1話
リア充カップルなんて、電車に轢かれてしまえばいいのにな。
ホームで電車を待ちながら、五十嵐和哉はそう思った。時刻は午後6時、夕日に照らされて人の行き交う駅の構内は赤く染まっている。目の前には大学生と思しき二人組が、楽しそうに夏の予定について話している。ああ、そうか、他の大学も夏休みに入ったんだな、とぼんやりと和哉は思った。
和哉の通う大学も今日から夏休みに入り、同じ学部の人たちは意気揚々と飲みにいく相談をしていた。数少ない和哉の友達もどうやらそれに参加するらしく、和哉も誘われたが丁重にお断りした。まだ未成年ということはあまり気にしていないが、あの連中と同じだと思われたくなかったのだ。その友達は和哉と同じ高校出身で、昔からちょくちょく遊んでいる仲だった。頭は良くなかったが、憎めないやつで、交友関係が異常に広かった。
和哉が通っている大学はお世辞にも頭がいいとは言えない。周りにいるのは、見るからにチャラそうなやつか、見るからに暗いやつばかりで、和哉はどちらとも関わりがない。もともと滑り止めにうけた大学だったので、あまり大きな声では言わなかったが、常々周りのバカさ加減にうんざりしていた。自分のことを頭が良いとは思っていないが、頭が悪いとは思われたくなかった。飲み会にいくやつらは、未成年だとばれて退学なり停学になってしまえばいい、と和哉は思う。
和哉は、背はそこまで高くなく、どちらかといえばやせ形で、顔も性格も普通に分類される、典型的な日本人。大学に入り髪を茶色に染めてみたものの、よくいる大学生から抜け出せずにいる。高校までは普通の生活を送ってきたが、大学受験の失敗を機に全てが変わってしまったと思う。あの時失敗していなければ俺の大学生活はもっと楽しいものだっただろうな、と何度思っただろうか。
携帯の振動を感じ、目をやると、母親からのメッセージが来ている。
「今日は夕食はいるの?」
いるよ、とメッセージを送る。色々と気を使ってくれているのだと思うが、あまり構わないでほしいな、と思う。母親は過干渉気味だが、父親とはあまり関わりがない。多分最後に父親と話したのは3ヶ月ほど前だった気がする。
ふと、聞き覚えのある笑い声が聞こえ、和哉はとっさに目線を下げた。こっそり横の方へ目をやると、思った通りの人物がいた。椎名真琴、和哉の隣に住む子だった。おしとやかというよりはボーイッシュな彼女とは、昔から良く遊んでいた。恋愛感情は無かったが、和哉が受験に失敗するまではどの友達よりも仲が良かった。受験をきっかけに二人は話さなくなっていった。真琴が、和哉の志望大学に受かり、気まずくなったというのが一番の理由だろう。
隣には彼氏だろうか、見るからに今時の大学生、という男がいて、仲がよさげに真琴と話している。あいつが誰と付き合おうと関係ないが、大学に受かっていれば横にいたのは自分だっただろうにな、とぼんやりと和哉は思った。
ホームに電車が接近してきたようだった。いっそ横の二人を落としてしまおうか、とするはずもないことを考えていると、誰かがぶつかってきたのか、体が前のめりになった。線路までは幾分距離があったはずだったが、足がもつれ、ホームから投げ出された。
だいぶスピードの落ちた電車が目に映った。ああ、つまんない人生だったな、と思いながら衝撃に備え身を硬くする。夕日がやけに赤く感じて、誰かの悲鳴が聞こえた。ゆっくりになった世界で、真琴と目が合った。驚いた顔をしているな、と思った。
気がつくと和哉は霧の立ち込める線路の上に倒れていた。ホームから落ちたときにぶつけたのか、少し腕に痛みを感じる。あれ、電車に轢かれたんじゃなかったっけ、と慌てて身を起こしあたりを見回す。病院のベッドにいるわけでもなく、電車に轢かれた感じもない。さっきまでいた駅のはずだったが、建物が激しく劣化している。ホームのコンクリートの一部は崩れているし、屋根なんかボロボロで穴が空いている。建物には白い蔦が絡まり、コンクリートの割れ目からは灰色の植物が顔を覗かしている。また、見たこともない白い木が何本か生えていて、跨線橋の一部を白い木が貫いていた。人の姿が全くないのはおかしいよな、と思った。轢かれていないにせよ、線路に人が落ちたんだから騒ぎになっているはずなのに。そしてなによりもこの霧は一体なんなんだろうか。線路の先は霧で見えなくなっていて、相当霧が濃いことがわかる。霧には異常に大きな自分の影が写っている。
もしかしてここは俗にいうあの世というやつじゃないんだろうか、と思いつつ、立ち上がってホームによじ登った。記憶にあるよりもずいぶんと崩れた構内に、まだかろうじて姿を保っている椅子を見つけた。立っているのも疲れそうなので、そこに腰を下ろして一息つく。
もしこのがあの世じゃなかったら、多分夢なんだろうな、と思う。現実的に考えたら病院で意識が戻らずに夢を見ている、というのが一番しっくりくる気がする。母親以外では誰が心配してくれるんだろうな、と思った。父親ももしかしたら心配してくれるかもしれないし、真琴も目の前で轢かれたことを考えると相当心配していると思う。
ここで携帯の存在を思い出し、取り出して画面を確認した。
「圏外か」
そう呟くと、思った以上に声が構内に響いた。普段ホームは様々な音にあふれているため、何もない時はこんなに音が響くんだ、と今更気付く。
圏外であることはなんとなく予想していたが、これで本当にどうしようもなくなった。駅に人がいることを期待して声を出してみる。
「すいませーん!」
さっきよりも大きい声のせいか、しばらくの間音は反響していた。和哉が耳をすましているとカタリ、とどこかで音がした。音がした方向へ目をやるが、誰の姿も目に入らない。
「すいません!」
もう一度呼びかけるが、今度は物音がしなかった。
ずっとここにいるわけにもいかないしな、と思うが、どうしていいか分からなかった。とりあえず外に出れば人がいるかもしれない、と思い駅の入り口に向かった。
改札を抜けて外へ出たが、思わず足を止めた。そこに和哉が知る街は無かった。駅前にはは、廃墟と白や灰色の木、植物しか無かった。まるで長い月日が経ったようだと思ったが、よく見ると和哉が知っている建物はあまりにも少なかった。見慣れたファストフードチェーン店の残骸もあるが、それよりも作りが古い建物のほうが多かった。戦後のような建造物もあれば、江戸時代にあったような長屋まで、様々な時代の建物を適当に並べたような違和感があった。遠くのほうは霧でよく見えなかったが、多分そちらも同じようになっているのだろう。
目の前の光景に驚き、固まっていると、目の端に動くものが映った。人かと思いそちらへ目を向けると、そこには小型犬ほどの白と灰色の蟻がいた。見た目は蟻のようだが、足は普通のものと比べて獣のように太い。その二つの黒い複眼を見て和哉は鳥肌がたち、考えるよりも先に体が後ずさりを始めた。あの大きさの蟻はダメだ、と和哉は思う。別に蟻が嫌いなわけではないがあの大きさになると、本能的に恐怖を感じる。駅の中へ引き返そうとして、蟻って一匹で行動しただろうか、と思った。確か一匹で行動することもあったと思うがもし他に複数の仲間がいたら、と想像しぞっとした。
嫌な想像ほどあたるもので、その蟻の背後から3匹の蟻が現れた。どうやら臨戦態勢に入っているらしく、カチカチと音を立て威嚇して近づいてくる。慌てて駅の中に駆け込むと、後ろから追ってくる音が聞こえた。駅のホームに出て、跨線橋を渡ろうと階段を駆け上がる。
「まじかよ!」
階段を登り、床が無いことに気づき、和哉は思わず悪態をついた。高さは5m以上はあるようで、さすがに飛び降りたらただではすみそうにない。橋の中程を木が貫いているため、それを蔦って降りることができそうだと、橋の通路の壁にしがみついた。
壁を進みはじめてすぐ、階段を登りきって蟻たちが現れた。そのままの勢いで蟻たちは壁を走り始め、あっという間に一匹が和哉の目と鼻の先になる。慌てて片手を離し頭をぶん殴り、その蟻を下へと落としたが、しがみついている手に別の一匹が咬みつこうとしたのを見て、思わず手を離してしまった。やばい、と思う間もなく、背中から地面に叩きつけられる。幸か不幸か、先に落ちた蟻の真上に落ちたため、背中は体液まみれとなってしまった。衝撃でうまく息ができず喘いでいると、すぐ近くに蟻たちが降り立ったのを感じた。這って逃げようとするが、うまく体が動かない。一日で二回死を覚悟するなんてついてないな、と思った矢先、蟻の頭が次々と青い光とともに弾け飛んだ。光が飛んできた方を見ると、腕が青白く光る老人がたっていた。助かった、という安堵からか、和哉はそのまま気を失った。