習い事
「晴男、今日もよぐ頑張ったな。迎えに来たべ」
「来てくれなんて頼んでへんのに」
俺は物心がついた頃から、柔道と空手をしてきた。ただ、これは自分でしたいと言ったわけではなく、おとんが通わせたものだ。
おとんは俺が小学校に入る前に、「もし晴男が悪りぃ人さ襲われても、自分の身どご守れるようにしてぇんだ」と言って、柔道と空手の教室に通わせるようになったという。ただ、自分が何歳の頃からそれらをしてきたのか、正確にはわからない。
柔道と空手は、どちらも夕方の6時半に終わる。教室は、どちらも自宅から歩いて行けるので、放課後に一人で行っていた。しかし帰りは、頼んでもいないのに毎回おとんが迎えに来ていた。
「教室は家からすぐ近くやで、おとんが迎えに来んでも一人で帰れる。」
一人で帰宅したいと思って、おとんにそう言ったことがあった。
「何言ってんだ。おめ一人で帰るなんて危ねだろ。これからもおらが迎えに行ぐべ」
と言っていた。
「暗いのなんて怖ないし、悪い奴なんて柔道や空手の技を使って倒せるもん」
俺はそう言い返した。
「そっだら思い込みが一番危ねべ。暗えと、思ってる以上に周りが見えねし、動揺して稽古通りに技どごかけられねかもしれね。晴男がそっだら危ね目に遭う必要なんてね」
おとんにそう言われて、むっとしてしまった。
「せやけど、終わるのは6時半やで。おとん、仕事はどないしてんねん⁉」
俺は、おとんが仕事をサボって迎えに来ると考えると嫌だった。
「仕事は、そんぐれぇの時間までに終わらせてるべ。おめはおらの心配なんてしねで安心して教室に通ってけろ」
もしかして、おとんは早く仕事を終わらせるために、俺に習い事をさせようと言い出したのだろうかと疑ってしまった。
そして、習い事から帰宅すると、いつもおとんが夕食の支度をしていた。おかんの方が帰宅が遅くなることが多いのだ。おかんも、休みの日や帰宅が早い時は食事の用意をしているが、あまり料理は上手くなかった。
冬になると、おとんはよくきりたんぽ鍋を作っていた。子どもの頃から地元の秋田県で食べていた味が忘れられないらしく、わざわざ地元からきりたんぽを取り寄せている。気付けば俺も、冬になるときりたんぽ鍋が食べたいと思うようになっていた。それが、家で食べる一番美味しい料理だったのだ。
小学校3年生の冬、柔道教室が終わってから、そのきりたんぽ鍋を食べながら、おとんに相談したい話題ができた。素面で聞いてもらわないと、話をあやふやにされるかもしれないと思い、俺はおとんが日本酒を飲もうとして伸ばした手を止めた。
「おとん、俺さ、野球したいって思っとるんや」
友達が野球を始めて、4年生になったら一緒にしないかと誘われたのだ。俺はその前から野球に興味があったし、自分の意志で習い事を始めたいと思っている頃だった。
「野球?いいべ。おめにしてえことさあるなら何でも協力すっど」
おとんがそう言ってくれたことは、素直に嬉しかった。
「へば、柔道と空手はどうすんだ?」
「それも、小学生のうちは続ける。でも、野球との両立がえらなってきたら、辞めるかもしれへん」
柔道や空手は、自分の意志で始めたわけではなかったとはいえ、楽しかった。それに、強くなりたいという気持ちもあった。ただ、これまでの習い事より、これから始める野球を優先したいとは思っている。
「わがった。料金や送迎の心配はいらねで、楽しんでけろ」
おとんは笑いながらそう言っていた。
せっかく機会があるなら、色々なことをしたい。これから、野球ができるのが楽しみだと思うのだった。