10話
気がつくと雨が止んでいた。どれだけ時間が経ったのだろうな、と和哉は思った。少しは落ち着いた、と和哉はビルの中に戻った。ヒカルは許してくれるだろうか、と和哉は心配になった。
階段を降り、元いた階まで戻ると、ヒカルがバツの悪そうな顔で正座していた。
「なんで正座してんの」
和哉の言葉に、ヒカルは、
「母さんがこれが日本の反省だって言ってた。時間が結構あったおかげで色々考えてさ」
と返した。そしてどちらともなくごめん、と言った。
「ごめんな、俺はお前を殺そうとした」
和哉がそう言うと、ヒカルは申し訳なさそうに言った。
「ごめん、俺はお前の人生を否定した」
俺のことはいいよ、事実だからな、と和哉が笑って答えると、ヒカルは小声で大人になったな、と言った。
「ヒカル、お前口悪いな」
和哉がそう言うと、ヒカルは頭を下げた。
「いやもうなんていうか。完全な八つ当たりだった。ごめん」
いや、俺も悪かった、と和哉は返す。
「さっきの話だけど、今度はちゃんと聞くよ」
分かった、と和哉は言って、真琴から聞いた話を聞かせた。今度は端折らず、聞いたとおりをきちんと伝えた。
「俺はかずやを信じることにしたよ。そもそもお前が最初に、あの子を助けようと飛び出して行ったんだもんな」
和哉は素直にありがとう、とだけ言った。
「なるほど、何となく話はつかめたぜ」
ヒカルのその言葉に、和哉は理解できたの、と驚いた。
「お前失礼だろ。これでも尋問官に選ばれたし、アンブラにも色々教えてもらってたんだぞ」
和哉はアンブラ、という言葉を繰り返した。
「あ、ガスマスクをつけてる人だよ。髪が黒いから目立つと思うんだけど」
なんであいつは髪が黒いんだ、と和哉は聞いた。
「えっとね、この世界に来て間もないうちは霧の影響が無いから、ガスマスクをつけて霧を吸わないようにしてれば、髪は黒いままなんだ。食べ物も霧の影響が無いものを食べてるし」
「なんでそんなことしてるんだよ」
和哉がそうぼやく。
「何でも、霧に蝕まれてるからこの世界に定着してしまう、ってブレインは考えるらしくてさ。霧を取り入れなければ何かの拍子に帰れるって。実際ホントに少ないけど、目の前で消えた、っていう人達もいたらしい」
「霧の影響を受けてない食べ物って?」
そこも気になっていたので、和哉は聞いてみた。
「一度食べ物をぐちゃぐちゃにして、結晶を入れて暫くすると、結晶に粒子が集まっていくんだって。後は結晶を取り出せば、粒子のない食べ物が残る、ってことらしい」
結晶に粒子が集まってくんだな、と和哉はまた一つ賢くなってしまった。
「アンブラはさ、特別なんだよ」
「まあそうだろうな」
ヒカルの言葉に適当に相槌を打つと、そうじゃない、と首を振った。
「他にもガスマスクで生活している人はいる。かずやももっと早く見つかってればガスマスク生活だったかもしれないし。ただ、他の人達は、早くても16くらいでこっちに来てるんだ」
アンブラ生まれてすぐにこっちに来たんだ、とヒカルは言った。
「この異常さがわかるか?生まれた瞬間に世界を拒絶して、世界に拒絶された人間なんだ」
だからあいつらも多少自由にやらせてるんだ、とヒカルは呟いた。確かに分からないものが1番怖いからな、と和哉は思う。
取りあえず分からないことはこれくらいかということになり、二人は今後の動きを話し合った。ヒカルはあの少女を助けたいと言い、和哉もそれに同意した。あの少女を助けようと思ったのは、ヒカルのためだと分かっていたが、それは口にしなかった。ここでようやくあの少女の名前が分かった。ユノカワカヨ、と名乗ったとヒカルは言う。
「あのブレインにしては珍しいんだけどさ。ずっとカヨを傍に置いてんだ。今までは長くても一ヶ月で変わってたのにさ」
愛されてんだな、と和哉が言うと、ヒカルは露骨に嫌そうな顔をした。
すぐに救出もできそうになかったので、和哉は龍一の話をした。多少時間がかかったが、ヒカルは渋々納得し、龍一の拠点へ向かうことになった。
その日、霧が晴れそうな時間を見計らって二人は外へ出た。拠点の近くには飛行機の残骸があるので、迷うことは無い。道中虫や植物を食べつつ、和哉の結晶能力の使い方を考えていた。
どうやら剣の形にエネルギーを変換できるようで、その堅さは籠めるエネルギー量で決まるようだった。また、応用として、エネルギーを籠めて硬度を上げない、といった使い方も考えた。
「おい、飛行機が見えたぞ」
近くの木に登っていたヒカルが降りてきて言った。ビルを出てから数時間が立ち、そろそろ灰人の活動時間になってきていた。早く拠点に着きたいが、あまり無理すると危険も増す。結局相談しあった結果、出来るだけ急いで拠点へ向かうということになった。
「やつら活動を始めたな」
それからしばらくして、進むペースは格段に落ちた。迂回し、隠れ、這って進んでいるから当然だった。その頃には見覚えのある場所に入っていたので、特に苦労なく拠点まで辿り着けた。
ビルを上がり、扉を閉めると、急に疲れが押しよせてきた。龍一について狩りに行ったときとは緊張感が違った。あの時より確実に力をつけたはずなのに、と和哉は額の汗を拭った。
そういえば龍一はよく本を読んでいた、とヒカリに話すと、それは怪しいな、と呟いた。二人は手分けして、それぞれめぼしいものを探すことになった。
和哉が寝起きしていた部屋に足を踏み入れる。見覚えのある机や、ベッドには、以前と比べて埃が積もっていた。
しばらく部屋を探索して、机の引き出しから、1冊の本、戸棚から1冊のノートを見つけた。他には雑貨品などしかなかったが、戸棚の引き出しに、小さな箱があり、中にネックレスが入っていた。明らかにネックレスをしまう箱ではない、金属の箱だったので和哉は違和感を覚え、それも持っていくことにした。下へ降りると、ヒカルが刃物を袋につめていた。
「これくらいしか無かったぜ?一応持ってこうと思ってさ」
ちゃんとしてるな、と和哉は思った。
「なんか怪しげなノートと本を見つけたぞ」
ヒカルはのーと、と首をかしげる。
「記録しておく紙の束だな。上へ行って読もうぜ」
ヒカルは、ちょっと待ってろ、と言って、糸と金属片を持って降りて行こうとした。ああ、鳴子か、と和哉は感心したが、龍一が既に侵入者用の罠などを仕掛けていることを説明した。
「そういうのは早く言えよ。もし俺が下も捜索してたらどうすんだよ」
口を尖らせるヒカルに、ごめんごめんと謝る。階段を上がっていく和哉をヒカルは追いかけた。
「どっちから読めばいいかな」
ベッドに腰掛けながら和哉は誰ともなしに言った。
「本でいいんじゃねーか?」
そう言ってヒカルはベッドの脇のイスに腰掛けた。
「そっちじゃ見づれーだろ。隣座れよ」
和哉がそう言ってベッドを叩くと、ヒカルはこっちでいい、と返した。
「字読めねーし」
そっか、と和哉は納得し、本を見た。前見たとおり、表紙は色あせて見えなくなっていた。パラパラと本をめくると、それが英語の本であることが分かった。
「何が書いてあんだ?」
「これは外国の小説だな。有名な作家だけど、これはあれかな、霧が題材の本だ」
ふと何かが書かれているのを見つけた和哉はめくる手を止めた。
「多分じいさんの字だ。これは……、霧の発生する仕組みかな」
「本当か?」
「これによると、空浮かぶ粒子は、水を核として小さな結晶を作り、ある重さになると下へ降りてくる。これが霧だな。そこで、粒子はエネルギーを放出して、温度が上がった水は空に戻っていく……。なるほど。筋は通ってるな」
「そんなことになってたのか。16年生きてきて初めて知った」
和哉は、ヒカルって16歳だったのか、と軽く驚いた。その本を最後まで見てみたが、他には特に気になるところはなかった。
「次はこのノートだ。ここにもしかしたら突破口があるかもしれない」
和哉はノートを手に取った。