第三回~人狼~
おそらくここ数年で一番の盛り上がりを見せた飲み会が終わり、サヤカはルミと一緒に片付けをした。マキトだけでなくキョーコも手伝ってくれた。ここまでを見るに、キョーコはただのいい人でしかない。
食事・片付け・風呂を済ませ、集まる四人。学生が友達の家でお泊り。キョーコも見た目が幼いせいで違和感がまったくない。全員同級生だと思われてもおかしくない。
「やー、おいしいご飯とお酒だけじゃなく、お風呂に寝床まで。すみません、お世話になっちゃって」
座ったままキョーコが頭を下げる。手伝ってもいたのに、丁寧だ。
「こちらこそ、申し訳ありません。お手伝いに来ていただいたのに、おじいさまが帰ってこないなんて……」
結局、村長は現れなかった。マキトの家まで行けばいいのだろうが、もう時間が遅い。キョーコを放っておくわけにもいかない。
「いえいえ。そこはお仕事ですから。お金をもらっている以上、家主が不在でも働かせていただきます。それに、ルミさんはしっかりしておられますから。何も問題はありません」
それは確かに。ルミの指示があれば、キョーコの仕事はいくらでも作れる。村長がいなくてもいける。ルミのすごさが改めてわかる。
キョーコは誰に対しても非常にフレンドリーに接する。それでいて、奇妙な言葉以外は礼儀がなっている。相手を不快にさせない。何者かはともかく、話せる相手だ。そう思い、サヤカは思い切って話を切り出した。
「あの……どうして、人狼という名前でお仕事を?」
今、サヤカが一番気になっていること。人狼という名前はいいとして、どういう理由でそんな名前にしたのか。
「あ~……変ですかね、やっぱり」
キョーコが気恥ずかしそうに頭をかく。あれだけノリノリで名乗りを上げた割に、名前のセンスを気にしているのか。
「いえ……ただ、どうしてかなって思って」
この村の話を出さないよう、かつキョーコに失礼のないように尋ねる。
「いやぁ、大したことでは……最近、一部で流行ってるんですよ。人狼ゲーム。私、あれが好きでして……社名にしよっかなって」
照れ臭そうに笑いながらキョーコが言う。たいそうな名前に反して子供みたいな理由だった。
「まあ、社名といってもちゃんとした会社じゃないんですが。本当にただの便利屋です。誰かの役に立ちたいという理由が始めたんですが……名前を売るなら、印象的な奴のほうがいいかなーって。それを考えてたら、人狼ゲームが好きだし人狼でいっかなーなんて」
どうやら他意はないようだ。確かに、ただの便利屋の看板に『人狼』なんて書いてあったら印象に残る。
「ぶっちゃけ、特に意味はないんですよ。どうか気にしないでください」
やはり恥ずかしいのか、ちょっと顔が赤くなっている。謎の多い人物だったが、庶民っぽい面が見られた気がする。
どうやら、ただゲームが好きだから命名したということで間違いなさそうだ。社名ではなく呼び名だというのなら、そういった奇抜な名前にするのも理解できる。キョーコの恥ずかしそうなしぐさも本音に見える。それに、大学生で便利屋などという仕事をやっている理由も聞けた。誰かの役に立つため。その思いであれだけ働けるのだから、真面目でいい人なのだろう。
サヤカの疑いがようやく氷解した。確かに妙な偶然の重なりではあるが、少なくともキョーコが言い伝えの人狼だとは思えない。
「本当に人狼ゲームがお好きなんですね。よかったら、教えてくれませんか? 私も、少ししか知らないので……」
現実なのではと疑っていた人狼が、ゲームの話にシフトする。サヤカがすっかりキョーコに興味を持ち、自分から人狼などと言い出すようになった。
「サヤカさん、興味がおありですか! いいですよ、なんでも教えます! あ、もしよろしければこの四人でちょっとやってみませんか? スマホアプリで遊べるんですよ」
ポケットからスマホを取り出し、素早い指の動きで操作する。こんなところも器用。
「へえ、面白そうだな。ルミ、どう?」
「いいですね。四人でゲームなんてめったにありませんし。ぜひとも」
マキトもルミも乗り気。この村でそういうゲームをすることはないので、純粋に楽しみになっている。年が近いのはサヤカら三人だけだったので、村の中でしかも夜に集まってゲームをするなんて、三人ともが初めての経験だ。
「では、とりあえずやってみましょう。やりながら説明しますね」
キョーコが人狼ゲームの説明を始める。三人は真剣な表情でルールの把握に努めた。
それから夜遅くまで、四人は人狼ゲームに興じた。一戦終えては感想を語り合い、次は更に狡猾に騙し合い……日が変わってしばし、疲れからの眠気が襲ってくるまで、四人は学生相応の楽しみを分かち合っていた。
広い屋敷で、四人は同時に眠りについた。サヤカとルミ、そしてキョーコが三人で。マキトはその隣の部屋に布団を敷き、眠った。
「ん……」
翌日の日が昇る少し前。薄暗い時間にサヤカは目を開く。
特に何か感じたわけではないが、なんとなく起きてしまった。時間を確認し、まだまだ早いと寝ぼけ眼で認識し、もう一度眠りにつこうとする。
再び目を閉じる前に、サヤカは気づいた。
「ルミ……?」
隣で寝ていたルミがいない。反対側、キョーコは静かに寝息を立てている。
布団はちゃんとある。めくられた状態。別に荒れてはいないので、ルミがただ自分で起き上がっただけのようだ。トイレにでも行ったか、そうでなければルミも早くに目が覚めてしまって何か用事をしているのか。
サヤカは妙な胸騒ぎを感じていた。まさか、という最悪の状況が瞬時に思考を支配する。思考に呼応し、心臓が強く脈打つ。
襖を開けて隣の部屋を確認。マキトも布団の中にいる。
「マキト、起きて」
キョーコを起こさないよう、マキトの耳元でささやく。マキトは声に気づき、辛そうに顔をしかめながら目を開ける。こちらはまだ深い眠りの中にいた様子。
「……まだ早いだろ」
夜明け前の窓の外を見て、マキトがぼやく。が、サヤカにとってはそれどころではない。
「起きて。ルミがいないの」
事情を伝える。するとマキトは多少目が冴えたようだが、それでもサヤカに付き合うつもりはなさそうにしている。
「いないって、トイレとかだろ……?」
目を擦りながらマキトが言う。それが可能性としては高いが、確かめなければ確実ではない。
「いいから一緒に来て、ほら」
「……わかったよ」
どうしてもつれていこうとする意志に観念し、マキトは体を起こした。やたらと積極的なサヤカについて歩く。
まずはトイレを確認。サヤカがドアをノックし、中も確認。
「……いない」
ルミの姿はない。四人が寝ていた部屋からトイレまでは廊下を一直線。別のルートはない。あるにはあるが、わざわざいくつもの部屋を経由して回り込む必要はない。すれ違うことはない。
「じゃあ、部屋じゃないか」
「そうかな……そうね」
ルミの私室はここから少し離れたところにある。そっちなら廊下の更に先になるので、すれ違わないのも当然。
きっと、部屋にいる。そう信じて、ドアを開けた。廊下とルミの部屋とをつなぐドアを。
ここも暗い。マキトが手探りで明かりのスイッチを入れた。
予想通り。そこに、ルミがいた。
血だまりの上で、横たわっていた。
「ひっ――むぐっ!?」
恐怖のあまり声を上げるサヤカの口をマキトが強く塞いだ。
「……大丈夫だ。パニックになるな」
じっとサヤカの目を見つめ、マキトが言う。力強い瞳を信じ、サヤカは何度もうなずいて返した。
マキトがそっとサヤカの顔から手を放し、改めて見てみる。木の床の上に、血だまりとルミの体。ルミの服も血で染まっている。一歩ずつゆっくりとルミに近づき、ルミの体に手を触れる。ドラマや漫画の見よう見真似だが、呼吸や脈を確認。
「マキト……きゅ、救急車を……」
とにかく、救急車だ。サヤカは口でそう言いながらも手が震えており、頭も真っ白になっていて動けない。パジャマのポケットに入っているスマホにも手が伸びない。
「……いや」
マキトはそれを遮るかのように言う。一刻を争うかもしれないのに。その発言が、サヤカにある結論を出させる。
「マキト……まさか、ルミは……!」
「…………」
マキトが何も言わない。やはりそうなのかと、サヤカの不安がどんどん大きくなる。
「……死んでる」
「――っ……そん……な……!?」
今度は自分の手で懸命に声を抑えるサヤカ。
ルミが、死んだ。昨日まで……いや、今日の始まりまで一緒に遊び、笑っていたルミが。十七年、この村で暮らしていた同級生が。
「……やったのは誰だ? こんなことをする可能性があるのは、誰だ」
この村の人が殺人など、するはずがない。まして同じ村の人間、しかもサヤカやマキトと同じ最年少であるルミを殺すなんて、考えられない。それはサヤカもマキトもよく知っている。いつも大きな声で笑うおじさんやおいしい野菜を分けてくれるおばさんが、こんなことをするはずがない。
「そんなの……決まってる。あの人……キョーコさんしか、いない……!」
消去法でサヤカはその名前を出した。昨夜の友好が一瞬で瓦解する。今日という日まで何もなかった村で、突然の殺し。よそ者以外に考えられなかった。
「落ち着け。証拠がない。俺らと一緒に寝てたわけだし……ルミが起きたタイミングを狙ったってのも妙な話だ。ルミが一度起きるかどうかわからないのに」
寝ずに待ち構えることはできるが、明るくなるまでルミが一度も起きない可能性のほうが高い。確実とは言えない。
「そもそも、あの人は今日初めてここに来たんだ。それでルミを殺すってのは解せない」
愉快犯というのも考えられなくはないが、どうにも疑問がある。話がなかなかつながらない。
「でも、ほかに誰がいるっていうのよ……!」
人が殺された恐怖やルミが死んだ悲しみよりも犯人への怒りが勝り、サヤカは声を荒げる。証拠はないもののその意見にマキトは反論できない。首を振れない。
「……疑いたくないけど、一番怪しいのは確かにあの人だ。でも、なんでルミを……」
サヤカとマキトが気づかないうちに、ルミをやった。その気になれば三人とも殺せたはず。犯人がキョーコだとすると、ルミを殺したのちに布団に戻って寝ていることになる。朝になればルミの死に気づかれるのに。サヤカが早くに目を覚ましたのがイレギュラー要素だとしても、死体を放置するのは考えにくい。
「ともかく。このことは一旦隠そう。キョーコさんと話をする」
「隠すって……人が死んでるのよ!?」
「少しの間だ。怪しいのはキョーコさん一人だけだろ? それとなく聞いてみるだけさ」
マキトの提案にサヤカは納得しなかったが、今度はマキトが無理にサヤカを連れ出し、部屋へと戻る。外はいつの間にか朝日が顔を出し、この村では多くの人が起床する時間になっていた。
早めの目覚めはもはや目が冴え、眠ることができなくなった。緊張しながら部屋に戻る。
ルミが、死んだ。犯人と思しき人間は一人。昨日この村に来て、この家で一緒に寝たキョーコ。人狼を名乗る人物。
否、今となっては人狼などどうでもいい。何もない平和だったこの村の、唯一のよそ者。ルミを殺す可能性があるのは彼女だけ。人狼以前に、ただ怪しい。
「おはよーございます。私が一番お寝坊でしたか……お早いですねえ、みなさん」
部屋ではルミが布団をたたんでいた。何食わぬ顔で。
「キョーコさん、ルミを知りませんか? 俺たちが目を覚ました時から姿が見えなくて、探してるんですが」
何も知らないふりをしてマキトが尋ねる。話を聞くキョーコの表情に変化はなかった。
「いえ、私は今起きたところで。見てませんね。――そうだ、私が探してきましょう! 人探しも仕事です!」
朝起きたばかりで元気な声を上げるキョーコ。結構なことだが、今はそれが煩わしくさえ思える。これは素なのか、それともとぼけているのか。まったく読めない。昨日見た彼女と変わりないので、嘘をついているようには見えないが……そんな態度こそが嘘という可能性も捨てきれない。
「じゃあ、外をお願いします。俺とサヤカは屋敷の中を見てきます」
「了解です!」
キョーコが飛び出していった。事の深刻さはまるでわかっていない様子。言っていないのだから当然なのだが、もしキョーコが犯人だった場合……うすら寒いなんてものじゃない。
「……どういうことなのかしら」
そんなキョーコの様子に、サヤカは動揺を隠せない。知らないのだとすればその通りの態度だが、考えにくい。今のところ、キョーコ以外に容疑者がいない。
「さあな。とりあえず、ルミをあのままにはしておけないな」
誰かに見つかる危険性のある場所に放置はできない。いやそれ以前に、あんな状態ではルミが気の毒だ。
「ねえ……警察に言おう? キョーコさんが犯人だとしてもそうじゃないとしても、私たちでどうにかなることじゃないよ」
「わかってる。あのキョーコさんの様子じゃどちらにしろ聞き出せないだろうし、警察に任せる。ともかく、もう一度ルミの部屋まで行こう」
ルミが心配だ。それはサヤカも同じ。終わりの見えない悲しみに襲われるが、だからといっていつまでも放ってはおけない。弔わなければならない。
二人はもう一度、ルミの部屋を訪れた。
しかし。
「え…………?」
サヤカが声を詰まらせた。
ここはルミの部屋。間違いない。さっき、息のないルミを見つけたのと同じ場所。
その部屋に、ルミがいない。ルミの遺体が、部屋からなくなっている。
「うそ……!? マキト、移動させてないよね!?」
いよいよ気が狂いそうな状況に、サヤカが声を荒げる。遺体も、血だまりもない。片付いていて綺麗な部屋が、こんなにも恐ろしい。
「……俺は何もしてない。キョーコさんは確かに外に行ったし……それに、あの血の量をすぐには……」
ここまでなんとか平静を保っていたマキトも、この状況は受け止めることができなかった。推理小説やドラマにある展開。こんなこと、普通はありえない。唯一疑わしいキョーコに、遺体を移動させることは不可能。それはマキトとサヤカが証明してしまっている。
「考えられるのは、キョーコさんじゃない別の誰か……もしくは共犯者がいる、か」
それでもマキトは必死に頭を働かせる。刑事ではないので大した推理はできないが、この状況を見ぬふりはできない。サヤカが取り乱している今、誰かがしっかりしなければいけない。いつもならルミがその役目を担うところだが、今はルミがいない。
「どうなってるの……!? 何が起こってるのよ!?」
サヤカが頭を抱えて崩れ落ちた。マキトも声に出していないだけで、内心はまともでいられない。
「誰がどうやってこんなこと……まさか、本当に人狼が……」
「落ち着け。人狼なんて……」
人狼なんているわけがない。混乱するサヤカに、マキトはそう言いたかった。だが言えなかった。実際に自分の目で見たものが、信じがたいものだから。マキトも一瞬、いるはずのない人狼の存在を幻視した。
「……どんなことでも、人間がやってるからにはトリックがある。警察を呼んで、ルミを探してもらおう」
キョーコが探しているが、たった一人で見つけられるものではない。しかも、そのキョーコが信用ならない状態にある。
しかも悪いことに写真など撮っていないので、ここで殺人があったと証明できない。殺人の調査から人探しに目的が変わってしまうが、警察に任せるしかない。そう決めて、部屋を去ろうとした。その時。
「あ、いたいた。マキトくーん」
『っ!』
二人分の心臓が止まりそうになった。
誰か来た。マキトはへたり込んでいるサヤカを部屋に置き、ドアを閉めてその前に立ちふさがるようにして立つ。その状態で、声をかけてきたおばさんに応対する。
「あ、おばさん。どうかしました?」
「うん。村長か、ルミちゃんいる?」
おばさんも探しに来たらしい。いないのだから当然か。村長に至っては昨日からずっと見かけていない。
「それが……ルミも朝早くからいないんです。今、探してるんですけど」
「そうなの? 変ねえ……ルミちゃんまでいないなんて」
おばさんは単に村長に用があるだけかと思ったが、どうもそれだけではない様子。ルミまで、という言い方に違和感があった。
「何かあったんですか?」
「それがねえ……みんないないのよ。最初は、誰かの家に集まってるんだと思ったんだけどね。昨日は宴会してたし。でも、いない人が妙に多くて……あの人がいない、この人もいないって、村のみんなで探してるの」
消えたのは村長やルミだけではなかった。大勢いなくなっている。いよいよ、ただの殺人事件ではなくなってきた。
「マキトくん、サヤカちゃんは?」
「あ……あいつも今、家の中を探してくれてます」
異常事態の中で嘘をつくのはかくも恐ろしい。それでもなんとかマキトは取り繕い、伝えた。すぐそこにサヤカがいることをごまかす。
「そう。見つかったら教えてね。もしいなかったら、二人は今日は自分の家に帰りなさい。作業も、今日はいいから」
「わかりました」
「それじゃあ、ここはよろしくね。……ほんと、どこ行っちゃたのかしら……」
村の人間が消えている。ルミだけじゃない。消えた人間は生きているのか、それとも。
「……帰ろう。何か、おかしい。何かが、この村に起こってる」
そっとドアを開け、サヤカに声をかける。もはや、ルミが殺されたことだけに限った問題ではなくなっている。マキトとサヤカの二人どころか、村の人間だけでは対処できない事態になりかねない。
「……どうして……こんなこと……」
立ち上がることすらままならないサヤカ。マキトは彼女を家へと送り届けた。
自分の家の玄関をくぐったサヤカは、両親と会話することすらなく、吸い込まれるように自室へと入っていった。
何が起こっているのか。どうしてこんなことになったのか。
その答えは、見つかることはなかった。