第一話 魔力ゼロの召喚士
この世界には二種類の人間しかいない。
召喚士とその他大勢だ。
豪邸に住み国一番の美人と結婚する。
面倒な家事はすべて精霊メイドたちに任せればいい。
一流のスーツを着込み、国王の悩みをインテリな悪魔と昼食前に解決する。
街の警備はミノタウロスに任せ、市民からは尊敬の眼差しを向けられる。
ひとたび戦となればドラゴンを駆り、敵国の兵士など瞬く間に消し炭だ。
まさしく最強の職業。
召喚士になれば薔薇色の人生が約束されるだろう。
そう召喚士になれば──
「ただいま」
「おかえりなさいウィル。今日も召喚術の勉強?」
「ああ。入学試験まで今日入れてあと四日だしな。最後の調整さ」
「あんまり無理しないでね。あなたはいつも頑張りすぎるから」
「へーきへーき、わかってるよ母さん」
村はずれの森で自主練習を終え、家に帰ると母さんが出迎えてくれた。
使い古したテーブルの上にはパンとシチューが用意されていた。
「美味しそうでしょ。そろそろ帰ってくると思ってたの」
「母さんはなんでもお見通しだな。畑を耕すより占い師の方が向いているんじゃないか?」
「おだててもダメよ。占いは精霊の仕事だもの。ほら、冷めないうちにご飯にしましょ」
席について夕食にする。
ちょうどいい温度になったシチューをスプーンですくって口に運ぶ。
いつものジャガイモとニンジンだけじゃなく、鶏肉まで入った豪華なシチューだ。
それほど俺に期待してくれているのだろう。
エーテル魔術学園に入学し、ゆくゆくは立派な召喚士になってくれると信じているのだ。
「ごちそうさま。洗い物はやっとくよ」
「そんなのいいのに。疲れてるでしょう」
「勉強ばっかだと気が滅入るからさ。気分展開だよ」
井戸から汲んだ水で食器を洗いながら、俺は心の中で謝っていた。
もう一か月くらい召喚術の勉強なんてまともにしていない。
今日も自主練習と自分に言い聞かせながら森の中をブラブラしていただけだ。
だって俺に召喚士の才能なんてないのだから。
「はー、どうするかな」
洗い物を終えた俺は自分の部屋のベッドに寝ころび、ため息ついた。
ギシギシとスプリングの軋む音が憂鬱な気分を助長する。
召喚士を目指すなら当然体に宿している魔力、召喚獣を呼び出すために必要な燃料がないことに気づいたのは一年前。
死にもの狂いで勉強しているのに、インプの一匹も呼び出せないことに疑問を覚え、隣町で昔召喚士をしていたというじいさんに診てもらったのだ。
結果は最悪、俺にはわずかな魔力すらもありはしなかった。
つまり一般人、村のやつらと同じどこにでもいる人間にすぎない。
それ以来勉強にも身が入らないのだ。
召喚士になれば大金を稼ぎ貧乏から脱出、母さんにも楽をさせてやれると思っていたのだが、淡い夢だった。
小さい頃に失踪した親父もけっして才能のありそうな召喚士には見えなかったが、息子はそれ以前の問題だったというわけだ。
魔力は親から子供、子供から孫へと受け継がれるのが当たり前で、実力のある召喚士は同じ家の出身者が多い。
ごく稀に存在する『人間戻り』がまさか自分のことだとは思いもしなかった。
苦労して魔術学園に入学する学費を貯めてくれた母さんには言い出せず、ついに入学試験直前まで来てしまったのである。
「明日こそ……明日こそ言う。絶対言う……」
大したこともしていないのに、体は休みたいらしい。
この一年間言うつもりだったセリフをつぶやきながら、俺は眠りに落ちていった。
☆
翌朝、俺はまた自主練習と言って家を抜け出し、村を歩いていた。
古本市で買った魔術書を片手に、牧場の柵に沿って森を目指す。
帝都から遠く離れたこの村は年々子供の数も減り、過疎一直といった感じだ。
「やだ、あの子だわ。いつになったら召喚術を見せてくれるのかしら」
「またブラブラしてるのね。まったくステリオの家は……」
牛の世話をしている女たちが陰口を叩いてくる。
治癒系召喚獣を操る親父が失踪したことで、俺と母さんは村から冷遇を受けていた。
安い賃金でこき使っていたくせに、いざいなくなれば陰湿な言葉を投げかけてくる。
俺に才能さえあればこんな村今すぐ出ていってやるんだが……。
と、考えながら歩いていると背中に強い衝撃を受けた。
「っ……! いってーな! だれだ!」
地面にキスしそうになりながら叫ぶ。
キレながら振り向くと、そこには見知った顔がいた。
この村で一番合いたくないヤツが。
「今日も森に引きこもってお勉強か? ウィル」
「デジル……なんの用だ」
金色の短髪でニヤニヤと俺を見下すのは、村一番のクソ野郎デジル・ザウートだ。
試験を突破し召喚士になるのは自分だけだと思っているようで、ことあるごとに俺に突っかかってくる。
後ろには取り巻きのデブコンビまでいて、むかつく顔でジャガイモをかじっていた。
「いい加減あきらめろよ。五年かかってインプ一匹呼び出せねぇんだろ? 才能ねーんだよ」
「お前には関係ないだろ」
「関係あるね。出来の悪いクズと同じ村の出身なんて知れたら、俺様の評判まで下がっちまうだろ。試験官の心象は良くしとかねぇとなあ」
「そうだクーズ」
「クーズ。クーズ」
言いがかりも大概にしろという感じだが、コイツらと喧嘩しても何の得にもならない。
俺は落とした魔術書を拾うと背を向けて歩き出す。
「おいおい、無視するつもりかよ。夢想野郎が調子に乗ってんじゃねーぞ!」
「…………」
「チッ、ふざけんなよオイ!」
なにか勝手にボルテージが上がっているような気がする。
反応してもしなくてもキレるとかどうなってんだコイツは。
「がんばってるアピールしてるやつを見るとイライラすんだよなぁ。テメェには現実を教えてやるよ」
「現実? 手品で現実を教えてくれるのか?」
思わず振り返ると、こめかみに青筋を浮かび上がらせたデジルがハンカチを手に、俺を睨みつけていた。
手品なんて軽口を叩いたが、これはヤバい。
こいつやるつもりだ。
「デジル・ザウードの名において命ずる! 出ろ、厄災の小鬼!」
声に合わせてハンカチに書かれた召喚陣が青白く発光する。
光が収まると、ジデルの前に木のこん棒を持ったゴブリンが出現していた。
「やれ。あのクズをボコボコにしろ
「ボコボコにしろー」
「しろーしろー」
まさか無抵抗な人間に召喚獣をけしかけるとは。
前から危険なヤツだとは思っていたが、ここまでだとは思わなかった。
こうなったら全速力で走るしかない!
「逃がるつもりかよ。親父と一緒だな」
「……なんだと?」
カチンとこめかみで音が鳴った。
その言葉だけは許せない。
母さんを見捨てた男と一緒にされてたまるか。
「取り消せ。でないと後悔するぞ」
「させてみろよ。やれゴブリン!」
俺は拳を握りしめゴブリンに殴りかかった。
召喚獣に素手で勝った人間なんて聞いたことないが、知ったことか。
デジルのついでにぶっ倒してやる!
そして──
「ゴブ、ブブ!」
「ぐっ……げほ!」
数秒後、こん棒でわき腹を殴られ俺は地面に転がっていた。
渾身の右ストレートは空振りに終わり、口の中に血と砂の味が充満する。
ゴブリンの召喚獣ランクは六段階の一番下、Eランクだが、それでも人間の大人より力はある。
それが鈍器を持って殴ってくるんだ。
めちゃくちゃ痛い。
「あぐ、ううぅ……」
「腕を折ってもいいんだが勘弁してやる。試験は辞退しとけよ」
「辞退しろー」
「辞退! 辞退!」
デジルとデブコンビは唾を吐いて去っていった。
現実を噛みしめながら、俺はその場でうずくまるしかなかった。