第十五章 地球の裏側で ニュージーランド 1 導入種と固有種
イギリスからの入植者を中心に築かれてきた地球の裏側の国々。鳥や環境保護を中心においた、ひとあじもふたあじも違った見聞記です。見たことも聞いたこともない世界への旅にどうぞ。
第十五章 地球の裏側で
ニュージーランド
1 導入種と固有種
「ニュージーランドは、イギリスにそっくりだよ」
みんながそう言った。それはほんとうのことだった。ただし、せいぜい半分がたは、というところだけれど。
オークランドの空港で私を待っていてくれたロナルド(ロン)・ロックリーの姿だけでも、いやが上にも親しみ深いものだった。ダンジネス鳥類観察ステーション以来の旧友である。真夜中の空港で、あいさつに来てくれた政府の役人と飲み物をとりながらおしゃべりをしている時も、入植した農民が築き上げたなじみ深いイギリス風の田園風景を目にすることになると、どの人からも言われた。「それでも、鳥の種類は違っているでしょう」と私は言ったものだ。
市街地のへりにあたるロックリーの家で、期待にわくわくしていた私は、夜明け前に目をさました。部屋の窓は灌木におおわれた庭にむかって大きく開いていた。まだ南東の空がほとんど白みかけてもいないうちに、新しい国で初めて聞く鳥の声が大きくはっきりとひびいてきた。・・・・なんと、イギリスのウタツグミの声ではないか。ニュージーランドの在来の鳥には、これほどくりかえし大きな声で鳴く鳥はいない。お次は、これまた間違いようのないクロウタドリが鳴きはじめた。日の出近くまで、大気を満たしているのはこの二種の声だけだった。
そのころになって、ヨーロッパカヤクグリがせわしげで断片的な歌をさしはさみ、他の導入種たちが、春の夜明けのコーラスで知りつくしている歌をひびかせはじめた。アオカワラヒワ、ゴシキヒワ、ベニヒワ、ズアオアトリ、ホシムクドリ、そして遠くで囀っているヒバリ。みなの話はほんとうだった。まるで故郷にいる感じであった。
ようやく、これまで聞いたことがないトリルがまじってくると、ロンの奥さんのジーンがお茶を運んできてくれて、こう言った。「あれがニュージーランドセンニョムシクイよ。ほら、バナナのしげみを見てごらんなさい」
そこにいたのは、ちょうどチフチャフのように小さくて地味な、オリーブ色と灰色がかった小鳥だった。違う点といえば、尾が短くて丸いという程度である。ばんざい!これこそまさに、私の最初の南半球の鳥であった。
ニュージーランドに来ることができたのは、一九七五年、チャーチル・フェローシップによる世界旅行の主要部分を占める研修旅行である。ニュージーランド政府の野生生物局(後に環境省となった)の招待によって、RSPBのボスであるピーター・コンダ―を通じて、一ヵ月のニュージーランド滞在がアレンジされた。
私は常々、第一印象をあてにするべきではないと言っている。夜明けの経験とは裏腹に、この一ヵ月間は、スリリングな新しい体験の連続となった。
ニュージーランドで、絶滅に瀕した鳥を助ける仕事を担当しているダン・マートンは、同じ趣旨の旅行でニュージーランドからミンズメアを訪れて以来、この計画を進めてくれていた。ロンは自然保護に関する世界的に有名な著述家であり、イギリスにいる時から旧知の間柄だったが、ここでも影響力をおおいに発揮していた。そして、ニュージーランドの野生生物局をはじめ、森林や鳥、自然保護、生物順化に関して、数多くの団体がやっている仕事を見学するため、全土にまたがる旅行がアレンジされたのであった。
私はニュージーランドについて、予習してきていた。初めて訪れるこの国は、海鳥や、シベリア北東部から越冬に来るシギ・チドリ類の種類数はたいへん多いことで知られていたが、森林性の在来種は貧弱だった。バードウォッチャーにとっては運の悪いことに、ここには季節によって渡ってくる陸鳥というものが、事実上存在していない。例外は、太平洋諸島から渡来して営巣する二種類のカッコウ類のみだった。
ICBP;国際鳥類保護会議のレッド・データ・ブックによれば、ニュージーランドの鳥のうち一七種類が絶滅の危機に瀕しているとされている。このほかに、およそ一〇〇〇年前にこの国に移住したポリネシア人のために、約三四種の貴重な種類が失われたと考えられている。また、過去二世紀にわたるヨーロッパ人の活動によって、既に一一種類以上が失われている。
現存する陸鳥の種類が少ないのは、もともと隔離された島の森林であるという条件にもよる。イギリスから入植した植民者たちは、ノスタルジアから故郷の鳥を持ち込み、また後には風土順化協会などによって、庭に見られる小鳥一二種と狩猟鳥九種が導入された。同様に、人間が持ち込んだ三二種にのぼる肉食や雑食の哺乳類は、特別の環境に適応した在来種の鳥にたいして、大きな損害を与えることになった。これに比べると、導入された鳥による影響はむしろわずかなものである。
ニュージーランドには、本来は、人間も含めた地上性の捕食者は存在していなかった。このため、飛翔力をなくしていた鳥たちが絶滅に追いやられたことは、とりわけ悲しむべきことである。飛べない鳥のうち、絶滅してもはや二度と目にすることができないものの中には、ダチョウに似たモアもいる。この鳥は、マオリ人の貝塚から出土する骨や化石の骨による証拠では、背の高さ九〇センチほどの種類から、これまでに存在した鳥の中で最大で、三・六メートルもの背丈を持つ巨大なディオルニスまでが含まれている。
イギリスは、巨大なユーラシア大陸のすぐ近くに位置しているため、国内でいなくなってしまった鳥でも、大陸に現存してさえいれば、再び呼び戻すことも可能である。しかし、ニュージーランドにはその可能性もない。
戦後、イギリスでは生息に適した環境を再現して、サンカノゴイ、ヨーロッパチュウヒ、ミサゴ、オグロシギ、ソリハシセイタカシギなどを呼び戻すことに成功した。オジロワシの再導入もうまく行っている。しかし、絶滅したオオウミガラスを復活させることは、もはや永久に不可能である。
ニュージーランドの在来種のうちの大半は、花蜜や蜜に集まる昆虫に頼っている種類で、また多くのものは巣をつくるのに古木のうろを必要としている。常緑樹の森林におきかわった耕作地や牧草地などに進出できたものはわずかしかなかった。カンタベリー平原に似ているような場所では、ヒバリの歌が圧倒的に多かった。ユーカリの生け垣からは、オーストラリアから導入されたカササギフエガラスの南東端亜種が鐘のような声をひびかせて、おなじみのイギリスの庭の鳥たちと競いあっている。キアオジは「パンちょっぴりっ、チーズなしーーい(Little bit of bred
and no cheeeese)」と頭上の電線で歌っている。ホシムクドリは、ここでは草原害虫のコントロール役としてきわめつけの存在になっており、羊にまじってせわしくつつきまわっていた。そしてーうれしいことにー農民や芝生のある家の主婦から歓迎されており、もっと増やそうと巣箱をかけてもらっていた。
広さ四〇〇㎡のパドックで、私は餌をとっているウタツグミを九羽も数えた。ニュージーランドでは、農薬づけになっているイギリス本国よりも、はるかにウタツグミが多いことはまちがいない。ゴシキヒワも同様だった。ひらけた採餌場所がひろがったことで利益をこうむった在来種の鳥は、マミジロタヒバリとミナミチュウヒだけである。こうした場所は、家畜のおかげでたっぷりこやしがきいておりー何しろ、羊は七千万頭にもなるー餌生物を増加させている。
まずは穏やかなスタートとして、ロンは二八ヘクタールの淡水と汽水による新しい保護区を見せてくれた。自宅のすぐ下の河口にあるタフナ・トレアで、友人たちといっしょに堤防を築き、水位調節と利用者の観察路をつくったところだ。シロビタイアジサシやオニアジサシをはじめ、多数のオオソリハシシギや、アジアから越冬にきている渉禽類が餌を漁っていた。保護区に付随した小さな野原には、おなじみのキンポウゲやヒナギクが咲いて、出身地であるイギリスよりもずっと多い数のヒバリが巣を作っていた。
私たちは、ニュージーランド海軍によって、六四キロ沖にあるリトル・バリアに連れて行ってもらった。野生生物局の役人であり、広大な北部地域の責任者であるディック・ヴェイチと奥さんのブライアニーがいっしょであった。ここは大昔の火山の頂上にあたる孤立した離れ島である。深い森林におおわれた円錐形の島は、かつてロンが暮らしていたイギリスのペンブロークシャー沖合にあるスコックホルム島とはまったくかけ離れた環境だった。
ロナルド・M・ロックリーは、自身が所有するスコックホルム島で、島や海鳥についてのよく知られた本を何冊も書いた。私にとっては、とりわけ、この島は彼がイギリス初の鳥類観察ステーションを確立した場所であることから、いっそう意義深いものだった。すらりとしてバネのきいたロンの体つきは、七二歳になった現在もなお、二〇年前にダンジネスで知り合った当時と変わりなかった。このニュージーランドの孤島で、やぶがもつれあった斜面をぬけてのぼって行く時の身の軽さは、うらやましくなるほどだった。
危機にさらされている種類のために沖合の島に作られた数多くのサンクチュアリのうち、リトル・バリアは一八九四年に最初のものとして保護区に定められた。世界唯一のシロツノミツスイの個体群保護のためである。花蜜を吸う小鳥で、体長は一九センチほど。たいへん変わった声のため、ステッチ・バードと名付けられたこの鳥は、黒い頭にへんてこな白い耳飾りをつけていた。非常に数が少ないため、この島に滞在した三日の間に、われわれの一行はわずかに一羽を見ただけだった。
六八四メートルの島の頂上にいたる道のりは、ジャングルにおおわれた切り立った斜面だった。半分しかこなす時間がなかったが、クロミズナギドリと、灰色と白のハジロシロハラミズナギドリを見ることができた。どちらも、たいへん数が少ない海鳥である。深い穴の中で営巣するために、ずっと昔にポリネシアから持ち込まれたネズミの一種、ナンヨウネズミによって、相当数が捕食されていた。そして、もっと最近になって導入された家猫により、さらに悲惨な事態が起きた。
ディック・ヴェイチは、家猫を排除するための最善の方法を求めて、冷酷な手段を追求した。トラップや銃猟と同様に、伝染性の猫腸炎にかかっている猫の導入も効果を上げた。ディックの仕事はやがて一〇〇パーセントの成功をおさめ、この結果、シロツノミツスイは爆発的に増加して、彼はこの鳥を捕獲し、他の生息可能な島のいくつかに定着させることができるようになった。他の国々の野生生物局は、先見性の高い彼の仕事に対して、永久に感謝することだろう。
ヴェイチが不寝番をつとめてくれるおかげで助かっているこの島の鳥のもう一つの種類は、キーウィである。ほんものの野生のキーウィを目にするのは、当然のことだが、わが野心のひとつであった。マトン・チョップとソーセージのバーベキューという夕食をすませた後、私たちはやぶの中に分け入った。暗くせまい踏み跡をたどっていくと、すぐ先のところで「キ、ウィ」とささやく声が聞こえてきた。同じく鳴き声から名付けられたというモアポーク・アウル(ニュージーランドアオバズク)の声もしたが、こちらには、だいぶ人為的な解釈が入っている。夜行性で珍しいチャイロコガモのピイピイという声も聞こえた。
炭酸飲料のふたを開けるような、変な音を聞きつけた。質問に答えて、ディックは湿った泥にあいている丸い穴を懐中電灯で照らしてみせた。「ジャイアントミミズがもぐっているんですよ。一四〇センチにもなるでかいやつで、キーウィの好物なんです」
まもなく、わが野心は達せられた。私たちはキーウィを一羽、手づかみでつかまえたのだ。長い嘴や、おそろしく強そうな太い足とすねを見た。この鳥が長さ一・四メートルものミミズと格闘している姿をご想像いただけるだろうか。
ディックとわずかひとにぎりの同僚は、それぞれこの国の大きな部分を担当していた。この人たちは、私がこれまで会った中でも、もっとも実戦的で効率的な野外環境保護家であった。ニュージーランドには国民が三〇〇万人しかおらず、五六〇〇万人の人口を抱えるイギリスよりも、国土はいくらか広い。それにもかかわらず、主な問題はスペースであった。
一般論でいえば、移住をくい止めるべきである。そうすれば、増加する人々を養う食料生産のため、森や灌木林や湿地帯を排除する必要はなくなるわけである。しかし、在来種の植生は、生長の早いカリフォルニア松の生産のために、みるみるうちに減少しているのだった。
本来の常緑樹林と灌木林のうち、残っているものはわずかに二〇パーセントだった。ありがたいことには、ニュージーランドには住民がいない島が数多くあって、こうした場所に絶滅に瀕した鳥を移すことが可能だった。しかし、野生生物局のたくましい若者たちが、まず最初に取り組まなくてはならないことは、ヤギ、シカ、アナウサギ、ノウサギ、ハリネズミ、野生化した家猫、テン、イタチ、フェレット、野生化したブタ、ネズミ、オポッサムといった動物たちを排除することだった。おそるべき食肉性の捕食動物、そして環境破壊動物であり、祖先の人たちが、よし良かれと思ったことにせよ、環境に対して無知であったがゆえに持ち込んだものたちである。
ここ、リトル・バリア島でさえも、二〇ヘクタールの広さに切り開かれた土地にあるレンジャーの作業小屋では、ウタツグミやその他イギリスの普通種たちの夜明けのコーラスは、地つきの鳥たちの声を圧して響いていた。しかし、島の斜面の密生した森林では、ニュージーランドセンニョムシクイ、ニュージーランドミツスイ、エリマキミツスイ、ニュージーランドヒタキ、ニュージーランドバト、カカ、アオハシインコ、キガシラアオハシインコといったきら星のような在来種の鳥たちが、しっかりと支配権を確保していた。こうした環境は、導入された鳥たちが好むものではなかった。




