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常香炉奇譚 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ほい、こー坊。お前の分の線香じゃ。常香炉にあげにいくぞい。


 ――すでに大勢が線香をあげているから、煙はそこから浴びればいい?


 お前な、いまからそんなセコいこと考えとると、ろくな目に遭わんぞ。

 じいちゃんが大事にするのは、ご利益うんぬんより気の持ちようじゃな。

 自分が直接かかわったことだからこそ、実現した時はうれしいし、うまくいかなかった時には悔しい。じゃから、自分を磨くことに意欲が湧いてくる。


 誰かから力を借りるのも大切といえば大切。じゃが、人生にはどうしても自分ひとりでやらなきゃいかんことが、いくつもある。その際、「誰かがいれば」とか「誰かに助けてほしい」とか思っても、かなわないことばっかりじゃ。

 自分のやった仕事と成果を見極める。その取り分以上を、小賢しく求めることはしない。そうしないと、どこまでが自分の限りか分からなくなるでな。身の程知らずな振る舞いにつながる。

 この線香も、その予防の一歩というわけじゃ。

 

 ――ふうむ、まだちょびっと納得いかんという感じじゃな。

 

 じゃあ、こんな話はどうじゃ。

 常香炉をめぐる、ちょっとした昔話じゃ。

 

 

 この線香の煙、身体のいろいろなところへあてて、健やかなることを願うと、広く知られていよう。じゃがそれ以外に、これから本堂へ行く参拝客の穢れを取り去る役目を帯びているのじゃ。

 いわば手洗いうがいが、神聖な儀式の段階まで昇華したもの。じゃから人の多い昼間は、絶えることがないよう焚いておるが、人の少ない夜にはこれらの火を消しているのが一般的じゃ。


 この煙のご利益の部分にのみ、目をつけた少年がおった。

 彼は父親が出稼ぎに出ており、母親もさして体調はよくなく、仕送りが来るまでの間は、率先して外へ働きに出ていたそうじゃな。

 自分の稼ぎは決して多くない。父親の無事、母親の回復、自分の健康と願うことはたくさんあったが、線香を買う金さえ自分には惜しい。

 日々、前を通る寺の境内で香炉の煙を浴び、賽銭を入れないまま手だけを合わせて、その場を後にする。

 罪ではないものの、事情を知るか知らぬかで、印象が変わる所作ではあろうな。

 

 その彼は、夜に母親が寝入ってからお百度参りも行っておったらしい。

 53日目を迎えたその晩は、肌に触れる風こそ暖かいが、草履越しに伝う土や石段の冷たさは、あたかも霜が降りたかのようという奇妙な空気。

 痛みを覚えながらも、お参りを途切れさせるわけにはと、少年はどうにか境内へ入り込む。

 その時に気づいた。本堂前の常香炉から、一筋の煙が出ていることに。


 この時間、寺の者が線香を売っているとは考えられない。自前で持ち込んだのだろうか。

 そう思いつつ、そうっと香炉をのぞいてみる少年。

 煙の出どころと思しき、線香の頭部分はもはや爪の先ほども残っていない。中を埋めつくす灰の仲間入りをするのも時間の問題じゃ。これを立てた主は、よほど早くにここへ来た者なのじゃろう。

 少し悩んだのち、少年はその細い煙をそっと手に受ける。

 足、胸、頭……どこが欠けても、仕事をするに差しさわりが出よう。

 煙が絶えてしまうまで、たっぷりと身に浴びた少年は、そのまま賽銭箱の前より、本堂へ向かって手を合わせ、いつも通りの祈願を済ませた。



 その翌日のことじゃ。

 昼は「ぼてふり」で、貝や野菜などを売り歩く少年。その日は珍しいほど売れ行きがよく、日暮れ前にはザルが空っぽに。

 これもご利益かと、初めはニヤニヤしていたものの、家に帰って金の勘定を始めてから、その顔は苦いものに変わってしまった。


 多くもらいすぎておったんじゃ。

 ひとつひとつはわずかなものじゃが、ちりも積もればなんとやらで、数日分に相当する売り上げが、手元にあったという。

 自分はきっちり値段を伝えたし、受け取る際に数えたはず。しかしこうも現実を見せつけられると、たいてい疑いを持つのは自分の記憶じゃ。

 誰かに対し、誤った値を伝えたか? だが、ひとりふたりに対してこの額なら、買う側が戸惑い、文句を言ってくるのが道理だろう。

 かといって、客のほとんどが酒手をはずむような感覚で、自分におまけをしてくれるなど、あり得るだろうか? これまで一度もなかったことが、なぜこうも同じ日に、大量に?

 絶対におかしいと、少年は増えた分の金には手をつけずにいたのだが、そのせいで肝を冷やす羽目になったんじゃ。


 少年が金をしまい終えてほどなく。

 家の戸を叩く音がして、出てみると羽織を着た男が二人。「聞き込みに協力願いたい」と話す男の片方は、懐からさっと十手を見せてきて、少年はどくりと胸が強く打つのを感じた。

 岡っ引き。現在の警察官にあたる同心の手の者で、探し物などの際は彼らが市中を回ることもある。

 よもや、あの金のもらいすぎを詐欺と疑われたのかと、少年は心中穏やかではなかったが、その予想は半分外れ、半分は当たっておった。



 岡っ引きは、少年がお百度参りをしている神社の名を出し、賽銭泥棒が入ったと告げてきたそうじゃ。

 早朝、賽銭の中身を改めようとした住職が、箱の一部の釘が抜けて、板が外れかけていたのを見た。まさかと中を確かめたところ、中身がすっかり姿を消していたのだそうじゃ。

 小さい神社ということもあって、回収は数日に一度。しかし小僧の中に賽銭を管理する者がいて、おおよその額を把握していたらしい。

 伝えられた額に、少年はまた寿命が縮みかねないほどの衝撃を受けてしまった。

 先ほど数えた、本来の売り上げをのぞいた差額と、ほぼ一致するではないか。


 ――まずい。天地神明に誓って盗みなぞしていないが、このまま家探しされてあの金を見つけられたら、どうなる。額の一致が分かれば、おとがめなしとはいかないだろう。

 まかり間違って、盗みの罰を受ける羽目になれば、母はどうなる?

 落ち着け。落ち着け。落ち着いて、応じろ……。



 そう言い聞かせて、相づちを打ちながら遠回しに引き取ってもらおうとするも、声の端でも震えていたか。岡っ引き二人の顔に、じわじわと疑いの色が見え始めたところで。


「お引き取りください」


 少年ではなかった。

 その場の三人が、一斉に見た視線の先に、布団へ横たわる母親の姿があったのじゃ。


「お上にお世話になるような子に、育てた覚えはございませぬ」


「お気持ちはごもっとも。しかし失礼ながら、私どもも潔白とは言い切れぬとみております。検討のすえ、息子さんをしょっぴくことになっても、かまいやせんか?」


「そのようなことあらば、何者かの濡れ衣かはかりごとより他に、ございません。

 いざ、お引き取りを。こうしている間に、まことの犯人は思うままに泳ぎましょう」


「ぬ……そこまで申されるなら、ここは引き下がりましょう。

 意に沿わぬ結果になろうと、悔いることなきよう頼みますぞ」


 なかば捨て台詞を吐き、岡っ引きは玄関を去っていく。

 足音が遠ざかり、へたへたと腰が砕けてしまう息子に対し、母親はそのまま事情を尋ねる。

 そうして昨晩のお百度参りのいきさつを聞き、こう説いたのじゃ。


「それは本堂に入る前のお賽銭を、清めるための煙だったんだね。誰が用意したかまでは分からないよ。

 でも、あんたがその最後の締めにあたる部分を、ぶんどった形になったんだね。

 だから奪われた最後の清めを求めに、あんたのもとへ来た。ことによると、もうみそぎは済んで、彼らは帰っているかもしれないねえ」



 少年は、金をしまった押し入れを開ける。

 確かに先ほどまで、どっさりとあった小銭たちは、きれいさっぱり姿を消しておったんじゃ。



 お賽銭が戻っていることは、翌日にすぐ知らされた。

 ほどなく、ひとりの浮浪者がしょっ引かれたらしい。彼は賽銭箱を壊したことは認めたらしいが、中身を奪ったことに関しては、一貫して否定の姿勢をとったそうじゃ。

 いわく、中には一銭も入っていなかったと、譲らなかったとか。


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