第一回~曰くつきの村~
初めましての方は初めまして。寿司四貫と申します。今回は短めの連載作品となります。6~7パート程度になるかと思われます。よろしければご一読ください。
※注意:『人狼ゲーム』をするお話ではございません。人狼をもとに、現代を舞台とした架空のお話です。ルール等、人狼ゲームに則るものではありません。分類上はおそらくホラーに属するかと思われますが、過激な恐怖描写はない……と思います。
諸々ご理解いただけましたら、ゆるりとお楽しみください。
『いいかい? これだけは覚えておくんだよ……』
薄い薄い意識の中、彼女はその夢を見た。
『お前たちが大きくなっても、このことだけは忘れちゃいけない……』
幼い頃の記憶。村の長老……ではなく、昔からこの村に住んでいるおばあさんの話。
『ジンロウはやがて必ず、この村に現れる。お前たちのことも狙っている……』
ジンロウ。人狼。
あの頃は意味がわからなかったが、大きくなった彼女はそれがなんなのかを知っている。
『言い伝えは絶対……くれぐれも、よそ者に心を許したりするんじゃないよ……』
それを最後に、彼女の薄い意識は完全に消えていった。
ひんやりとした空気に顔を撫でられ、彼女は目を覚ました。両目のまぶたがするりと開く。
眠気との闘いに眉根を寄せることも、朝の日差しに抵抗して目をこすることもなく……まるでとっくの昔に目を覚ましていたかのように、自然と目を開けた。とても目覚めのいい朝になった。
「……最悪」
しかし彼女の第一声はひどかった。真顔で不機嫌を吐き出す。
「あー……嫌な夢だった……なんで今になってあんな夢見たの?」
一人でぶつぶつ言いながらのそりと体を起こし、黒の短い髪をかき分けながら部屋を出ていく。短い廊下を行き、右手側のドアを押し開ける。
「おはよう、サヤカ」
「おはよー……」
サヤカと呼ばれた彼女は、実に気勢の悪い声で返事をした。
「どうしたの? 死にそうな声を出して」
「お母さん、娘にその言い方はどうなの」
朝早くからキッチンでまな板を鳴らすこの女性は、サヤカの母親。溶けて消えそうなほどだれているサヤカを心配して声をかけたのだが、言い方に若干の問題を感じないでもない。
「だって、そのくらいひどい声だったもの。何かあった?」
「いやちょっと、悪い夢を見ちゃって」
夢の内容は言わないまでも、サヤカは何があったかを正直に話した。正直に、と表現するほどのことではないが。
「夢? なぁんだ……」
「露骨にがっかりしないでよ」
大したことではなかったので、今度は母親の意気が急激に削がれた。それにサヤカが文句をつけるが、会話はそこで終わり。母は娘の機嫌について完全に興味を失ったらしい。
「朝ごはん、もう少し待ってね。すぐできるから」
「……うん。じゃ、着替えてくる」
何事もなかったかのように普通の朝の対応になる母親。サヤカはもはや何も言うまいと、肩を落としたままで寝室へと戻ることにした。
「まったく、お母さんはいつも……」
下着をつけ、服に袖を通しつつ、サヤカはぼやいていた。
母は、決して悪い人間ではない。それどころか優しくてご近所の付き合いも評判もいい、お手本のような『いいお母さん』だ。サヤカ自身、母を嫌ってなどいない。母も父も、自分を今の今まで不自由なく育ててくれているのだから。嫌うはずがない。
しかし、母はどうも抜けていた。考えが子供っぽいというか、純粋が過ぎるというか。
(まあ、紛らわしいことした私が原因なんだろうけど……)
妙な夢のせいで、死にそうな声が出てしまった。それは事実。原因が夢となると、怒りのぶつけようもないが。
(ほんと、なんで急にあんな夢を見ちゃったんだろ)
この世に生まれて十七年。記憶には強く残っているが、今更悪夢を見るほどではない。そもそも人狼という化け物の話を聞かされたというだけで、実際にそんなものがいるわけではない。曰くつきの謎の死が……という事例もこの村にはない。人里離れた、いたって平和な村だ。曰くどころか、都会よりも事件が少ない。土砂崩れで足を滑らせたら大事件にもなるだろうが、それくらいだ。山奥で暮らすなら想定できる範疇。
ではなぜ、そのような言い伝えがあるのか? その理由はわかっていない。眉唾もの、というのが妥当なところか。
頭の中で考えながらも着替えを済ませ、サヤカは部屋を出た。キッチンからは香ばしい匂いが漂ってきている。母が料理しているのだろう。もう間もなく完成だろうか。
「おっ、サヤカ。おはよう」
「おはよう、お父さん」
サヤカが部屋を出たちょうどそのタイミングで、父親も自室から出てきた。
「今日はちょっと早いんだな。何かあったか?」
父も、母と似たような質問をする。きっかけは違うが。ただ、父は母のような天然ではないので、サヤカは深く考えることはなく返事をした。
「ちょっと悪い夢を見て……」
「夢? どんな夢だったんだ?」
父のほうはいたって常識的な反応をしてくれる。さっきのことがあったのでサヤカはなんだか安心し、更に続きを話す。
「ちっちゃい頃に聞いた、村の言い伝えの話」
「……ははっ。『人狼』のことだな?」
父は少し考えるような顔をしたが、サヤカの言っていることが何のことだがすぐに理解し、笑った。
「あのばあさんも困った人だな。年頃の娘まで悩ませるとは」
父にとっては、人狼は笑い飛ばす程度の存在。実際、サヤカもそうだった。本気になどしていない。調べてみたが、人狼というのは人の姿をし、人間の目を欺く狼。読んで字の如くだ。人間をだまし、食らう。そんな化け物。
サヤカが聞いたのも、ただの言い伝えに過ぎない。おとぎ話の類。恐れるようなことではない。本来は父がそうした通り、笑い飛ばす与太話なのである。
「すごい思わせぶりな言い方してたけど……あれ、本当なの?」
サヤカがやや真剣な顔で聞く。父も少しだけ事を深刻と取ったのか、笑いを抑えた。
「そうだな……ばあさんはもう死んでるからな。父さんも子供の頃にその話を聞いたが、もう四十年も人狼は現れない。やっぱり、何もないんじゃないかな」
笑い声は出さないものの目元は綻んだまま、父はサヤカの質問に答えた。サヤカもそれに納得し、話を終えた。サヤカは父と二人で、匂いの出どころである母のもとへ向かい、朝食をとっていつものように出かけた。
この村は一応、電気や水道は通っている。が、基本的には陸の孤島と呼んでもいいくらいの山中にあり、近隣の地域との交流はあまりない。車社会の現代日本では珍しい特性を持つが、ここにはちゃんと人が暮らしている。こんな環境だから多くが東京などの都会や近くの大きな町に移住してしまったが、まだ残ってはいる。今となっては数十人の小さな村だ。
サヤカもまた、この小さな村に暮らす一人。麓のバス亭で一日に数本しかないバスに乗って高校に通う、花の女子高生。今は短い春休みを満喫……するはずが、いつもと同じ暮らしを強いられている。
「はあ~……」
力なく息を吐く。スマホアプリくらいしか手軽に楽しめるものがなく、出かけるには遠い。学校の親しい友達相手ですら会話についていけない体たらくで、一緒に遊ぶ方法がわからない状態。元来より遠慮がちな性格の彼女は、自分がみんなの邪魔になってはいけないと、友達との交流にも積極的になれずにいた。
「早く卒業して、働いて、一人暮らししたいなあ……」
まずはここを出たい。それができればやりようはあるはず。卒業まであと一年。進学するにしろ就職するにしろ、サヤカはそれが待ち遠しかった。
ぽかぽか暖かい日差しの中、とぼとぼ歩く女子高生。今日もいそいそ農作業。限りなく自給自足に近いこの村では、高校生だろうが中学生だろうが農業に勤しむ。必要だというのもあるが何より、ほかにやることがない。今でこそスマホで遊べるが、それも無限ではない。課金など、お金の問題もある。サヤカの働きたいという願望もそこから来るものだ。
しかし今日は特に、やる気が起きなかった。おそらくは夢のせいだろう。それでもただ歩いていくのは、日課を超えた癖のようなもの。
「今日は早いじゃないか、ねぼすけ」
そんな農業女子に声をかける男子が一人。サヤカにとってはすっかり聞き慣れた声。
「そっちが早いのよ。いつも言ってるけど」
半分悪口に思える言い回しだったが、サヤカもサヤカで慣れた対応。この程度のやりとりは何度も交わしており、今更咎めることでもない。お互いに分かった上でわざとやっていることだ。
「そっちこそ朝早くから精が出るわね、マキト」
マキト。サヤカと同じく、生まれてからずっとこの村で暮らしている少年。サヤカとはいわゆる幼馴染だ。誕生月がサヤカが7月、マキトが9月なので若干だがサヤカのほうが早い。二人は同じ高校に通っている。
「別に精は出してないけどな。日課だ、こんなもんは」
「まあ、ね……」
それだけ言って、マキトは作業に戻る。土いじりに打ち込む。サヤカもそこからは何も言わなかった。マキトは熱心にやっているようだし、今朝の夢のこともある。余計なことを話すよりは、自分も農作業に集中することによって忘れることを選んだ。どうせ、夢の話だ。マキトに話したところで馬鹿にされるだけ。幼馴染なのでそのくらいは予測できる。
ということで、サヤカは目の前の作業に向かった。マキトと数回言葉を交わすことはあったが、基本的には作業に没頭した。
朝起きてから始まるこの作業は、天気さえよければ昼過ぎまで続く。今日は天気がいいので、自宅から持参したおにぎりを食べつつゆるりと続けることになるだろう。
「おはようございます、お二方」
サヤカが作業を始めたのちしばらく。黙って土に向かう二人の前にもう一人、この村の人間が現れた。
「おう、ルミ。おはよう」
「お、おはよう……」
マキトとサヤカがそれぞれ挨拶を交わす。二人の声のトーンや口調の違いには触れず、ルミはにこりと笑った。
美しい黒のロングヘアを柔らかく揺らす大和撫子。名前はルミ。彼女も十七歳の女子高生。サヤカ、マキトと幼馴染に当たるが、その両名ほど交流は多くないので多少の距離感がある。特に、サヤカにとっては。
「お早いですね。ご苦労様です」
ルミはそう短く告げただけで去っていく。ツリ目のきりっとした横顔はとても美しく、見る者に強烈な印象を植え付ける。
そんなルミのことを、サヤカは険しい目で見送っていた。というより、睨んでいた。
「……相変わらずね、ルミは」
そしてぽつりとつぶやく。十七歳とは思えない、非常に落ち着いた雰囲気と性格。真面目ゆえ多少キツく見える時もあるが、彼女もサヤカと同学年である。
「もう少しこう、明るくというかはしゃいでもいいと思うんだけど」
落ち着きすぎている。単純に内気やおとなしいだけの女子高生はいくらでもいるが、ルミの場合はそれとはまた違っている。大人かそれ以上の冷静さ。
「そう言うな。あいつも大変なんだから。口癖みたいに村を出たい出たい言ってるお前とは違って」
「一言多い。……その通りだけど」
ルミは、この村の村長の孫である。村からの引っ越しを第一に考えているサヤカと違い、この村に残らなければならない。村長の息子であるルミの父親は娘を置いて上京。母親も母親で、ルミのことを村長……つまりおじいさんに任せ、夫についていってしまった。なので今、家にはルミと祖父しかいない。祖母はすでに他界しているため、実質ルミが家のことをすべてやっている。もちろん、学校に通いながらだ。
「ルミも思い切って出ていっちゃえばいいのに」
「そのへんは本人の意志次第だろ。俺たちがとやかく言うことじゃない」
「そうかもしれないけど……」
気になる、というのがサヤカの正直な気持ち。だからといって何かするわけではないのだが。
サヤカは、ルミに面と向かって話したことがあまりなかった。先ほどのように一言や二言、それも村に関する話だけ交わす程度。事務的なものだ。それ以上は続かない。性格の違いもあるが、どうにもかみ合わない。
ルミはメモ帳とペンを持ち、畑を眺めながら何かメモしている。マキトとサヤカは肉体労働に従事するが、ルミはそれに加えてこの村の管理もしている。今はまだいいが将来、もっと大変な思いをすることになるだろう。それまでこの村が村として機能していればの話だが。
「ま、この村が俺たちの代で終わりなのは間違いないけどさ。そういう意味では、思い切ってっていうお前の言い分もわからないこともないかな」
「でしょ? そうしたほうがいいと思うんだけどなあ」
人がどんどん減っていくこの村に、成人していないのはたった三人。観光地でもなんでもなく、住むにも不便。人口が増えることがないであろう小さな村。放っておけばなくなってしまう。
たとえそうだとしても、今はなんてことのない日常が続く。
この日も、そうなることは明らかだった。
少なくとも、この朝の時点では。
「ちゃっす! デリバリー『人狼』です!」
何もない村に、いろいろと相応しくない少女(?)が現れるまでは。