遠いあなたは君でわたし
教室の雑踏を耳の片隅に手紙を書き終えて、簡素な便箋に収める。
顔をあげて、ふぅっと、一息吐く。
今一度手紙の内容を振り返ってみると、随分とメルヘンなものだった。
小説内の小道具として使えるかと実際に書いてみたけれど、これを自分が書いたと思うだけで不快感が形となって背中のあたりを走った。
わたしがこんな乙女チックな思考を持っていたという事実が、自分でも意外だった。
でも、そうではないのだ。
小説を書いているときのわたしはどこまでも透明だから。
自己主張なんて少しも持っていなくて、それ故に登場人物に寄り添った文体がつくれる。
自分が生み出した人物の思考、思想、信念、感情、考え方の癖までも模倣して、自分のものにする。
そうすることで無駄のないわたしだけの文章が書ける。
殺人の話を書いたからといって作者が人を殺すわけがないし、つまるところはそういうこと。
この手紙も、今回の小説のヒロインの思考をトレースして書いたに過ぎない。……はずだ。
なんてことをわざわざ考える自分の思考が、言い訳をしているようで嫌だった。
思考を散らそうと、休み時間の教室の光景に視線を移した。
なんだか、奇妙な光景だった。二年生のわたしの教室のはずなのに、窓際で談笑するグループの中に雨がいた。
隣には青空がいて、もう一人、右腕のない女の子もいた。
誰だろうと思ったけど、その疑問も不思議とわたしの体をすり抜けて、どこかに落っこちてしまった。
奇妙で不思議でともすれば異常な光景だったかもしれないけれど、わざわざそんな思慮を抱くことも無粋だった。
だって、目の前の光景はあまりにも美しかったから。
おだやかで、たおやかで、あたたかかったから。
雨がいて、青空がいて、なんだか知らない女の子もいて、楽しそうに話をしている。
窓の外の樹木から教室に射す木漏れ日は眩しくて、でもそれほど激しい光でなくて。
──あぁ、ここにあったんだね。わたしが探していたもの。
物語を書き綴りながら、ずっと探していた気がする。
わたしの、わたしだけの美しい世界。
誰にも汚されない、桃源郷。
真っ白で、それでいて透明で、誰しもが誰でもなく誰しもが誰でもある場所。
「さくら」
青空に呼ばれて、そちらを向くと三人そろってわたしを見ていた。
青空が、手招きしている。
立ち上がってそちらに駆け出し、自然とわたしの顔には笑顔が浮かんでいた。
わたしがいて、わたしの小説があって、わたしの世界がある。
それがだいたい全部だった。
それでわたしは、完成されているはずだった。
だけど今、はじめてわたしは完成した。
青空がいて、雨がいて、わたしの人生の大部分に寄り添ってくれた二人がいて、わたしは──ただ一人の秋光さくらは完成した。
そしてそれには、片腕のないその女の子が必要不可欠だった気がした。
根拠はない。あるわけがない。
でも、わたしの最後の一ピースは彼女が持っていて、彼女の一部は確かにわたしだった。
「さくら」
と、そう口にしたのがわたしだったのか、その子だったのかはわからない。
これで、全部だ。
わたしのすべてが、ここにあった。
いつだって、淡い光の中にわたしと彼女はいる。
青空が笑う。
雨が笑う。
わたしも笑う。
右腕のない女の子が笑う。
綺麗に、笑う。
遠いあなたは君で私 了