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学園がお休みのこの日。
始業の鐘が聞こえたばかりの時間。
今日は、エステルお姉様と、シリルにぃ様が植物園を訪れました。
また、新たなサンプルを採取するためです。
あの後、お姉様とディランさんは、どんなお話をされたのでしょうか。
そして、シリルにぃ様とエステルお姉様は親しげな様子を目の当たりにして、お二人はどんな関係なのかと気になっていました。
「…………」
緊張のあまり、カップを置く手が震えてしまいます。
今日は、フードの中に隠したインコ型使い魔の鳴管を利用して、声を変えて話そうと思っていたのに、やっぱり言葉が出てきませんでした。
『ラシャドは気前がいいね。俺達に、自由にここに入っていいって』
『自由にじゃないでしょ。魔法使いさんの許可はいるのよ』
そこで、シリルにぃ様がこちらをチラリと見ました。
『俺、顔を見せない奴は信用しないよ。直接喋ろうともしないし、感じ悪い。たとえ子供でも。だから、敬意なんか払わない』
『誰だって事情はあるものよ。特に、軍部に属する魔法士団なのだから。殿下からもそう言われたでしょ』
ディランさんの言った通りですね。
顔を見せない者は信用されないって。
でも、一番隠したいお二方が目の前にいるのですから、本当に無理です。
『エステルの幼なじみのアイツ、安い挑発にのってきていたな。ラシャドが聞き流していたんだから、そうすればいいのに。案外、エステルをとられるかもと焦っていたり?』
『バカなこと言わないで』
危うく、持っていたトレーを取り落としそうになりました。
先日もですが、今日、ここに来られた時からも、シリルにぃ様はずっとお姉様の事を見つめていました。
時おり、熱っぽい視線を向けて、お姉様の気を引こうとされているのがよくわかります。
二脚の椅子にそれぞれが座っているのですが、御自分の脚の間にお姉様を挟むように座られていて、それが独占欲からくるものだと、私でもわかりました。
そんなシリルにぃ様の行為を、お姉様も許しているようで……なのに、ディランさんに求婚したりと、お姉様の考えが私には分かりませんでした。
今日は私一人で、この御様子のお二人の対応をしなければなりません。
大好きなお二人のはずなのに、とても気が重いものでした。
シリルにぃ様……
数日前のあの時、十年会っていなくても、にぃ様のことはすぐにわかりました。
エステルお姉様に向ける優しげな笑顔は、記憶の中のものと、なんら変わりありません。
あの笑顔が、今は私には向けられない事が寂しくて……
仕方のない事なのですが、寂しくて……
ぜーんぶ独り占めして狡いわねぇ
お姉様ばかりズルいって……大好きなお姉様の事を……こんな事、思いたくないのに……
消えてしまいたい。
こんな醜い自分は。
『ムカつくから、グリース王国と戦争したら、エステルは困る?』
突然聞こえてきたその言葉に、自分の耳を疑いました。
シリルにぃ様は何を言っているのかと、思わずそちらを見ました。
『ああ、君もやっぱり、タリスライトの言葉は理解しているんだ』
シリルにぃ様が、剣呑な様子で私を見ています。
『知らないフリして、嫌な奴。あれ?じゃあ、もしかしてエステルの幼なじみは、君のために怒ったのかな?ああ、もしかして君、子供じゃなくて、女性だったり?なるほどね。ディランの恋人とか?随分と親密そうだったからね。だったら俺は、ライバルが減るから嬉しいけど』
エステルお姉様が、驚いた様子で私を見ていました。
何をどう言えばいいのか、違うと言えば良いのか、誤魔化せばいいのか、無視するべきなのか。
焦れば焦るほど、言葉を失って。
『ディランの本命は君かなぁ?でも彼、辺境伯爵家の人間だったよね。平民の君がただの愛人にしかならなかったら困るなぁ。それって、惨めだよね。彼、領地でたくさんの女達に囲まれて選び放題らしいし、どこか良いところの御令嬢を本妻に迎えて、君は日陰の存在に』
「シリル!!」
初めて聞く、お姉様の荒らげた声。
『惚れ薬みたいなの作って、彼に飲ませてみたら?君も不安でしょ?いつ、彼の気持ちが君から離れて捨てられるかって』
心臓をギュッと握り潰すようなシリルにぃ様の言葉が追い打ちとなり、
「あの、私、少し席を外します。ごゆっくりお過ごしください」
使い魔を使う事も忘れて震える声でそれを告げると、
『ははっ。本当に女の子だった』
植物園を出て、意味も無く走り出していました。
あれ以上、あの場所にいたくなくて。
角を曲がって曲がって、植物園から離れて、渡り廊下を走って、回廊をぐるっと回って、大きな窓を覆う長いカーテンの影に隠れてしゃがみ込んでいました。
おそらくここは、城内の図書館の近く。
シーンと静まり返った空気が、今の私には必要でした。
そこで、しばらく気持ちを落ち着かせるつもりでした。
両手で顔を覆って、何に傷付いているのかわからない心を宥めます。
シリルにぃ様の言葉が棘となって刺さり、ズキンズキンと痛みを生んでいました。
お姉様に誤解されたかも。
やっぱり、逃げたりしないで、すぐに違うと言えばよかった。
咄嗟に言葉が出てこなくて、すぐに誤魔化せなくて、ディランさんに迷惑をかけてしまったら、どうしたらいいのか。
愛人と言う言葉の響きが、酷く私を苦しめていました。
もちろん私とディランさんは、まったく、微塵も、そんな関係ではありません。
でも、お母様の顔が浮かんできて、ほんの少しだけディランさんに好意を持っている自分が、悪い事をしているようで、許せなくて、エステルお姉様はディランさんと結婚したいと思っているのに、なのに、シリルにぃ様の視線がお姉様に向けられるからって、それを羨ましがって。
選ばれない。
望んでも敵わない。
そんな事よりも、お姉様の邪魔をしてはダメって事を一番に考えなければならないのに。
自分の事ばかりで、自分に任された事も忘れて。
「ステラ?」
高音の、でもとても落ち着いた声。
まさかと振り向くと、驚いた様子のアリソン様が、カーテンをめくって私を見下ろしていました。
「どうしたの?何かあったの?」
フードをかぶっているのに、どうして私とわかるのでしょうか。
返事に困っていると、
「学園に編入する時に貴女の事は聞いていたし、上位魔法使いの女性は貴女だけって、ラシャド様から聞いていたの。小柄な子が上位魔法使いのローブを着ていたらすぐにわかるわ。それに、肌身離さず付けているのね。可愛らしいこと。これを貴女に贈った人に教えてあげたいくらい」
私の手を取ったアリソン様は、手首のブレスレットに視線を落としました。
「何かあったの?」
「私は……」
アリソン様が、ソッとフードを外しました。
「どうしたの?泣きそうな顔してる」
上手く説明できないでいると、膝をついたアリソン様に、抱きしめられて、背中をポンポンと優しく触れられました。
お母様の温もりを思い出します。
こんな風に誰かに抱きしめられたのは、久しぶりの事でした。
それこそ、子供の頃以来のことで。
「話して。ここには私しかいないわ」
「私が任されている植物園に、会いたかったのに、でも、どうしても会いたくない方々がいます……どうしたらいいかわからなくて……私が悪くて……それを言われたから、逃げて来て……また、逃げてしまって……王太子殿下に、ちゃんとするとお約束したのに」
「私が植物園に行って、今日はお帰りいただくように伝えるわ。貴女は戻って、ゆっくりして。温かいものでも飲んで。手がとても冷たくなってる。自分を責めないで。大丈夫、上手くやるから。ラシャド様にも私からお話する」
「でも、アリソン様を煩わせるわけには……」
「友達だもの。貴女の手助けをしたいと思うのは当たり前のことよ」
「友達って言っていただけるなんて、私……それに、今日……植物園にいらしているのは、エステルさんで……」
「そうなのね。大丈夫。私が城にいるのは、何もおかしい事じゃないもの。貴女には急用ができたの。私がエステルと話して、今日は帰ってもらいましょう。大丈夫。彼女の事だもの、不快に思ったりなんかしないわ」
話の最後に、もう一度ギュッと抱きしめられました。
「魔法士団に繋がるところまで送っていくわ」
アリソン様の柔らかくて温かい手に引かれて立ち上がると、そこから移動して、背中をソッと押されて魔法士団の営舎へと戻りました。
アリソン様に何もかも甘えてしまいましたが、最後に、「アリソン様が声をかけてくださって、嬉しかったです」と、それだけは告げていました。




