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血の首輪

作者: ゴオルド
掲載日:2025/11/03

1.


 生理なわけでもないのに、体から血の臭いがする。もちろん怪我もしていない。ネットで調べたら、ワキガの人って血液臭がするケースもあると書いてあった。でも血の臭いは脇ではなくて首のあたりからしている気がする。


 放課後、二人きりの3-Aの教室で、彼氏のようでいて彼氏じゃない男、セイジに相談したら、「血の臭いがするってことは、血が出てるんだろ」と、興味なさそうに言われた。かなりそっけない。


 セイジは机につっぷして、窓の外をぼんやり見つめている。顔をこっちに向けてくれないから、私に見えるのはセイジの黒い癖毛と、その中央にあるツムジだけ。窓は開いているが、カーテンはぴたりと静止している。世界は(なぎ)の中にあるらしい。夏の夕方に風が吹かないなんて、この世は死んだも同然だ。風鈴の立場がない。


 私はセイジの目の前に移動し、首の臭いを嗅がせてやろうとした。

「血の臭い、しない?」

「んー」

 セイジは遠くを見ている。

「そんなに血の臭いが嫌ならんだったら、止血したら?」

「だから血は出てないんだって。血の臭いがするだけなんだよ」

「じゃあ、これから血が出るんだろ」

 どうでもよさそうにそう言うと、セイジは眠たげな目を私に向けた。そして身を起すと、ぬっと手を伸ばしてきた。長い指が私の首を事務的に締めてきた。

「もうすぐ首から血が出て死ぬ」

 ひやりとした指先がすぐに肌に馴染んで、そのまま食い込んでいくのを感じながら、「そうかも」と、かすれ声でささやいた。

 そのままキスされそうになって、私はセイジを突き飛ばした。

 セイジは体勢を崩して仰向けに床にずり落ちた。今度は私の番。腹の上にまたがって上からキスしてやろうとしたら、今度は私が突き飛ばされた。


 二人とも床に転がったまま、窓を見上げる。カーテンは全く揺れていない。グラウンドには部活動をやっている生徒たちがいるはずだが、声一つしない。あまりに凪すぎて、地面に閉じ込められたような息苦しい感じがする。土の中で腐ってしまって発芽しない球根の気持ち。首の後ろがぞくりとする。


「ねえ、冷たい火花が延髄でスパークする感じってわかる?」

 冷たい刺激は、うっかり頭がおかしくなりそうになるわけだけど。セイジは床に転がったまま、「いや」とだけ答えた。ぼうっと天井を見上げている。

 いわゆる恐怖体験、そういうのに出会ったとき、私は延髄が冷えて破裂するような感覚に襲われて死にたくなる。



 始まりは何だったっけ? ああ、そうだ、シールだ。少女漫画のシール。たしか小学3年生のころだ。親戚のお見舞いに行くときに、親が特別に『りぼん』を買ってくれた。私は漫画が好きだったけれど、親は漫画を馬鹿にしているからふだんは買ってくれなかった。その日は特別だった。そのりぼんの付録にシールブックが付いてきたのだ。連載漫画のヒロインたちがウェディングドレスを着てにっこり微笑むシールは10ページぐらいの小冊子にまとめられていた。ジューンブライドな6月号の特別付録だった。私はそのシールを使うことなく大事にしようと思った。花嫁姿は特別なものなはずだから。


 初潮を迎えたのは中学1年生のころで、胸が膨らむのも股から血が出るのも呪いだなと思った。女の肉にかけられた呪い。世間は赤飯で祝福するらしいけれど、私はちっとも嬉しくなかった。苦痛しかない。


 布団の中で生理痛に耐えていたら、ふと急にあのシールを見たくなって、部屋中を探しまくって、やっと引き出しの奥に見つけたら、シールブックの表紙の花嫁は首から血を流していた。最初赤いインクでもこぼれたのかと思った。たまたま赤インクが首のあたりについたのだろうと。しかし、中をめくってみると、どのシールも花嫁が首から血を流していた。誰かのいたずら? でも心当たりはない。

 血を流して、男の物になる少女たちの笑顔。延髄がぞくぞくした。



「おっぱい揉みたい」と天井を見上げたままセイジが言い出した。

「いいよ」と私が言うと、セイジが手だけ出してきた。肺をも締め付けるブラジャーごと切り取って手渡してやりたいけれど、あいにく刃物がない。セイジの手を握ってやった。

「違う。手を握ってほしいんじゃなくて、俺はおっぱいを揉みたい」

「だから、いいよって。でも、タダでってわけにはいかない」

 セイジはため息をつく。

「金?」

「もっと価値のあるものがほしいな」

「愛とか」

「無価値じゃんね」

「じゃあ何だ」

「お金よりも愛よりもずっと価値があるものを頂戴」

「わかった。わからないんだろ」

「は、どういう意味?」

「自分が何が欲しいのかわからないんだろ」

 ずばりと言い当てられた。

「俺は何が欲しいのかはっきりしている。おまえと違って」

「おっぱい?」

「……馬鹿じゃん?」

 セイジは手を引っ込めると、そのままうつ伏せになった。

「俺は夢が欲しい」

「馬鹿じゃん。夢なんて星の数ほどあるじゃん。どうぞお好きなものをお選びくださいってなもんよ」

「星の数ほどあるのに、俺には一つもないんだな……」

「何だそれ。高3の夏に夢が見たいって?」

「そう」

「夢より現実見れーって感じじゃない?」

「そう」

 セイジはうつ伏せのままだ。

「だから、最後のチャンスな気がする。だから焦る。今を逃したらもう夢なんて見れないと思う」

 延髄がぞくりとする。



2.

 今日は調理実習の日だ。高校3年にもなって、まだ調理実習があるなんて変だと思う。日常的に家事をする子も多い年齢なのに実習なんて意味ある? 逆におままごとみたいに感じる。馬鹿にされた気分。しかもメニューがふざけてる。ラザニアとコブサラダ、冷製ポタージュ、そしてスイカゼリーだ。イタリアとアメリカとフランスと……どこの国の料理なんだかわからないスイカのゼリー。これらを作ることで私たちが学べるのは、国の違いなんて気にすることなく都合のいいところだけピックアップして構わないってことと、凝った料理をつくっても食べる時間はコンビニ弁当と同じという事実だけ。安くて手早く作れて、そして飽きない料理を教えてくれたほうがずっと役に立つと思うのに、あいにく学校ではそういうのは教えてくれない。


 ラザニアがオーブンで焼かれている隙を突いて、教師がビタミンについて語り出す。

「過熱すると、ビタミンCが壊されます」

 そうですか。それで壊れたビタミンCは何になるのでしょうか。先生はそこまで教えてくれない。壊れたら、おしまい。ひ弱なビタミンCよ、さようなら。何をされても壊れないビタミンCだけが正しいビタミンCです。どうぞ皆さんも見習ってください。


 セイジのほうを見ると、ぼんやりした顔でガスコンロの青い炎に手をかざしていた。夢について検討しているのだろうか。



 放課後、二人きりの教室で、セイジが床に倒れて「やや婉曲的ではあるが火はヒントをくれる」と言い出した。

「人類の分岐点には火がある。プロメテウス、ケルビム、カグツチ」

 黒板にドラえもんを描いていた私は、「ふーん」と適当に相づちを打った。でもちょっと冷たいかな、セイジはなんか楽しそうにしゃべってるし、少し付き合ってやるかと思い直し、言葉を続けた。

「それでガスコンロを眺めてたのか。ガス会社に就職でも考えてるのかと思った」

「そんなわけ……でも、そうか、ガスか! 盲点だった。火は大地が産むんだ」

「何言ってるのかわかんない」

「独り言だ。聞き流せ」

 セイジは制服のズボンからスマホを取り出していじりはじめた。私は会話に付き合ってやってるつもりだったのに、独り言だったらしい。


「そういう自分勝手な会話するから友達がいないんじゃないの」

「そういうことをずけずけ言うから友達がいないんじゃないの」


 両者引き分け。


 私はドラえもんのお腹を描くのに集中することにした。逆三角形のポケットを腹部中央に描いたが、何か物足りない。妙におなかがすっきりしているが、ドラえもんってこんなだったっけ? 私が生まれて初めて読んだ漫画は、歯医者の待合室にある表紙の破れたドラえもんのコミックスだ。感動して、私も漫画家になりたいと親に言ったら嘲笑されたっけ。それで親に嫌われたくなくて漫画家になりたいなんて考えは捨てた。


「おまえ、血の臭いがする」

「生理じゃないよ」

 ドラえもんの首もしっくりこない。たしか首輪をしていた気がする。鈴のついた首輪だ。


「生理じゃないなら首から血が出てるんだ」

 私は肩をすくめた。


「知ってるか。今夜は満月だ」

「ふーん」


「おまえから血の臭いがするのって満月の日じゃん?」

「そうなの?」


「うん」

「……というか、もしかして私が血の臭いがすることに前から気づいてた?」


「まあ、な」

「この臭いってなんだと思う?」


「さあ?」



 小学校の修学旅行には、専属のカメラマンが同行して生徒達のスナップを撮ってくれたのだけれど、私の写真は1枚もなかった。

 どういうことなのかわからないが、たまたま私はタイミングが悪かったのかもしれないと無理やり自分を納得させた。カメラマンがシャッターを押したとき、私はたまたまそこにいなかったのだ。きっと。


 中学の修学旅行でもカメラマンは同行したのに、やっぱり私の写真は1枚もなくてガッカリした。写りが悪くても構わないから1枚欲しいと問い合わせたところ、心霊写真になってしまっているから渡せないと説明された。

 ぞくりと延髄が冷えた。もしかして首から血でも出ていましたかと尋ねたら驚かれた。そのとおりだったから。


 スマホで自撮りしたり、滅多にないことだが誰かに写真を撮ってもらったりしたときも、どういうわけか首元に赤いものが写る。どんなに角度を変えても、何度取り直しても、絶対に首に赤い血がついている写真になるのだった。



「月と関係あるんじゃないか」とセイジは言う。

「血と月。満月の夜は犯罪と自殺が増えるらしい。あと月経と月、女と月、狂気」


 黒板に描いたドラえもんの首を、赤いチョークでぐりぐり塗る。


「似合うと思う」

「何がよ」


「血と月とおまえ。明るい世界が似合わない者たち」

「そうかな」


「そう。そんで、俺もそう。俺らは夜の生き者なんだ」

「ふうん」


 首から血を流したドラえもんが完成した。


「こういう絵を描くのって久しぶりだな」

 親に愛されたくて諦めたことがどれだけあるだろう。


 良い子でいなさいと大人たちは言う。でも、教師のセクハラを訴えたり、人権デモに参加するような良い子は歓迎されません。

 子供が悪い子になってほしいと思っている大人もいっぱいいる。たとえばおじさんとセックスするような子供は歓迎される。


 大人の間違いを見て見ぬ振りするのが正しい良い子です。

 大人の間違いに荷担するのが正しい悪い子です。

 要はどっちだって構わないってこと。つべこべ言わずに目上の人たちを気持ちよくさせる道具として這いつくばれってこと。犬みたいに首輪をはめられる。選べるのは首輪の色だけ。黒でも白でもお好きなほうをどうぞ。なんなら両方つけたって構わない。

 この世界には夢も希望もない。現場からは以上です。



3.

 日曜日の夕方、公園のブランコを漕いでいる。隣のブランコには、セイジがじっと座っている。私は立ち漕ぎだ。そのくせ、ゆったりとしたやる気のない漕ぎ方なのは、右手にガリガリ君を持っているから。空色のアイスを私は吸う。氷に唇を押し当て、きゅうーっと吸い上げて、濃くて甘い汁だけを心ゆくまで味わう。セイジはガリガリ君をもぐもぐと食べている。もぐもぐ。もぐもぐ。一定のリズム。


「今夜、俺は魔女になる」と、揺れもせずにセイジは言う。

「ふーん。魔女って男でもなれるんだ」


「清らかな体なら性別関係なくなれるらしい。つまり童貞か処女なら大丈夫だそうだ」

「変なの。処女とか気にするのって教会側でしょ、魔女側じゃなくて」


 セイジは言葉に詰まった。


「令和の魔女は宗教とは関係ないんだ、多分……」

「ふーん」


 よくわからない。きっとセイジもよくわかっていない。なんせインスタで新人魔女募集の書き込みを見て、それに雷に打たれたかのような感銘を受け、即応募して魔女になると言っているくらいなのだから。


「でもさ、良かったね、魔女になるっていう夢が見つかって」

「ああ」


「魔女になれたら夢が叶ったことになるわけだから、それってつまり夢をなくすことになる?」

「違うと思う」


「そうなんだ。じゃあ、良かったね」

「うん」


 セイジは頷いてアイスを囓った。私はとっくに食べ終えて、木の棒を口の中で弄んでいる。


「おまえには夢ってないのか」

「ないね」


「欲しくないのか」

「欲しくもないね。どうせ無駄だし」


「進路は?」

「学費の安い国立大学に入って、4年遊ぶのが目標」


「つまんねー」

「ねー」




 高校の美術の授業で、油絵を描く機会があった。自画像を描かされたのだが、私の自画像は首から血を流していた。血は自分で描いたのではない。完成した絵を乾かすために美術準備室に置いていたときに、誰かが描き足したようだ。特に理由もないけどこれは人に見られてはいけないという気がして、私はすぐさま血の部分の絵の具を削り落した。しかし、次の日にはまた血が出ていた。削っても削っても、キャンバスがむき出しになるほど絵の具を全部削っても、翌日にはまた私の首は血を流しているのだ。

 一体誰のしわざ?



 魔女の話を聞くのにはうってつけの月曜日。

 放課後の教室で、「俺、魔女になれた」とセイジが誇らしげに打ち明けてきた。


「どうやってなったの」

「昨日の深夜、森の集会場に行って、まず先輩魔女たちに挨拶と自己紹介をした」

「うん、挨拶は大事」

「LINEも交換した」

「今後の付き合いもあるだろうしね、大事」


「それで、みんなで裸になって、太鼓にあわせて踊っていたら射精していた」

「説明をいろいろ省略しすぎじゃん?」


「いや、本当にそういう感じだったんだ。足の裏で大地を感じて、体で空気を感じて、月明かりを肌に浴びて、太鼓とともに踊る。それは大地との性交だった」

「ふうん」


「初めてを大地に捧げた俺は、魔女として認められた」


 結局のところ魔女とは何なのかわからずじまいだ。多分セイジもわかってない。それでも彼なりにスタートを切ったのだった。



4.

 朝靄で前がよく見えない中、私はバス停を探して歩き続けている。霧は太陽も覆い隠してしまって、あたりは薄暗い。

 きっとこれは夢なんだろう。夢だと思いながら、それでも私はバス停を探す。バスに乗ればなんとかなるという気がするからだ。


 雨が降ってきた。柔らかい霧雨だ。着ている制服が水分を含んで、だんだん重みを増してくる。体から熱が奪われていくし、歩き疲れてきた。それでもバス停を探す。前に向かって進み続ける。後戻りはできない。そういうことになっている。


 やっと見つけたバス停にはたくさん人がいた。スーツ姿の男性、パンプスを履いた女性、学生服姿の中学生、ランドセルの小学生、旅行鞄を持った人に、赤ちゃんを抱いた人、大きな荷物を抱えたお年寄りまで、多種多様な人たちがバスを待っている。


 バスは次々とやってきた。皆それぞれのバスに乗り込んでいく。私はどのバスも違うように思えて、乗らずに見送り続けた。これかもしれないと思うバスもあったが、ほかの乗客に押しのけられてしまって乗れなかった。


 そうこうしているうちに、バスはすべて行ってしまった。次のバスが来る気配はない。


 無人のバス停にぽつんと佇んでいたら、背後から声をかけられた。

「お嬢さん、首から血が出ていますよ」

 延髄が冷えて、そこで目が覚めた。ベッドの中で無意識に首を触る。ぬるりとした感触がした。血ではなく汗だった。




 クラスの女子たちが、「天使と悪魔だったらどっちが好きか」で盛り上がっている。私はどっちも嫌いだが、女子の間では悪魔のほうが人気が高いようだ。


「だって天使ってルール守れってうるさそうだし。親切の押しつけもうざそう。でも悪魔は楽しけりゃいいじゃんって感じだから良いよね」そんなことを言っている。


 私はそんな話を離れた席で聞かされている。まるで盗み聞きしているみたいで居心地が悪い。そのとき、女子の一人が消しゴムを落した。消しゴムは転がり、私の足元で止まった。私が拾って渡したら嫌われるのだろうか。悪魔みたいに振る舞うほうが受けるのだろうか。どうしようか考えているうちに女子の一人が消しゴムを拾いにきた。彼女はかがんで手を伸ばす。衝動的にその手を踏んでみた。


「ちょっと、何すんの!」


 女子は驚いたようだ。そして少し怒った顔で私を見上げた。ちらりと黒い首輪が見えたが、それは一瞬のことで、すぐに見えなくなった。


「悪魔ってこんな感じ?」

「はあ?」


 彼女は私をひと睨みして、友達の輪へと戻っていった。私のことは無視しようと決めたようだ。女友達ってどうやったらできるの?




 小学1年生のとき、ハサミで自分の髪を切った。アイドルに憧れて、私も同じ髪型にしたいと母に言ったら、「オンナ・オンナしてて気持ち悪い。女なんか産むんじゃなかった」と言われたのだ。坊主頭になった私を見て、母は「男みたい」と言って満足そうに笑った。




 季節は巡り。


 高校を卒業し、私は国立大学へと進学した。学部なんてどれでもいいと思っているから、親のすすめるものにした。私に向いているものなど何もないし、何もないなら自分で選ぶ必要もない。


 セイジは魔女としての道を究めようと、日々熱心に魔女活動を行っているようだ。セイジの魔活の詳細についてはインスタで知ることができる。私はあまり見ない。魔女には興味がない。



 大学生になったが友達はできない。新入生の目には希望が宿っている気がする。だから、話しかけるのも気が引ける。話したところで共通点は何もないようにも思えた。




 ある4月の終わり、私はセイジから呼び出された。場所は、知らないマンションの屋上。時間は夜9時。

「このマンション、ほとんど人が住んでないらしい」と屋上で仰向けになって、セイジが言う。

「ふうん」


 セイジと頭を合わせるように、仰向けに寝ている私は相づちを打つ。私たちは時計の針のよう。時刻はただいま12時30分。黒い空は案外明るい。


「あ、月が丸い。もしかして今夜って満月かな?」

「そう」


「じゃあ、臭う?」

「うん」


「ねえ、なんで満月に血の臭いがするのかな? 魔女ならわかる?」

「うーん、多分だけど」

「うん」

「将来、満月の夜に首から血を流して死ぬからだと思う」

「だと思った」


 私は身を起こすと、セイジに覆い被さってそっとキスした。これがセイジとの初キス。ふざけていろいろやってきたけど、本当にしたのはこれが初めて。


「ねえ、最後までやろうよ」

「そういうのはいい」

 セイジは仰向けのまま動かない。


「おっぱい触らせてあげるから」

「だから?」


「価値あるものを頂戴」


 この血の呪いがかけられた肉体に生まれた絶望を、痛みと快楽で誤魔化したい。何もかもめちゃくちゃになればいいんだ。もう一度キスすると、セイジが首を絞めてきた。だが、セイジはすぐに手を離したので、私は戸惑って身を引いた。セイジは自分の手をまじまじと見つめている。その手は血で濡れていた。


「それって私の血かな」

「だろうな」


「においだけじゃなくて、とうとうモノも出ちゃったって感じ?」

「おまえさ、もしかして死にたいの」


 死にたいというより、生きていたくないというほうが正確だ。


「俺が殺してもいい?」

「うん」


 それは少しだけ希望のある話だなと思った。私の最期を引き受けてくれる人がいるというのは悪くない。



5.

 別の満月の夜。

 私はセイジに森へと連れていかれ、そこで手斧で首を切られて殺された。


 そうです、私は死にました。


 それなのに、セイジは私の遺体から血を抜き、別の血を注ぎ、切った首を再び接合し、なんらかの秘術を施して私を生き返らせた。いや、違う。生き返ってはいない。死者のまま動いたり考えたりできるようになったのだ。魔女活の成果が出たわけだ。血を抜かれるとき、延髄がぞくぞくと冷えた。氷の火花が目のおくでスパークするのを死んだ脳が認識していた。そして、体に新しい血が流れ込み、全身がかっと燃えるような熱さでむずがゆくて目が覚めた。


「血は全部抜いたから、もう血の臭いはしない」と、セイジが言う。だけど人間の血のかわりに魔物の血が体内を流れているので、こんどは魔物臭くなってしまった。


「この臭い、どういうアレなの」

「ワーウルフっていうオオカミ人間の血を輸血したから、オオカミの臭いかも」

「ふうん」


 私は全裸で大地に横たわったまま、両手で自分の体を撫でた。手のひらに、つるりとした人間の肌を感じる。


「毛が生えてない。オオカミなのに」

「オオカミなのは血だけだ」


「あと、何で全裸?」

「そういう儀式だから。肌で大地と月を受けとめなければならない」


 そういえばセイジも全裸である。勃起しているが、大地と性交中なのだろうか。


「じゃあ、やるか。それが望みなんだろ」


 セイジがのしかかってきた。


「急に? オオカミ女として復活したばかりで? どういうアレ?」


「自傷に付き合う気はないが、今回に限っていえば祝福になるだろう。それに大地も」

「大地も?」


「3人で愛し合おうと歌っている」

「いきなりの3Pとか笑う」

 セイジも笑った。

「月もいるから4Pだ」


 セイジとのセックスは、セックスというより儀式だった。いや、祝福なんだっけ?


「大地と月を肌で感じて、その中に浮かぶ自分を見つめろ。肉体の結合はその入り口にすぎない」


「呪文とか唱えなくていいの」


「言葉は要らない。言語で魂を縛るな。自由でいろ。世界に向かって魂をいったん拡張してから必要なものだけを集約して自分を再結晶化するんだ。やるたびに純度が増すだろう。それが希望だ。救いは自分の中に集約するものだと気づけ。俺は気づいた。俺はおまえを愛してはいないが、救われてほしいとは思っている」


 セイジはすっかり魔女になってしまったようなことを言う。




 そうして、首を切られて血を抜かれ、人狼から輸血された私は、無味無臭な大学生活に戻った。写真に写っても首から血が出たりはしない。血の首輪の運命を回避したからだ。回避。乗り越えたのではなくて、逃げた。



 魂の拡張と集約、そして再結晶化というのは何なのか全然わからないが、たまに世界に向けて意識を広げてみる。そして自分を感じようとする。やっぱりよくわからない。だんだん騙されたような気がしてきた。でもきっとこれは騙したわけじゃなくてセイジが見つけた正解なのであって、私の正解じゃないってだけのことなんだろう。




 それから10年がたち、50年がたち、100年がたっても、私は老けることもなく死ぬこともなかった。セイジはあっという間に老けて死んでいった。魔女のくせに。いや、魔女だからなのか。彼らにとって死とは大地と一体となる行為で、この上ない喜びである。私はセイジがうらやましい。私が待つバス停には、どこ行きのバスも来ない。自力で歩いていきたい所もない。ただ時間が過ぎていくだけ。




 街をさまよっていると、ごくまれに首から血のにおいをさせている少女を見つけることがある。私が受けたのと同じ秘術を施してやってもいいけれど、でもそんなことは彼女らの希望にはならないだろうから、ただ見守る。大抵は白か黒の首輪を身に付けることで血の首輪を誤魔化して、表向きだけ社会に適応していく。苦しみながら生きていく。少数は首を切って死ぬ。それを見るのは辛い。


 私たちが救われるためにはどうしたらいいんだろう。私は何もできず、呪いだけを受けて生きる女の子たちを見守っている。もし声を掛けてみたら、何か変わるだろうか。うまくいくとは限らないけれど。


 今夜こそ、勇気を出してみようと思う。世界に向かって拡張するって、こういうことなのかもしれない。


<了>


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