「お姉様の味方なんて誰もいないのよ」とよく言われますが、どうやらそうでもなさそうです
「侯爵令嬢イヴ・ヴァーミリオン。今この時を以って、お前との婚約を破棄する!」
王太子ダンテ殿下の声が、高らかに響いた。
ここは王宮の大広間。
私の19歳の誕生日パーティが催されていたその場が、一瞬のうちに静まり返る。
列席者の視線が、一斉に私とダンテ殿下に注がれる。
『氷の姫』とも比喩される、銀の髪に銀灰色の瞳の私。
『王国の小さき太陽』と称される、輝くような金髪碧眼のダンテ殿下。
――感情表現の稀薄な私と、思うままに振舞うことこそ王者の器とでも思っているらしいダンテ殿下。
私と彼は、あまりにも対照的だった。
そんな殿下の腕の中で、可憐な令嬢が身を寄せていた。私の妹、ラーラだ。春の花のように華やかなストロベリーブロンドの髪を結いあげて、ダンテ殿下の瞳の色をしたドレスに身を包んでいる。
「お前に代わり、新たなる婚約者としてこのラーラ・ヴァーミリオンを迎えよう」
ダンテ殿下が宣言すると、ラーラはいじわるく唇を歪ませて私を見やった。殿下たちのすぐ後ろに控えていたヴァーミリオン侯爵家当主――トマスお兄様が、嘲りの視線を私に向けている。兄も同意の上での婚約破棄だと、態度を見ればすぐに分かった。
(――ええ。分かっていたわ。)
ダンテ殿下とラーラが深い仲にあることも、トマスお兄様が私を嫌ってラーラを甘やかしていることも、全部知っていた。
人生はとっても不公平。
そんなこと、幼い頃から分かり切っていた。
(まあ、こんな場面で婚約破棄されるとは流石に思っていなかったけれど)
仮にラーラを妾妃にすると言われても、断る権限はないと覚悟していた。でも、婚約破棄は想定外だ。突然の騒ぎに、大広間はひどくざわめいていた。
(……ああ。パーティが台無しだわ。今日はこの国にとって、本当に大切な日なのに)
隣国であるファルネ皇国からも、こんなに沢山の賓客が来ているというのに。
この醜態は国家の恥だ、国王陛下には、本当に申し訳ない。
ダンテ殿下は場を読むこともせず、ことさらに声を張り上げた。
「お前のように取り澄ました女は、我が妻としてふさわしくない! そもそもヴァーミリオン侯爵家の正当な令嬢でもないくせに、王太子妃になろうなどとは恥を知れ!」
(……恥も何も、私が望んだ婚約ではないけれど)
今は亡き先王陛下とお父様――先代ヴァーミリオン侯爵が取り決めた婚約である。
でも、ダンテ殿下の発言には一部事実が含まれている。
私は、生まれながらにヴァーミリオン侯爵家の令嬢だった訳ではない。
4歳のとき、私はお父様に引き取られた。
お父様は私を侯爵邸に連れて行き、家族と引き合わせた。
『この子はイヴだ。今日からは、イヴがこの家の長女になる。分かったな、ケイト』
ケイトと言うのは、お父様の妻の名だ。
ケイト夫人はとても不服そうだったが、感情をこらえるように『畏まりました』と応えた。お父様はとても厳しい人だったし、夫人は彼に抗うことを知らなかった。
赤ん坊のラーラを抱く夫人の腕が、微かにふるえていたのをよく覚えている。
それからお父様は、当時10歳だったトマスお兄様に命じた。
『トマス。これからはイヴを、ラーラと同じように扱いなさい』
『そんな……! いきなり妹だなんて。なんなんですか、この子は!』
『イヴは私の娘だ。それ以上の質問は許さない』
『……っ』
侯爵家の家族も使用人たちも察した――『イヴは侯爵が外で作った、愛人の子なのだ』と。
お父様は『イヴを家族として扱え』と全員に命じたけれど……家族になんて、なれるわけがない。お父様の手前、あからさまに嫌がらせをしてくる人はいなかったけれど、私はいつも『異物』だった。
お父様は私に、侯爵令嬢としての厳しい教育を施した。嫡女のラーラがわがままを言っても厳しく叱ることはなかったが、私は些細な不作法も許されず徹底的に躾けられた。……トマスお兄様は、『この家の子でもないのに図々しい』と密かに私をなじったけれど。
そして、お父様が私を王太子の婚約者にすると宣言するや、家中が騒然となった。
『父上! イヴが王太子の婚約者だなんておかしいです! 王家との縁談ならば、どう考えても嫡女のラーラでしょう!?』
『そうよ、お父様! お姉様なんて、本当はこの家の子じゃないのに!』
――黙れ。そう一喝した父の眼光は、刃のように鋭かった。
『ダンテ殿下とイヴの婚約は決定事項だ。異を唱えることは許さない』
トマスお兄様もラーラも引き下がらざるを得ず、しかし嫉妬と憎しみをことさら私に向けるようになった。
――それからさらに数年後。状況はますます悪化した。
お父様とケイト夫人が事故で帰らぬ人となり、トマスお兄様が当主となってからだ。家の頂点に立ったお兄様は、露骨に私を冷遇するようになった。
ラーラもまた、口癖のように「お姉様の味方なんて誰もいないのよ?」となじって陰湿な仕打ちを続けてきた。
(……でも私、全部受け流してきたのよね。お兄さまとラーラが私を疎んじるのも理解できるし、王妃教育が忙しいから気にも留めなかった)
王妃教育は、多忙そのもの。
礼儀作法はもちろんのこと、外交や経済、あらゆる分野を修める。ときには国王陛下からじきじきに手ほどきを受けて、実地に政務も補佐してきた……すべては、この国のために。
でも私が仕事をしていると、ダンテ殿下はいつも不快そうだった。
――『女のくせに政治ごっこか? 本当に可愛げがない』
――『そのバカにした目をやめろ。取り澄ました女だな!』
(別に馬鹿になんてしてなかったけれど。自分の仕事を押し付けるくせにどうして偉そうなのかしら……って思っていただけよ?)
なぜ開き直って怒るんだろう? 本当に、この人はよく分からない。
彼は私を目の敵にする一方で、ラーラを可愛がっていた。ラーラはいつも得意げだったし、トマスお兄様は「やはりラーラが相応しい」と繰り返した。
(……その結果が、今日なのね)
まさか公衆の面前で婚約破棄。しかも、あのファルネ皇国の目が集まる中で。
「国王陛下! この婚約破棄をお認め下さい。何ら問題はないはずです!」
ダンテ殿下が、玉座に座る国王クラディウス陛下に向けて声を投じた。
静まり返った大広間。クラディウス陛下は、しばし口をつぐんでいた。新月の夜を思わせる漆黒の髪と理知的な面差しは、ダンテ殿下とはまったく似ていない。円熟した男性の色香を放つ美貌には、苦渋の影が落ちていた。
「……ダンテよ。お前のその言葉に、誠に悔いはないのだな?」
「無論です。このように高慢な女、絶対に妻にはいたしません」
「そうか」
陛下は深く息を吐いた。
その顔は王としてではなく――なぜか、一人の男性としての怒りと悲哀を帯びているように見えた。
「ならば仕方あるまい。お前と――エヴァンジュリン嬢との婚約解消を認めよう」
一瞬、時が凍った。
……エヴァンジュリン。
それは、私の本当の名前だ。
「そして、王太子ダンテには廃太子を命じる」
静まり返っていた空気が一転、大広間が騒然となる。
「な、何をおっしゃるのですか、陛下!」
「彼女がこの国の王妃となるのは、先王の定めたこと。お前が妻に娶らないなら、王位を放棄するのと同じだ。私は来年退位してお前に王位を譲ることになっていたが……これは、事情が変わったな」
そして国王陛下は宣言した。「退位を取りやめ、エヴァンジュリン嬢を我が妃とする」と。
「は……!?」
ダンテ殿下が露骨に顔をしかめた。
「何を言っているのですか、兄上!」
――そう。兄上だ。
現王クラディウス陛下は現在31歳――ダンテ殿下の異母兄にあたる方だ。妾腹の子である彼は、独身を貫いて一代限りの王位となることが決まっていた。
先王ご崩御の折、正妃の子であるダンテ殿下はまだ9歳――ゆえにクラディウス殿下が、中継ぎとして王位に就いた。ダンテ殿下が二十歳を迎えたら、王位を譲ることになっている。
……しかしクラディウス陛下は今、その約定を覆そうとしている。
「兄上、さては王位が惜しくなって、そのような戯言を! この女との婚約が必須だなんて、無茶苦茶だ! それに何なのですか、その、エヴァンジュリンというのは」
「お前が何も知らぬだけだ。彼女との婚姻は、ファルネ皇国との和平の証として15年前から定められていた」
陛下は、列席する隣国の賓客に向けて礼をとった。
「エヴァンジュリン皇女の晴れの舞台にこのようなことになり、心よりお詫び申し上げる」
賓客たちは少々不快そうに眉をひそめていたが、この場で事を荒立てる気はないようだ。
一方で国内貴族たちの反応は、大きく二つに割れていた――事態が呑めず呆然としている者と、訳知り顔でうなずく者。意外と、真実を知っていた貴族も多いようだ――おそらく国王陛下が信頼できる者達には話を通していたのだろう。
ラーラとトマスお兄様、ダンテ殿下は明らかに『知らなかった側の反応』だった。
国王陛下は、大広間に声を響かせた。
「この場のすべての者に明かそう。我が国と、ファルネ皇国との盟約を」
この国とファルネ皇国の戦争が終結したとき、恒久的和平の条件として交わされた密約――それがこの国の王家にファルネ皇国の皇女を妻として送り込むことだった。つまり、皇女エヴァンジュリンを将来の王妃にして永遠の友好の証とすること。
しかし終戦当時はファルネ皇国への反感も強く、皇女を王家に迎えるとなると国内で暴動が起きかねなかった。だから皇女は『死亡』とされて、ひそかにヴァーミリオン侯爵家へと預けられた。――イヴという名を与えられて。
(――幼い時から、私は自分の役割を知っていたわ)
私は平和をつなぐための駒。
生まれを決して明かしてはならず、誰とも心をつなげない。
人生は、本当に不公平だと思った。
けれど、今ではこの運命を受け入れている。民が笑顔で生きられるなら、喜んで駒として生きようと思う。
「そ、そのような話……私は何も聞いておりません!」
「すべては先王のご判断だ」
嘆かわし気な表情で、国王陛下はダンテ殿下に言った。
「前王妃――お前の母は過激な反ファルネ皇国派だったから、エヴァンジュリン皇女の存在を知れば害をなすおそれがあった。だから秘匿されたのだ。前王妃の影響下にあったお前も同じこと。……一方で私は、先王の側近としてひそかに彼女を守れと命じられていた」
「そん、な……」
「先王は、お前が人間として成熟した暁にはすべての真実を告げるお考えだったが――それより先に、ご崩御あそばされた。私もまた、お前に告げる時期を計っていたのだが、いつまでも軽率で怠惰なまま。……まったく、嘆かわしいことだ」
ダンテ殿下はすっかり色を失っている。
「流石に即位が迫っていたので、エヴァンジュリン皇女の誕生日である今日こそは打ち明けようと思っていた。しかし、まさかの婚約破棄か。残念だったな、弟よ」
国王陛下は長い溜息をつくと、軽蔑しきった目でダンテ殿下を見据えた。
「話は以上だ。廃太子の件は追って伝える」
「……お、お待ちください、兄上!! やはり今の婚約破棄は、なかったことに――」
「退席せよ」
国王陛下は衛兵に、ダンテ殿下を退席させるよう手振りで伝えた。慌てふためくダンテ殿下は、ラーラとトマスお兄様を罵り始める。
「お、おお、お前たちのせいだぞ!! お前たちが私をそそのかしたせいで、こんなことに……!」
「そんな、ひどいわダンテ様!! イヴよりわたしのほうが可愛いって、愛してるって、あんなに言ってくれたのに……」
「そうですよ、ダンテ殿下! 殿下が望んだからこそ、私もラーラを妃とすべく尽力を……」
「うるさい!! その口を閉じろ、私に近寄るな!!」
衛兵たちが、三人を外に連れ出そうとする。ラーラは涙声で叫んだ。
「ずるいわ、お姉様! 生まれが高貴だというだけで特別扱いだなんて……不公平よ!」
そうね。ラーラ、あなたの言う通りだわ。
人生はとても不公平。
生まれたときから、私は駒なの。……これって、不公平だと思わない?
けれど私には、駒としての矜持がある。
これは私にしか果たせない、大事な大事な役目だから。
「痛いっ! やめて、引っ張らないでよぉ……! いやぁ!」
「や、やめてくれ……! 私は、イヴのことを何も知らされていなかったんだ。だって父上は、『自分の娘』だと……っ。やめてくれぇ!」
「イヴ! 婚約者のくせに大事なことを隠して……私を嵌めたんだな!? 卑怯な女め――」
三者三様の叫びをあげて、彼らは退席していった。
「……ふぅ」
思わず、ため息がこぼれてしまう。
長い演技の日々も、これで終わりね。少しだけ気が楽になったわ。
――ふと、視線を感じた。
玉座から、陛下が私を見つめている。
私は静かに会釈を返した。
***
その夜から、私の住まいは王宮へと移された。
私は今、バルコニーでクラディウス陛下とお話をしている。突然の婚約破棄と婚約者の変更……私の心労を気遣って、陛下がふたりきりで話す時間を設けてくださったのだ。
「エヴァンジュリン嬢。このような形になってしまい、すまなかった」
艶のある黒髪を夜風になびかせ、陛下の瞳は愁いを帯びていた。
「いいえ。陛下のようなお方の伴侶となれるなど、畏れ多いことでございます」
私は心の底からクラディウス陛下を尊敬している。
この方は、即位から10年の間に王国を立て直した賢王だ。いつだって民を想い、戦後復興に身を捧げ、隣国との関係改善に心血を注いでいらした。
……王妃教育に明け暮れる日々の中で、彼のそばにいる時間は私にとって数少ない喜びだったのだ。
「あなた様の妃として、そして隣国との和平の証として恥じぬよう生きる所存です」
私は深く頭を垂れた。
賢王の妃。その重圧は、ただならぬものだ。
ダンテ殿下の妃になるのもかなりの負担ではあったが、それとはまるで異質の重みだ。一生懸命に努力して、優秀な『駒』であり続けよう――私が決意を新たにしていた、ちょうどそのとき。
「エヴァンジュリン。私は、あなたを政治の駒だと思ったことは、一度もないよ」
――え?
とろけるような優しい声で言うと、クラディウス陛下は私の髪を一房そっとすくい上げて唇を寄せた。
「良かった。……ようやく、あなたに触れられた」
切なげな瞳。熱を帯びた、まっすぐな陛下の瞳が私を見つめている。
これまで何度も彼の近くで働いてきたけれど……こんな表情は、初めてで。
「私はずっと、自分を押さえつけてきた。あなたはとても尊くて、私ごときが触れてはいけない女性だから。いずれ弟の妻となれば、あなたとともに政務にあたることはできなくなる……そう思うたび、恐ろしかった」
低く甘やかに響く陛下の声。聞いているだけで、酔いしれそうになってくる。
心臓が早鐘を打ち、鼓動が大きく響いている。
どうしてこんなに苦しいの? 甘酸っぱくて、とても苦しい……。
「私は、あなたを失うのが怖かったんだ。……愚かだろう? 失うどころか、手に入れることなどできない女性だったのに」
「陛下……」
胸が熱い。
敬愛と信じていた彼への感情は……もしかして、違うものだったのだろうか。
……なぜかしら。
どうして涙が、止まらないの?
私の目から溢れる涙を指で掬って、陛下は優しく私を見つめた。
「エヴァンジュリン。あなたを、愛している」
逞しい腕に抱かれた私は、クラディウス陛下の胸で泣きじゃくった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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