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刀使い  作者: とりちゅう
8/14

三章:その一歩は重く、遠く②


 みんなと昼食を終えて、自室に戻り実戦訓練の準備を始める。

 昼食は、正直味がしなかった。まぁ三人前は食べたけど……。


 いや、ほら、味しないなって思って、いつも美味しいのにそんなはずないって思って、確認のためにおかわりして、あれってなって……。また確認するよね?


 って、俺はいったい誰に言い訳しているんだろう……。緊張がそうさせているんだろうか。


 深く息を吸って吐く。両手で両頬を打って気合い入れる。乾いた音が部屋に響く。

 よし、準備をしないと。いつも履いてる戦闘用長靴(ブーツ)の紐を結び直す。両手首に巻いている保護用の包帯を確認して指先のない手袋(グローブ)をはめる。両手を強く握り締めてさらに気合いを入れる。


 テーブルに置いてある携行品のペン型の回復薬や万能薬を太腿に付けた小型バックに収納していく。回復薬の緑の液体と万能薬の橙色の液体が揺れる。何があるか分からないから、持てるだけ持っていくのが基本だ。それと念のために閃光手榴弾(スタングレネード)を二個持っていこう。


 洗面台の鏡の前に移動。鏡を見ながらチョーカーを首につけていく。色は無難に黒を選んだ。自分の服の色にも合っているから大丈夫だと思う。


「に、似合ってる?」


 鏡に映る自分を見て多少不安になった。首を守るためとはいえ、恥ずかしさがある。極東の決まりだから従わないと。首に違和感があるが苦しくはないので慣れるしかない。


 よし、行くか。

 気合いを入れて部屋を横切って行く。自室から出ると自動で鍵が閉まる音がした。部屋の鍵の管理をしなくていいので自動施錠(オートロック)の素晴らしさを実感する。


廊下に出ると冷たい静寂が満ちていた。空気が張り詰めているように感じるのは気のせいだろうか。このフロアには俺たち以外の新人刀使いがいるはずだが、いまだに会ったことがない。避けられているのだろうか。


 誰か誘って一階の集合場所に行こうと思ったが、それぞれのタイミングがあるだろうと思い返し、誰にも声をかけずに自動昇降機広間(エレベーターホール)に向かって歩を進める。


 自室フロアの二十一階から自動昇降機(エレベーター)で一階のエントランスに向かっていく。駆動音を響かせて自動昇降機が下っていく。軽い電子音が一階に到着したことを告げ、自動昇降機から降りる。


「アンタ何考えてんのよっ!!」


 エントランス内に怒気を孕んだ大音声が響き渡った。声に驚き、行き交う刀使いや作業着姿の人たち、制服を着た人たちが声がした方へ注視する。不穏な空気に俺も聞き覚えのある声の元へと急ぐ。


 自動昇降機広間からすぐの休憩所。いつもの集合場所を心配そうにみつめる人や、不安げに事の行く末を見守る人たちがいた。その人たちの視線の先に、マリとユエラウが対峙していた。


 マリの少し吊り上がった橙色の瞳には怒りの成分があった。怒りの視線の先には俯くユエラウ。左手を右手で包んで強く握り閉めて震えていた。


「す、すみません。どうしてもついて行くってきかなくて……」

「アンタ、今から何しに行くか分かってんでしょ!」

「はい……」

「大切な家族なら無理矢理にでもお留守番させるべきでしょっ」

「わ、分かってます」

「分かってないから言ってんのよっ!」


 怒気の温度が上昇とともにマリの怒声がさらに大きくなっていく。マリの言葉を理解したのか、心配そうにユエラウを見上げていた美夕(みゆ)としーちゅの毛が逆立った。マリに向かって威嚇の唸り声をあげ、眼には野生の殺意すらあった。美夕の後ろで子猫のしーちゅも可愛らしい牙を見せて威嚇の声をあげる。


 まずいっ! お姉さんたちを怒らせたっ!!


 美夕が瑠璃色の瞳に殺意を宿し、マリに臨戦態勢で一歩を踏み出す。牙を剥き出しさらに一歩と近づく。さすがのマリも唸り声をあげて近づいてくる美夕に恐怖を感じて後退る。


「駄目だ美夕っ、落ち着けっ!」

「美夕だめっ!」


 マリと美夕の間に俺が入るのと同時に、ユエラウが美夕を抱きしめてこれ以上前へ進むことを阻止した。何度も美夕の頭を撫でて「大丈夫。大丈夫だから」と言い聞かせていた。しーちゅも撫でて欲しそうにユエラウに擦り寄せる。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ! すみませんっ!!」

「ユエも落ち着いて、何があったの?」


 マリとユエラウは互いに視線を逸らし沈黙。俺は何も言わずに二人からの言葉を待つ。

 ユエラウがゆっくりと口を開く。


「ごめんなさい、私がいけないんです。私が美夕としーちゅを連れて行こうとしたから……」


 威嚇の唸り声をあげ続ける美夕を宥めながら、ユエラウは言葉を紡ぐ。


「私もお留守番させたかったのですが、極東に来てから二人とも私から離れることを嫌がって……」


 たしかに何処に行くのにも、ユエラウと美夕としーちゅはいつも一緒だ。仲睦(なかむつ)まじい姿に笑みが零れる光景だ。そして羨ましいと思ってしまう。


(しつけ)がなってないからじゃないの?」


 物見高い人たちの開いたから冷たい言葉が投げつけられた。俺の息が一瞬止まる。おもわず周りを見渡していた。

 群衆からの心配や好奇心の視線の中に悪意がユエラウに向けられていた。白雪の頬は青ざめ、大きな氷雪の瞳をさらに大きく見開き、怯えながらも言葉を発した人を探していた。


「ちがっ……」


 ユエラウの否定の声は「あぁ、分かる。俺もあの犬に急に吠えられた」「噛みつかれると思って怖かった」「それな。マジで可愛くねぇよな」「私猫アレルギーなんだけど」「食堂に連れてきた時はマジ常識ないって思った」悪意の言葉に掻き消されていく。


「ちが、違うんです! 美夕は人見知りの怖がりで、知らない人が急に近づくと怖くて吠えてしまうだけで、本当は寂しがり屋で臆病な優しい子なんですっ!」

「何それ? 知るかよ」

「飼い主がアレじゃ、仕方ないんじゃない?」


 不快な嘲弄(ちょうろう)の笑声がさざ波のように広がっていく。

 ユエラウが言葉を紡ごうと口を開いて、閉じた。何を言っても否定され、言葉は叩き落とされると分かったからだ。口は閉ざされ、両手はスカートを強く握っていた。痛みに耐えるしかないユエラウの姿が痛々しい。


「てか、そいつ<死核(しかく)>だろ。そんなヤツがペット飼うとか、よう贅沢できんな」


 俺の中で何かが切れる音がした。腹の底にコールタールのような、どろどろした漆黒の殺意にも似た感情が一瞬に湧き上がる。


「黙れっ!!」


 俺は怒りにまかせて叫んでいた。

 一階のエントランスに俺の裂帛(れっぱく)の声が反響する。ざわついていた空気が静まりかえる。


「ユエは<死核>じゃないっ! その言葉は彼女への侮辱(ぶじょく)だっ! 撤回しろっ、彼女に謝れっ!!」

「リュ、リュウ……さん……?」


 ユエラウが戸惑うほどに俺は怒っている。だが、そんなことどうでもいい。

 許さない。その言葉だけは許さない。何が<死核>だっ!

 言葉遊びでつくったようなその言葉にどれだけの人が傷ついてきたか、分からないのかっ!


 <核>があっても全員が刀使いになれるとは限らない。<核持ち>でも刀が一生抜けない人もいた。そのな人たちを刀使いになれない<失格者>と(さげす)み、<失格者>の<核>は死んでいると何の確証もなく決めつけ<失格者>の言葉にかけて<死核者(しかくしゃ)>=<死核>と侮蔑(ぶべつ)の言葉をはりつけた。


 そんな<核持ち>の人たちが血反吐を吐きながら懸命に訓練や努力していることも知らないで、そんな一言で片付けるなっ!


「そ、そうよ、黙りなさいよ! アンタたちに関係ないでしょっ!」


 話が変わっていることにマリも声に出すが「は? 迷惑してるって話だけど?」「止めろよ」「みんながみんな、犬や猫が好きと思うなよっ!」「ちょ、ちょっとっ」「猫アレルギーって言ってんじゃん。健康被害ぃ」「新人ごときが先輩にむかってマジ生意気」物見高い野次馬の輪から心配や止めようとしている人の声も聞こえるが、圧倒的に負の感情に(まみ)れた言葉のほうが強かった。


 だが、負けないっ!


「そりゃぁ、悪かったな。教育がなってなくて」


 人の輪の壁を睨みつけていた俺の耳に、呆れの成分を含んだよくとおる声が聞こえた。声がした自動昇降機広間の方に注視が向き、人の波が左右に割れて道が開けていく。開かれた道を長身の黒髪の男と黄金の髪を(なび)かせ王者のように歩く女性に、二人の後ろには侍従のように追随(ついずい)する紺色の制服を着た女性が二人いた。


 黒髪の諫早(いさはや)さんが俺の隣に歩み寄り、俺の肩を自身の胸に抱き寄せた。疑問に長身の諫早さんを見上げると、柔和に微笑む紫水晶の瞳と出会う。俺はさらに混乱する。


「言いたいことがある奴は前に出ろ。顔も見せないでコソコソと人を叩くとは良い度胸だな。自分だってバレなきゃ何でも言っていいとでも思っているのか?」


 優しい声音だが、紫電の瞳は一人ひとりを射貫く鋭さを持っていた。鋭利な紫の視線を受けた人たちが気まずそうに目を逸らしていく。


「遠征第八班の班長諫早だ。俺の班員は全員未成年だ。なので班長兼保護者で親代わりなわけだが、俺の大切な子供たちに何か言いたいことがあるなら、まず親である俺に言え」


 親代わり。その言葉に呆然と諫早さんを見上げていたら、俺の視線に気づいた諫早さんが、俺に向かって左目を閉じて皓歯(こうし)を光らせた。


「……………………………………」


 何か、うん……。

 言の葉が枯れて消えた……。


「ユエラウの犬猫については、支部長の許可が出ている。文句があるなら支部長に言え。まぁ何処にでも連れてっていいとは言っていないがな」

「す、すみません……」


 豊かな胸の下で腕を組むアリス司令の切れ長の青い睥睨(へいげい)が肉食獣のように、ユエラウを射貫く。突き刺さる視線の圧に華奢な身体をさらに小さくさせて、ユエラウは謝罪の言葉を紡いだ。


 アリス司令は黄金の髪を左手で払い、薔薇の紅唇から重い息を吐く。


贔屓(ひいき)だの、不自由だのと不平不満というものは絶えず出るものだ。だからといって事情も何も知らずに当人を叩くのは阿呆のすることだ。少しは頭で考えろ糞餓鬼ども」

「常日頃から言っているだろ。何か不満や相談は聴くから言えって。溜め込むとこうなるから……」


 酷い言われようだ。この場にはアリス司令より年上の方もいらっしゃいますよ?

 諫早さんも呆れたように鉛のように重い息を吐いた。


 唇を噛み締める人や、クスクスと笑う人たち。悄然(しょうぜん)に視線が床に落ちる人、アリス司令と諫早さんに心酔(しんすい)の視線を送る人たちとそれぞれの反応を見せるが、憎悪の瞋恚(しんい)は消えなかった。


「貴様も(しつけ)はしっかりしろ。躾というのはその子たちを守ることにも繋がるからな」

「は、はいっ!」


 ユエラウの真っ直ぐな返事にアリス司令の美しい紅唇が笑みを刻む。美夕はユエラウの影に隠れながら小さな唸り声をあげていたが、しーちゅは我関せずと大欠伸をしていた。

 黄金の髪の女王陛下は、取り囲む民草を大仰に見渡す。


「ペットを飼いたかったら申請書を提出しろ。自分の死後、ペットの面倒を見てくれる者までしっかり書いて申請してこい。すべて正論論破で却下してやる」


 却下するんかいっ!? と、ここにいる全員が思ったことだろう……。


「ちなみに、こんなくだらんことで騒ぎを起こしたのだから、今日は失態なんかしないよな?」


 アリス司令が優しい声音で告げる。その美貌の微笑みは誰もが見とれてしまう。が、次の瞬間女神の微笑みは地獄の悪鬼の微笑みに変わった。嫌な予感に体温が下がって青ざめていく。体温だけじゃない空気が凍りつき極寒に変わっていた。


「失態を犯した奴は地獄に落とす」


 凍りついた空気が肺を凍らせ、息が苦しくなる。


「もちろん、ここで油を売っている全員だ」


 それは、つまり……。汝、死を覚悟せよってこと?


 俺が理解した顔をアリス司令は見逃さなかった。死神の邪悪な微笑みで顎を上下に強く動かした。

 隣にいたマリとユエラウが恐怖に(おのの)き顔色が土気色に変わっていた。もうすでに死人の顔だ。

 諫早さんは笑っていた。ついでに膝も笑っていた……。頼もしいのか情けないのか、本当に分からない人だ。


「では、解散っ!!」


 耳を(つんざ)くような大音声で解散を告げるアリス司令は満足そうだった。


「理不尽だ」「お前らのせいだからなっ!」「関係ないのにぃ」「てめぇは黙れっ!」「死にたくない……」「刀使いじゃないのに?」と嘆きながら足早にその場から離脱して、それぞれの仕事や持ち場へと向かう。


「私のせいで、皆さんが地獄に落ちる……」


 呪いの言葉のように繰り返し呟くユエラウの氷雪の瞳には光が消えていた。まるで深淵の底知れぬ闇の飲まれてまったようだった。


 いや、まだ地獄に落ちると決まったわけじゃないよ!?


「貴様らも覚えておけ。誰もが動物を好きだと思うな。苦手や嫌いな者、憎んでいる者もいる」

「ちなみにだけど。刀使いは病気にならないから、アレルギーってのは嘘だからね」


「気にしちゃ駄目だよ」と優しくユエラウに語りかける諫早さん。そんな嘘までついてユエラウを責め立てるなんて、俺の怒りが再燃した。


「お前も落ち着け、な?」


 諫早さんが俺の額を人差し指でこ突いた。突かれた額を右手を押さえながら、不服申し立ての顔で諫早さんを見上げていると、困ったような笑みを浮かべた。


 いや、諫早さんを困らせたいわけじゃない。


 静かに息を深く吸って溜息を吐くよう吐く。肩から力が抜ける。よく溜息を吐くと幸せが逃げるというけど、実のところ自律神経の安定にはいい。怒りで乱れた副交感神経を(なだ)める。


「本当にすみませんでした。ちゃんとお留守番できるよう頑張りますので、本当にごめんなさい」


 マリと俺に向かって深々と頭下げるユエラウ。そんなユエラウ足元では、身体を左右に震わせ欠伸をする美夕と、小さな右前脚を舐めて毛繕いをしているしーちゅがいた。


 俺は今、可愛いは正義という意味を理解した。してしまった。


「そ、そうよっ。ちゃんとお留守番できるようにしておきなさいよねっ!」

「大丈夫。すぐお留守番できるようになるよ」

「はい、頑張りますっ」


 意気込むユエラウ。北支部でできていたんだから大丈夫だ。まだ極東に慣れていないだけで、近くに知っている人がいないと不安なのかも知れない。美夕は怖がりって言ってたし、しーちゅはまだ子猫だからね。訓練すれば問題ないはずだ。


「お、おい。何かあったのかよ」


 カイルらしくない戸惑いと疑問、そして心配の成分が混ざった声音で俺たちに声をかけてきた。その目線の先にはアリス司令がいた。仁王立ちのアリス司令がいることが不安なのだろう。カイルの後ろからサイとギルフォードが合流する。


「何でもないよ。ただリュウとマリとユエラウが、留守番に『お』をつけちゃう可愛いヤツっていうのが分かっただけだよ」

「っ!?」

「ちょっとぉお!」


 恥ずかしさに体温が沸騰する。別に『お』を付けて言ったことが恥ずかしいってわけじゃない。諫早さんのその言い方が羞恥心を(あお)ってくる。熱は耳にまで達していた。


 マリも顔を真っ赤に染めて「違うわよ!」「そんなじゃないわよ」「ユエラウにつられて言っちゃっただけっ」「諫早さんバカ」「アホ」「ハゲっ」と否定の言葉と暴言を諫早さんに投げつけていた。諫早さんは楽しげに笑っていたが「ハゲじゃないぞ」とそれだけは真剣に否定していた。



  ******



 自動昇降機(エレベーター)から降りて集合場所の広間(ホール)に向かうと、彼の姿が目に入った。優しげに微笑むその人は、私と変わらない身長で別に目立つというわけじゃない。なのに私の目はすぐに彼を見つける。褐色の肌に鋼色の髪。そして血のように赤い瞳。


 この感情は、恋とか愛ではない。


 私はただ彼に、私という存在を見て欲しいだけ。気にして欲しいだけ。

 私はただ……。私はただ……彼に、私を見て欲しいだけだ。他の人よりも、私に早く気づいて、見つけて欲しいだけ……。


「リュウ」


 私の声にリュウが振り返る。私を見つけて彼の赤い瞳が微笑みを(かたど)る。私の心は嬉しさに踊り、そして小さな痛みが走った。

 私は痛みを無視して、リュウに笑い返す。彼の褐色の頬が赤みが増すのを見て、私は心の奥底で、ほくそ笑んでいた。



 ******



 銀鈴のような声に呼ばれて俺は振り返る。そこには手を振っているティリエラがいた。いつもの眩しい笑顔に安堵する。手を振り返すと、翡翠の瞳がさらに光を増し、金糸の髪を(なび)かせながらティリエラが走ってくる。


「ごめんなさい。集合時間に遅れちゃった?」

「大丈夫。五分前だよ」


 「よかった。みんな早いね」と胸を撫で下ろし、視界に入った白銀の犬と金小麦の子猫に目を(しばたた)かせる。


「えっ、ユエまさか美夕(みゆ)としーちゅも連れて行くの?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさいっ、すみませんでしたっ!!」

「え、え、えぇぇえええっと、な、何? 何? 何で謝るの!?」


 ユエラウが、反射で謝る人になっていた。何度も頭を下げる。額が膝にぶつかる勢いだ。


「はぁ、三回目ね、これで……」

「三回目? な、何が?」

「ね、言ったでしょ。みんなが集まってから説明したほうが一回で済むって」

「で、説明は?」


 困惑しているティリエラを置いてマリが疲労で重くなった息を吐く。苦笑の諌山(いさはや)さんの横で、両腕を組んで苛立ちを隠さないカイルがいた。サイも説明を求めるように視線を投げかけていた。ギルフォードは壁に背中を預け無反応だった。


「今回だけね。今回だけ美夕としーちゅを連れて行くよ。まだ留守番ができないみたいだからね」

「危なくないんですか?」


 マリは不服そうに諫早さんを見上げる。笑みを見せる諫早さんはマリの頭を優しく撫でると、マリの顔が紅潮した。耳朶(じだ)まで赤く染まり身体が震えていた。

 恥ずかしさの頂点に達したマリは、頭を撫でる諫早さんの手を(はた)き落とした。

 猫のように威嚇するマリと楽しそうに笑う諫早さん。俺の視界の端でカイルがキレそうになっているので早く説明してもらっていいですか?


囚俘(しゅうふ)は動物を襲わない。むしろ傷つけることを恐れていると言っても過言じゃない」

「だから美夕としーちゅが側にいるほうがユエラウは安全ともいえる」


 諫早さんの後をアリス司令が引き継ぎ、言葉を続ける。


「<祝福の日>に動物が近くにいた人間に被害はなかった。あることを除いては……」

「例外、ですね」


 ティリエラの言葉にアリス司令の顎が上下に動く。


「この世に絶対は存在しない。人間を守ろうと囚俘に立ち向かった動物は、皆等しく殺されている。まるで人間に味方するモノはいらないと見せしめのようにな」


 声が喉に詰まるような音がした。


「だから決して囚俘に威嚇するようなことはさせるな。しっかり制御しろ」


 今までのことを思うと、無理だ。

 特に美夕はユエラウを守ろうとする気持ちが強い。囚俘がユエラウに向かって来た時、美夕は絶対に立ち向かう。しーちゅもだ。できるとしたら、飼い主であるユエラウの命令しかいない。


「……………………」無言で顔を逸らしていく。まるで錆びた玩具のようにぎこちなく。気まずそうに顔を逸らしていくユエラウの反応に、みんなが察して、視線が冷たくなっていく。


「貴様、可愛いからといって甘やかし、まったく(しつけ)をしてないな」

「そ、そんなことないですっ! ちゃんとしっかり『待て』はできますし、美夕もしーちゅも良い子で頭いいんです!」


 「見ててください」と珍しく自信満々のユエラウが美夕に向かって「お座り」と言うと美夕の耳がピクッと動き、尻尾が左右に大きう振られる。そして床に腰を下ろした。ユエラウは嬉しそうに右手を出して「お手」と言うと、美夕が右前脚をその手の平に乗せ、下ろす。「おかわり」と言うと今度は左前脚乗せ、下ろす。今度は「伏せ」と言うとお座りの体勢から床に腹ばいになる。身体を伏せた美夕に、人差し指と親指を立て銃の型を(かたど)った指を向ける。


「ばーんっ」


 銃を撃つ真似事をすると、美夕がごろんっと倒れ仰向けになる。銃で撃たれ倒れたってこと? そして何妙もしないうちにユエラウの「ゾンビぃ」の声とともに起き上がった。


「良い子、良い子だよ美夕。可愛い♪」


 美夕の両耳の下をくしゃくしゃと撫でる。美夕は気持ちよさそうに首を伸ばしていた。長い尻尾が円を描くように振られる。「よくできました」と腰の小型バックからユエラウが取り出したのは、蜂蜜色のジャーキー。嬉しそうに口に咥え、咀嚼する美夕。


 うん、可愛かったけどね。


 凄いでしょっと氷雪の瞳を輝かせて鼻息荒くドヤ顔を見せる。が、誰も何も言わない。その沈黙にユエの頭上には疑問符が浮かぶ。


 いや、ユエラウは自分の指示で美夕が『お手』や『おかわり』をしてくれていると思っているのだろうけど、『伏せ』のあたりから美夕はユエラウが言う前に動いていたように見えたのは気のせい? これの次はこうでしょ、これでしょと言わんばかりに先に動いていた、ような……。最後の『ゾンビ』って何?


 親バカだ。妹バカ? 凄いでしょ私の妹っと目に靄がかかっていて、しっかり現実が見えてない、それだった。

 『ゾンビ』にいたってはただ起き上がってるだけでは?


「……諫早」

「…………なんでしょう?」

「責任を取ってお前が何か芸をしろ」

「何でっ!?」

「子供がしでかしたことの責任は親が取るんだろ?」

「すみませんでしたぁあああああっ!」


 青い地獄の業火に睨まれた諫早さんはお手本のような美しい土下座を披露してくれた。

 俺たちの親代わりは大変だな、と人ごとのように死んだ魚の目でみんなが床に額を(こす)りつけている諫早さんを見下げる。


 俺は人知れず小さく息を吐く。いつの間にか緊張も怒りも消えていた。前にも似たようなことがあったなと気づく。わざとふざけてみんなの緊張や怒りを解いているのかも知れないと思い、諫早さんを見る。


「本当に申し訳ございませんでしたぁあああああっ!」


 うん、絶対に違う。


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