第8話 コヨリを狙う謎の男
「我のことをつけ狙う輩がいるぅ?」
ルーナの報告に、コヨリは眉をひそめた。
思わず朝食のウィンナーを落としそうになって慌てて空中でキャッチする。
「はい。昨晩、情報収集のために酒場を回っていましたが、コヨリ様のことを探している男がいたとの話を耳にしました」
ルーナは周囲を警戒し、小声で耳打ちしてくる。
今二人がいるのは宿屋から程近い食堂だ。あの宿では飯は出してないとのことだったので移動してきたのだが、まさかそんな物騒な話を聞くとは思わなかった。
ルーナの話によると、色んな酒場で「コヨリという少女が来なかったか!?」と聞いて回ってる若い男がいるとのこと。
その話を教えてくれた人物は酔っ払っていたので要領を得なかったが、どうやらかなり必死な形相で、借りは必ず返す、的なことを言っていたらしい。
コヨリの脳内に黒髪黒目の主人公的な奴の顔が浮かんだ。
(いやいや、確かにテオは礼がしたいと言っていたが……あやつがそこまでして我を探すか?)
コヨリはテオに「ついてきたら絶交!」を叩きつけたのだ。これでもし本当にテオがコヨリのことを探しているのだとしたら、今度こそ本当に絶交である。別に友達になった覚えは断じてないが。
「ふむ……どうしたものか……」
仮にテオではないとしたら、心当たりがなさすぎる。コヨリの過去の記憶を遡っても、当然誰かから恨みを買ったようなことはない。
しかしこれが、コヨリの体に転生したことによるなんらかの不都合――シナリオの強制力がコヨリ自身を排除しようとしている、とかだとしたら放って置くのはまずい。
「コヨリ様をつけ狙う不届き者……万死に値します……」
ルーナは冷たい表情で静かに闘志――殺意? を燃やしていた。
「よし、ならばこちらから討って出よう」
「え? ……確かにコヨリ様ほどのお方であれば万に一つもないとは思いますが……流石にリスクが高いのでは?」
「なぁに、そいつが悪人と決まった訳でもあるまい。それに白昼堂々会ってやれば下手な真似もできんだろう」
相手が分からない以上、一対一で会うのは危険。こちらから相手の誘いに乗るのも罠の可能性がある。であれば白昼堂々、往来のど真ん中で接触するように仕組めばいいだけだ。
コソコソこちらの所在を探るような相手だ。流石に人混みの中でいきなりドンパチとはならないだろう。もしなったとしても、制圧できる自信がコヨリにはあった。
「なるほど……であれば、各酒場に書き置きでも残してみましょうか」
「だな。広場にて待つ! みたいな感じで果たし状でも書いておけばよかろう」
姿を見せれば良し。現れなかったとしても恐らくこちらの様子を探るために近くまでは来るだろう。
そしたら魔力感知で怪しい奴を炙り出すことができる。完璧な作戦だ。
「では早速そのように手配します」
「うむ。時間は夕刻で良かろう。場所は英雄像があったあのでっかい広場じゃ」
「王都中央通りの噴水広場ですね」
ルーナは一礼すると食堂を後にした。
残されたコヨリはパンをもぐもぐと頬張り、小さくため息をついた。
「働き者なのは良いことじゃが……無理しないか心配じゃな」
まさか寝ている間に情報収集に行くとは思わなんだ。
いくら夢食い族が短時間の睡眠で活動できる種族だとはいえ、流石に心配になってしまう。
「お陰で我は楽ができてハッピーだがな……今度美味しいケーキのお店でも連れていくかの」
自分が甘党でケーキを食べたいからでは断じてない。あくまでもボスとしてルーナを気遣うためだ。
「マスター、おかわりじゃ! スクランブルエッグを頼む。砂糖マシマシでな!」
あまーいスクランブルエッグに舌鼓を打ちながら、コヨリはルーナの帰りを大人しく待つのだった。
***
「もうそろそろですね」
「うむ」
日が傾いてオレンジ色の光が差し込みだした頃。
コヨリとルーナは王都中央通りの噴水広場にいた。
背後の噴水には巨大な人の像。100年前の戦争を終わらせた大英雄ネメシス=ブルームの彫像だ。
コヨリはちらりと像を一瞥すると、周囲を見渡した。
噴水広場は王都の中心とも言える場所で、昼夜問わず人通りが多い。
買い物帰りの家族連れや仕事終わりの男連中、見回りをしている武装した衛兵。
空いたスペースでは屋台を出しているような所もあり、なんとも食欲をそそるいい匂いが漂ってきた。
(これだけの人じゃ。そうそう迂闊なことはできまい)
「ルーナ。魔力を展開する。お主も怪しい奴がいないか注意せよ」
「はっ」
目礼するルーナを横目に、コヨリは魔力を解放した。
溢れ出る魔力はたちどころに噴水広場一体を包み込む。魔法に心得のある衛兵や幾人かの通行人がぎょっとした表情でコヨリを見ていた。
(違う。こやつらではない)
展開した魔力の範囲内にいる人物から、怪しい動きをしている者を探る。
(――ッ!! いた! とんでもなく巨大な魔力反応!)
感知圏内に入った者の中に、とびきり魔力量の多い人物がいた。
徐々にこちらに向かって近付いてきている。
「ルーナ。来るぞ」
ルーナからごくり、と唾の飲み込む音が聞こえた。
人混みのため、まだその姿は見えない。だが確実にこちらに近付いてきている。
まだ見えない。まだ見えない。
(来た!!)
人混みをかき分けるようにして、こちらに向かって走ってくる人物。
それはテオだった。
――タキシードスーツみたいな服を着て、ばりっばりにお洒落をした。
(あ、あれは……! 原作でヒロインとのデートイベントに着てくる服!!)
女の子と会う時の勝負服というやつだ。
そんな勝負服に身を包んだテオが、こちらに向かって走ってくる。
にこやかに手を振りながら――
「うげげげげげげえええええええ」
コヨリは耐え切れず盛大に吐き散らかした。
想像してしまったのだ。テオとのラブラブ結婚生活を、テオとデートしている自分の姿を、つい思い描いてしまったのだ。
「コ、コヨリ様!? 大丈夫ですか!?」
「コヨリちゃんどうしたの!?」
(くそっ……くそっ……シナリオめ……! そんなに我をテオとくっつけさせたいか……!)
まだ好感度も上がっていない状態でテオが勝負服を着てくる意味が分からない。完全に陰謀だ。シナリオの陰謀がこの世界を渦巻いている。
この世界に神とやらがいるのなら、コヨリはその神をぶちのめしてやると心に決めた。
(だが残念だったな……あの程度、我に取ってはフラグを立てる所かむしろ逆効果――ッ!!)
そこでコヨリは気付いた。
自分はまだいい。テオになびくことなど天地がひっくり返ってもあり得ないのだから。
だが、ルーナはどうだ?
ルーナは元々この『スペルギア』の正ヒロイン。ルーナとテオが出会うことでそっちのフラグが立ってしまうとしたら――
(そ、それはまずい! テオがルーナと仲良くなり始めたら、我の将来にも陰りが……!)
これではせっかくルーナを仲間――配下にした意味がなくなってしまう。
焦燥感に駆られたコヨリが顔を上げた時、そこには、
「これはまさか毒!? それとも精神汚染系の魔法!? ……貴様、コヨリ様に何をした!!」
鬼の形相でぶち切れているルーナの姿があった。
(あ、全然大丈夫そう)
謎に安堵するコヨリを尻目に、ルーナの怒りのボルテージは勝手に急上昇していく。
「え!? いや僕は何も――」
「ふざけるな! コヨリ様を傷付ける者は誰であろうと許さない。この薄汚い男畜生風情が……死ねぇ!!」
どこからともなく二本の短刀を取り出したルーナは、テオに向かって突撃していった。
「どわぁぁ!? ちょっと待って! 本当に僕は何もしてないんだって!」
「この期に及んで言い逃れする気か!」
テオはギリギリの所で短刀を躱しているが、服装が服装なだけにかなり動きづらそうだ。
(このままではテオが死んでしまう……! 流石にそれは寝覚めが悪い!)
「ま、待てルーナ。そやつは我の知り合いじゃ!」
「え、知り合い……?」
あわやテオの首を刎ね飛ばす直前で、ぴたりとルーナが制止する。
「そ、そうだよ! 僕はコヨリちゃんの友達で――」
「友達ではない。断じてない。もし仮に友達だったとしてもたった今絶交するからやっぱり友達ではない」
「なんで!?」
テオは両手を万歳して降参ポーズを取ったまま器用にツッコミをかましてくる。意外と余裕がありそうな所が妙に癪に障った。
ルーナは短刀を下すとめちゃくちゃ嫌そうに、渋々、頭を下げた。
「コヨリ様の知り合いとは知らず……失礼しました」
「あ、うん。誤解が解けたようでよかったよ」
「そんなことより我になんの用じゃ。あとその格好はなんじゃ」
正直に言えば、似合ってはいる。元々テオは主人公だけあって容姿が良い。だからそのキザなタキシードスーツ姿も似合ってはいるが、場違い感は半端じゃない。あと心臓と胃に悪い。
「え、だって女の子と会うのにきちんとした服装するのは当然でしょ? コヨリちゃんにはまだ助けてもらったお礼をちゃんとしてなかったし、命の恩人に失礼な格好はできないなって。着てきた服はコヨリちゃんの魔法で所々チリチリになっちゃったし」
「ぐっ……な、ならアラド学院の制服で良かったではないか」
「入寮はしたけど授業は始まってないから、制服の貸与はまだなんだ。……というか、前も思ったけどなんで僕がアラド学院に行くって知ってるの?」
テオは、じとーっと胡乱な目を向ける。
タキシード姿に動揺して藪をつついて蛇を出してしまった。追及されると厄介だが、体のいい言い訳が思いつかない。
「ぐ……ぬぬぬ……」
困ったコヨリは、頭に手をこつんと置いて、
「コヨリ、わかんなーい」
猫なで声を上げた。
静寂が辺りを支配した。
「……コヨリちゃん……それは流石に……」
「ええいうっさいわアホ! 若い男で剣を持ってたから冒険者かアラド学院に入学でもするかと思っただけじゃ! これで満足か!? 幼女を虐めて楽しいか!?」
「わ、分かったから……あんま大声でそういうこと言わないでよ。衛兵さんに睨まれちゃうから……」
コヨリは「ふん」と鼻を鳴らした。テオが衛兵にしょっ引かれた所で大した問題ではない。ざまぁみろとしか思わない。
それよりも急に斬りかかったルーナの方が問題だ。衛兵にいらぬ疑いをかけられたら面倒なことになる。
「テオよ。礼などいらんと言っただろうが。お主の誠意は十分に受け取った。だからこれっきりじゃ。さようならじゃ。それではお元気で。ルーナ、行くぞ」
コヨリは地面に撒き散らかした吐しゃ物を火魔法で焼却処分すると、すたすたと歩き出した。
「そうか残念だなぁ。王都で一番美味しいスイーツのお店でもご馳走しようかと思ったのに……」
コヨリの動きが、止まった。
「本当は予約しないと入れないお店なんだけど、アラド学院の生徒なら特別に入れるんだ。ここらではあまり見ない搾りたてのオレンジジュースだってあるのに……でも、嫌ならしょうがないよね。それじゃあお店には僕一人で――」
「そ・こ・ま・で、言うのなら仕方ないのう! 特別について行ってやらんこともないぞ!」
「良かった。それじゃあ行こうか」
歩き出したテオの後ろをコヨリはスキップしながらついて行く。
ルーナはコヨリにそっと近付き、テオに聞こえないように耳打ちした。
「いいんですか?」
「当然じゃ。スイーツが我を、待っておる」
コヨリは良い顔で親指を立てる。
どうしようもないくらいに、コヨリはちょろかった。