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遠いあなたは君で私  作者: 蒼伊織
うす桜の記憶
8/29

     八


 ある日の、放課後のことだった。


 その日青空は部活があって、わたしたちは帰宅時間が彼女とずれた。

 わたしと雨は青空が部活に行くのを見送ったのち、二人一緒に下校した。

 なんとなく気恥ずかしくて雨とつきあっていることは青空にも言っていなかったので、二人きりになるまでわたしと雨にはいささか距離があった。


 でもそれも、人目につかない下校路に行けばなくなった。

 二人きりになればわたしと雨は、紛うことなく恋人同士。

 端から見たら甘ったるいような会話の応酬を、惰性に紡いでいく。


 並んで歩く夕暮れ道すがら、わたしは、悪戯に尋ねた。


「わたしたちがつきあってるって青空が知ったら、なんて言うんだろね」


 頬が熱くなるのを感じながら言い切ると、珍しく雨も顔を赤くしていた。

 見れば、居心地の悪そうに雨は視線をさまよわせている。


 普段表情の乏しい彼のその、素直に照れた様子がどうしようもなく愛おしい。

 胸のあたりがきゅうぅっとなって、心地よくも息苦しい。


 わたしもわたしで率直に自分の想いを紡ぐことには慣れていないので、自分を悟られないようにしながら雨の様子を伺う。

 前を向きながら時折雨の様子を確認して、でもやっぱり彼の顔を直視することはできなくて、前を向く。


 肩が触れ合う程度だったわたしと雨との空白がつめられて、彼のごつごつとした手とわたしの手が、つながる。


 乾燥肌の雨の手をなぞるように指で触れると、雨が、くすぐったそうに反応してくれて面白い。


 そのまま戯れに指を動かしていると彼の方から指を絡められて、動きを制された。


 黄昏時を二人、手をつないだまま歩く。


「いつか、言わないとね」


 いつも曖昧にのらりくらりとしている雨のその言葉にも、そのはっきりとした口調にも、驚いた。

 はっとして顔をあげると、雨もわたしを見ていた。

 いつも通りの優しそうな、慈しみを多分に含んだ目とどこかさびしげな口元がまた、わたしの平べったい胸を締めつける。


 驚いたし、それに、嬉しかった。心満たされるような、そんなぬくもりがあった。


 雨もわたしと、青空たち大切な人との未来を、夢想してくれている。


 その事実だけでわたしは、単純なまでに全力で多幸感に包まれてしまう。


 いつまでもこの時にたゆたっていたいと、そう思ってしまう。


 ──ありがちだけど、そんな、二人の思い出に浸るような夢をみた。


 目を開ける。

 自室の四畳半にわたしは寝転がっている。

 いつの間にか眠っていた。

 眠る前の記憶が、睡眠に入る直前の子細が、おぼろげだった。

 いつ眠りに入ったのか、記憶にない。


 体を起こすと、枕代わりにしていた右腕が痺れていて動きが鈍かった。

 感覚も麻痺しているようで、つねっても叩いても、反応がない。

 むうっと唸りながら、言うことを聞かない右腕を引きずって立ち上がる。


 腕を持ち上げる、という感覚が正確なほどにわたしの右腕は言うことを聞いてくれなかった。

 左腕でどうにかあらぬ方向にいかないよう支えながら、狭苦しい部屋を見渡した。


 なんの変哲もない自分の部屋を前に、少しずつ神経をつなぎ直すようにしながら目を覚ましていく。


 わたしは昨日、いつもの通り執筆をしているさなかに眠ってしまったのだろう。

 よくあることだ。

 意識して眠ろうとしないからいつの間にか体が充電切れを起こしてしまい、そのタイミングで気絶するように眠る。


 現在時刻は午前四時半。

 わたしの眠りは基本的に三時間しか継続しないから、寝落ちした時間は大体夜中の一時半といったところだろうか。


 くぁっとあくびを隠すこともなく放出しながら、のびをする。

 一通りストレッチを終えると、また頭の中には創造の世界が広がった。

 寝る前に書いていた世界。

 その続き。さらにその向こうの世界。

 そこへの道程。道筋。文字の羅列。


 とめどないそれらを消え去ってしまう前に書き留めようと、開きっぱなしだったパソコンに打ち込みはじめた。


 余計なものは、いらない。


 邪魔なものは全部、取り払おう。


 必要なものとそうでないものをはっきりとさせ、いらないものを排斥する。


 どんどん、くっきりとしていく。

 なにが必要で、なにが必要でないか。


 必要なものは残して、不必要なものは捨て去る。


 それでわたしは、完成する。


 クリアで、克明で、鮮明な、わたしが。


「……」


 一瞬、ひと月前に別れた恋人との日々が浮かびかけた。

 でもそれも必要ないと、振り払って忘れる。


 もちろん記憶なんて簡単に消せるものではないけど、意識を別の場所に向かわせて、忘れた気になっている。


 わたしの場合、小説こそがその「別の場所」たり得た。


 それさえあれば、他のものすべて、必要ないと忘れることだってできる。


 誤魔化しではない。自分に対する嘘でもない。

 見栄を張っているのでもない。


 減点法において、マイナスゼロは、満点。

 だからわたしは、余計なものをすべて、捨て去る。


 そう迷うことなく宣言できるから、疑うことなく文章にのめり込めた。


 退屈な日々は、終わった。緩やかに死んでいく情を捨て去って、残ったのは、わたし。わたしだけが残って、クリアな世界を書き連ねることができる。


 他になにもいらない。


 わたしには、わたしがいればいい──。


 それで、いいんだ。

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