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君と僕 その4

 

「ケイン。とっても気持ちいいわね」

 エミリアナ殿下は言葉とは裏腹に、恐々と振り返ると引きつったような笑顔を見せられた。

 

「そうでございますか?」

 その緊張で一杯になっている強張った顔に、思わず笑みが漏れる。

「もう、何よ! 本当なのに……」

 僕の苦笑に王女は拗ねたように前を向いた。その背中に向かって頭を下げるが、小さな頭は振り返ってはくれないようだ。

「失礼致しました。お許し下さい」

「ふんっだ!」

 王女の柔らかい金色に輝く髪が風に吹かれ、赤く染まった耳が覗いていた。 

 

 僕と王女は、厩舎の側にある馬場で共に馬上にいた。馬に乗りたいと王女が乗馬を所望されたからだ。

 ダンスのレッスンをする筈だった時間は、急遽外での馬術に変わってしまった。

 突然のスケジュール変更だったが、厩舎にいた僕らの馬の準備は、同室のアーサーが手伝ってくれなんとかなった。僕と一緒に王女の乗馬に付き合う羽目になった相方のギィは、馬から降りて、もう一人この場にいる女性と居心地悪そうにこちらを見ている。

 ギィと彼女を見ているとこちらまで気分が悪くなる。

 それというのも、ブスッとした表情を隠そうともしないあの顔のせいだ。ギィではない。横の女性だ。リシェル・ブラネイアという名前の。

 

「ねぇ、ケイン。わたし少し寒くなってきたわ」

 王女の肩が僅かに震え出していた。今日の王女のお召し物は首が詰んでいるドレスだが、なんとなく寒そうに見える。

 そういえば風が吹いてきたかもしれない。僕は鎧を着けているので気付かなかったが、馬上は馬の速さで動くため肌寒く感じるようだ。

「では、少し休憩といたしますか?」

「うん」

 僕の提案に王女は首を大きく動かして頷いた。その様子が酷く慌てて見え不思議に思っていると、馬から降りた王女は急いで侍女長の元へ行く。

 王女から耳打ちをされたリシェル・ブラネイアが、こちらをギロリと睨んできた。

 意味が分からなくて、僕の顔も険しくなったかもしれない。まあ彼女には、兜越しなので見えないのだが。

 侍女長殿は顔をプイッと横に背けると、王女と二人建物のある方へ急いで消えて行く。

 いったい、何だというんだ?

 

「ギィ、お前。彼女を何とかしろ」

 僕は荒々しく兜を脱ぎながら、一人でぼんやりと突っ立っている同僚に近寄った。兜を脱ぐと肌に直接風が当たり気持ちよい。だが心まで晴れやかとはならなかった。

「なんだよいきなり、彼女って誰だ?」

 ギィは僕の態度など我関せずといった風体で、のんきに尋ねてくる。

「侍女長殿さ、僕が気に入らないらしい。お前なら少しはマシだろ」

「酷い言い種だな、ケイン」

 彼は兜を外して呆れたように笑った。日焼けした精悍な顔立ちの、なかなかの男前が現れる。

 だがその顔は、こんな馬鹿げたこと真面目に出来るか、とでも言ってるようだ。事実彼は、大概のことは手を抜いてしまういい加減なところがある。

 才能、実力共にあり、この面倒臭がりの性質さえなかったら、近衛にだってなれていただろうに勿体ない奴だ。

 そんなところがあるくせに、この男は女性には事欠かなかった。真面目な男よりちょっといい加減な男の方を好むとは、女性の心理とはよく分からないものだ。

 しかし、かくいう僕も真面目な人間ではない。だから他人のことをどうこう言う資格など、本当のところはないのだ。

 実際あの侍女長には、いつも注意を受けているしな。くそっ、嫌なことを思い出してしまった。

 

「リシェル殿か……、あのように面倒くさい女は俺は御免だな」

 ギィは欠伸でもするかのように淡々と口にした。

「面倒くさい?」

「ああ、面倒くさいじゃないか。ちょっと話しかければ、かたきにでも会ったかのように睨み付けて、言いがかりをつけてくる。気が短いのか何なのか知らないが、なるべくなら遠慮したい」

 ギィはニヤニヤして更に続ける。

「女は素直なのが一番だ。お前ぐらいだよ。あの、面倒くさい女にまで絡んでいくのは」

「絡んでなどない」

「絡んでるさ。本当お前は、女ならなんでもいいんだな」

 そう言ってギィは噴き出した。彼のせいで僕の気分は、晴れるどころか一層悪くなっていた。

「あのな、ギィ……」

「だが、いくらフェミニストのお前でも彼女は無理だ」

 奴は可笑しそうに片目を瞑った。

「リシェル殿は真面目腐った男が好みだからな。近衛騎士のーー」

 

「ケイン!」

 

 僕を呼ぶ声がして二人が戻って来た。王女は僕に飛び付いてくる。

「殿下、今までどちらへ?」

「え? どこって、その……」

 王女は真っ赤になって僕から視線を逸らし始めた。

「ケイン様、こちらへ」

 冷ややかな目をしたリシェル・ブラネイアが、僕にそっと近寄り合図を送ってくる。

 彼女は王女からある程度離れると、更にきつい顔をして噛み付いてきた。

「ケイン様、いったいどういうおつもりなんですの? エミリアナ様にあんなことをお聞きになるなんて」

「あんなこと?」

「先ほど聞かれていたではありませんか。どこに行っていたのかと」

「ああ……」

 なんだ、そんなことか。急に火を吹いてきたから驚いた。しかし、何をそんなに怒っているのだろう。

 

「別に深い意味はないのだが……、急にどこかへ行かれたので、しかも我らを避けるようだったので気になっただけだ」

 目の前に立つ女性は目を大きく見開くと、顔を赤くして怒り出した。

「あ……、あなたには呆れます! 殿下はまだ幼くていらっしゃるけれど、立派なレディですわ。お……、女が殿方に知られたくない事柄に思いも寄せられないとは、教育を受けた城勤めの騎士とは思えません」

「はっ?」

 呆気に取られる僕に、彼女は長いため息をつく。

「殿下は、寒くなって体が冷えられたのです。これ以上は一言だって申し上げられませんわ」

 軽蔑さえ見せてくる侍女長殿の物言いに、さすがの僕にも彼女の言いたいことが分かった。

 つまりはエミリアナ殿下は、御手水に行っていたのだろう。それならば、僕に知られたくないという殿下の気持ちも分かる。

 だが……。

 

「それは申し訳なかった。何も気付かず、すまない」

「分かっていただければよろしいのです。ではわたしはこれで」

 冷たい視線を投げ捨てるように寄越し、足早に立ち去ろうとする彼女の手を強引に掴む。

「待たれよ、リシェル殿」

 案の定、険しい顔をして彼女はこちらを睨み返してきた。

「何のご用です?」

「君は乗馬はされないのか? よければ手解きして差し上げるが?」

「結構ですわ、必要ありません。それより……離してください!」

 彼女は身をよじって、僕の拘束から逃れようとしている。だがこちらも、簡単に手離す気など更々なかった。

 ギィといい、彼女といい、酷く馬鹿にされている気分だ。何故なんだ? 何故僕ばかりが軽く扱われれる。

 嫌がる彼女を見ていても気の毒とも思えない。僕を避けたがる彼女に、逆に腹立ちさえ生まれてくるから不思議だ。

 あれほど女性には、いつも敬意を払いたいと思っていたのに。嫌がることなどしたくないと思っていたのに。僕はどうしてしまったのか。

 何故、彼女の態度に我慢ならなくなる?

 そして、何故、僕は受け入れてもらえない?

 

「これはおかしなことを仰る。殿下付きの侍女のあなたが、乗馬を必要ないとはーー。いついかなる時に、大事が起きるか分からぬと言うのに? 我々城に勤める者はどのような事態にも対処できるよう、平素から訓練していなくてはならないと思うのは間違いであろうか? でなければ主君を、引いては殿下を守りきれぬと思うが、いかがと思う?」

 僕の刺のある言い方に、彼女はサッと顔を赤らめた。

 頬を紅潮させて、羞恥に震える様は嗜虐心を煽る。説明のつかない陰湿な気持ちに、僕は支配されていた。

「詭弁……だわ、わたし達侍女は、そこまで要求されておりません」

 彼女は震える声で精一杯の強がりを言っていた。その仕草がいつもと違って酷く頼りなげに見え、僕の胸に暗い喜びが湧いてくる。

 僕には分かっていた。彼女が何を言えばむきになるか。僕がどんな態度を取れば、張り合ってくるかを。

 だから、それを囁いてやればよかった。彼女の負けず嫌いをくすぐってやればよかったんだ。

 

「そうだろうか? 殿下はあなたに全幅の信頼をおかれている。あなたのことを頼りにしているのに、いざという時、殿下に向かってそう仰るのか? 自分はそこまで要求されていないとーー」

 

 リシェル・ブラネイアはいよいよ赤い顔をして、僕の緩んだ口元を串刺しにしてやりたいとでも言うかのように、きつく睨み付けてきた。

 そして、歯ぎしりしそうなほど強く結んでいた口を開いて、憎々しげに言ったのだ。

 

「あなたの仰ることも最もですわね、ケイン様。手解き、よろしくお願いしますわ」

 

 勝った!

 君を言い負かせることが出来て、僕はこの時有頂天だった。

 だからまさかその後、奈落の底へと落とされる運命が待っていようとは、夢にも思っていなかったんだ。




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