第二回~デリバリー労働サービス~
作業すること数時間。日が昇り、労働のほてりも相まって暑苦しい体感温度になってきた。サヤカが流れる汗を拭いながら軽く体を伸ばした、ちょうどその時。
「サヤカ、飯にしようぜ」
草をむしっていたマキトが、サヤカに声をかけた。遠くにいたのだがいつの間にかすぐ近くまで来ていた。サヤカも自分のことに集中していたせいで気づかなかったようだ。
「もうそんな時間? ……あ、ほんとだ」
スマホで時間を確認すると確かに、正午を少し過ぎている。お昼休憩にはちょうどいい時間。
「じゃ、そうしましょうか」
お昼ご飯のことに気を向けると、急にお腹がすいてきた。サヤカが同意し、マキトについていく。雑草を踏みしめながら歩いていき、斜面を上って道路へ出る。
「おっ」
「あ」
するとそこに、またちょうどよくもう一人の姿を見つけた。
「ルミ!」
朝イチに会って以来見かけてすらいなかったルミが、道路を歩いている。マキトが大きく声を上げて呼ぶと、ルミがこちらに気づいた。
「手、空いた? 一緒に飯にしないか?」
「ちょうどよかった。私も、お昼にしようと思っていたところです」
「よっしゃ。行こうぜ」
ルミも誘い、三人でお昼。サヤカにとっては珍しいことだった。マキトと二人でというのはしょっちゅうだが、ルミは多忙ゆえなかなか時間が合わない。
「ではお二人とも、私の家にどうぞ。お茶をお出しします。どうぞ、涼しい部屋で体を休めてください」
「悪いね。じゃ、お言葉に甘えて」
「ありがとう、ルミ」
軽いノリのマキトに従う形で、サヤカもルミの家に行くことになった。ルミの家は大きな平屋。一応十七年の付き合いではあるが、家に行ったことは数回しか記憶にない。その数回の内、一回は……
「…………」
サヤカが足を止めた。午前の作業中ずっと忘れていたことが、急に戻ってくる。幼い頃の記憶。今朝の夢。あの話を最初に聞かされたのが、この家。
「サヤカ? どうかしましたか?」
ルミの声で我に返る。サヤカは無意識に、家の前で立ち尽くしていた。
「……ううん、なんでもない。いきましょ」
今日は奇妙な偶然が重なってしまっているが、あくまでも偶然。サヤカは軽くかぶりを振って、ルミと一緒に家の中へと入っていった。
この村は高地ゆえに涼しい。風通しもよく、この時期ならまだ肌寒いくらいだ。ルミがお茶を用意してくれる間、マキトとサヤカは弁当をちゃぶ台に広げる。お弁当といっても、おにぎりだが。日本列島全国各地で万能かつ究極の軽食、握り飯。
「この広いお屋敷に、今はルミとおじいさんで二人なのね」
「そうなるな。広々としていいじゃないか」
サヤカとマキトでは少々感覚のズレはあるが、この家にルミと村長が二人で住んでいる。確かに広いが、広すぎて寂しそうでもある。ルミが部屋にいない今、会話が途切れると鳥の声しか聞こえない。
「この部屋、なんか懐かしいな。昔ここに集まって、ルミのお婆さんから昔話を聞かされたんだっけ」
「……そう、ね」
そう、この部屋だ。人狼の話を聞かされたのは。
「あの当時は俺も怖がってたなあ。もしかしたら今晩、出るんじゃないかって。結局、ただの村の言い伝えでしかなかったけど」
「ただの……そ、そうよね!」
ただの村の言い伝え。小さな村の。その通りだ。マキトの口からそれを聞いたことでサヤカは少しだけ安心し、声を弾ませた。
言い伝え。昔話。架空の話。架空じゃないとしても、昔の話。今、そんなことが起こるわけじゃない。
「人狼、の話ですか?」
そこへ、ルミがお盆を持ってやってきた。冷たい麦茶が入ったグラスが三つ。
気にしすぎだ――サヤカは自分にそう言い聞かせていたが、その単語が出たせいでまた引き戻される。
人狼。人の姿をした狼。必ずこの村に現れる。
ルミが悪いわけではない。もちろんマキトも。二人もサヤカと一緒に人狼の話を聞いていたのだから。ただ、タイミングが悪すぎた。今日のタイミングの悪さは、サヤカの我慢を解くには十分すぎた。
「……ねえ。人狼って、本当にいるのかしら?」
夢のことは、同い年の二人には恥ずかしくて言えない。だがどうしても気にかかる。人狼のことが。
「いるわけないだろ。作り話だぞ」
マキトがばっさりと切り捨てた。実際、その通りだ。真剣に考えるのも馬鹿らしい話。サヤカはそんな話が気になって仕方ないのである。幽霊と同じで、現実味がないからこそ恐れるのかもしれない。
「人狼はあくまでも、私の祖母の昔話ですよ。それに人狼自体、この村固有の話ではありませんし」
ルミも否定する。『人狼』はこの村オリジナルの逸話というわけではない。ありふれた話。人狼ゲーム、というものがあるくらいだ。
「……そうよね」
議論すら始まらない。それはそうだ。必要がないのだから。
二人から否定され、人狼など作り話であることは再確認できた。しかし、サヤカの胸にあるもやもやした思いはなくならない。なぜ、こんなにも意識してしまうのか。怖がっているだけなのだろうか。そうだとしてもなぜ今更?
どうすることもできない。しかしいずれ忘れるだろうと、サヤカはルミが入れてくれた麦茶に手を伸ばす。
「ごめんくーださいっ!」
サヤカが麦茶を一口含んだところで、玄関から声がした。この村では聞いたことのない、少女のような愛らしい声。家主の呼び出しのために声を張ったせいもあるだろうが、やけに高い音だった。ルミがはーいと返事をし、玄関へ向かう。再び二人きりとなった部屋で、サヤカとマキトは顔を見合わせた。
「……今の声、誰かしら?」
「宅配かなんかか? 俺らも見に行くか」
どのみち、ルミが戻ってくるまで弁当には手をつけない。好奇心に従い、二人は揃って腰を上げる。廊下を行き、早足で玄関へ。
「ちゃっす! このたびは、お呼びいただきありがとうございます! デリバリー労働サービス『人狼』のキョーコです! よろしくお願いします!」
来訪者の少女は、ビシッ! っとアニメキャラのように敬礼しながら、元気いっぱいに何か喋っていた。あまりに唐突でアグレッシブな登場に三人揃って面食らうが、聞き捨てならない単語にサヤカがいち早く反応した。
「ちょっと待って。人狼……とか言わなかった?」
人狼。確かにそう聞こえた。その前がよくわからなかったが。
サヤカは明らかに疑いの目でそう聞いたのだが、キョーコとかいう眼前の少女はなぜか気をよくして表情を明るくした。開いた大口に八重歯が光る。
「世界のどこかのアナタに、真心こめてなんでもお届け! 物品捜索から職務代行まで、可能性は無限大! お仕事発掘、自由度MAX! デリバリー労働サービス『人狼』です!」
大仰なボディランゲージを交えて豪快に自己紹介してきたが、サヤカたちにはさっぱり意味がわからない。テンションの高さだけが受け手の意識を支配し、内容が何も入ってこない。その中でわかったのは人狼というワードと、彼女は仕事のためにここに来たということ。
「えぇと……要するに、なんでも屋さん……ですか?」
あのルミすら困惑させる。さすがは人狼、恐ろしい存在。サヤカの心配は間違っていなかったようだ。
「いかにも。便利屋とも言いますね」
仕事を相談すれば割となんでもやってくれるサービスらしい。それはいいとして、名前はどうにかならなかったのだろうか。
「この村の者が、あなたに依頼したということでしょうか?」
「ええ。ご住所はここで間違いありません」
ここ、というと村長の家になる。となると、依頼した人間は限られてくるが……
「おじいさまが頼んだのでしょうか……? あいにく、今は外出しているのですが」
ルミでないのなら、村長しかいない。が、村長は今は家にいない。人を呼んだのなら家にいてほしいところだ。
「代金は前払いでいただいているので、なんでもすぐに取り掛かれますよ。農具も機械以外は一通り扱えますし」
「そうなのですか? でしたら、お願いしましょうか。――すみません、お二人とも。私は彼女を案内してきます。ゆっくりしていってください」
そう告げて、ルミは家を出ていった。これで完全にこの家は空になるわけだが、こんな小さな村ではそんなことはおかまいなし。こんな山奥の何もない村、外から泥棒なんて来ない。ここは基本的に村の人間しかいないため、あの少女の訪問が余計に異様なものに思える。
「デリバリー……? 何者なのかしら、彼女」
キョーコと名乗ったことと、なんでも屋ということしか情報が出なかった。容姿は顎の高さあたりまで伸ばした茶髪、ちょっと吊り上がった大きな目。年齢がよくわからない。サヤカよりも身長が低く、胸も小さい。下手をすれば中学生に間違われそうな見た目だったが、実際は何歳なのか。なんでも屋の仕事をして報酬を受け取っているのが事実なら、高校を出ていてもおかしくはないが……その場合、あまりにも見た目とのギャップがひどい。
「まあ、本人が言った通りじゃないか? 恰好はまともだったし、なんでも屋ってことで。意外に大学生とか?」
可能性としてはありえる。童顔なだけで実際は大学生。そこそこ高そうな作業着を着ていたし、道具もぶら下げていた。バイト感覚でやっているのかもしれない。呼んだのは間違いなく村長だし、何か用事を頼もうとしたのだろう。老齢の村長があんな少女に仕事を頼むというのは違和感がありすぎるが。
「なんなのかしらね、人狼って……」
何より、名前が一番気になった。よりにもよって、なんて名前を付けているのか。仮にも社名ではないのか。
「単なる名前だろ? 字面としては洒落てるし、アリなんじゃないか? どっちかってーと居酒屋の名前っぽいけど」
マキトは興味なさげにしている。普通なら笑い話だが、今のサヤカにはそうもいかなかった。人狼のことで悩んでいたところへ、まさしく人狼を名乗る人物の登場。ありえない。夢から始まり、ルミに招かれ、人狼の話を聞いた部屋に通され……挙句、この家に人狼を名乗る者が訪問。この偶然の重なりは、確率にして天文学的な数字になるだろう。
「……あの人が、この村に現れる人狼ってことは……ないよね?」
「あるわけないだろ。お前さっきから何言ってんだ?」
「……そう、よね……」
人狼は現実のものではない。人の姿に化けた狼など、いるはずがない。マキトの言い方は少々きついが、この場合はサヤカがおかしいのだ。
すべて、偶然。何もかも偶然。今日という日に偶然が集まった。それだけのこと。まず人狼というものが空想の話なのだ。何が起こるわけでもない。
サヤカは以降、人狼について考えるのはやめにした。その後結局マキトと二人で昼食を済ませ、家主のいない家でくつろいだ。
風通しのいい部屋で涼み、サヤカとマキトは午後の作業に移る。しかし二人は、まっすぐに畑には戻らなかった。あのキョーコという人のことが気になっていたから。
結局、ルミは昼食の間も戻ってこなかった。キョーコに仕事の指示を出していたのだろうか。どこに行ったのか。キョーコもまだ姿が見えない。村長の家は高所にあり見晴らしもいいのだが、どこにも見当たらない。ならばと二人が向かったのは別のお宅の畑。手伝っているのだとしたら、どこかの畑にはいるはず。いかになんでも屋とはいえ、山に入れたりはしないだろう。
そんな推理を根拠に、サヤカとマキトはデリバリー『人狼』を探していたのだが。
「キョーコちゃん、終わったら次こっちね!」
捜索開始からさほど時間をかけず、目当ての人物は見つかった。正確には見つかったわけではないが、彼女のことを呼ぶ声が聞こえた。声の主はこのあたり一帯に広い農地を持つおじさんだ。
「おじさん。どうですか、あのキョーコって人?」
なんでも屋の働きぶりについて尋ねてみる。おじさんはすっかりご機嫌の様子で、声をかけたサヤカへとにこやかな笑顔で振り返った。
「おお、サヤカちゃん。マキトも一緒か。あの子、二人の知り合いかい?」
「いえ。私たちもさっき初めて会いました」
知り合いでもなんでもない、謎めいた人物。しかしおじさんはそんなことは気にしていない様子。むしろ、とても気を良くしているのが見て取れる。
「いやあ、大したもんだよ! 力持ちだし、器用だし、何より元気がいい! 機械だけはさっぱりみたいだが……この村に住んでほしいくらいだ。はっはっは!」
豪快に笑う。有能なキョーコに満足しているようだ。
どうやら、働きぶりは問題ないらしい。なんでも屋というのは真実か。となると気になるのはやはり、社名。何を思って人狼と名乗るのか。この村の言い伝えについては、知っているのだろうか。
(…………)
サヤカがじっと思考する。キョーコが何者かはともかく、こんな山中の村の言い伝えを知っているとは考えにくい。あの話をしていたのはルミの祖母だけ。外から来たキョーコが知ることはない。人狼の話自体は知っていても何もおかしくはないが。
(ただの偶然……なのかな?)
単純に好きで名付けたのかもしれない。だからといって人狼を社名にするか、というのはこの際置いておく。彼女は登場から独特だった。普通や常識というものさしで測るのは無理がある。
「でも、三日間だけだそうだ。サヤカちゃんも、何かあるなら頼んでおきなよ。キョーコちゃん、力仕事でもなんでもできるぞ」
「へ、へえ~……」
好評だ。この感じだと、この村のどこで働いても歓迎される。腕は確かか。
「ところで、おじさん。聞きました? キョーコさんのこと」
「ああ、なんとかサービス? 人狼、って言ってたな。この村で人狼なんてユーモアがきいてるじゃないか、ははは!」
おじさんはすっかり気持ちが大きくなっている。キョーコへの印象はいい。人狼についても、村の人ははなから現実のものだと思っていない。キョーコが人狼を名乗ったところでただの社名。ここでも完全にサヤカの一人相撲。
「お呼びですか~? 次は何をしましょう?」
「ああ、こっちこっち。このあたりを……」
別の場所での作業を終えたキョーコがやってきて、おじさんから説明を受けている。おちゃらけてはいるがしっかりと話を聞き、相槌や質問を交えておじさんとコミュニケーションを取っている。名前と態度と見た目以外、おかしなところは何もない。
「よくやってくれてるみたいだな。心配なさそうだ。サヤカ、行こうぜ」
「う、うん……」
マキトは何も疑問視していない。マキトが心配していたのは人狼についてではなく、キョーコが本当に業者なのかということ。ちゃんと働いていることがわかった今、キョーコに対する懸念と一緒に関心まで薄くなっている。
気にしすぎ。その一言に尽きるのかもしれない。サヤカは自分を納得させ、マキトに続いて歩く。途中何度か振り返ってみたが、説明を受けたキョーコが一心に働いているだけ。人狼に関わりそうなことなど、一つとしてなかった。
十メートルほど離れたあたりを最後にキョーコを見るのをやめ、サヤカはその後まっすぐに畑へと向かった。
振り返ることをやめた自分の背に向けられる視線に、サヤカが気づくことはなかった。
午後の作業は基本的に、お昼の休憩からいつも一時間ほどで終える。サヤカやマキトはあくまでも家の手伝いであり、仕事をしているわけではない。遊ぶ時間のため、早くに一日の作業を終える。
「マキト、そっちどう?」
「そろそろ終わる」
今日も例外ではなくその予定だ。雑草の処理と土の手入れ。まだ学生の二人が手伝うのはそれくらい。
「どうする? あのなんでも屋さん」
「ん? ああ、仕事を頼むかって話?」
「うん」
なんでも屋だということはわかった。有能なのもはっきりした。せっかくだし頼もうかという常識的な理由と、キョーコは何者なのかという不躾な興味とが混ざり合ってできた好奇心。自分のところの畑の仕事も頼んでみたい。そんな気持ちがあった。マキトにも、サヤカにも。
「そうだな。前払いって言ってたし、やってもらおうか。草刈りとか」
「そうね。普段あまりしないところをしてもらいましょう」
やることはたくさんある。しかし畑まで任せるわけにもいかないので、草刈り。二人の意見が一致した。
「じゃあ俺、探してくる。お前は休んでていいぜ。やることないなら先に上がっててくれてもいいし」
マキトのそれは、単純な優しさ。今日に限ったことでもない。こういうお言葉に甘えさせてもらうことも、サヤカには珍しくない。ただ、今日は状況が違っていた。
「ううん。私も行くわ」
今、キョーコは何をしているのか。おかしなことはしていないか。気にしないようにしていたが、一度考え始めると止まらない。サヤカはマキトと一緒に、キョーコを探しに出かけようと視線を上げた。
「ちゃっす!」
そこにいたのはあの人狼……ではなく、なんでも屋のキョーコだった。畑のそばにある道路から見下ろす形でサヤカを見ている。
「『サヤカ』というのは、あなたですか?」
突然の登場。最初にも聞いたよくわからない挨拶から、まだ名乗っていないはずのサヤカの名を呼ぶ。
「そうですけど……?」
「サヤカちゃんのところも手伝ってやって、と言われて馳せ参じました! なんなりとお申し付けください!」
どうやら誰かが、サヤカの負担を減らそうと気を回してくれたようだ。突然の登場にサヤカは驚いたが、気を取り直してキョーコに言う。
「じゃあ、草刈りをお願いします。こっちへ」
「かしこまり!」
また奇妙な返事をして、どこからともなく草刈り鎌を取り出すキョーコ。明らかにポケットに入るサイズではないのだが、どこに隠していたのか。
キョーコを草刈りの場へ案内するため、サヤカはキョーコの前を歩く。凶器を持った怪しい人物の前を行くというのは並大抵のことではないが、これはただの農家の草刈りだ。
「この隅のところを向こう側まで、お願いします。だいたいで結構ですので」
「お任せを!」
隅っこだけとはいえ、数十メートルある。だが頼まれたキョーコは景気よく返事をし、すぐさま作業にとりかかった。慣れた手つきで鎌を操り、草を適当な長さで刈り取る。これを見るだけでわかるくらい、器用だ。村の人に絶賛されるのも納得できる。
サヤカはその様子をしばらくじっと見つめていた。キョーコは熱心に草を刈っている。サヤカの視線に気づいているのかわからないが、作業に集中している。
デリバリー労働サービス『人狼』は、妙な動きは何もしていない。それなのに、サヤカの中の疑念は未だ拭えない。
(…………)
例の昔話にはこんな内容もあった。人狼は夜に人を襲う。昼は人の姿をしている、と。その話の通りなら、今は何も起こらない。惨劇が起こるとしたら、夜。みんなが寝静まる頃に、キョーコが何かする可能性がある。キョーコはこの村に今日初めてやってきたよそ者。絶対の信頼はない。
「まだ気にしてんのか?」
「へっ? ――なんだ、マキトか……びっくりした」
突然声をかけられ、サヤカの体が軽く跳ねる。
「俺しかいねえだろ。なんで驚くんだよ」
振り返ると、呆れ顔でため息をつくマキトの姿が。
「そんなに気になるか? だったら、確かめてみようぜ」
「確かめるって……どうやって?」
さんざん馬鹿にしていたマキトが急に真面目なことを言い出し、サヤカは困惑する。
「人狼は夜に人間を襲う、だったろ? 夜、あの便利屋を見張ろう。ルミにも協力してもらって、村長の家で一泊させる。もてなしたいって理由でな。で、俺たちは手伝いのためにルミの家に泊まるってことで一緒にいる。どう?」
マキトの提案は、悪くはないものだった。キョーコと一緒にいるちゃんとした理由になるし、自宅以外に泊まる口実としてもちょうどいい。仮に村の誰かがそれなら自分もと言い出したとしても、問題ない。村長の家なら、村の人間が集まっても変ではない。
「……わかった。やってみましょう。……ありがと」
「別に。あの人がいる間、お前がずっとその調子ってのも心配だしな」
「…………」
確かに。彼女が村に滞在する三日間こんな気分ではいられない。手を打つなら早いほうがいい。
「キョーコさん、ちょっといいですかー?」
「はーい!」
善は急げ。マキトはさっそくキョーコを呼び、村長の家に招く話をもちかけた。
計画、というと大げさかもしれないが、実行された。キョーコを村長の家に招待し、夕食も準備した。おもてなし。
もてなすといっても、些細なことだ。手料理を振る舞うだけ。しかしそれすら、この小さな村の狭いコミュニティには瞬く間に噂となって広がった。サヤカたちの知らないところであれよあれよと話が伝わっていき、日が沈む頃に続々と村長の家に人が集まってきた。
そして、現在。
「キョーコちゃん、どんどん開けていいからね!」
「はーい! いただきます!」
「おおっ、いいねえ! 飲んで飲んで!」
村長の家で宴会が行われていた。村のみんなが酒やつまみその他料理を持ち寄り、テーブルいっぱいに広げている。
聞けばキョーコは二十歳、大学生らしい。飲酒が合法な年齢になったということで、村のおっさん連中に飲まされている。本人は酒好きでしかも強いらしく、すでに瓶ビールを空にしている。
「いやー、キョーコちゃんはいいなあ! 若いし、かわいいし、しっかりしてる! そして飲める! 今日からここに住みなよ!」
「それはだめですよぉ。学校もあるんですから」
「じゃあ、卒業したら来なよ! うちで雇うよ!」
「え~? 私安くないですよぉ?」
「そうだそうだ! お前の稼ぎで雇えるかよ!」
「違いない! はっはっはっは!」
キョーコはすっかり打ち解けていた。陸の孤島の中年たちにとってこんなに面白いおもちゃはなく、一日でアイドルと化した。
サヤカは視界の端にキョーコの様子を窺うが、何も起きない。こんな状態から人狼に暴れられたらただのホラー映画だ。そうなるとどうしようもないが、そんなことは起こらない。人狼は空想で、キョーコは人間なのだから。
みんな純粋に、宴会を楽しんでいる。サヤカも串焼きの川魚をかじる。
「どう思うよ?」
その隣にマキトが腰を下ろす。炭酸のジュースが入ったグラスをテーブルに置き、適当な料理に箸を伸ばした。
「……なんにもない、かな」
そうとしか言えない。何もおかしなところはない。むしろ楽しい状況のはずだ。人狼のことがなければ、サヤカも普通に話に加わっていたことだろう。
「だろ? 何があったのか知らないが、これが普通だぞ」
「そうよね……」
マキトの言う通りだ。これが普通。何も起こるはずがない。
「まあ、今日一日だけは悩んでていいんじゃないか? 何も起こらないまま明日になったら、はっきりするだろ」
「……うん」
人狼は夜に動き出す。今夜何もなければ問題ない。サヤカにとってはそれまでの辛抱になるか。何事もなく明日を迎えれば、もうキョーコのことを気にしなくて済む。
「空いた瓶、お下げしますね」
「おう、ルミちゃん。ありがとう。ところで、村長は?」
宴会の最中もてきぱきと動くルミに、そんな声がかかった。そういえば、村長の姿がない。ここは村長の家なのに。
「おじいさまは、マキトの家に用があると言って出ていかれました」
「そうなのか? 用事ってなんだ?」
「あっちも飲んだくれてんじゃないか?」
「あー、あの二人ならそうかもな……ハハハ」
村長はマキトの家に行ってるらしい。村長とマキトの父は、かなりの飲兵衛だということはこの村では有名。二人で飲んでいる可能性もある。ここに住人全員が集まっているわけではないので、いないことをみんなは特には気にしていないようだ。
その後も何も起きることはなく、笑い声が絶えないまま、夜は更けていった。