第9話 英雄の領域
「ケーキも頂いたし、僕はそろそろ帰るよ。お金は払っておいたから二人はゆっくりティータイムを楽しんでね。それじゃあまた」
お洒落なカフェのお洒落なテラス席で、テオは爽やかな笑顔を振りまくとそのまま本当に帰ってしまった。
「マジでお礼するだけして帰ってったな、テオのやつめ」
「だめですよコヨリ様、あんな男にほだされては。ああやってコヨリ様にいい顔して擦り寄ろうという魂胆なんですから」
「別にほだされてなんかおらぬわ! ……ただ、ここのケーキは美味かったな」
「それは……まぁ……そうですね……」
ふわっふわのシフォンケーキにたっぷりと生クリームを付けて頂くのは実に甘美だった。オレンジジュースも甘さと酸味のバランスが良くてあまーいケーキと相性抜群。実にいい店だ。
「所でその、コヨリ様とあのテオという男……どういったご関係で……?」
「さっきも話したじゃろ。ただ道端で魔狼に襲われてたのを助けただけじゃ」
「……それは分かってますけど……」
ルーナは不服そうに唇を尖らせる。男性嫌いのルーナは男と仲良さそうなのがあんまり気に入らないのだろうな、とコヨリは推測した。
いや別に全く仲良くなんかないが。死んでも仲良くなるつもりはないが。
「まぁ一つ言えるのは、奴とは切っても切れない縁がある……ということじゃな」
「え、縁……!? それってまさか――」
「いや違うぞ!? 全然そういう意味じゃなくてだな、腐れ縁とか因縁とか、そういう意味じゃからな!?」
慌てたようにコヨリが言うと、ルーナは「そうですか……」とほっと息をついて紅茶を飲んだ。手が震えているように見えなくもない。
「ま、まぁ奴とはしばらく会うこともないだろう。動向は気になるがアラド学院に入寮したなら早々会えるもんでも――」
そこまで言って、コヨリの動きがぴたりと止まった。
「コヨリ様? どうかされましたか?」
たらたらと冷や汗が流れてくる。手がぷるぷると震える。
(まずい。まずいまずいまずい。もう一人のヒロインのことを、すっかり忘れておった!!)
序盤に登場するヒロインは、二人いる。
一人はここにいるルーナ。そしてもう一人は、エルフの剣士――ミズキだ。
原作であれば、二人はテオが学院に入学してから王都の街中で出会うことになる。そして学院に誘って彼女達を途中入学させるのだ。
ルーナに関してはこのシナリオの流れを阻止することに成功している。だがミズキはまだだ。このままだとテオがミズキと出会ってしまう。
こんな呑気にシフォンケーキとオレンジジュースを堪能している場合ではなかった。
(テオよりも先にミズキを見つけ出し、仲間にせねば!! でないと我は、我はテオと……おぇ)
口元を抑えて、それでもコヨリはふらふらと立ち上がった。
「ルーナ。エルフじゃ」
「エルフ……ですか?」
「腰に刀を差した、金髪エルフの女を探すのじゃ。名はミズキ。酒好きじゃから酒場を探せばどこかにいるはずじゃ。行くぞ。一刻を争う」
「なるほど……。承知いたしました」
コヨリの真剣な表情に、ルーナは理由も聞かずに後に続く。
こういう時、何も聞かずにいてくれるのはとても有難い。何せ説明の仕様がないのだから。
店を出て、二人はしばらく王都の中を歩く。辺りは既に日が落ちて、街灯と店先の明かりが道を照らしていた。これからは仕事終わりでどこの酒場も賑わう。酒盛りが好きなミズキなら、必ずどこかにいるはずだ。
とりあえず近くの酒場から虱潰しに探っていくか、とコヨリが考えた時、妙な気配に気が付いた。
(一人、二人……いや三人か)
「コヨリ様」
「あぁ、ルーナも気付いたか。つけられておるな」
後方に一人。左斜め後ろに一人。そして前方にも一人。
人混みに紛れて上手く見つからないようにしているみたいだが――
「ふむ……大した使い手ではないな。魔力感知を使わずともバレバレじゃ」
「迎え撃ちますか?」
「ここじゃあ人が多すぎる。裏道に移動した方がよいな。しかし一体なぜ我をつけ狙うのか……」
そうこうしている間に、追跡者はコヨリ達を囲むように動き始めた。
唯一空いた道は、裏通りへと進む横道のみ。
「……誘われてますね」
「はっ。向こうがその気なら好都合じゃ。真っ向から潰してやろう」
コヨリとルーナはずんずんと横道に入り、そのまま薄暗い路地を進んでいく。後ろからはきっちりと三人の気配。
程なくして開けた場所に出た。ゴミ置き場だろうか。袋詰めにされたゴミがそこかしこに積み上がっている。鼠がちょろちょろと地面を動き回り、異臭が漂っていた。
コヨリは鼻を摘まみながら叫ぶ。
「さっさと姿を見せたらどうじゃ! 我は逃げも隠れもせん!」
すると暗闇からすっと三人の男が現れた。20代前半くらいで、革鎧を着て腰には剣をぶら下げている。
「あんた……九尾族だろ?」
「……何を言っておる。このキュートな狐耳と尻尾が目に入らんのか? 我はただの狐獣人じゃ」
「へへっ、しらばっくれても無駄だ。さっき噴水広場で見せたあの膨大な魔力。ただの狐獣人にあんな魔力は出せねぇ」
「むっ……」
確かに獣人は総じて魔力が少ない。あれだけ人目に着く所で魔力を解放すればバレるのは当然だった。
「つまりお主らの目的は我自身……人攫いという訳か」
(はぁ……これも全部テオのせいじゃ。もう一度あの店のケーキを奢ってもらわねば釣り合いが取れんぞ)
テオが無駄にコヨリを探したりしたから魔力を解放する羽目になったのだ。
つまり全部テオが悪い。次はショートケーキとアップルジュースを頼もう。
「話が早いな。まぁそういうこった。九尾族に生き残りがいたとは驚きだが、売れば一生遊んで暮らしてもまだお釣りが来る程の大金が手に入る。今日は最高にツイてるぜ」
男達はけらけらと笑う。下品な笑い声が闇夜に響き渡った。
「ほう。我を捕まえると? お主らに我の相手が務まるとは……到底思えんがな」
コヨリは魔力を解放する。立ち昇る魔力の奔流は天高く昇って行き、その圧倒的かつ暴力的な力の源は、この場にいる者の動きを容赦なく縛る。
「あぁ……コヨリ様……なんて素晴らしい……」
否。ルーナだけは、涙を流して祈りを捧げていた。
「お、俺達にあんたの相手が務まるとは思っちゃいねぇよ……。だがな、俺達にはアニキがいるんだ!」
「アニキ?」
すると別の男が興奮気味に答えた。
「そうだ! アニキはな、すげぇんだぞ!」
「何せ元A級冒険者だからな! いかに九尾族とはいえ、アニキには手も足もでねぇさ!」
「ほぉう……それは凄いな」
A級冒険者といえば世間的には一流と呼ばれる使い手しかなれない領域だ。
ゲームにおいてもA級冒険者の実力は抜きん出ていて、物語の中盤以降でないと出てこない。コヨリに修行を付けてもらった後のテオでさえ、A級と一対一でやり合ったら勝つことは難しい。
「どうだ、びびったか!」
「あんたらの命運もここで尽きたようだな!」
「ささっ、アニキ! やっちゃってください!」
男三人がすっと横に逸れると、奥の道からゆらりと人影が現れた。
和装を着崩し、雪駄を履いた人間の男。男にしては長い髪を後ろで一つに括り、気怠げにあくびをかましていた。
「さぁて、お金のためだ。特に恨みはねぇが……悪く思うなよ。お嬢ちゃん方」
腰に差した刀が、ちゃりっと揺れた。
暗闇の中で男の右目がまるで充血したかのように怪しく赤く光る。
「なるほどな……魔眼持ちか」
魔眼。それはこの世の魔と淀みをその身に宿した特異体質。
目の前の男から並々ならない魔力が溢れ出す。それは一握りの英雄しか到達できない、選ばれし領域に足を踏み入れた者の姿だった。