四
四
冬の雨はやがて雪になる。
年明けからひと月が経ってわたしは、雪のちらつく街を窓の外に収めて惰性に時間を過ごしていた。
今日は自室の四畳半ではなく、青空の家の、彼女の部屋。
広い部屋の大きなベッドの上を一人で占領していた。
わたしは、安斎家が好きだった。あたたかくて、なんだか丸っこくて、居心地がいい。
家自体が大きくて、自分がお邪魔してもそこまで問題のないところも気に入っていた。
今もそう。
図々しくもわたしは、青空のベッドに転がって惰性に時間を過ごしている。
当の本人──部屋の主は、壁際のソファに座って雑誌を読んでいる。
とはいえそのソファも個人の部屋にある物にしては大きくて、人二人分、詰めれば三人は座れそうなサイズだった。
わたしは左手に携帯を握りながら仰向けに転がり、ふと、右手を照明に透かしてみた。
右手の薬指に、控えめに装飾の施された指輪がはめられていた。
「あれ? さくら指輪? 珍しいね、そういうの、嫌いじゃなかったっけ」
目敏くそれに気がついた青空に指摘され、はっとする。
無意識のうちにそれを見上げていた自分を恥じて、手をひっこめた。
「え、なに、なんか怪しい」
その所作が余計に青空の不審を煽り、彼女は、雑誌を閉じてこちらに詰め寄る。
「なんでもないよ。なんとなくデザイン気に入ったから、着けてるだけ」
曖昧に誤魔化して笑ってみせると、まだ怪訝そうにしながらも青空は一応、納得してくれた。
それ以上追及せず引き下がり、ソファに座り直す。
青空とわたしの関係とはつまり、こういうものだった。
なにかあるな、なんだろうな、と思っても、本人がそれを口にしなければ無理やり聞きだしたりしない。
踏み込まない。
今は無理でもいずれ話してくれると、そう信じて疑っていない。
わたしも、いつか話せたら、とは思っている。
彼のこと。この指輪をくれた、恋人のことを。
「そうだあお、これ、この、スマホで書いた文章パソコンと共有することって、できないのかな」
話の方向転換がてら、最近始めた取り組みの不明点を尋ねてみた。
「共有って、あぁ、文章だけなら、簡単にできると思うよ。クラウドで繋げちゃえば勝手に更新してくれるし、メールでファイル添付とかでもいいじゃん?」
「く、くらうど。てんぷ?」
余談だが、わたしは機械類にめっぽう弱い。
本をたくさん読んできたから知識量だけは多いという自負はあるのだが、パソコンや携帯端末となるとてんでだめだ。
小説を書く際に重宝しているパソコンだって、文書作成ソフトとインターネット検索しか使いこなせていない。
青空や雨を頼ってばかりはいられないので自分でも学んだ方がいいのかなとは思うのだけれど、どうしても気持ちがついてこない。
どうしても──小説以外の領域に出てしまうと興味を失ってしまうという性分を持ち合わせってしまったのだ。
わたしにとって大切なものは、小説。
自分の世界を、自分の言葉で紡ぐこと、それだけだから。
もちろん青空や雨と過ごす時間も紛うことなく大切で。
それもまた別枠でわたしの重要な部分を守ってくれている。
「なに。ワードからスマホにシフトチェンジしたん?」
そんなわたしが普段まともに携帯することもないスマホで文書を──小説を書いていることが珍しかったらしく、青空は先までの話題をすっかり忘れてくれた。
「いーや。基本はパソコンで書くんだけど。寝ようと思ってパソコン閉じたらまだ頭の中でお話続いてるーってこと、ない? さっきまで書いてたんの続きとか、また別のシーンとか。どんどん、とめどないの」
「うん。あたしは小説を書かないからわかんないね」
要するに、パソコンを使えない時などそれを使わなくても小説が書けるようにスマホを使いはじめた、ということだ。
昔はわたしも、ノートや原稿用紙にペンで文章を書き連ねることを美学としていた。
だけど、家族にも内密に出版社に投稿した小説がある新人賞の佳作をとったことをきっかけに、個人用のパソコンを買い与えられた。
そこからはずっと、パソコンで小説を書いている。
「じゃあ、まぁ、あとで設定してあげるね」
「ん、ありがと」
なんだか便利扱いしているみたいで気が引けた。
あとで、青空の好きな炭酸飲料をなにか、お礼として買ってあげようと心に決めた。
「で? なに書いてるの?」
ぼふっ、と音を立てて、わたしの隣に青空が寝転んだ。
わたしに並んで端末を覗き込んで、尋ねる。
「いつも通り、小説だよ。あぁ、まぁ、いつもよりはバラバラかな。思いついたシーンとか、『おりてきた』やつ、書いてってる」
わたし特有の独特な言い回しにも、青空はすんなりとついてきてくれる。
小説家を生業としているのに口下手なわたしの言葉を、ごくごく自然に青空が、拾い集めてくれる。
濁流のように連なって並ぶ文字の羅列にも、青空は、特別驚いて見せる様子もなかった。