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第十四章 大きいことはよいことだ  4 大きいことはよいことだ


 この時西海岸に来たのは、毎年行われているカリフォルニアコンドルの個体数調査に招待されたためだった。絶滅が心配されている種類である。私たちは、無線でたがいに連絡をとりあっている四一のチームのひとつとして、コーディネーターのサンフォード・ウィルバーといっしょに、ヴェンテュラ郡と他の四つの郡にまたがる山々の高みに散開した。二日間で私のチームが見つけたカリフォルニアコンドルは、わずか三羽であった。そのうちの一羽は、私たちが岩だなのそばに来た時に驚いて飛び立ったもので、わずか数メートルの距離で見た。アメリカでもっとも稀な、しかも最大の猛禽をこんな至近距離で目にするとは思ってもみなかったので、私は畏怖の念でその場に凍りついたように動けなくなってしまった。気をとりなおしてからようやく撮った写真では、このコンドルが翼開長三メートルもあるなどとは、誰も思えなかっただろう。

 一九八二年には、野生のカリフォルニアコンドルはわずか九羽になってしまった。彼らは罠で捕えられ、最後の一羽は一九八七年四月に捕獲されて、一九四七年以来実施されている飼育下での繁殖計画に加えられた。

 コンドルの恋は、冷感症とは言えないまでも、たいへんゆっくりしている。一九八八年になって、ようやくヒナが一羽ふ化した。一九八九年には四羽、そして一九九〇年から一九九一年にかけては二〇羽がふ化して、世界の全個体数を五三羽にまで増やした。すべて、サン・ディエゴとロス・アンジェルスの動物園の中にいるものである。

 レイ・エリクソン博士は、メリーランド州ローレルにあるパタクセント研究センターで飼育しているアンデスコンドルを見せてくれた。ここはまた、北米の鳥類標識調査のセンターになっており、規模も大きく印象的なところである。私が会った人の中ではもっとも熱心な標識調査者リンガーであり、著者としても名高いチャンドラー・ロビンズも、ここを根拠地としていた。私はこの人の自宅のトラップや網をしかけた二ヘクタールもの庭がうらやましかった。奥さんのエレノアといっしょに、彼が初めてイギリスを訪れた時以来、連絡が続いており、アメリカ旅行の計画を立てるにあたって、もっとも助けになってくれた人だ。

 週末に、彼はジョーンと私をチェサピーク湾のアイリッシュ・グローブの標識調査ステーションに連れて行ってくれた。メリーランド在住の熱心な標識調査者、グラディス・コールもいっしょだった。何年か前にジャマイカの保護区で彼女と再会した時、彼女はブーゲンビリアの土手のかげから出てきて、こう言ったものだ。「ハーイ、この前にお会いしたのは、ミンズメアの庭で、鳥に標識をつけた時でしたわね」 どこに行っても、ミンズメアで会った人たちに再会するものだ。なんとありがたいことだろう。

 ジョーンは、アイリッシュ・グローブのことを蚊の多い場所としていつまでも覚えていた。ジョーンの血は、とくべつに蚊に好かれたのだ。九月のことで、南へ向かって通過する渡り鳥の種類の多さは、見たこともないほどだった。蚊がびっしりたかった手で、鳥を網からはずす場所にはとてもいられなかったので、ジョーンはポーチの蚊帳のかげの揺り椅子に座り、私たちが捕まえては彼女の前に並べる鳥を、まるで女王様よろしく受け取った。ジョーンが初めて目にした種類は、なんと二二種にも及んだ。

 北米のバードウォッチングはスケールが大きい。合衆国国立の野生生物保護区は四〇〇ヶ所にのぼり、面積ではなんとイギリスの保護区ぜんたいの八〇倍にもなる三六万四千平方キロをカバーしている。ナショナル・オーデュボン協会は一二〇ヶ所、一〇一一平方キロのサンクチュアリを所有しており、自然保護協会や他の組織が所有する保護区域も数百ヶ所に達する。見ることが可能な鳥は八〇〇種以上にもなる。ちなみに、イギリスで記録された鳥のリストは五四〇種類に上り、小さな島国としてはたいへん多い数と言える。ただし、このうちの一〇パーセントは、一回の目撃記録があるだけの種類である。

 旅行中の人間が必要とするものは、どこでもよくそろっており、どの町にも親しみ深いバーダーがいるおかげで、ものごとはいたってすみやかに進んだ。ある時など、高揚した状態になっていた私は、夜明けに起きてキイ・ウェストのモーテルを出発した。そして、まだお茶の一杯も飲んでいないと気がつくまでに、なんと二四〇キロもドライブを続けていたものだ。一介のイギリス人としては、およそ信じがたいふるまいである。道路わきの食堂で食事をするよりも、売店で袋入りのランチを買って、ノンストップで景色を眺めながらドライブするほうがよかった。その日のうちに数百キロを走破して、コークスクリュー・スワンプのジェリー・カトリップと過ごすために、運転を続けながら、貝のフライをコーラで流し込んだものである。


 ポール・サイクスはフロリダの南で、ロクサハッチ―国立野生鳥獣保護区を運営していた。ここには十二戸の住宅とおおぜいのスタッフ、そして数多くの機械設備が備えられていた。ポールは座席が二つあるエア・ボートで湖に連れて行ってくれた。すぐ後ろにある飛行機用の巨大なプロペラの轟音から耳を守るため、耳当てをつけて、カタツムリトビの餌場のうちでもっとも重要なところを見せてもらったのだ。

 時速四八キロのスピードでスリーコーナード・ソーグラスの繁みを抜け、蓮やホテイアオイの巨大なかたまりを乗り越え、アメリカムラサキバンやバンを追い散らし、水面すれすれをかすめて進んで行った。こうしたやり方で、偉大な野生の沼沢地で過ごした三時間というものは、いかにも自分が平和を乱す侵入者であると感じたものだ。しかし、ポールと彼のスタッフが機械力を用いて水面から水生植物を除去したおかげで、トビたちは唯一の食物であるスクミリンゴガイ(いわゆるジャンボタニシ)を探すことができるようになっている。

 彼らは一四二ヘクタールもの水面を広げ、一九七一年に五千匹のスクミリンゴガイを導入した。その年の干ばつの時期に生き残った四四羽のカタツムリトビは、今では一〇〇羽近くまで増加しており、この時には黒い雄と褐色の雌をあわせて少なくとも二二羽が見られた。何羽かはすぐ近くに来たので、長くて曲がった上嘴を見ることまでできたほどだった。貝の身をうまく殻から引き出すための嘴である。

 少し後になって、私はオーデュボン協会のロッド・チャンドラーといっしょに、この人が担当する広大なオキーチョビー湖サンクチュアリで何日かを過ごした。もっと多くのカタツムリトビや、安全な営巣を助けるために彼がデザインした針金のかごをアシの中に設置するのを見せてもらうためだ。

 カタツムリトビは、飛びながら獲物を食べることができると彼は主張しているが、他の人からは認めてもらえなかった。運のよいことに、私はこれを証明するのを手伝うことができた。私たちはエアボートを静かに停泊させて、一羽のトビが舞い降りてくるのを見守った。トビは草から巻貝をさらい、飛びながらかぎ爪でつかみ、嘴で身をひっかけて引き出し、呑みこんだ。ロッドは自分以外の証人ができたことをたいへん喜んでいた。

 私は巻貝の殻をいくつか集めた。二ヵ月後、タイでスキハシコウのコロニーの下で見つけた殻がこれと同じ種類であることを確かめることができた。スキハシコウもこの貝を主食としており、トビとは全く異なるタイプの嘴で、やはり、殻を傷つけずに貝の身を引き出すことができるのだ。


 ルイジアナのミシシッピ・デルタで見た営巣補助の実例は、まさに尊敬に値するものであった。エイブリー島のジャングル・ガーデンの湖に立てられた竹製の営巣台で、白鷺類や他のサギ類、トキ類のためのものであるコロニーは、一八九二年にナチュラリストのエドワード・マクリーニイによって始められた。この人は油、塩、そして胡椒をきかせたタバスコ・ソースーけっこうな薬味であるーで成功をおさめたが、羽毛を飾りに使うために水鳥が大量に殺されることを憂えていた。

 この人の後裔であり、現在の所有者でもあるビル・シモンズは、壮大な大コロニーを案内してくれた。ビルの話によれば、湖を利用する鳥は三〇万羽にのぼり、二万つがいもの鳥あ繁殖しているとのことである。鳥たちに巣の材料を十分に提供するため、大型トラック三〇台分の小枝が毎年搬入されている。狩猟のためにほとんど絶滅のふちにまで追いやられたユキコサギが、現在ではこのコロニーでもっとも数の多い繁殖種になっているとのことだ。何と輝かしい勝利だろうか。

 コロニーの安全を保つにはどうやっているのかと質問すると、ビルは一ダースほどのワニが水のすぐ上に注意深い目玉をのぞかせているのを指さしてみせた。この大きな爬虫類は、所有地内にあふれかえっているので、この年には何千頭かを間引いたとのことである。

「私の飛行機で、空から見てみようじゃないか」

 私たちは、彼が所有する飛行機のうちの一機、座席が四つある複操縦のセスナ機に乗り込んだ。飛行機は入り江とスズカケの木の上空高く舞い上がり、果てしないデルタの湿地帯上空を轟音を上げて飛んだ。 ロニー・レジ―がいっしょだった。この地方でガイドとよき指導者役をつとめてくれた人で、近くにあるオーデュボン協会の保護区、一一〇平方キロのレイニー・ワイルドライフ・サンクチュアリの管理人である。ロニーはノバ・スコシアのアカディアから一八世紀に移住してきた人々の子孫で、ほんもののケイジャン(フランス系カトリック信者で、独自の文化を守っている)であった。

 ロニーは、自分が携わってうまく行っている希少種の繁殖地を指さして教えてくれた。一九六六年、浚渫機で長さ六〇メートル、幅一五メートルの島を作り、アジサシやカモメの繁殖のために島ぜんたいをカキ殻でおおった。当時はよい条件を備えた繁殖場所はまったくなくなっていた。ハリケーンによる海岸の浸食や、商業的な貝殻の除去のためである。

 造成して一年のうちに、この島は二〇〇つがいものアメリカコアジサシに占拠された。ごく近縁のヨーロッパのコアジサシ(訳注:日本ではどちらも同一種のコアジサシとされているが、欧米では別種とする見方が主流になっている)と同様に、北米で個体数が急激に減っている種類である。このプロジェクトにかかった経費は一万五千ドルであった。

「この人工繁殖島は、アメリカコアジサシにとっては、世界唯一のものなんですよ」 ロニーは双眼鏡のかげで言った。私はこの人の静かなプライドを讃えた。一見したところ、ロニーは一五〇メートル下の水面にいるアリゲーターを数えることにだけ、注意を集中しているようだった。

 この島ができるよりも五年前、ミンズメアで私が作った島では、浜辺の小さな貝を敷いた。公共の海岸に人が多く入るようになったために、繁殖を妨げられたコアジサシが、経費ゼロで作られた小さな島で二〇つがいも繁殖してくれた。しかし私のコロニーはロニーの島のように確実に続きはしなかった。鳥の生息環境という視点から見ると、大きいことはまさによいことである。

「こういったしろもので飛んだことはあるかい?」ビルが言った。

「初めて?それじゃ、しっかりつかまって!」

 ビルは自分の手と足を私に注目させて、私が手足をちゃんと前に出し、彼の言う通りにしたことを確かめた。そして、エンジンを止めて機体を滑空させ、私が願っていたように、これまで目にしたうちでも最大のコロニーの上空を旋回してくれた。ついに、鳥になったと感じる恍惚の一瞬を体験することができたのだ。アメリカン・ドリームの一部に属することができたのだ。

 気持を大きく持とう。大胆に前進しよう。どんなことでもできると信じよう。 



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