六
六
最近、夜が暗くなった。
明度彩度ともに皆無の空を見上げながら、ふとそんなこと思ってみた。
鬱屈とした丑三つ時、わたしは、街に繰り出す。
夜中の街を行き場も決めず徘徊するのは、久しぶりだった。
昔のわたしは結構頻繁に深夜、家を抜け出していた。
小説のアイディアが煮詰まったり、憂鬱に心様が閉鎖的になったりしたとき、塞ぎ込んだ気分を一新するべくわたしは夜道を歩いた。
つい先日のことだ。
わたしは、一年ほどつきあい続けた恋人の雨と、別れた。
その交際期間に、終止符を打った。釈然としないわたしの心は、いつまで経っても晴間を見せてくれない。
うつむきかけた顔を上げて無理くり前を向いても、視界のはしがぼやけたように黒くて暗い夜の一本道が、まっすぐに続いているだけだった。
別に、雨とよりを戻したいとかそういうことは思わない。
思うわけがない。
だって、彼に別れを切り出したのはわたしだ。
わたしが彼に、別れようと言った。
その事実は過去でありどうやったって覆せるわけがないのに、ここ数日幾度となくわたしは同じ思案の道筋を辿り続けている。
自然と足は進む。
決して前向きになれない前進を無為に続けながら、煩雑とした頭をどうにか整理整頓しようと試みる。
散歩はわたしにとって、乱雑に散らかった部屋を整理してくれる行いだ。
見渡す限りに散らばった記憶や思考や信念や妄想を、どうにもならないものたちを、一度本棚やおもちゃ箱に収める。
夜の街を歩いていたって、得るものはない。
まったくのゼロということもないのだろうが、図書館で思いのまま本を選び取って読み漁るのとはわけが違う。
読書や暗記は、部屋の中にものを増やす作業。
散歩や入浴に付随する思索は、それらを片付ける作業。
そしてわたしにとって小説──もとい創作作業は、部屋の中に新しいものつくりだす作業だった。
ある種閉鎖的で、内向的であることに違いはない。
しかしわたしにとって生きることの本随は、そこにある。
なにかを生み出すために、人は生きている。
さらにわたし自身に限定すれば、小説を書くために、生きている。
生命維持は小説を書くため。
エネルギー補給は小説を書くため。
勉強は小説を書くため。
人と話すのは関わるのは、小説を書くため。
わたしはわたしのために、小説を書き続けるためだけに生きている。
「──ふぅ」
ようやっといつもの自分が戻ってきて、わたしはため息を吐く。
思うに、ここ最近のわたしはわたしらしくなかった。
恋愛など、すべきではなかったのだ。
わたしはもっと、わたしらしく。
わたしのためだけに、生きていればいい。
「……あれ?」
頬を伝う生ぬるい液体に気づいて、静かにわたしは声を上げた。
頬を拭い、手にまとわりついた透明な液体を見るともなく眺めた。
別に誰に見られるでもないから、涙はそのままにまた歩き出した。
思考の整頓も終わり心の平静も取り戻したから、わたしは家に帰ることにした。
狭苦しくて息苦しいけど、わたしの帰る場所はもう、あそこにしかなくなった。
十七歳、春。
わたしは恋人と別れた。
「涙、初めてだ」
自分の感傷が酷く不自然なものに感じられたけど、考えれば、別段不思議なことでもなんでもないのだった。
わたしは恋人と別れて、少なからず感傷的になっている。
たとえ子どもの遊びみたいな恋愛だったとしても、当人たちにとっては本気も本気で、このままずっと一緒にいるのだと、根拠もなく信じていた。
それが跡形もなく崩れ去った今、少しくらい、感傷的になったっていいじゃないか。
今だけは、ちょっとくらい。
普段は流さない涙を流してみたって、いいじゃないか。