初まりの終わりと新たなる始まり 後編
ひとつ屋根の下。今まで帰ってきても誰もいなかったこの大きな家に、帰ってきたら今はいつも彼女の姿があった。
「おかえりヒース! 今日は家の中の掃除だけでなく、ご飯のための買い出しも終わらせておいたぞ!」
「おお、でかした! 気が利くなあ」
それまではハンター稼業の傍ら、余裕がある時に自分でやっていた、何もない空き部屋や戦利品などをしまう物置以外の部屋の掃除と、食料や物資の買い出し。だが、それも三週間が経った今は彼女──アレットがやってくれる。
一緒に暮らす道を選んだ以上、働かざる者食うべからず。この家に来たアレットに教えた事は掃除の仕方からだった。『何でもするぞ』と言うアレットはメキメキと廊下や部屋の床掃除から風呂の掃除まで、一通りをたった五日で覚えていき、今は積極的に励んでくれるまでになった。
「うーん、美味い! ヒース! このシチューは最高に美味いな!」
買い出してくれた食材で作ったシチューを口にしたアレットはスプーンでシチューを口に運ぶと頬を膨らませて満足そうに笑みを浮かべた。これまで食事もこの家の中で一人で細々と作り、一人で食べるのが常であったが、今は必ず二人分を作り、折半している────。
*
アレットは基本的にはこちらが作ったものならば何でも嬉しそうに食べる。が、共同生活を始めてそんな彼女の舌も苦手とするものがあった。身体に良いのでナスを入れた簡単な野菜炒めを夕飯に出した所、彼女はそっとトマトだけ皿の隅にやって食べようとしなかったのだ。
『どうした? 食べないのか?』
『ヒース……トマト、嫌いなのだ……すまない』
『トマトは身体にいいんだぞ、アレット』
申し訳なさそうにするアレット。一人で生きてきた彼女は食べれるものは何でも食べる雑食に見えたが、好き嫌いという概念も、人間味がある。彼女が人間だった頃の名残なのだろうか。それともモンスターとなってから、食べた事があって何となく苦手意識があるのか。それはまだ分からない。
*
それまで自分で行っていた近くの街への買い出しも、今はアレットが行ってくれる。トマトはこちらが買ったものだが、アレットは自分の好き嫌いは関係なく、こちらが求めたものは正直に買ってきてくれる。とても分かりやすく素直だ。食料の他、日用品まで、店の場所を地図にして、現地にも行って教えたら、次は一人で難なくこなしてくれた。
『ヒースの地図は分かりやすくていいな』
『まあな、ハンターとして大型の獲物を狩る時には周囲の地形の把握が重要なんだ』
集団で臨む大型の討伐クエストは山や森といった地形の把握も重要になってくる。その時に地図にルートや地雷の設置場所などを書き込んで、作戦遂行用の地図を作成する。そして、あり得ないかもしれないが書き込む地図がない時もある。その時は偵察任務で地形を把握して自前で地図を作成するのだ。このお使い用地図はそのノウハウで出来ている。隣接していたり周囲にある店の名前、噴水の広場、東西南北などを網羅している。
アレットを街に行かせる事はもう問題ない。彼女は野良のモンスターではなく今は従魔。一人で歩いても問題ない。それに鎧姿から、皮のドレスと上着に着替えたカジュアルな彼女はどこからどう見ても長い金髪を靡かせる美しい少女だ。異質な存在が歩く事による景観も乱さない。それに。
『ヒース。この前な、小さい男の子が風船を木に引っ掛けて泣いていたからな、私が取ってやったんだ。そしたら喜ばれたぞ』
お使いから帰ってきた日の夜、夕飯を食べながらアレットは嬉しそうに話してくれた。アレットの身体能力ならば木登りは楽勝だろう。だが同時にその力は目の前の可憐な少女が実はモンスターである事の証明とも言える。しかし言葉を解せる従魔なので街の人も怖がらず、普通の少女と見るしかないだろう。
『うっまーい! リンゴ、美味いぞー!』
アレットは食後のデザートはリンゴが好きでよく買ってきてはとても美味しそうに食べている。
『好きなんだな』
食器を片付けながら、その姿に感心する。
『ああ、ヒースと出会う前も、よく取って食べていたぞ。何だか不思議と好きで止まらなくてな。だが、街で買ったこのリンゴの方が断然美味いな』
『そりゃ、畑でしっかり手入れして育てられたリンゴだろうからな』
生きるためとはいえ、森の中に生えている果物などを採って食べる原始的な生活が当たり前となっていた彼女。だが、もうその必要はない。これからは美味しいリンゴはいつでも食べられる。
『本当か!? そんな畑があったらいつか行ってみたいぞ! リンゴ沢山食べたいぞ!』
*
こんな感じで、それまでは誰もいない静かだったのが、今は一緒に飯を食べる相手もいて、一人だった家がたちまち賑やかになった。アレットが来てくれた事で、家の中で話し相手もできた。一人暮らしが当たり前だったが、掃除もしてくれてお使いにも行ってくれて、恩義ゆえに忠誠心に厚くきちんと言う事も聞く。そんな彼女ならば一向に構わなかった。
アレットもこの家に来てから前世の記憶からなる悪夢にうなされる事もなくなったようで、とても毎日が楽しそうだった。
『あの夢を見なくなったお陰で気持ちよく眠れる日が増えた。全てオマエのお陰だ。ありがとう、ヒース』
だが、アレットも完全に直属のお世話係になったわけではない。彼女もやめていないのだ。翌日。
「いくぞ、手加減は無しだからな!!」
家の外で互いに向き合い、出会った頃と同じ赤い鎧に身を纏った彼女が右手に剣、左手に盾を握り、斬りかかってくる。対するこちらも愛剣──ではなく、一般にも普及しているごく普通の長剣で相対する。特殊な能力もない。シンプルな一刀。こうなったのもアレットがここでの生活に慣れ始めた頃のある一言だった。
『ヒース。私に戦いを教えて欲しい。強くなりたい』
ある日の朝。掃除を終えた彼女から出た一言。普段は明るく子供っぽい彼女だが、それは師匠に教えを乞う弟子の言葉そのものだった。だが、本気を出しては彼女に怪我をさせてしまう。こちらは愛剣が使えないハンデ状態で闘う。
「避けられるか!?」
アレットが盾を宙に投げると、空いた左手から炎弾を放ってきた。そして落下してきた盾をキャッチする。が、そんな器用さをじっと見る間もなく、炎弾を長剣で弾く。
従魔になってもアレットは取り込んだ魔石から会得した魔法を使うことが出来る。それ以前に自身の傷を回復させることも出来る。人間ではない、モンスターである一面だ。まともに戦うと相当にタフで長期戦になる。これが対話出来ない相手ならどれほど脅威なものになっていたか。
結局その後、幾度の打ち合いの末に、一瞬の隙を突いて持っていた盾を弾き飛ばし、剣だけになったアレットを一刀の一振りによる圧で膝をつかせた。
「勝負あったな」
「ぐっ……強いなヒースは。さすが私を従魔にしてくれた男だ。また戦ってくれないか?」
「勿論だ。お前との鍛錬は退屈しない」
「次は負けないぞ、ヒース! オマエとの夢のために!」
アレットが来る前の鍛錬も、ほぼ一人での自主練だ。ふらっと一人で旅に出て、モンスターとの戦いや他のハンターとの腕試しで己の実力を試す。その中で己に足りないものを知る。滝に打たれたり、一際強力なモンスターの生息する禁足地にも許可をとった上で踏み込んだ事もあった。が、今はそんな命がけをする必要はないのかもしれない。
*
あれからキノコ狩りのクエストはやめた。ギルドの紹介もあり、ちょうど駆け出しのハンターがいたのでこの仕事を斡旋してやった。
アレットのためにも、以前のようにもっと稼げる仕事をしなければならないからなのはそうだが、仕事を成功させれば彼女も微笑んでくれる上に、一人増えてもまだデカすぎるこの家ぐらいのもっとデカい事が出来そうな気がしたからだ。今はスランプなんてどこへやら、モンスターとも戦えて順調な毎日を送っている。
『ヒース。私もいつかともに戦わせてくれないか?』
彼女が戦いを教えて欲しいと言ったのはそれだった。もう、自分が普通のそこらのモンスターとは違うと分かった彼女には、生活のために同族と見ていたモンスターと戦う道を選ぶ事に躊躇いはなかったのだ。
『私は人間だった。相手がどんな敵でも、今はヒースのために剣を振るいたい。ともに過去を打ち明けあったじゃないか。私を頼ってくれ。二人一緒ならどんな困難も乗り越えられる気がするんだ』
──俺もだ。
いつかはアレットとともに長い旅に出て、巨大な獲物を狩ったり危険地帯にある依頼品を回収したりとか、そんな事をしてみたいものだ。が、それはすぐ実行は出来ない。アレットには旅に耐えられるようにもっと勉強して、強くなってもらわなければならない。お供として旅に連れて行くにはまだ心許ない。
それに自ら武器を手に戦うハンターが血判状を使って、こんな美少女のモンスターを従魔にしているという話は聞いたこともない。血判状という存在がある以上、なくはないのかもしれない。
今はすぐに大胆な行動は起こさず、復帰したハンターとしてコツコツと腕を振るうことにした。ハンターとして実力と実績があれば、黙らせられる事は知っているのだから。傍らに女騎士の従魔をお供に連れる凄腕ハンターという例がなければ前例を作ってしまえばいいのだ。
*
稽古で汗を流した後もアレットは止まらない。
「ヒース、今度、料理のやり方を教えて欲しい」
「お前に出来るのか?」
正直、ここまで勤勉とはいえ、アレットに料理はまだ早いと思っていた。
「この家での生活や仕事に慣れてきた今ならば、出来そうな気がするのだ。頼む」
「じゃ、まずはお前も好きなシチューの作り方からだな」
「ホントか、わーい!」
二人で背中を預け合い、ともに旅をして、ともに戦う──そんな日を目指して──
教えて欲しいと言われたことはとことん教えてやる。行く当てもなく生き方にも迷った彼女を勧誘したのはこっちだ。
結局、報酬であの血判状を手に入れた十日間の長旅は徒労でしかなかったが、実は超重要なものだったのだと今ならば思うヒース。あれがなければ彼女は今頃ここにいないのだから。
それだけではない。キノコのために何度も車を飛ばし、何度も会って、そして頼みを聞いて……どこかで気まぐれでやめていても彼女はここにいない。
偶然に偶然が重なって、情を引き寄せられて、こんなにも明るく活発で綺麗で良い女と出会えた。あの十日間の徒労でしかなかった長旅から始まった一つの冒険がようやく終わったような気がした。