君と僕 その7
12/1本文を少し改稿しました。内容には変更ありません。単語の入れ換えを少しと語尾を直しただけです。
公開から日数が経っており、本当に申し訳ございません。
「気になるのか?」
突然声をかけられ驚いて振り向くと、にやついた顔をしたギィが側に来ていた。
「気になるって?」
僕はすぐ後ろから、訳知り顔でこちらを見てくる男を上目遣いで見上げる。ギィの方が少し背が高い。彼の横顔を照らす沈む太陽の赤い色が、汗に濡れた頬を精悍に映し出す。この男にその気はないのだろうが、劣等感を刺激される目線の高さだった。
「さっきからずっと視線が定まらない。探しているんだろう? この中にあの男がいるのではないかと」
「あの男? 誰のことだ」
彼はニヤニヤして僕を見下ろしてきた。その余裕たっぷりの笑みに、苛立ち目を逸らす。奴の笑顔が癪に障った。
僕達は鍛練場で汗を流したあと、宿舎へと戻っている最中だった。
周囲には、同じように歩く騎士達の姿がある。目的地は一緒だ。
部屋に戻る前に食堂で渇いた喉を潤す者などもいるが、ほとんどの者は早々に宿舎へと引き揚げることが多い。夕食の前に汚れを落として、さっぱりしたいという訳だ。
鍛練は、警護などの勤務がない空いた時間にするのが普通だった。そして夕刻前のこんな遅い時間までする者と言えば、当然このあとは飯を食って寝るだけの身である。
僕は辺りを窺って、そんな男達の顔を盗み見た。その中にはあまり見かけない顔もチラホラあり、知らない顔が目に入ればついつい追ってしまう僕の視線を、ギィは揶揄しているらしい。
「残念だがこの中にはいない」
ギィが、口笛でも吹きかねないほど陽気な声で言う。
「だから誰が?」
「決まってる、フェルナンドさ。お前が探している侍女長殿の恋人だ」
「はっ? な、何を」
慌てたように口籠った僕を見て、のんきな顔していた男は噴き出して笑った。何故ばれてる?
「ケイン、お前。本当に面白いな」
奴の笑い声に周囲を歩く男達が視線を向けてくる。僕はギィの馬鹿でかい笑い声と、僕ら二人を訝しんで見つめてくる周りの目に、ほとほと疲れてため息をついた。
先日のことだ。今僕を笑っている男が口にして、リシェル・ブラネイアの恋人の存在を知った。僕は、その話にとても興味を引かれた。
いや、違う。正確には衝撃を受けたんだ。
何故なら僕は、彼女を頭の固い、扱いづらい女性だと決め付けていた。僕達男に対する敵意丸出しの態度を見ても、あながち間違いではないと思う。そんな女性はギィではないが面倒くさい。だから大抵の男は、自然に彼女を避けるようになっていく。なるべく絡まれないよう逃げてしまうという訳だ。
そんな彼女に再々絡まれている僕は、それだけ彼女に関わっているということで、隊の奴らから変人だと笑われていた。自分でも、以前は損な役回りだと自らの性分を呪っていたものだ。
僕でさえ、うんざりしていたのである。あんな女性と付き合いたいなどと、思う男はいないだろう。そう思っていた。
それが、恋人が既にいる? 嘘だろう? こんな物好きが他にもいるとは……。
いや僕はまだ、リシェル・ブラネイアに惚れたと決まった訳ではない。そうさ、そんな筈はないんだ。あれは一時の気の迷いで、すぐに記憶から抜け落ちていくだろう。
やはり今のこれは純粋な好奇心か。あの侍女長の、恋人を名乗る変わり者をこの目で見てみたいという。そうだな、そうとしか考えられない。
「あいつは城の宿舎にはいない」
やっとのことで笑いが治まった男が、僕の肩に腕を回してくるなり小さな声で囁いた。
すぐ横を、こちらをじろじろ見ながら数人が通りすぎて行く。そいつらに聞こえないよう、ギィの声は更に小さくなっていった。
「見てみたいんだろう?」
僕は図星を指され息を飲んだ。ギィはクックと笑いを噛み締める。
「分かりやすい奴だな。あいつは毎日自分の館に戻っているから、宿舎に戻っても会えないぞ」
「そ、そうか……」
そんな騎士は他にもいた。ほとんどの者は宿舎に入っているのだが、稀にわざわざ城下にある自分の邸宅から通って来る奴らがいる。
そういう奴はほとんどが有力領主の子弟であるので、陛下をはじめ隊をあずかる上官も大目に見ていた。
彼女の恋人、フェルナンドという男は恵まれた部類の人間らしい。とことん僕とは違うようだ。
「だが俺は、今の時間帯ならお目にかかれる場所を知ってる。ついて来るか?」
「ああ……」
無意識に答えてしまった僕を、ギィはニヤニヤとしながら見ていた。
「いや、違う。僕は侍女長など別に……」
「いいからいいから、気にすんな。しかしお前がね、あの恐ろしい女を、何も好きこのんで……」
「だから、違うと言ってるだろう?」
「分かった、分かった」
僕の否定をギィはあっさり無視して皮肉げに口元を歪めた。
「ただし、何を見てもショックを受けるなよ。腑抜けになったお前などからかい甲斐がない」
「あのな……」
この男は何を言っているのか。ショックだと? そんなにリシェル・ブラネイアの恋人とやらはいい男なのか?
それがどうした。僕には関係ないことだ。仮にそいつがあり得ないほどいい男だったとして、ショックなど受ける筈がない。
僕が彼女の恋人に興味があるのは、あくまでもただの好奇心であり、ショックとか腑抜けになるとかいう類いのことではないのだ。
「覚悟があるなら来い。こっちだ、ケイン」
覚悟などと訳の分からない物騒な台詞を吐いて、ギィは寝床に戻る人々から道を外れ脇へと逸れて行く。
「お、おい。待て」
僕は彼の後ろ姿を慌てて追いかけ後をついて行った。
***
赤い雲と空しか見えない、外壁に囲まれた人気のない目立たぬ城の裏手に、一人の女性が人待ちげに立っていた。
遠目からでも紺色の地味なドレスで、その女性が誰だか分かる。僕は思わず彼女に近寄ろうと足を進め、ギィに引っ張られた。
「馬鹿、それ以上近付くな」
ギィは遠慮もなく僕の頭を上から押さえ付けてくる。
「な、何をする?」
「いいから、頭を下げろ。顔を出さなくても見えるだろう?」
僕の体は無理やり近くの木陰に押し込められた。
彼女からは少し距離があるので、わざわざ声を潜めなくてもこちらの会話が届くことはないだろう。
僕らと彼女との間には古い井戸があり、向こうからはそれがちょうど死角になっているらしい。今まで見つかった試しはないとギィがうそぶく。
「お前、いつもこんな所で他人を観察してるのか? 悪趣味な奴だな」
僕の呆れた口調に、横の男は堂々と言い返してきた。
「昼寝をしていて偶然見かけたんだよ、いつもじゃない。それよりじきに来るぞ」
誰が? と間抜けにも聞き返そうとして気が付いた。そうだ、彼女の恋人の顔を拝みに来たんだった。
その男が現れたのは、それからすぐのことだった。
白銀に輝く近衛騎士の鎧に、長い髪を揺らしながら歩いてくる背の高い男。
女のような面立ちだが、高い額や太い眉、長い鼻梁に尖った顎は逆に男くさいと言えよう。
風を切って歩く姿は疲れなど微塵も感じさせない。優美な笑みを口元に湛え、自分を見つめてくる恋人にゆっくりと近寄って行く。
恐ろしく容貌の整った奴だった。
リシェル・ブラネイアが動いた。
手を広げて近付いてくる恋人に向かって、彼女は走り出す。
二人が何を話しているのかこちらには分からない。だが今にも、甘い囁きが聞こえてきそうだった。
彼らから少し離れた木の陰から、固唾を飲んで見つめている僕らになど気付きもせず、幸せそうな恋人達は愛しげにいつまでも抱き合っていた。




