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刀使い  作者: とりちゅう
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四章:想応に結びを④


 灰色の瓦礫と草木が生い茂るの廃墟を視界の端に流し、アスファルトを削りながら走っていく。周りに囚俘(しゅうふ)の気配はない。


 全力で走っているのにティリエラとの距離が縮まらない。

 刀が抜けないティリエラに、抜刀状態の俺が追いつけないことがあるのだろうかと疑問がよぎが、現に今追いついていなどころか徐々に引き離されている。


 このままじゃ見失う!


 真っ直ぐ走っていたティリエラが急に方向転換。右に曲がりビルの中に入っていく。


「そっちは駄目だっ!」


 狭い場所に逃げ込むのは無策すぎる。自ら逃げ場のない死地へ向かっているのと同じだ。

 俺の叫びは届かず。ティリエラの姿がビルの奥へと消えていく。まるで闇に喰われていくように見えて、背筋が凍る。


 何で? あんなに頑張っていたのに。


 ティリエラの、花が咲き誇るような可憐な笑顔を思い出す。


 諫早(いさはや)さんの傍から離れたら危険なこと、分かっているはずなのに。何で……?


 ティリエラの笑顔と疑問を抱えて、俺は全力で彼女の後を追う。


  ******



 マリを小脇に抱えた諫早(いさはや)がアスファルトを蹴って疾走する。その後をギルフォード、カイルが追い、ユエラウを抱きかかえたサイが低空飛行で追随(ついずい)。さらにその後を美夕(みゆ)が走る。しーちゅは美夕の赤い首輪に爪を立て、振り落とされないよう背にしがみついていた。


 狭い路地を抜けると、陽光の眩しさに目を細める。

 広い十字路に出た諫早は全景を見渡し、さらに走り、朽ちたビルの壁面で足を止めた。抱えていたマリを降ろすと、マリは銃槍型(じゅうそうがた)の刀を杖代わりにして身体を支えた。肩で息をしながら肺に酸素を送る。諫早の足が速すぎて息が上手く吸えなかったのだ。


 追いついたギルフォードとカイルも肩を上下に動かし、汗を拭いながら呼吸を繰り返す。平然としているサイは、ユエラウを姫君のように丁寧に腕から降ろすと美夕(みゆ)が寄り添う。「ありがとうございます」とお礼を言うユエラウにうなずき返す。


「いいか、お前たちは決してケルベロスと戦うな。アレは俺が()る」


 息を吸うことに必死で顎を上下に動かすことしかできない。


「お前たちはこの壁を背にして、ユエラウを守れ」

「了解しました」


 サイは困惑するユエラウの手を取ってビルの壁面に誘導する。


「息を整えろ、来るぞ!」


 諫早が振り返ると同時に巨大な質量が地面にぶつかる轟音が響き、土煙が上がる。土煙から漆黒に包まれた三頭の巨大な犬が、金属音を鳴らしながらゆっくりとその威容を現す。


 獣種中型囚俘(しゅうふ)<ケルベロス>の三つの頭部が咆哮をあげる。脚元には獣種小型<サンランクス>が二体。威嚇の声をあげる。


 ユエラウを囲むようにサイ、ギルフォード、カイル、マリが刀を構える。


「報告、抜刀から十五分経過。ギルフォード、カイル、サイ、マリ、ご注意を」


 オペレーターのフィセーヌからの報告に、マリの肩に力が入る。


「なら、一気に片付ける」


 諫早が歩を進め前に出る。右足を一歩前に出し、腰を落とし前傾姿勢。左手は鞘を握りように模して右手は左腰に。


「抜刀術、無月乱呀刄(むげつらんがじん)ッ!」


 爆風。


 爆発的に発生した突風に髪や衣服の裾が巻かれ、ギルフォードたちは腕を掲げて顔を伏せ、マリとユエラウの口から小さな悲鳴があがる。


 顔を伏せたギルフォードの前に黒い影が落ちる。驚きに顔を上げた先に諫早が立っていた。諫早の身体の向きに違和感。囚俘に向かっていたが、今はこちらを向いている。


()けられたか……」


 諫早が肩越しに視線を囚俘に向けられる。ギルフォードは諫早に倣ってケルベロスとサンランクスを見た。ギルフォードの鮮血色の瞳が見開く。その隣にいるカイルも驚きに群青色の瞳を揺らす。


 二体のサンランクスの頭部から(からだ)が縦に両断され、左右に分れて自身から流れる血の海に沈んでいた。


「待て待て待て、待ってて……。一回の技で二体も倒したってことかよ……」

「あのオッサン、今まで全力じゃなかったってことか……」


 ギルフォードのつぶやきに「誰がオッサンだっ! まだピチピチの二十五だっ!」と諫早が吠える。「そういうとこじゃね?」と呆れるカイルの横で、マリとユエラウは驚きのあまり唖然とし、言葉を失っていた。


「って、ケルベロスはっ!?」

「左の壁に貼りついているよ」


 カイルは諫早の言葉に視線を左に向ける。黒い巨体がビルの四階の窓枠に人間の手に酷似した右前脚で掴まり、壁に貼りついていた。黄ばんだ牙を剥き出しにして、怒りの声をあげている。


 巨大質量が地面に激突する轟音に驚き振り返る。巨木のような黒い人間の手が地面を抉り痙攣(けいれん)していた。ケルベロスの左前脚。切断面から滝のように赤黒い血を流し灰色の壁面を染めていたが、切断面の血が泡立ち、一瞬で手が生えた。

 再生した手を握り開いたりと繰り返す。動作に問題がないことを確認したケルベロスが(わら)う。


「なんて早さなのよ……」


 マリの喉が鳴る。


「後続のハウンドヘッド四体、前方のビルより出現します。ご注意を」


 フィセーヌからの報告でマリとカイルの視線が泳ぐ。どちらを注視すればいいのか迷っていた。

 ビルの陰から踊り出た鈍足のハウンドヘッドたちが吠える。

 ケルベロスが壁面を蹴って跳躍。巨体を半回転させ優雅に着地した。動きがまるで猫のようだ。


 ケルベロスの中央の頭部が遠吠えをあげると、右の頭部がそれに続き声をあげる。そして左の頭部も遠吠えをあげ、三重奏となる。今までの声とは違い、歌っているように聞こえた。


「ケルベロスの遵従謌(じゅんじゅうか)を確認。統率効果により周辺の小型囚俘の襲来にご注意を。現在監視カメラとドローンで状況を確認中です。随時報告致します」


 大型と中型囚俘が小型囚俘を意のままに操ることができる<遵従謌(じゅんじゅうか)

 バラバラに動く生物が、訓練された兵士のように統率された動きで襲撃してくるのだ。


 吠え騒いでいたハウンドヘッドの動きが止まり、一斉に臨戦態勢。諫早たちのほうを向いて唸りをあげる。下顎を地面につけ、太い尻尾を振り上げる。


 中央のケルベロスの顎が前に振れたのを合図に、ハウンドヘッドが疾走を開始。

 下顎がアスファルトで削られ、血肉の(わだち)をつくる。痛みなど感じてない。肉が削れようが気にしない。削れながら再生していくのだから。爛々と輝く眼に映るのは、ただの獲物である諫早たち。


「お前たちは前に出るな、襲撃に備えろ」


 諫早が左肘にある自身の<核>に触れる。


「俺の刀、抜刀ッ!」


 強烈な白光が諫早を包み込んだと思った次の瞬間、光が上下左右に切り裂かれ、光の花弁を散らしていた。白い光の花弁が乱舞する中、諫早の右手には大型の片刃の黒剣が握られていた。


「諫早班長の抜刀を確認。タイムカウントを開始します」


 諫早の抜刀に、知れずとギルフォードとカイルの喉が鳴った。マリの腰が落ちる。


「速攻でいく。囚鬼鏖殺之技(しゅうきおうさつのぎ)斬華(ざんか)ッ!」


 諫早の赤黒い<核>が鮮血色に輝くと同時に黒の刀身に毛細血管のような微細な朱線が伸びていき、先端に到達すると同時に諫早の姿が(かす)み消え、颶風(ぐふう)が発生。


「クソ、またかよっ!」

「視界の確保を優先しろ」


 強風に巻かれ、飛んでくる砂塵から眼を守るため腕を掲げて防ぐ。髪や衣服の裾が弄ばれる。掲げた腕の隙間から前方を確認する。諫早の姿が見えないが、四体のハウンドヘッドの動きが止まっていた。一歩、二歩とグラつきながら脚が動き、巨大な頭部が爆砕した。脳漿(のうしょう)と血と骨が飛び散り、赤い雨を降らす。


 (くび)から上を消失したハウンドヘッドの傷口は、大輪の花が咲いたようだった。鼓動が波打つたびに血が吹き出て、止まった。


「本当にマジかよ……」

「これがエース……」


 風が止み、顔を上げたカイルたちが絶句する。


「いいえ、こんなものではありません。極東最強のエースは……」


 黒影がカイルたちの頭上に落ちる。背筋が凍る危機感に、全員の顔が上げられる。視界に映る黒影に目が見開く。


「中型など敵ではありません」


 小型通信機からフィセーヌの誇らしい声音が聞こえた。

 轟音。吹き荒れる風。立ちこめる土煙。驚愕に動くことができなかった。いや、忘れていた。カイル、マリ、ギルフォード、サイ、ユエラウは、自分たちをまるで避けて落ちてきた巨大な質量を、首を左右に動かして確認する。


 ケルベロスの右と左の頭部が縦にかち割れ、落ちた衝撃で血と脳漿が零れていた。血の海が広がっていく。


「また避けたか。お前、戦う気ないな?」


 さきほどまでケルベロスは居た場所に諫早が立っていた。刀に付着した血を払い、跳躍で後退し身を(ひるがえ)したケルベロスに諫早が刀の切っ先を向ける。二つの頭部を失ったケルベロスが、黄ばんだ牙を見せて(わら)った。意思を持った四本の鎖が音を鳴らしながら、蛇のように首を(もた)げる。


「やはりそういうことか……」


 一人納得してうなずく諫早。思考が事態についていけないカイルたちの頭上に疑問符が浮かぶ。


「お前は足止め役。キリムとどんな約束をしたか分かりたくもないが……」

「緊急報告。後方八時の方角よりサンランクス三体、フォレアレニエ四体が接近中っ」


 フィセーヌの報告でカイル、ギルフォード、サイが臨戦態勢で刀を構え、後方に注視を注ぐ。マリも慌てて立ち上がり銃槍(じゅうそう)型の刀を構える。ユエラウは壁を背に暴れるしーちゅを胸に抱いて恐怖に身を小さくしていた。そんなユエラウの前に盾のように美夕が立つ。


「俺の可愛い子たちを、喰わせるわけがないだろう?」


 穏やかに微笑む諫早だが、ケルベロスを見据える紫電と鮮血の瞳には怒気が宿っていた。二つの頭部を失っても平然としているケルベロス。脳を破壊されては再生できないというのに。見下げるケルベロスの視線は(あざけ)りが孕んでいた。



  ******



 一段飛ばしで階段を駆け上がっていく。踊り場で膝を(たわ)め、左手で掴んだ手摺りを支点に一気に踊り場を飛び越える。階段の五段目に着地。埃が舞う。俺は気にせず、上から響く足音を追って、薄暗い階段を急ぎ駆け上がっていく。


 何十年もたっているビル内の階段は、ところどころ壁に亀裂や崩れて()びた鉄骨が見えている箇所があるが、雨風に晒されている外部よりかはまだましだ。差し込む光に埃が白く反射して輝いているようだ。それはともかく、ヒビや穴があっても、この漂うカビと汚泥の臭気に鼻が曲がりそうになる。


 上から鉄の扉が開く音が反響して聞こえてきた。ティリエラがどこかの階に入った? それとも屋上か? 俺は速度をさらに上げ、階段を上っていく。



  ******



 足が勝手に動いてた。

 恐怖に震えるのではなく、ただここから逃げるために動いていた。


 私の名前を呼ぶ声がする。何を言ってるの? 足を止めたら、あの大きな黒い影に飲み込まれてしまうじゃない。


 また私を呼ぶ声がする。

 やめて、うるさい。うるさい、うるさい、うるさいッ!


 離れるなって言われていたのに。一人逃げてしまったことに、私が今一番驚いているのに。責めるように言わないでッ!


 もうダメ。無理なの。きっと限界なんだ。どんなに頑張っても、できることとできないことがある。どうすることもできない壁。刀は抜けない。刀が抜けたところで、私はこの恐怖に打ち勝つことはできない。


 ごめんなさい、お兄様。ティラは、ティリエラはもう限界です。<死核者>だったのです。

 極東送りにされた日から、私はこの日がくることを分かっていたのです。


 風が私の髪を撫でていく。いつの間にかどこかのビルの屋上に上がっていたことに気づいて、笑ってしまった。


 知らない街並みが視界に広がっている。支柱だけが残っている()びて朽ちたフェンス。今の私と同じだ。笑える。なんの役にもたたない。でも今はそれでいい。


 足が勝手に動く。ビルの(ふち)にまで足が勝手に動く。


 これでいい。これで『怖い』が終わる。『役立たず』が終わる。『化物』にならずに終われる。


 一歩前へ……。


「何やってんだッ!!」


 右手に熱。私の体が内側に引っ張られる。背中から熱に包まれ、倒れた私の視界一杯に青い空が広がっていた。背中に伝わる熱と激しく波打つ鼓動音。ジンジンと焼かれるように熱い褐色の手が、私の右手を掴んでいた。


 震えてる?


 身を(よじ)り、見上げた先には輝く紅玉の瞳があった。

 赤い、血のように赤い双眸(そうぼう)からは、玲瓏(れいろう)な涙が流れていた。


 なんてキレイなんだろう……。


 流れる涙に手を伸ばして、触れてみる。褐色の頬は炎のように熱いかと思ったが、まるで氷のように冷たかった。



  ******



 八階、九階と扉が開いた形跡がない。十階の踊り場で足が止まる。上階は屋上だ。階段の一段目に足を踏み込んだ時だった。小型通信機から(あまね)さんの悲鳴が聞こえた。背筋に悪寒が駆け抜け、階段を獣のように駆け上がり、()びついた鉄の扉を開け放つ。


 太陽の光で目が(くら)むみ、細められた視界に映ったのはビルの(ふち)に立つティリエラの姿だった。状況を理解するよりさきに、体が動いた。


「何やってんだッ!!」


 心臓が凍えて止まった、と思った。全身の血が冷えて震えが止まらない。

 ビルの縁から引っ張り、抱き留めたティリエラは(ほう)けて空を見上げていた。


 身じろぎ、ティリエラがこちらを向く。感情がない翡翠の瞳が俺を見上げる。

 左の繊手が伸ばされ、不思議そうに俺の頬に触れた。俺は泣いていることに気づいた。震えが止まらない。


「いやなんだ……」

「え?」


 口から言葉が勝手に出た。この震えの原因を俺は知っている。


「もう二度と目の前で大切な人たちがいなくなるのを見るのは、いやなんだ……」


 華奢なティリエラの身体を抱きしめる。力を入れたら折れてしまいそうな細くて脆い身体を包むように。どこにもいかないように。


 震えと涙が止まらない。南支部の、あの時の絶望と恐怖が、凄惨な赤黒い闇が俺を(さいな)む。

 目の前が真っ赤に染まり、鉄と生臭い死臭が漂ってくる。


 これは違う。この赤は幻視で、この臭いは幻臭だ。頭では分かっているのに、吐き気がする。息が上げる。

 赤黒い闇が揺らめく。揺らいだ闇から見知った顔が現われた。次から次へと闇が揺らいで知った顔が現われ、俺を取り囲んでいく。


 何も言わない無表情の人たちの中に、彼女がいた。俺と同じ鋼色の長い髪。しかし肌は白い彼女。その彼女が俺に向かって手を伸ばす。まるで助けを求めるように。


 守ると約束した。何があっても、俺自身を犠牲にしても、彼女だけは守ると誓った。なのに、俺は守れなかった。彼女の大事な時に傍にいなかった。あの真っ赤な阿鼻叫喚地獄に戻って彼女を助けられるのなら、俺は何だってする。


 助けを求める白い繊手に俺は右手を伸ばす。伸ばした手に白い指が絡み優しく握られる。熱い熱を感じた。


「リュウ、ごめんね」


 震える声。彼女じゃない、知らない声だ。いや、知っている。この声は……。


「ごめんなさい……」


 ティリエラの翡翠の瞳から滂沱(ぼうだ)と涙が流れ、白い頬を濡らしていた。俺の右手をティリエラが握っていることに気づき、我に返った。


「ティ、ティリエラ……?」

「ごめんなさい、ごめんなさいっ。だって怖かった、怖かったのっ!」


 涙とともに言葉が溢れる。


「死にたくなかったっ! 化物になりたくなかったっ! でも怖くて怖くて、もうどうしたらいいのか分からなくなって……」


 気づいたらビルの(ふち)に立っていたという。

 何度も謝るティリエラの頭を、俺は優しく撫でる。幼子をあやすように、できるだけ優しく、落ち着くまで。ティリエラの言葉に「うん、うん」とうなずきながら……。


 落ち着きを取り戻したティリエラが袖口で涙を拭う。目元と可愛らしい鼻先が赤くなっていた。俺と目が合うと恥ずかしそうに笑った。俺も笑ってみせる。


「急いで諫早(いさはや)さんのところに戻ろう」


 立ち上がってティリエラに手を差し出すと、戸惑いながらも俺の手を取ってくれた。嬉しさに顔が綻ぶ


「諫早さん怒ってないかな?」

「大丈夫だよ、諫早さんは優しいから。もし怒られたら俺も一緒に怒られるよ。俺も諫早さんの命令無視しちゃったしね」


 ティリエラの薄い肩が震える。声を殺して笑っていた。いつものティリエラに戻り始めている。


「じゃ、もど…………っ!」


 黒影が俺たちの上に落ちた。雲で陽光が遮られた、のではない。背筋に悪寒が駆け抜ける。見上げた先の空は青く透き通っていた。なのに俺たちを覆う黒い影があった。


 空の一部が揺らめく。それは擬態を解いて姿を現した。


 爬虫類種中型囚俘(しゅうふ)<キリム>がその巨体と、笑みを浮かべた五つの頭部を顕現させた。


「「み”~ずげだぁあ~」」

「しゃべっ、た……ッ!?」


 (しわが)れた声と甲高い声が言葉を発した。

 囚俘がしゃべった。俺とティリエラは驚愕に思考が止まる。囚俘がしゃべったなんて聞いたことがない。言の葉を発したなんて今の今まで一度も聞いたことがないっ!


 俺たちの驚きにキリムが(あざ)笑う。天使の微笑みを見せていた二つの赤子の頭部も、悪意に満ちた顔で(わら)っていた。


 ティリエラが俺の右手を強く握り締める。震えているのが分かる。静かに深く息を吸って、ゆっくり吐き出す。緊張で石像のように固まっていた身体を(ゆる)める。キリムを警戒しつつ横目で自分の刀を探す。いつどこで手放したか覚えていない。


「リュウさん、屋上出入口左に刀があります。それと抜刀から十五分以上経過していますので、急ぎ諫早さんの元へ」


 小型通信機からの周さんの言葉にうなずいてみせる。監視ドローンで俺たちの様子を見てくれている。でもさすがにこの状況で後ろを振り向いて刀を位置を確認する、ことはできない。キリムを視界から離すわけにはいかない。限界時間も迫ってきている。


 俺はできるだけゆっくりと、じりじりと後退る。俺がゆっくりと動いていることに気づいたティリエラが、俺を見る。視界の端に見える不安そうなティリエラ。


「大丈夫。俺に合せてゆっくり動いて」

「う、うん……」


 ゆっくり後退する俺たちを見て、キリムの口が悪意に満ちた三日月を(かたど)る。無駄な抵抗をしている矮小な生き物を見下げて、哀れみと(あざけ)りの視線を俺たちに投げる。


 俺の服を掴んでいたティリエラの手にさらに力が込められる。恐怖で震える身体。でも翡翠の瞳の中には炎が見えた。怒りと悔しさの炎があった。可憐な唇が噛み締められる。


 ティリエラは諦めていない。怖くて怖くて、それを終わらせようとしていたティリエラが、諦めていない。『生』にしがみついてくれている。なら俺はその想いを、ティリエラを守るだけだ。


 犬の咆哮が響き渡る。一つ、二つと増えていき、三重の咆哮となったそれは、まるで歌っているように聞こえた。ケルベロスの<遵従謌(じゅんじゅうか)>だ。


 キリムの五つの頭部が三重音の方へと動いた。俺たちから注視が逸れる。その隙は逃さない!

 俺はティリエラの両膝をすくい上げると同時に身体を反転。コンクリ床を蹴って出入口に向かって走る! ティリエラから小さな悲鳴があがるが、今は我慢して欲しい。


 ティリエラの悲鳴にキリムが反応。こちらの動きに気づいて右前脚をコンクリ床に振り落とす。衝突音と亀裂が走る。


 屋上出入口のすぐ横に俺の大剣型の刀が転がっている。ティリエラを抱えて飛ぶように疾走、からの左足を前に出して床を削るように減速。前に出した足にティリエラの両足をひっかけ、空いた右手で刀の柄を掴んで大剣を振り上げる。


 少女の頭部から悲鳴があがる。少女の口腔から伸びる赤い舌が血を撒き散らしながらのたうち、ずるずると口へと戻っていく。

 ティリエラを背中で庇いながら立ち上がり、刀を正眼(せいがん)に構える。


「周さん、ティリエラをお願いします」

「ダメですっ、中型と戦わずティリエラさんと一緒に離脱してくださいッ!」

「それは難しそう、なんですよね」


 苦笑が漏れる。少女の愛らしい顔が憤怒に歪み、蜥蜴(トカゲ)の頭部が俺を睨むつける。老婆と赤子たちは追撃失敗に(あざけ)るように嗤っていた。笑いすぎだと少女が老婆に噛みつき、頭部同士でケンカが始まった。


 隙だらけのように見えるが、蜥蜴と赤子たちはこちらを注視して視線を逸らさない。少し動いただけで反応を見せる。蜥蜴と赤子は冷静だ。


 ティリエラだけでもと思ったが、ケルベロスの<遵従謌(じゅんじゅうか)>で小型にどんな命令を出しているのか分からない。諫早さんと合流する前に小型と鉢合わせしたら、ティリエラに自分を守る術はない。


「周さんお願いです。ティリエラに近づく囚俘がいたら俺の教えてくだい。俺がティリエラを守ります」

「待ってくださいっ、リュウさんはキリムと戦うつもりですかっ!?」

「はい、なので周りに気が回せません。周さんが教えてくれればすぐに助けに向かいます」

「何を、言って……」


 周さんの絶句を無視。


「ティラも何かあったら大声で叫んで、すぐに戻るから」

「ちょっと待ってリュウっ」


 俺はティリエラに向かって笑ってみせる。できるだけ優しく、安心できるように。


「大丈夫。ティラは守るよ」


 守れなかった南支部のみんな。そして彼女の分まで。必ずだッ!


「ちが、違うっ! そうじゃないっ!!」

「行ってくるね」


 キリムに向かって走り出すと、五つの頭部が艶然と笑みを浮かべ、後方の飛翔。隣のビルに着地した。やっぱり俺が目的だ。目的の俺がティリエラから離れれば、ティリエラは安全だ。


 俺はキルムを追って灰色のビルから跳躍する。

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