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君と僕 その8

 

「ケイン様、お待ちください」

 

 長い深夜勤務が終わり交代が現れて、主への退出の挨拶も済ませ詰所へと引き揚げようとしていた僕は、慌てたような声に呼び止められた。

 声の方に目を向ければ、王女の私室から侍女達が出てきている。

 

「お、お疲れ様でございましたっ」

 

 エミリアナ王女付きの年若い侍女の二人が、息を切らして話しかけてきた。彼女達の紅潮した顔と落ち着かない様子に、戸惑っている僕の側へ年長のキャリーが歩み寄ってくる。

「あ、あのケイン様……」

「何か、ご用か?」

 キャリーは口を開けるが、声を出すことが出来ないのか黙り込み、オドオドとした様子で口籠っていた。

 なかなか話し始めない彼女に痺れを切らし、相方のギィは「先に行ってる」と言い残し去って行く。彼の背中を見送って、僕らは向き合った。

 

「あ、あのケイン様、実は……」

 何の用だろう。代わりに勤務についた護衛騎士達の不審げな視線が、そろそろ痛くなってくるのだが。

「キャリー殿、何をーー」

 焦れた僕が、彼女の用件を手っ取り早く聞き出そうとした時だった。何しろ夜勤明けだ、早く戻って眠りたい。

 

「何してるの、二人とも?」

 キャリーとルイーズを追いかけるように、侍女長に連れられ部屋から出て来られた王女が、あどけない声をかけてこられる。

 

 王女と共に歩く、不愉快そうなリシェル・ブラネイアの顔が、視界に入ってきた。

 恋人との逢瀬で柔らかい表情を見せていた女性と、同じ人物とはとても思えない表情だ。

 ギィと共に盗み見た彼女の笑顔を思い出して、僕は内心焦った。兜を着けていてよかった、きっと顔に出ていただろう。

「ねえ、急に出て行ってどうしたの」

「で、殿下! そ、その別に……」

 侍女達は顔を青くして酷く取り乱していた。

 王女は狼狽している二人の背中に回り、彼女達の腕を引っ張り始める。

「何を隠したの? 見せて!」

「あ、あ……それは……」

 そして二人の手から強引に何かを取り上げ、手にした戦利品を調べ出した。

「なあに、これ?」

 手の中にある包みをカサコソと開いて、王女は大声を上げた。

「お菓子だわ。どうしたの、これ!」

「あ、あ、それは……その……」

 キャリー達は観念したように深く頭を下げた。

「申し訳ございません! それは差し入れでございます。……徹夜明けのケイン様に、甘いものでも召し上がって頂きたくて……その、ルイーズと二人で、ご用意したものです」

 小さく背中を丸めた二人の侍女が、泣きそうな声で答える。

 僕に声をかけてきてくれたのは、このためだったのか。可愛らしい用件に、苛立ちさえ覚えていた自分が情けなくなった。

「僕に? どうもありがとう」

 僕は深く反省して、彼女達に心を込め礼を口にした。二人は恐縮したように首を横に振り、照れたように笑っている。

「ずるい! 二人だけで。わたしだってケインにプレゼントしたかったのに……」

 場に流れた微笑ましい空気に、面白くなさそうに王女が不満を呟くと、今まで黙っていたリシェル・ブラネイアが横から口を挟んできた。

「いい加減にしなさいませ。部屋の中でならともかく、人通りのある通路で個人的なことで騒ぐなんて、恥ずかしいことですよ」

 彼女の大声で更に人目が集まった。しかし口にした本人は、全くそのことに気が付いていないらしい。

「みっともないったらないわ。あなた達、殿下の侍女としてもう少し上品に振る舞えないの?」

 僕達の様子をじろじろと眺めながら、何人かが通りすぎて行く。彼女の言う通り、確かにいい見せ物になっているようだ。

「侍女長、その言い方はあんまりです」

 だがその時、キャリーが震えながら反論を始めてきた。「そうよ、酷いですわ」と、背後でルィーズまでもが訴え出す。

 突然反撃してきた年下の部下達に、彼女の青筋がピクリと動いた。

「何よ、あなた達。何か言い分でもあるの? わたしは間違ったことは言ってないわよ」

 驚いた。幼い侍女達が、男でも恐れるリシェル・ブラネイアに楯突くとは。隊長にも、この光景を是非見せたいものだ。

「ありますわ。お忘れなのですか? 侍女長だって近衛隊のフェルナンド様に、この前差し入れをお持ちになって会いに行かれたではないですか!」

「えっ?」

 キャリーの思わぬカウンターに彼女の顔付きが変わる。

「しかもあの時は、嫌がっておられる殿下を無理やりお昼寝に誘導されて、わざわざ時間をお作りになっておられましたよね?」

「ちょっ、ちょっとキャリー……」

「その上お出かけになられたあと、なかなかお戻りにならなくて、お留守に殿下がお目覚めになりはしないかと、わたし達ヒヤヒヤしていたんですから」

「ええっ、それ本当う?」

 侍女達の言い合いに、甲高い幼い声が割って入ってきた。

「リシェル、今の本当なの?」

「えっ? あ、あの……」

 王女の参戦で彼女は更に窮地に陥った。弱々しい声を出して主に弁解を始める。

「も、申し訳ございません。その件はまた後程ご説明を。い、今は人目もありますし……」

「何よ、いつもあんなに威張っているくせに!」

「そうですわ。ご自分に都合が悪くなると逃げるなんて、卑怯者のすることですわ」

「そうですわよ、そうですわ!」

 王女と侍女達に一斉に責め立てられ、いつしか彼女は防戦一方になっていた。それは普段は滅多に見ることの出来ない、珍しい光景だった。

 

「分かりました、分かりましたよ。お詫び申し上げます、申し訳ありません。我が身を省みず、あなた達を非難してごめんなさい。さきの発言は全て撤回します。わたしにはそんな権利ありませんでした。だ、だけど、何も知らない他人の前で、これ以上……個人的なことを暴露するような真似は止めて……」

 リシェル・ブラネイアは僕の方に視線を寄越し、恥ずかしげに顔を伏せた。その横顔はいつもの威勢の良さなど少しも感じさせない、恋人のことを追及され弱々しく抗議をする、まるで知らない女性のように見えた。

 

 これが君?

 君は本当に、あのリシェル・ブラネイアなのか?

 どんな猛者をも、ものともしない雄々しい隊長が、恐れをなしてすごすごとその身を隠した侍女長殿?

 

「だって、侍女長だけずるいです。わたし達だって、お慕いしている殿方に贈り物をしたいのに」

「違うわよ。キャリーもルイーズもリシェルも、みんなずるい! どうしてわたしは仲間外れなのっ!」

 リシェル・ブラネイアを取り囲むように、王女と侍女達は一斉に彼女を責め立て止める気配はなかった。

 騒ぎは益々大きくなっていき、通路で大声を出している彼女達は更なる注目を浴びていたが、侍女長である彼女はそれを止めようともしない。

 年下からの予期せぬ攻勢に、なすすべもなく、ただ赤い顔を両手で隠しオロオロとしているだけだった。

 その途方に暮れたような表情が、すべてを物語っている。彼女の弱点は愛しい恋人だと。

 君らしくない。

 こんな、うぶな小娘のように頼りない顔。断じて君らしくない。

 僕は言いようのない不快感に襲われて、和やかにさえ感じられるこの場の空気に嫌気がさす。己一人が知らない空間に放り出されたような、何とも言えない疎外感に包まれた。

 

「その男が実に羨ましい。リシェル殿お手製の、菓子を贈られるとは」

 

 突然声を出した僕に、かしましかった声が一瞬で消え去る。

「どういう意味かしら?」 リシェル・ブラネイアが怪訝な表情で問いかけてきた。彼女の眼差しに、敵意のような光が生まれている。僕のたった一言で、我に返ることが出来たと言うのか。

 止めた方がいい、今すぐ口を閉ざすんだ。煙に巻くのは得意だろう。彼女はもう惚けてなどいない。

 頭では分かっているのに、口が言うことを聞かなかった。

「いや、ただ……あなたのように経験を積まれた女性が作られた菓子は、さぞかし美味いだろうと思ったので。勿論、精一杯心を込めて作られたものはなんでも美味しく頂けるが」

 目の前の女性の顔色が、驚くほどはっきりと変わった。つい先ほどまで羞恥に染まる赤い頬を見せていたのに、見る影もなく青白く凍てつかせている。

 明らかに失言だ。彼女以外の面々まで、表情を硬くしているじゃないか。

 なんてことを口走ってしまったんだろう。一旦吐き出された言葉は、後悔しても取り戻せはしないものを。

「経験て……、あなたわたしをいくつだと思っていらしゃるの?」

「女性に年齢のことなど……」

 苦し紛れに答えをはぐらかす僕に、リシェル・ブラネイアは強い口調で命令してきた。

「構いはしないわ。答えてください」

「……あなたは……、僕より……年上だろう?」

 口にした途端、物凄い衝撃が腹部に走った。鎧を着けたままの体が後ろへ押されてふらつく。

「な……にを?」

 息を吐いて唸り声を出す僕の目に、肩を庇うように押さえた女性が映った。彼女は震える肩越しに、据わった目をこちらへ向けてくる。

「ケイン様、あなたって本当に失礼な人ね。ええ、ええ、どうせ、わたしは老けていますとも。あなたより年上に見えましょうよ」

「違う、そういう意味ではーー」

「今更言い訳など無用ですわ」

 

 憎悪むき出しの冷ややかな視線を僕に投げ捨てると、リシェル・ブラネイアは強引に王女を促し扉の向こうへと消えて行った。

 彼女より遅れて、若い二人の侍女も簡単に会釈をして遠慮がちに去って行く。

 

 通路には僕だけが残された。

 

 勤務を交代した同僚の騎士達が、兜の奥からこちらを興味深げに窺っている。

 

 茫然として力が入らない。

 

 僕は完璧に、大失態を犯してしまっていた。




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