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硫黄とサンダーボルト  作者: ジ・エモン


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(1)春香(しゅんこう)





 春に望みて、春香しゅんこう、はるかなりし山河、国刻こくこく、やぶれて夢なお臨みしは百代ひゃくたいの月日なり。

 うんぬん、かんぬん。



 ある国の山奥深く。

 深すぎて人の手も入らぬ、渓奥けいおう

 とは言ったものの、実際に人が住まっている以上、いうほどでもない。

 ただ里に下りるのに尋常でない労苦を要し、それを可能にする研鑽やら度量やらを積んだ肉体が必要とされるというだけで、しょせんは、里外れである。

 山奥に特有の高く隔絶した霧が出ている朝のこと、ほったて小屋のような屋敷にヨハナは出仕していた。やしきの主人はとうに起きてヨハナが来るのをむかえている。茶のたつにおいをかぎながら、ヨハナはつめたい板敷きをわたり、引き戸をあけてしめ、服のすそをはらい折り目よくすわっている。

 息は白く上下している。

 ヨハナがすわるのを待っていたように、せまくるしい客間のべつの入り口から、しずかに邸の主人がはいり引き戸をしめた。

 盆とのせた茶とをもちあげている。主人は、てずからいれたその茶をヨハナの前においた。ヨハナは頭をさげた。ろう麗とした口もと、流麗にながれるほほの曲線。

 目のたかさにいったんいただいた茶を、ありがたくいただく。

 片目にややかかりそうな前髪が、その動作にあわせてながれている。齢十七ほど。においたつような、と形容するのはまだはばかられる幼さをもったまるみとほそっこさがある幼児である。

 そういうヨハナという娘は、ふし目がちにしていた目をもどした。きらきらとしたかがやきのある黒瞳であった。


「いったんはお変わりないお姿で、なによりにございます」


 目礼して、しかつめらしく言う。邸の主人、ハモはちいさくうなずいた。


「うむ」


 岩のような黙然とした声である。同時に、ほほにはしった古傷をすこしもうごかさず、ハモはが、とつづけた。


「このようなかくりよに、このような老爺ろうや、一朝一夕で変わるもんでもないがな。楽にせよよ」

「は」

「変わりはなかったか」


 聞かれて、ヨハナは口のはしをゆるめた。微笑のつもりであるが、つきあいの長い人間でないと、この娘の表情はわかりにくかった。

 いつもい鉄のようにたたずんでいて、首のうしろでひとつにたばねた髪は河じみてまっすぐながれている。

 背はひくく、大柄なハモのひとまわりちいさいほどもないくらいで、いまいち気配というものがないのだった。影っぽいといえばそうであるが、無口ではなかった。ただうまれつきの気配と、出自のうすぐらさのためだろう。


「はずかしながら」

「とは?」

「年若い身であれば、またたきひとつの間に変幻とするのが本当のことかと。しかし、この身はオヤカタさまにあらせられる方に聞かれるまで、変わりなくとお答えするほかなく……」

「おまえはその呼び方も変わらんなぁ」

「なぜでしょうか」

「ふむ。ま、わるいことばかりではないさ」

「ご病気はだいじょうぶなのですか?」

「そうよくなることはないさ。そろそろ御前おまえの助けにすがるようになるのかもしれんな」

「めったなことを」

「いやいや、人はみな老いる。百年も生きられるものではないし、寿命だのさだめは知りようもないが、体は停止し、そのときにむけておとろえるものだ。それが老いるといわれてるんだろうさ」

「まだおそわることはいくらでもございます。長生きをなさいませ……」


 ハモはひげをなでて、ちいさくうなった。それから、にっと笑った。


「ざんねんながら、今日呼んだのはそのことだ」


 ヨハナは目をいちどまたたきをして、眉間をうごかした。「と、いいますと」と、ききなおしてくる。


「ヨハナ・ツェツェリーエン。おまえは山をおり、下界で暮らすこととする」


 ハモは言った。ぴしりとした声音だった。

 ヨハナはは、と、頭を伏して、それをうけた。

頭を上げ、ちょっと視線をそらした。


「その、オヤカタさま」

「うむ」

「よければ、理由を知りたく存じます」

「うむ」


 ハモは茶をすすり、古い湯飲みを置いた。といって、その湯飲みは五年前に買いそろえたもので、前から使っていたものは、ヨハナが粗相をして割ってしまった。


「今は言えぬ。まずは受けよ」

「は」

「おまえのことだから、心配はないと思う。街によう降りておるようだしな。ああ。なにをやっているかまでは知らん」

(そのことが?)


 という気配を出しつつも、ヨハナはおそれいった様子をしていた。ちなみに、山を降りてよく街に行っていることは、師には内緒にしていた。知っていたのだ。いや、師がなにを知っていようと意外ではない。

 人間、隙や欠点といったものは、だれしもが、持っているものだ。師の欠点くらい、ヨハナも知っている。昔、弟子入りして剣に行き詰まっていたとき、なんでもやってみようと、師の行動をつぶさに観察し、私生活をのぞき見し、こそ泥のようなことをやっていた。今からして思うに、迷走というのだろうが、人間迷走して無駄を知るということを、ヨハナはそのときの経験から学んだ。

 で、そのときの経験から師には欠点はあっても、隙はないということを学んだ。

 隙のない人間というのは、なんでも知られたくないことを知っているものだ、ということは、その後、とある経験から学んだ。

 おしむらくは、師に隠すような秘密が増えたのは、隙のない人間というのは、うんぬんを知るの前であった。

 そう、一度かくしごとをすると人には言えないのはヨハナの「悪いところ」であった。


「はあ」


 師の前を辞してから、目をつぶって深呼吸をひとつした。

 とはいえ、ヨハナはなにを為すのにも、せっかちなほうでもあった。性急、とは、失敗のもとでもある。だが、その場でなみなみならぬ機知がうかぶ人間というのはたまにいて、ヨハナは、それほどの境地にいたる人間ではぜんぜんない。

 こういう脇の甘い人間のことを、人は隙だらけな人間である、と、心ないかげ口を叩くものだ。


(ともあれ)


 と、ヨハナは住んでいる庵にもどり、半日をかけてさまざまな準備をした。師のもとからもどるのに、だいたい二日、その後準備をして、街に降りる必要もあったので、山を降りるのにまた二日。一週間も、街に滞在して、山へ戻ってくるのに、またまた二日……。

 いろいろとやっているうちに、半月が過ぎようという頃になって、庵から出る支度ができた。

 出立の日、二日をかけてあらかじめ師の庵にやってきていたヨハナは、師に別れの礼をしにやってきた。師の意図は不明であるが、その人柄から、必要のときが来た、と、認めなければ、きっと意図を説明する気もヨハナに会う気もないであろう。

 また師の許しがないのであれば、ヨハナは師の視界に姿を入れることもない。……偶然、ばったり出会うのでもなければ。

 師がはかなくなれば、二度と会うことはあるまい。次に逢うのは今生ではなく、死後のくにか。

 ヨハナ自身がはかなくなるというのも十分あるが。


「それでは、じゅうじゅう、身体にはお気をつけてあらせられまするように――」


 旅支度で、ものものを背負子した姿で、ヨハナは頭を下げた。ふかぶかと、これ以上は下がらないところまで下げて、ちょっと上げる。背中の荷物はだいぶだいぶあったが、ヨハナの華奢に見える肢体はこそとも動かない。


「達者でな」


 師は言った。ヨハナはこらえきれず涙ぐんだ。

 師弟の縁も十二年。

 このようなかたちで別れがくるとは。

 師の前をそそくさ辞して、ヨハナはもはや自分の庵にはもどらず、いっぺんに街への道をめざしてくだりはじめた。とは、言うがヨハナの住む庵は、師の住むところよりはだいぶ、人里には近かった。

 なので、自然ちょっと向こうに見えるくらいの横は通り抜ける。

 ヨハナの庵は六年前に師からさずけられたもので、ヨハナは、そこでひとり日々の生活を暮らしてきた。これも修行の一環、ということだが。

 川が近く(ヨハナら修行者にとってはだが)にあり、古井戸も掘ってある。これは師が、昔、ヨハナとおなじ修行の身であったころにみずから掘ったもので、師には、なぜか水のありかをかぎあてる嗅覚のようなものがそなわっているらしかった。

 そのおかげで、過酷な修行にも耐えるのに役立った。そのくらいなければ、今ごろ死んでいるくらいには修行に没頭し、酷使した。

 師がようやっと剣士として大成した、と感じはじめたのは齢も五十を数えてからだったという。

 はたして、この長き道をたどれるか、いや、師よりは早く大成するのではないか。

 若い剣士の迷いである。

 迷いといえば、それはヨハナの住みつづけた庵にある……もしくはあった、だが、一本の樹がそうであった。

 二年も前、命からがら庵に戻ってきたヨハナの身についていた種かなにかが芽吹いて、ぐんぐん育ち、樹と呼べるまでに身を固くひきしまった枝にしていた。その樹は庵を出てくるときに、切って燃してしまったが。荷にしのばせた樹の炭を意識しつつ、ヨハナはなお里へとくだる。

 その道程、まるまる二日あまり。

 ヨハナの鍛えられた駿脚しゅんきゃくは、なみの野山であれば、半日もせずに踏破してしまう。

 一度、その鍛えられたのをたのんで、うぬぼれからこっそり武者修行へ出たときもあった。

 外界はけわしく、人は自然よりも恐かったが、ヨハナはそのときも脚だけは達者であった。

 野山も、夜通しの郷道さとみちも、若さとありあまる元気で道程だけは平気であった。

 それだけを頼りに、その長い長い旅程を、ともすれば踏破できるつもりでいたが……結局はなかばで心折れ、一年と一月ほどで庵に帰ってきた。

 庵はそれなり荒れており、ほぼ山に埋もれかけてはいたが、不思議と家内の手入れはされており、ヨハナは誰がやっていたのかをさとり、ほとほとちぢみ入った。師のもとにはその日のうちに挨拶にたち、二日の行程をかけてただただ平伏しにいった。

 師は最初許さぬ、という……庵に住むことは許可するが、剣の道を見ることはない、と言っていた、体だったが、結局、ヨハナを許してくれた。それが一年前のことだ。

 それだけに、内心、ヨハナは今回のことがこたえている。

 やっと許してもらったのに、と言った、もやもやした、身勝手な葛藤ではあったが。そんな思いを抱え、二日後、ヨハナは山の途切れるところまでいつのまにか踏破している。

 着るものは汚れ、衣服のはしのほつれが目立つ、野人もかくや。

 という有様だったが、疲労はしていない。汚れはともかく、衣服のはしが手直しばかりで、それもヨハナはおおざっぱな裁縫の上げをしていたからほつれて見えたりもするだけで、だいたいが素であった。

 事実、そこまでの旅程を見ていたら、およそヨハナの格好を見て「それを旅してきた」と信じる者はいなかっただろう。

 それはヨハナが華奢なこともあるが、ヨハナのけろりとしたようすときたら、街道を一日かけて歩いてきたような旅人のそれであったから。

 しゃん、と背筋をのばして、つやのある赤髪をゆらしたヨハナは街で流行っているお気に入りの唄など、すでに口ずさんでいた。唄といっても、街で唄うといったら色街か、わらべかといったものだが。

 山道がとぎれて、気分が軽くなっていたのだ。ここからは、半日もかからずに湖を有する、ウヨウの街にいたることになる。

 さて。

 ヨハナがこれから行くウヨウの街について。

 簡単な概説をのべる。

 それというのも、ここから街へいたり、ヨハナが、準備しておいた、街での仕事をして働きはじめる初日まで、大きな出来事はない。

 そのヨハナが、庵を出され、あらたに腰を落ち着けて暮らしをはじめる街であるウヨウには、少々、語るべくところがあるからして。





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