我が家の美容師
「あばやー。晴男、髪が伸びてきたんでねか?」
ある休日、おとんが俺にそう言ってきた。
「そうか?」
俺は愛想なくそう返すが、おとんは嬉しそうに
「おらが切ってやるべ。へば、ここの椅子さ座れ」
と張り切っている。俺はおとんに髪を切られることは好きではないが、逃げるわけにもいかなかった。
俺は昔から、おとんに髪を切られていた。そのため、外で髪を切ってもらったことがない。
「安心してけろ。今回もめんけ髪型にすっがら」
おとんはそう言いながら慣れた手つきで、座った俺の肩にケープを掛けた。
「可愛くしてくれとは頼んでへん」
おとんは美容師でも理容師でもない。無駄に出世しているが、ただの地元で有名な建設会社の営業部長である。
「おとん、何で俺を散髪に行かせてくれやんのや?」
おとんに髪を切られながら、俺はずっと不満に思っていたことを聞いた。おとんは普段から散財しているくせに、俺の散髪代をケチっていることが気に入らなかった。
「おめの髪どご切んのが好ぎなんだ。鏡越しにおめのめんけ顔見て、髪型どご綺麗さしてやれっから。おめと話もでぎるしな」
おとんは俺の髪を切りながら、笑顔でそう答えた。
俺の顔を見て、髪の毛に触りたいということかよ。そして、俺と喋りたいと。そんなおとんは変態だと、前々から思っていた。
「終わったべ。上手ぐ切れたんでねか?」
俺の髪を切り終わったおとんが、満足そうにそう言った。
「まあ、そうかもな」
俺は相変わらず不愛想にそう言う。
しかし本当は、悔しいくらい俺の髪を綺麗に切ってくれている。そのため、俺は髪型を褒められることはあっても変だと言われたことがなかった。
確かに、おとんが髪を切ってくれるなら、わざわざ散髪に行く必要はないのかもしれないと思ってしまう。
でもやっぱり、おとんに髪を切られて、ヤツの好みの髪型にされるのは嫌だ。俺にはそんな反骨精神があった。
髪くらい、自分で切ってやる。そう思い、両親が留守の間に、自分で髪を切ったことがあった。
しかし、おとんの手つきを見ていて簡単そうに思っていたが、思うように髪を切ることができなかった。プロでもないのにあんな慣れた手つきで綺麗に散髪しているおとんは凄いと感心してしまった。
いやいや、それを理由におとんの好みの髪型にされるくらいなら、多少ダサくなっても自分で髪を切った方が…。
そう思い、ムキになって髪を切ったが、切れば切るほど変な髪型になってしまった。これ以上切ったら、髪の毛がなくなってしまうような気がした。
こんな髪型、誰にも見せられない。そう思った俺は、髪型がわからないようにするために、タオルを頭に巻いた。
「ただいま晴男。あばやー、なして頭さタオル巻いてんだ?」
その日、おかんより先に帰宅してきたおとんにそう言われた。そりゃ、家の中でタオルを被っていたら、普通に不思議がられるか。
「家ん中でタオルどご巻ぐ必要はね」
おとんはそう言いながら、勝手に俺の頭のタオルを取ってきた。
「ちょっ、何すんねん!」
俺がそう言っても時既に遅し。おとんにタオルを取られた俺の頭は、不恰好な髪型を晒していた。
「晴男、これ、自分で切ったんか?」
おとんが、きょとんとしていた。
「そうやけど」
不恰好な髪を見られて恥ずかしくなった俺は、不機嫌にそう答えた。
「ばがだなおめ。心配いらね、おらが綺麗にしてやっがら」
おとんは、笑いながらそう言い、食事も後回しにして、すぐに散髪の準備をした。
「晴男、なして自分で髪どご切ろ思ったんだ?」
俺の髪を切るおとんにそう聞かれた。
「俺、自分で髪を切ってみたかったんや」
おとんに髪を切られたくなかったとは言いにくかった。
「なら、おらが髪の切り方教えでやろうか?」
それはもっと嫌だ。
そう思っているうちに、散髪が終わった。不恰好だった俺の髪型は、それが嘘のようにさっぱりと綺麗になった。
「…ありがとう」
俺は、抵抗しながらも、おとんに対してそう言っていた。
悔しいが、おとんの腕には適わない。自分で髪を切るより、おとんに切ってもらう方がずっといいのだと、諦めがついたのだった。