仕をしていた客から逃れ、踊るようにやってくる。
「やあ……、ニーナ」
僕が城を飛び出して訪れた場所は、結局というか、ニーナの店だった。
「この前は酷かったじゃない。待っててと言ったのに、いつの間にか帰ってたでしょ?」
「すまない。ちょっと用事を思い出して」
何故なんだろう。まともに目を合わせられない。
僕は女将が持ってきてくれた酒を口にしながら、彼女から視線を逸らして言い訳を口にした。
「……ふうん。まあ、いいけど」
ニーナは紫色の瞳を細めると、僕の逸らした目を捕まえでもするかのように見据えてくる。
彼女はやはり怒っている? この間の仕打ちを。
「本当に悪かった。せっかく祝ってくれると君が言ってくれたのに」
「用事があったんでしょう。もういいわよ。それで今日はどうしたの?」
優しい声の響きに、思わず目を上げた。
柔和な笑顔を浮かべたニーナが、穏やかに僕を見ている。
「何があったの? あなたがそんなに暗い顔をしてるなんて、久しぶりね」
「そんなに酷いか?」
眉を下げたニーナが微笑んで頷く。僕は俯いて頭をかいた。
何も知らない彼女にも、自分の落ち込みようは見てとれるらしい。
こんな些細なことで何をする気にもなれないほど打ちのめされてしまうとは、もう認めるしかないのかもしれない。
僕は、彼女ーーリシェル・ブラネイアを……好きなんだ。
だがその彼女に、今度こそ決定的に嫌われてしまった。
当然だ。この滑る口が失礼を重ねた挙げ句、年増女扱いをしてしまったのだから。
最近は以前のように、彼女を年上とは感じていなかったというのに、僕は大馬鹿野郎だ。
だがあの時、口の暴走をどうしても抑えることが出来なかった。
目の前で恋人を思い、幸せそうなリシェル・ブラネイアを見せつけられてしまった時。
お前の入る隙などない。まるでそう、宣言されたようだった。
「慰めてあげましょうか?」
突然頭上から降ってきた言葉が、思考を寸断する。
「えっ?」
頬に柔らかなものがふんわりと落とされ、それがニーナの唇だと気付いた。
「あなたのそんな顔、見てられないわ。わたしでよければ側にいさせて」
「ニーナ……?」
予想外のニーナの行動に驚く僕を、彼女は苦笑して見ていた。
「やっとわたしを見た。心ここにあらずなのね」
「僕は……」
何をしにここへ来たのだろう。
僕はただ、変わらぬニーナの明るさに触れて、愚かな自分の失敗を忘れてしまいたかった。
どうしようもないくらい小さな器の男だ。
誰だって呆れてしまうに決まってる。そうさ、あの手厳しい侍女長殿ではなくても、誰だって。きっと今、目の前にいるニーナだって。
「辛そうな顔、あなたの心をわたしが癒してあげたい。お願い、今日は帰らないで」
ニーナは僕の手を、温かな手で包み込んでくれた。思いつめたように揺れる瞳と、せつなげに噛み締める唇。
「ねえ、そうして。ケイン様、お願い……」
彼女が握りしめた僕の手に、哀願するように頬を寄せ目を瞑った。目映いほどに輝く金髪が、触れそうなほど近くにある。
甘く優しい囁きが、酒場の喧騒も何もかもを遠くへと消し去り、いつしか彼女の存在だけが僕を柔らかく包んでいた。




