第1章 湯煙にほどける始まりの数式
※この作品はフィクションです。現実に即するものは全くありません。自転車旅ですが、便宜上、自転車で行けないエリアにも突撃してます。
草津町に着いた瞬間、空気が変わった。
標高1200メートルの高原に広がる温泉街は、真夏でも涼しく、湯畑から立ち上る湯煙が白く揺れていた。
その白は、ただの蒸気じゃない。硫黄の匂いを含んだ、地球の深呼吸だった。
「硫黄の匂い、するね」
湊斗が自転車のハンドルを握りながら言った。
「H₂S。硫化水素。温泉ガスの主成分。地熱の証拠だよ」
陽翔が即座に応じる。いつもの調子だ。理屈っぽいけど、どこか嬉しそうだった。
科学部の夏合宿。今年の舞台は群馬県草津町。
部員は4人だけ。湊斗、大翔、陽翔、結菜。
幼馴染で、日々の活動も一緒。この合宿も、いつもの延長線上にある。
でも、空気が違えば、会話のリズムも少しだけ変わる。
「この坂、けっこうキツいな……」
大翔が自転車を押しながらぼやく。
「標高差と気温の関係、記録しておいてね」
結菜が笑いながら、スマートセンサー付き温度計を渡す。
彼女のリュックには地図とスタンプカードが入っている。
《湯畑の温度を測定し、温泉の成分と地熱の関係を考察せよ》
《草津の地形と火山活動の痕跡を探せ》
《自転車で移動しながら、標高と気温の変化を記録せよ》
「まるで、科学のスタンプラリーだね」
湊斗が笑う。陽翔は頷きながら、スマホのGPSを起動した。
「てかさ、これ投稿したら、ちょっとはバズるんじゃね?」
大翔がスマホを構えながら言う。
「タグはちゃんと考えてよ。女子ウケ狙ってるから」
「その発言がもうモテない」
結菜が即ツッコミを入れる。男子3人は同時に「ぐぅ……」と肩を落とした。
結菜が最初の投稿を打ち込む。
《#草津科学部 #湯畑の温度 #地熱エネルギー #硫黄の匂い #青春フィールドワーク》
画面に「いいね」がひとつ、またひとつと増えていく。
「お、反応早っ。やっぱ湯畑は映えるね」
「“青春フィールドワーク”ってタグ、詩的でよくない?」
「それ、俺が考えたやつだから」
陽翔がドヤ顔で言う。
「いや、私だけど」
結菜がさらりと返す。陽翔、沈黙。
湯気の匂いが、科学の始まりを告げていた。
ペダルを踏むたびに、風が肌を撫でる。
この町には、まだ見ぬ問いが、いくつも眠っている気がした。




